酒場(3)
(と、なると、先立つものが要るな。)
シュザは、横木の向こうの亭主とおぼしき男に声をかけた。
「大将、よかったら、ここで一曲歌わせてもらえないか?」
「何だって?」
振りかえった亭主は、見事に禿げ上がった頭と立派な口髭をした、四十がらみの血色の良い男だった。唐突な申し出に怪訝な顔をしていたが、荷から四弦琴を取り出してみせると、シュザが言わんとすることを理解したようだった。
「ああ、あんた、流しの歌手かね」
「吟遊詩人といって欲しいね」
心外そうな表情を作り、続けた。
「頼むよ、大きな街だから人も集まるだろうと思ったら、広場で歌おうとした途端に役人に止められちまった。通りに移ったら今度は目つきのよくないのが近づいてきて、あわてて逃げ出したよ。路銀を稼ぐつもりが、当てが外れて参ってるんだ」
「しまらねえ吟遊詩人がいたもんだ」
呆れたように亭主が笑う。
「この街でどこに届けも出さねえでいきなり路上で稼ごうとすりゃ、そりゃそうなるわな。そんなこと言って、本当は下手くそで誰も聴いてくれなかったんじゃないだろうな。店ん中で雑音まき散らすようだったら出てってもらうぜ」
「要らん心配だね。まあ聴いてな」
揶揄するようなの亭主の言葉を許可と受け取って、シュザは席を立った。荷から折りたたみ式の腰掛けを出し、横木の少し前、空いている卓のそばに座り直す。足の位置を決め、四弦琴を構える。
「そんなとこでいいのかい。さっきああ言ったからって、遠慮しなくたっていいんだぜ。それとも、やっぱり自信がねえのかい」
「遠慮してるんだよ。それに、ここで十分さ」
店主の軽口を受け流し、弦に指をかける。
調律はほとんど必要なかったが、シュザは確かめるように弦をひとつずつ、ゆっくりと弾いていった。
そうしていくうちに少しずつ、彼のなかに、何かが満ちてくる。
その水位の高まりにあわせて、爪弾く手を次第に速めていく。
ぽつり、ぽつり、雨だれのように響いていた音が繋がり、流れを形づくっていく。
値踏みするような目で眺めていた亭主が、ほうというような表情を浮かべた。
奥の卓で談笑していた何人かの客も、こちらを振り向いている。
そうした反応を視界の端に捉えながら、シュザは自分の奏でる音の中に入り込んでいった。
指が踊る。音が走り出す。
湧き上がるものを吐き出すようにして、彼は歌いはじめた。
風の唄い手 @abno
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