第4話


 女の子のことは女性に聞くのが一番良い。


 そういう訳で、俺は休憩時間に藍子に相談を持ちかけていた。

 藍子とはこの職場で知り合った。恋人として付き合いだしてもう五年以上は経つ。

 職場近くのカフェに藍子を呼び出してこれまでの経緯について話をした。


「そっか、そんなことがあったんだね」

「なんか、上手くやっていけんのかなって不安なんだよ。俺があの子のために何かやっても無反応だし、たまに拒絶されるし。料理作っても、美味しいともまずいとも言わないし」

「私が思うに、ただ人見知りしているだけだと思うな。あなたの料理食べたことあったけど、普通だったし」

「普通かよ。そこは美味しいっていうところじゃない?」

「料理なら、私のほうが美味しい自信あるし」

「……ごもっとも」

 実際、お前に胃袋つかまれているわけだし。


「とりあえず、本当はどうだったかは本人に聞かないことには始まらないよ。私が聞き出してあげるから、今度、家にお邪魔していい?」

「願ったり叶ったりだけどさ、いいのか?」

「いいって。それに、私も愛梨ちゃんに会ってみたいし」

 恋人とはいえ、他人に子どもとの仲を取り持ってもらうのは、大人、親代わりとしては非常に情けないと思う。義兄さんは、あの子とどう接していたのだろうか? 聞いておけばと今更ながら後悔した。


 藍子は俺の顔をじっと見ていた。それに後になって気づいた俺が目線を合わせると一言。

「大変みたいだけど、頑張ってね、パパ」

「止めてくれ。俺はまだそんな器じゃない。それに、奥さんもいないうちからパパなんて」


 そう言って、俺は席を立った。去り際の藍子の顔が悲しげだった理由は分かっていたけれど、見ないふりをした。

 近頃、藍子は籍を入れたいという事を遠回しに言ってきていた。俺はその要望をのらりくらりと避けている。


家族になるという事に、俺は少しの不安と恐怖があったのだ。一家を支える柱となる責任は、俺には重過ぎる気がして。きっといつか、きっといつかはとその決断を後回しにしている。

藍子のことは好きだ。一緒になりたいと思っている。恐らくは、俺の決断を待ってくれているのであろう藍子の気持ちにも応えてやりたいとも思っている。しかし、藍子が強く要求してこないのをいい事に、現状維持を続けていた。


「いつかって、一体いつのことなんだろうな」

店を出た俺は、誰にも聞こえない声でそう呟いた。



 その週の日曜日。藍子は今日やってくる予定だ。


「いいか、もう一度確認するぞ。今日お邪魔するお姉さんが困るようなことはやっちゃ駄目、だからな」

 しゃがみこんで、背の高さを揃えながら言った。いつもの様に、この子はこくりと頷いた。


 よし、と言いながら頭を軽くぽんぽんとしたところで、チャイムが鳴った。ドアを開ければ藍子がいた。

「お邪魔しまーす! こんにちは、君が愛梨ちゃんだね」

 声をかけられた彼女は、俺の後ろに隠れた。俺との距離も二歩ぶんぐらい空いているあたりが、俺との心の距離を表しているように思う。


「ほら、お姉ちゃんにご挨拶は?」

 振り返りながら、そう呼びかけた。

「……こんにちは」

 小さな声で、同じく小さなお辞儀をした。

「愛梨ちゃん初めまして。私の名前は藍子って言います。お兄ちゃんのお友達です。よろしくね」

 姿勢を低くしながら、彼女は笑顔を見せて言った。彼女は少し頬を緩めてまたお辞儀をしたのだった。


 俺と藍子の分のコーヒーをキッチンで作りながら、ちらっとリビングの二人を見やる。二人はソファーに並んで座り、言葉少なではあるが、話をしている。俺とは、ほとんど話をしないので、話をしているあの子を見るのはこれが初めての様な気がする。心なしか表情も穏やかだ。いつもはツンとすましているくせに。やっぱり男と女とでは、大きな違いが有ったのだともやっとした気分になった。


 コーヒーを入れたカップを二つ、オレンジジュースを入れたコップを一つお盆に乗せて二人のところに行くと、途端にこの子の表情が硬くなった。本当に分かりやすい反応をしてくれて。


 少し沈んだ気持ち諸共、胃の中に流してやろうと、コーヒーに手を伸ばしたところで壁に掛けてあった時計が鳴った。針は二つとも真上を指していた。

「もうお昼だね。それじゃ、私が昼ごはんでも作ろうかな」

「野菜がまだ冷蔵庫の中に残っているから、そっちを優先して使ってくれると助かる。何か欲しいものあったら買いに行くけど」

「ちょっと待ってて。まずは、冷蔵庫を見てから……」


 少し急ぎ目にコーヒーを飲み干して、キッチンへと入っていった。そこの壁に掛けてあるエプロンをつけながら、冷蔵庫の中身を物色する。

「うん、これならオムライスが作れそう」

「オムライス? 別に嫌じゃないけどどうして?」

「愛梨ちゃんが食べたいって。好物らしいよ」

「この前に好物を尋ねたときは、そんなこと言わなかったぞ」

てっきり、好物なんてないものと思っていた。


 藍子は簡単に材料を切り、フライパンに油を引いて炒め始めた。

「あいつ、好物すら俺に言ってくれないのか……」

「そんなに気を落とさないで。言っても作れないと思ったのかもしれないし」

「五歳の女の子がそんな風に気を遣えるか? もし仮にそうだとするなら、やっぱり遠慮されてるってことだろ?」


 この前の買物のことを思い出す。あの時も遠慮していたのか定かではないけれど、自分の欲しいものをほとんど言ってくれなかった。

 これから先どうなるかは分からないが、しばらくは一緒に暮らすわけだ。あの子ともう少し関係を縮めたい、あの子についてもう少し詳しく知りたい。そう思って、彼女に仲立ちをお願いしたのだ。だが実際は、俺が二人の仲立ちをやっている様なものじゃないか。


 藍子はご飯も一緒に炒め始めたみたいで、ケチャップの匂いがキッチンに漂う。

「やっぱり、子どもの面倒なんか見たことない俺に、あの子の世話は駄目なのかな。お前があいつと話をしていた時、あいついい顔していたし」

「そうなの?」

「そうだよ。あいつのあんな顔、俺は見たことなかったよ」

「ふうん。よく見ているんだね。愛梨ちゃんのこと」


 俺にも、子どもだった頃があったのに、なんで女の子一人と上手くやっていけないんだろうな。

 血のつながりがあればいいのか? 子どもと関わる経験があったらいいのか? どうしたらこのギャップを埋められる?


「また、難しく考えているでしょ?」

「分かるのか?」

「それなりに付き合いが長いですし。あっ、皿を出してくれる?」

 ライスの方を完成させた藍子は、卵の準備に入っていた。


「まだそんなに同じ時間を過ごしていないでしょ? 心配しなくても、いつか距離も縮まる日がきっと来るって……はい、できたから皿を運んで」

 大きい皿が二つと、小さい皿が一つ。その上には、ふわふわな卵が乗ったオムライス。誰もが美味しそうと口にするだろう。当然あの子も。


 またやってくる、心の中の負の感情。うまく言葉にできない、いや、したくないような気もち。

 ……何だろうな、このもやもやは。



 昼食を取った後は、藍子の持ってきた子ども向けのアニメ映画を観ることになった。この子は興味が惹かれたしく、食い入る様に見ている。気に入った様なので、しばらく貸してもらえないかと尋ねたところ快く貸してくれた。


 二本ほど見終わったぐらいで、遅くなる前に藍子を帰すことにした。

「そうそう、これは伝えないとね」

 玄関で、荷物を持った藍子は言う。

「愛梨ちゃん、前にあなたの作ってくれた焼きそば、美味しかったんだって。あなたの料理、ちゃんと美味しいって思っているみたいよ」

「そっか……間接的とはいえ、聞けてよかった」

「今度、またどっかに連れてってあげなよ。二人で一緒に楽しんでみたら?」

「お前は付いてこないのか?」

「付いてってもいいけど、二人が仲良くならなきゃでしょ」


 確かに、まずこの子と仲良くなるべきは、藍子とではなく俺とだもんな。自信、かなり無くしたけれど。

「そうだな、ほら、お姉ちゃんにさよならは?」

 そう言うと、さよなら。と小さく言って手を振った。

「またね愛梨ちゃん。お兄ちゃんと仲良くね」

 手を振り返し、藍子は出て行った。

 となりの彼女は、寂しい様な、困惑している様な、複雑な表情だ。


「今日の晩ご飯は、レストランにでも行こうか」

 藍子のご飯の後で、俺の料理を振る舞うのは、どうも出来なかった。

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