第5話

 藍子がやってきた日からしばらくして。またゆっくりと出来る日がやってきたので、俺は少し遠出をして公園に彼女を連れてきた。

 そこは池が真ん中にあって、その周りを公園として利用している。池はかなり大きいので公園もかなり広く、遊具もそれなりにあるので、結構人気の場所だ。


「なあ、どれで遊ぼうか? ブランコ? 滑り台? それともジャングルジムか?」


彼女はキョロキョロと見渡すだけでどうとも返事をしない。こうした遊具に興味がないという事なのか?

 そもそも、この年頃の女の子もこうした遊具で遊ぶのだろうか? 実は、ままごとだとか、人形遊びの方が良かったのか?

 保育園ではよく遊具で遊んでいるという話を聞いていたし、大丈夫だと思ったのに。


「ままごとだとか、人形遊びの方が良かったか?」

 彼女は俯いて、少し間を置き、首を横に振った。


「まあいいや。俺はあそこのベンチの所にいるから、何かあったらこっちに来るんだぞ。一応見てるから」

 少し離れたベンチまで移動して、腰を下ろす。そこから彼女の方を見やると、少し俺の方を見た後で、ブランコの方へと歩き出した。


 暫く彼女を見ていて不思議に思った。

 彼女はブランコの所から動こうとしないのだ。

 ブランコに乗っている時は、座ったままで大して勢いをつけようとせずブランコを漕いでいて、誰かがやって来たらすぐに降りて、ブランコを譲る。そこで他の遊具に移ることもせず、近くで空くのを待っていたのだ。余程ブランコが好きなのか。

 時折ちらりとこちらを見てくるのにも、何か意味があるような気がした。子どもってもうちょっと遊具に夢中になるものじゃないだろうか


 結局、ずっと見ていたものの、彼女は一日中ブランコの側に座りっぱなしだった。気づけば他の子ども達もみんな帰っていて周りに残っているのは、俺らだけになっていた。


「おーい、帰ろうか」

 今はただブランコに座っていただけの彼女に、声をかけてベンチから立ち上がった。


「お兄ちゃん」


 誰かがそう言った。いや、ここには二人しかいないのだから誰が言ったのかなんて明らかだ。それでも、彼女の声だったなんて信じられなかった。


 声の主は俺の元に駆け寄って、こちらの顔を見上げる。

「お兄ちゃん、お兄ちゃんはお姉ちゃんとけっこんするんでしょ?」

「えっ、急にどうした?」

 突然喋り出したのにも驚いているのに、急に何を言い出すんだ?


「もし、お兄ちゃんがお姉ちゃんとけっこんしたら、かぞくになるよね。あいりはお兄ちゃんのかぞくじゃないから、あいりはお家にいられないよね」

 彼女の言うお姉ちゃんとは、藍子の事だろう。本人にはそんな気はなくても、彼女にはそう見えていたのだろう。


「何言って……」

「今日、お家をはなれてとおくに来たのは、ここにあいりをおいてくつもりだったんだ。そうでしょ?」


 静かな公園に彼女の声が響く。いつしか彼女は抱きついていた。両腕を限界まで伸ばして、なんとか俺の太ももを一周出来るぐらいの小さな体からは想像できないほどの、底知れない力を感じた。


「おねがい。あいり、もっといい子になるから。まい日ちゃんとおきるし、ごはんもすききらいしないよ。お口もじぶんでみがくし、おそうじだっててつだうよ。お兄ちゃんのいうことはなんでもきくよ。だから、お家にいたい。お兄ちゃんといっしょがいい」


 ぽろぽろとこぼれる涙が、俺の太ももを濡らしていく。声を上げて泣きたいだろうに、いい子でいようとしているのかそれすらもしていない。


 そう考えて、ようやく俺は気付いた。これまで彼女がどうして、あれほどに反応が淡白だったのか。

 彼女は素っ気なくしていたわけじゃない。ただ彼女は、彼女なりにいい子でいようとしただけだったんだ。


「ごめん。ごめんな」

 膝立ちになり、目の前の彼女を抱きしめた。目からはいつしか熱いものが零れ落ちて、彼女の服を濡らしていく。

「いいんだ。別に、お前は家にいていいんだ。結婚しようが、本当の家族じゃなかろうが。一緒にいていいんだ」


 抱きしめる力を強くする。力の加減が出来ているか自分でも分からない。ただ、目の前のこの子を離したくなかった。がむしゃらといえるぐらい、力強く抱き寄せて頭をなでる。今の俺には、これぐらいしか、彼女に思いを伝える術が思いつかなかったのだ。


 ようやく、彼女は声を上げて泣いた。俺も涙は止まらなかった。

 そして、ここで初めて。俺は最後までこの子の親代わりをやることを決意したのだった。

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