第2話

 慌ただしく朝食を済ませた後、この子が通う保育園へと彼女を連れてきた。朝早くというのもあって、既にやってきている子どもは少なく、静かだった。

 近くにいた若い保育士さんに「お願いします」と軽く挨拶をして彼女を引き渡し、会社に向かった。ここから、いつも会社へ通うのに用いる駅は逆方向。九時までに出社するには、少なくとも八時すぐの電車に乗らなくてはならない。しかし、保育園が子どもを預かってくれるのも八時から。会社に遅刻するのは、火を見るよりも明らかだった。会社側はこちらの事情を分かっているので、遅れても咎められたりはしないのだけど、どこか申し訳ない所がある。


 なるべく急いで駅へと向かい、汗をかきながら改札口を通った。

まだ暑さの残るこの季節、電車のクーラーは効いているので、急激に体が冷える。思わずくしゃみをした。


 このまま二人でやっていけるのだろうか。まだ始まったばかりだというのに不安になる。大きなため息が自然と口から出ていた。

 職場について椅子に腰を下ろすと、周りが噂しているのが嫌でも耳に入った。遅刻しても平気で早く帰れるのが羨ましいだの、イクメンなんて立派だの、仕事が余分に回ってきて迷惑だの、この年で子供を預かるなんて大変だの、小声とはいえ言いたい放題だ。周りの声を気にしすぎで、ノイローゼにでもなりそうではあるが、文句を言って、会社での俺の立場をわざわざ危うくするべきじゃない。人の噂も七十五日というし、いつか収まるだろう。


 いつものように仕事を進め、あともう少しで完成というところで、会社を出なくてはいけない時間になった。あとちょっとで仕上がるから残ろうとするも、子どもの方を優先しろと上司にも言われ、やむなく席を立つことになった。

 残りは恐らく他の人がやってくれるのだろう。何かしらお詫びを考えないといけないなと、またも頭を悩ませる項目が増えてしまい、帰り道でもため息をついてしまった。



「さてと、どうしようか」

 夜八時。キッチンに立ち俺はそう呟いた。

 これまで忙しいの一言でコンビニ弁当や惣菜にしていたけれど、もう言い訳はできない。というか、さすがにこれからの事を考えるとご飯がいつもコンビニ弁当や惣菜というのは、よくないだろう。料理を作れるようにならなければ。

 しかし、子ども相手にどんな料理を作ってやればよいのやら。本人に何が食べたいかと聞いたところ、首を横に振られてしまった。俺が食べるものと同じものを作って本当に大丈夫なのだろうか? 一応いろんな料理が作れるように、材料は数多く揃えておいた。余った分は別の料理に使えばいいだろう。

 料理ならできないことは無い。気まぐれにあるものが食べたくなった時に、レシピを見ながら見よう見まねに作るぐらいには。男料理なので、具材の大きさや、味付けが適当だったりするけれども。


子どもみんなが大好きな料理というと、カレーぐらいしか思いつかないし、カレーでいいか。

 ルーはあったっけと冷蔵庫を開けて、ルーを見つけたのはいいものの、そこで気づいた。これは中辛だ。五歳の子どもに中辛は辛すぎるだろう。

「次からは甘口を買わないとな……」


 結局、残っていた焼きそば麺を使って焼きそばを作った。子どもが食べるものなので小さめを意識したつもりだったけど、それでも少し大きかったみたいで、キャベツを食べるのに苦労していた。

「美味しいか?」

 そう聞いてもこくりと小さくしか頷かない。お気に召さない訳では無いみたいだけど、反応がイマイチだ。焼きそばの味付けとか、具材とか、本当にこのままでいいのかどうかも分からない。

 どうしたら良いのやら……なんて声に出さずに愚痴りながら、俺の口には少し小さめのキャベツを口に運んだ。


 シーンとした食卓。一人暮らしの時は気にならなかったが、同居人がいると、どうしても沈黙が気になってしまう。

「保育園、どうだった? 嫌なこととか無かったか?」

 彼女は何も言わずに頷いた。それ以上の反応は一切なかった。

 そのあと立て続けに「先生は優しかったか?」とか「友達は出来た?」とか「保育園のご飯は美味しかった?」とか、色々と聞いたけれど、どの質問にも彼女は頷くだけだった。初めは反応が淡白すぎて不安だったので尋ねていたのだが、だんだんその淡白さに苛立ちを覚えている俺がいた。

 こっちがこれだけ構ってやってるのに。なんて考えは、やはり大人げないだろう。これからしばらく過ごすのだ。こんなことでいちいち腹を立ててしまっても仕方がない。仕方はないのだけど……。


 この子への接し方は、未だ掴めそうになかった。

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