聖樹を継ぐもの

底道つかさ

聖樹を継ぐもの

「なんで12月25日には、『樹』を飾り付けるんだろうねえ」

「神様がそう言ったからよ」

「神様の言葉はどこから聞こえてきたんだろう」

「ずっと昔は、『樹』から神様の声が鳴っていたらしいわ。おばあさまが言ってた。おばあさまは、自分の何代も前のおばあさまが直接、『樹』から受け取ったって言ってたわ」


夜空の中、白い女の子と、黒い男の子、二つの人がいる。『樹』の幹に足をかけて、へばりついて、輝く電飾や色とりどりのプラスティック・イミテーションをくっつけていく。

二人が動くたびに、鳥の羽ばたきと歌声が鳴っている。


「なんで、神様はぼくたち『人』を残して姿を消しちゃったんだろうねえ」

「神様が、そうするべきだと思ったからよ」


男の子が黒い瞳を女の子へ向ける。


「どうして?」

「どうしても何もないわ。神様がお決めになったことよ。理由なんて考えないわ」


女の子の答えに男の子は言い返すことなく、ぐーっと首を延ばして樹を仰いだ。


「あなた、樹の上へ昇ってから変よ」

「変かな?」

「私たちくらいじゃ、ろくに上まで行けないってわかってたのに、墜落寸前になるまであがって、ふらふらになって降りてきて」

「確かめたかったんだ」

「空から鉄くずが落ちてきたのを気にしたのでしょうけど、あれだってただのデブリだわ」

「おかしい?」

「おかしい」

「いつもと違う?」

「……ううん。いつも通り。いつも通り変な子」


女の子の言葉に男の子は、はにかんで笑った。

そして、また言う。


「どうしてだろう?」


女の子は、赤い瞳で空を仰いだ。樹は視線の向こうまで遠く遠く伸びている。


「始まりに神が全てを作られた。幾星霜の後、悪が生き物に知恵の種を食べるよう誑かし、世界には悪と混沌がひしめくようになった」

「知ってる!神はおっしゃられた。私達の教えを守るならば、汝らはわが手に抱かれん」

「教えを守る者たちの知恵により、世界は満ち、地上は再び楽園へと近づいた」

「神様はすごくよろこんだんだっ」

「しかし、知恵の種を拒む者たちがいた。楽園を受け入れない彼らに神は怒り、地は戦乱で覆いつくされた」

「神様、みんな殺して、誰もいなくなっちゃった。そしたら、神様すごく困った!」


黒い男の子が、身の丈五つ分ほど高い位置の枝へ飛び移る。羽が幾枚か女の子に上から降りてきた。

白い女の子も後に続いく。

二人の会話がまた始まる。


「神様は神様以外に見てくれる人がいないと、自分が神様であることを証明できなくなったわ。神様は考えた。考え続けた」

「山が老いて背をかがめ、北と南が逆さになるまでかんがえた」

「そして、神様は結論したのよ。誰にも見てもらえないなら、最初からいないことと同じだ。もう、存在する理由すら既に無くなったのだと」

「だから、神様は、自分をいなくなることにした!」


鳥の歌声が響く中で、二人は樹を飾っていく。

男の子はしゃべりながら、ゆらゆら光るケーブルの端を指三本でつまみ、幹回りに添え付け始める。女の子は枝の上で、ケーブルが緩まないように男の子へ渡しながら下を見た。

上を見た時と同じくらい、長い幹が地上へ続いている。このケーブルはそれよりもっとながいから、足りなくなる心配はない。

幹回りを進んだから、はるか遠くなった男の子の声が聞こえてくる。


「う~ん。やっぱり『どうして』だなあ」

「全部最初から知ってるのに、何を気にしているの」

「体系の頂点たる要素が、体系を体系たらしめる構造を、自ら否定したのはどうしてなんだろう?」

「知恵の種のこと?」

「それじゃないよ。でも、それも一つの変なことだと思うよ。最初から完全なものを作っていたならば、体系に内包された要素によって異常が生じ、体系自体が崩壊してしまうことなんかなかったはずだもん。なんでそんな矛盾したことを神様はしたんだろう?あと、それだけじゃなくてねー」

「他にも変なことがある?」


風の流れに乗って、姿を見れない男の子の声が、幹の向こう側から聞こえる。


「知恵の種は、体系に内包された要素に過ぎないでしょ。それなら、設計を間違っちゃったで納得できるよ。でも、自己証明のために体系の内側から観測するものが必要だったのはどうして?」


男の子の体が幹を回り込み、女の子の視界に再び入った。運ばれてきたケーブルの端を女の子が受け取り、男の子が枝に足をつける。


「人に見てもらうことが神様であるために必須条件であったなら、神様が自分でその構造を破壊したのは、どうして?」

「神様自身にも、そのことが分かっていなかったのよ、たぶん」

「神様は、完ぺきだったんでしょ?」

「……体系は、その論理矛盾を体系の内部からでは認識できない」

「そこからの破綻を防ぎたいなら、観測者は系内ではなく、系外に設計する必要がある……。そうしなかったのは……それってぇ、でもぉ……」


うんうんと考え込んだ男の子の黒い体表を、赤い瞳で見ながら、女の子は再び上の枝へ飛びあがる準備をした。

白い腕を軽く伸ばし、力を籠める。


「わかったあ!」

「きゃっ」


唐突な大声に驚いた女の子がバランスを崩し、落下しそうになった体を男の子が足を延ばして支える。

鳥たちの羽ばたきの音が大きく響き、羽を周囲に散らせた。


「ごめんよ」

「いいわ。それより、『どうして』の答えがわかったの?」


男の子はうなずき、女の子に輝く瞳を近づけて話した。


「つまり、答えは『僕たち』なんだよ!」

「私たち……『人』が答え……?」

「そう。そうなんだ!」


言って、男の子は両腕を――を面いっぱい開いた。

樹の上にいたのは、白と黒の二羽の大鳥。

現代の霊長――今、この時代の『人』が、彼ら鳥たちであった。

興奮して枝の上を、鳥足でぴょんぴょんと駆けながら、黒い鳥の男の子は濡れ羽色の翼をはためかせる。

その姿を、月光のような透き通る白い鳥の女の子は見つめていた。

そして、男の子が羽ばたいて浮き上がり、宙でこちらに振り返った。美しい鳴き声に重ねて直接思念波動による意思伝達を送る。


「神様は、自分の存在を証明するために、自分たちとは完全に隔絶した知性を、観測体系を求めた!」

「それは……いえ、だとしたら?」

「神様は、この星の知性体系の頂点だったから、その先の進化では別系統の知性は生じない。もし現れたとしても、それは神様の子孫であり、つまり同じ神様だから、それらに認識されても、やはり自分たちが神様であることの証明にはならない」

「それはそうよ。分岐した体系は、元株の体系の一部なのだから、やはり体系自身の論理妥当性を証明できないわ」


女の子は細いくちばしで乱れた翼の羽を整えながら応じた。


「だから、神様は消えることにしたんだ。一度生じた知性の体系が消滅して、その後に全く新しい知性が生じるのを待つことにした。そしてその知性に……僕たち『人』に自分たちを認識してもらうことで、自分が神様であることを証明しようとした」

「ええ……そんなことって……」


女の子は困惑しながら、しかし男の子の話を止めない。かわりに笛音のように高く優しい鳴き声で疑問を伝える。


「だって、そのためには、消滅するにもかかわらず、自身が存在した確実な証拠を遺しておかないといけない訳で……あ」

「そう、だから『樹』だよ!そして、神様の言葉!」


黒い鳥は翼を広げて枝から滑空した。しばらく離れてから、『樹』の周りを旋回し始める。白い鳥が、その後を追って飛びだした。

絹のレースのような月光に翼を塗らして、二羽の『人』が「樹」の周囲を飛翔する。


「宇宙まで伸びる、惑星で一番の大樹だ。こんな特別な植物、他には存在しない」


男の子の右後ろを女の子は飛びながら、直接思念波動を受信する。


「これは、神様が作ったんだよ。そして、言葉をつかって、自分たちの存在を認識させる儀式を伝えた。12月25日に『樹』を装飾して、神様の言葉を唱えるという文化を。異なる知性が、体系の違いを超えて認識し、神様の存在を証明してもらうために」

「どうして……言い切れるの?」


女の子の問いに、男の子のいたずらめいた小さい笑い声が返る。

すると、男の子はゆっくりと上昇し始めた


「追てきて」


女の子は言われるままに後に続く。

しばしの間、旋回上昇し、女の子が帰還労力を計算し始めようかという頃になって、男の子は再び樹のほうへ進路を向けた。

そして、一本の枝の根元に留まる。そこの幹には浅くてやや広い窪みがあった。

男の子はその手前に行くと、とっておきの宝物を自慢するかのごとく、女の子に中を見るようにくちばしを動かして促した。


「これ……鉄くず?こんなに沢山、まさか集めてきたの?」

「うん。この高度には、樹の中にたくさん鉄くずが埋まっているみたいなんだ。この前、村に落ちて来たのは、この洞の口が崩れたせいだと思う。それより、物自体よりも表面に注目して」

「表面……。なにか模様があるわ。細かくて、やけに直線が多いような……。これが一体何なの」

「これは、きっと文字だよ」

「文字……?それは、なに?」


男の子は洞の中から一つの板の鉄くずをくちばしにくわえて引っ張り出し、月明かりがよく当たるよう、枝の上に敷いた。


「神様は言葉を情報媒体にしていたらしいよね。昔は樹から直接、電波を介して言葉が伝えられてたんだよね?」

「そうよ。それに、元は電波じゃなくて、意味に特定の音信をあてて、その組み合わせで意思疎通をしていたと伝承には残っているわ。ただ、言葉は思念情報を含まないから、今残っている神様の言葉のほとんどは、どんな意味だったかまでは分かりようがないけど」

「意味概念を思念で直接やり取りするぼくたちには想像しにくいけど、言葉をこういった鉄の板に記録しようとしたら、音信と同様に、意味に特定の絵図や形を与える体系を構築したんじゃないかな」

「音を、絵図にして?波形をそのまま記録せずに、何故そんな誤解を生むような手段を使うの?」

「それは分からない。けど、重要なのは、もしこれが『文字』で『言葉』だとすれば……」


女の子が、はっとして瞳を男の子へ向ける。


「この文字が私たちが普段使っている神様の言葉と、同一の意味を持っているならば、それは私たちが神様から言葉と儀式を受け取った、直接の証拠になる……!」


男の子はこちらの瞳をまっすぐに見返した。

女の子は、神様が作った、その存在証明を実行するための莫大な時空をかけた体系設計に、感じたことのない頭の巡りを覚えてめまいがした。

男の子は黙ったまま白い羽の揺らぎを見つめている。

やがて女の子がつぶやいた。


「でも、それを確かめる方法は、無いわ」

「うん。そうだね」

「なら、あなたのしていることは結局、意味のないことなんじゃないのかしら……?」


言ってしまってから、女の子は無遠慮すぎたことを恥じた。

だが、男の子の黒羽は静かに呼吸の動きを示すだけだ。


「そうだね。でも、そのことは一番の目的じゃないんだ」


一息の呼吸。


「僕が一番知りたいのは、かみさまがどうして、こんなに遠回りなことに力をつぎ込んで、自分たちの存在を、ぼくたち異体系の知性へ伝えようとしたのか。その理由……いいや、感情なんだ」

「感情……神様の、思い」

「ぼくはね、こう想像している。つまり、神様も、自分たちを生み出した神様が、自分たちを見ていることを認識したかったんじゃないかなって」

「神様の、神様……」

「僕はほら、でくの坊だからね。飛べるようになるのすら、他の子よりもうんと遅かったし。そういう時、お父さんやお母さんだけでなく、自分を創造してくれた神様にも悪いことをしているような気持ちになるんだ。でももし、もし神様も、ぼくと同じように、自分を造り出した存在に対して、悪気を感じたり、逆に喜びを伝えたいと思っていたのなら、それはひょっとすると、知性という体系を、体系たらしめる要素の一因であり、なにもおかしいことじゃ……」


男の子は、長い言葉を途中ですぼめると、羽をぱたぱたとはためかせてから、女の子のほうを見た。


「ぼくは、変かな?」

「そうね。あなた、変よ」

「そうかあ」

「でも」


白い羽がひらめき、黒い羽の隣に降り立つ。


「あなた、樹を飾る日に、家族と過ごすのは楽しい?」

「うん」

「友達と一緒に空を飛ぶのは面白い?」

「もちろん」

「太陽の赤色や、雲の白色は好き?」

「当然だよ」

「なら……あなたは普通よ。変だけど、同時に普通なの」

「それって、大丈夫なのかな?」

「私は全然気にしてない。ほかの人も多分そうよ。だから、それでいいのよ。神様を見つけて問う必要なんてないわ」

「そっかあ……」


束の間、夜空の中に星の瞬きだけが響く時が過ぎた。

やがて月が落とす影が少しだけ動き、女の子が言葉をかける。


「さあ、そろそろ帰りましょう。今日は家族と一緒にご飯を食べなきゃ」

「そうだね。帰ろう」


男の子は返事をすると、蒼く光る黒翼を広げて、ぱっと飛び出していった。

女の子も白い羽を月光に透かして羽ばたき、男の子の右後ろにつく。

ゆっくりと、樹の周りを滑空して高度を下げるなか、男の子がふといった。


「そうだ。飾りつけ担当は、仕事が終わったらあの呪文を唱えないといけないんでしょ?」

「え?あのしきたりもやるの?」

「もちろんさ。意味が分からなくなっても、神様の言葉なんだから」

「もう、まじめに変なのねあなた」

「そうさ。ぼくは変な奴さ。だからさあ、一緒に鳴らそうよ。さあ、せーの」


メリークリスマス。

メリークリスマス。


全ての人工衛星がなくなり、星と月だけの夜に照らされて、白と黒の翼は飛んでいく。

戦争すらも去っていった、ただ毎日を過ごしていく平和な世界に、新霊長の言葉が鳴る。

この時代ではもう意味がなくなった、安寧の言祝ぎが、ただの音として響いていくのであった。


















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