第17話 幸せにおなりなさい
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魔王が立っていた場所の側に、俺の右腕が付いたままの聖剣アスカロンが刺さっている。真っ白に炭化した右腕は、ついにその形を保てなくなり、灰となって地面へと落下した。
シビルの治癒は、肉体の復元までは出来ない。それでも一先ず俺の右腕の断面を治癒することで、痛みを緩和させることはできた。
「アスカロンのやつが、トリスタンさんのこと褒めてるよ。親父と俺がいなかったら、おじさんが勇者になれたかもってさ」
「だったらもう少し火力抑えめにしてくれてもいいのになぁ。熱かったんだぞ本当に」
そうは言ったものの、恐らくアスカロンは所有者ではない俺に対する反動を、可能な限り抑えてくれていたように思えた。
盗もうとした輩は全身が燃えたのだ。右腕だけが燃え、その速度も緩やかだったのは、アスカロンなりに出来ることをやってくれていたのだろう。誰かを守るために剣を振るう者を守護するこの剣は、やはり聖剣に間違いない。
俺の右腕に布を巻きつけたロックが、気遣わしげに呟いた。
「…………トリスタンおじさん。これで、良かったんでしょうか」
「なにが?」
「魔王は……エヴラールのやつは、シビルの事をちゃんと娘として愛してるみたいでした。やり方は色々間違ってたと思うし、あいつのせいで沢山の人が死んだけど……あいつとはもっと他の……」
「そんなもの無いよ、ロック」
否定したのはシビル本人だった。その額にはもう角は無い。
「あの人はあの日、自分から仕掛けた戦争に負けて、たまたま私だけが生き残ってたんだよ。本当に私を愛してたなら、負けたら皆死ぬような戦争を仕掛けることなんてしないでしょ。同族をたくさん死なせておいて、死んだあとも戦わせて、たくさん殺し合わせた理由が私に会いたいだけだなんて。私を言い訳にしてたくさんの人間を殺しただけじゃない。そんな身勝手な人の愛なんていらない」
その言葉には常ならぬ棘があった。目はずっと、俺の右腕に注がれている。
「私にはパパとロックとお祖父ちゃんがいればいい」
「……それでも。お前に命を分け与えてくれたのは、エヴラールだ。それにお前の角を折るように仕向けたのも、きっとお前に魔族として以外の生き方をして欲しかったからじゃないか?」
ドロドロと濁った瞳で実の父親を責めるシビルの頭を、残った方の腕で優しく撫でる。
俺が言っていることは気休めに過ぎない。そもそも、俺の考えが正しかったかどうかさえわからないのだ。
だが、それでも確かなことは。
「……魔王もお前に、シビルと名付けたかったらしい。きっと、お前のことを一度でも名前で呼んでみたいと、ずっとそう思ってきたんじゃないか。だから、最後にお前の名前を呼べて満足したんだと思う。彼の最期の顔は、本当に穏やかだったよ」
シビルは濁った瞳に涙を浮かべ、父に抱きついた。昔のようにわんわん泣くのではなく、静かに、誰かを悼むような泣き方だった。
「奪った命を、無駄にしてはいけないよ。シビル」
「…………うん」
それが奪った側にできる、唯一の偽善だから。
謁見の間から扉を開くと、辺りの状況は凄まじいことになっていた。文字通り魔獣の死体とアンデッドの山であり、騎士たちがその山の中で全員倒れていた。腐臭が辺りに漂い、生の気配が感じられない。
「……間に……合わなかったの……!?」
「そんな……!」
「んごっ!」
それは、シビルが無自覚に踏んでいた小隊長殿と思しき鎧から聞こえてきた。
「んごおおおお……!!」
「ぐがー……ぐがー……」
「すぅ……すぅ……」
……イビキだ。信じられないことに、この死体の山の上で騎士たちが寝息を立てていた。たしかにここ数日まともに眠る時間は無かったが、まさか戦いが終わりアンデッド達が眠りについたのを知って、自分たちもすぐさま寝に入ったのか。この鼻も曲がる腐臭の中で。
「はは……全く親父さんらしいな」
「ふふっ……!」
「ははは……これはたしかに、王国最強の精鋭だね。休めるときに休む。流石だ」
関心と呆れが入り交じる中、俺達は手分けして一人ひとり起こしにかかった。最後の一人を起こしたところで……急に地面が揺れ始めた。そう、前回のように。
「じ、地震なの!?」
「違う!前と同じだ!城が崩れるぞ!おい寝ぼけてるな!急いで走れー!!」
俺は足に怪我をして走れないものを背負って、今度こそ大穴に落ちないように気をつけながら外へ走り続けた。崩落の勢いは凄まじく、きっと今回こそ、地下にあったシビルの部屋も潰れてしまっただろう。
謁見の間を死守した騎士達は、なんとあの状況で全員が生還する快挙を成し遂げていた。
ブラン王国の謁見の間。
俺達は王の前であの日のように頭を垂れていた。ただ2つ前回と違うのは、シビルの額から角が消滅していることと、俺が床に突くべき右腕を魔王城に置いてきたことだけ。
「よくぞ魔王の完全討伐を成し遂げてくれた。礼を言おう」
「ありがたき幸せ」
「お前たちに一つずつ褒美を与えようと思う。どんなものでも言うが良い」
国王は、前回勇者を遇さなかったことを後悔したようだ。それに気付くのは些か遅いというものだろうが。
「では、右腕を失った私を退職させてください。本来もらうはずだった年給を退職金とさせてもらえるとありがたいです」
「よかろう。そなたは無欲だな」
いいえ?とても強欲ですよ、王様。
なぜなら私はすでに仲間達から退職金を貰っているのですから。
「シビルよ。お前は何を求める」
「馬車と馬をください。あと、行商の権利を。私はもう戦う力はありませんし、魔族の傷跡が残る王都には居辛いですから、父とともに故郷の村で静かに暮らしていこうと思います」
「よかろう。馬は2頭用意する。好きに使うがよい」
よし、よし、でかしたシビル。これで堂々とあの村に暮らしつつ王都で売買が出来るぞ。村での暮らしが随分と好転するに違いない。
「ヴィルジールは何を望む?」
「恐れ多くも申し上げますが、私もこの行軍で体力の衰えを思い知りました。生き恥を晒す前に騎士団を抜け、トリスタンが失くした右腕の代わりとなろうと思います」
おい、それは今初めて聞いたぞ、小隊長殿。
……まあ、一人住民が増えたところでそんなに変わらないか。うーんしかし、賑やかになるなこれは……。
「勇者ロックよ。そなたには余から直接礼をさせてほしい」
「はっ?」
「我が国の第4王女との婚約と、王族へ連なることを許そう。これからも我が国のために心血を注いでく――」
「いえ、全て辞退させていただきます。私が心を捧げ、愛したいと願う相手はシビルだけです。シビル以外の女性と添い遂げるつもりはありません」
これまでで一番大きなどよめきが謁見の間を支配した。シビルに至ってはそんなことを男の子から言われたのは初めてで、しかもこんな場所で告白してきた事にどういう反応をすればいいのかわからないまま、真っ赤な顔でアワアワと涙目になっている。
すまん、シビル。今は何もフォローできん。そのままアワアワしててくれ。
「私は聖剣とともに、トリスタンとシビルを守りながら生きていきます」
「そ、そんなことは許されぬ!我が王国から聖剣が失われるなどということがあっていいはずがない!!」
「では、私から聖剣を奪い取ってみますか?どうぞ。ブラン王国に受け取れる物でしたら差し上げます」
ロックは国王の前まで歩み、恭しく聖剣を掲げ、跪いてみせた。国王は本当にそれを手に入れていいのか一瞬迷ったようだが、永遠の繁栄という甘い夢を捨てきれなかったのか、誘われるがまま剣を手に取った。
歪んだ笑みを浮かべた王だったが、その瞬間鞘に収められたままであるはずのアスカロンが火を吹き、王の右腕とマントを燃やした。王は慌てて手を離してマントを脱ぐが、火は収まることを知らず、ついに白い灰だけを残してマントを燃やし尽くしてしまった。
王の右腕には"愚王"と読める焼印が刻まれている。
「どうやらブラン王国の王は持ち主に選ばれなかったご様子。アスカロンは誰かを守ろうとする正しき心にのみ力を貸す聖剣です。勇者である私が、魔王の娘を守ろうとすることには力を発揮するようですが。国王、あなたは誰を守ろうとしてアスカロンを握ったのですか?」
ブルブルと青褪めたままだった国王は、ロックの瞳に何を見たのか、二の句を継げなくなっていた。俺達の方からはロックの顔は見えなかったが、恐らく魔王もかくやといえる絶対零度の瞳で睨みつけているのだろう。
勇者から殺気をもろに喰らった国王は、聖剣からも完全に見放された今、何を思うのか。
「では、不敬者の私はこれにて失礼させて頂きます。ああ、報酬はこの無礼をなかった事にさせて頂きましょう。では、お大事に」
ロックの瞳は、こちらに向かってくる頃には温かさを取り戻し、むしろ燃えるような熱さでシビルを見つめていた。シビルもそれを正面から受け止め、何かを決意しているように見えた。
シビル。ロックを選ぶかどうかはお前に任せるよ。少なくともロックなら、俺の片腕よりもお前をしっかり護ってくれる。
俺はお前が幸せに暮らしてくれるなら、それだけでいい。
父親の俺がこれ以上望むものがあるとするなら、平和な老後と孫の顔くらいなのだから。
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魔王討伐を成し遂げた4人はそれぞれの報酬を手に、廃村跡へと帰っていった。その後誰一人として王都に移り住むことは無く、その生涯をその村で過ごした。
勇者と魔王の娘が村を発展させていくうちにいつしか移住者も増え、村は町となり、町に小さな城が建ち、やがて新たな王国として繁栄していくことになる。
その国では最も勇敢とされる民に聖剣の所持が認められ、国に禍が起こるたびにその力が振るわれたという。そして民の多くは色白で美しく、時折角のようなものが額から表れることがあり、その者たちは優れた魔力により国を支えていった。
一方、勇者と聖剣を失ったブラン王国がどのような歴史を刻んだかは、魔王討伐後の資料が極端に減っているため追うことが出来ない。
一説によれば、第一騎士団に所属する古株たちが次々と退職し、家族とともにどこかの村へ移り住んだために治安を維持できなくなったとも言われている。
しかし騎士団の一部が抜けたくらいで王国が瓦解するとも考えにくく、むしろ放置していたスラム街からクーデターが頻発したためだとか、シビルとロックを慕って追いかけた王都民が多かったためだとか、様々な説が提唱されてはいるものの、確証はない。
いずれにせよ、滅びたとしてその要因が勇者を失う前から多く存在しすぎており、勇者と聖剣の喪失は滅亡のきっかけに過ぎなかっただろうというのが大半の歴史家が支持する見解だ。
後世で滅ぶべき時に滅びた国だったと歴史家に評価されたことをあの王が知れば、一体どう思うのだろうか。何を思うにせよ、焼印を呆然と見ていることしかできない内は反論する余地も無いだろう。
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「ねえ、パパ」
「うん?」
「パパは……私が結婚したら、寂しい?」
「そりゃあ寂しいさ。ずっとそばにいてほしいよ」
「そ、そうだよね……」
「……でもさ。シビルの子供も、俺は見てみたいな。あいつとの子供ならきっと可愛いと思うよ」
「……っ!パパ……でも、でも……っ!私、パパとも離れたくないの……っ!左手だけの生活じゃ大変だよ……っ!お願い、パパ、一緒に住もうよっ!彼もそうしたいって言ってるからっ!」
「良いんだ、シビル。気持ちは嬉しいが……俺も一人で色々と考えたいこともあるんだ。子育てから離れるのもご褒美の一つだとでも思って、新婚生活を楽しみなさい」
「……パパ……っ!パパ、ごめんなさい……っ!私があの時もっと強かったら……っ!あ、あの日のことを……ずっとずっと後悔してるの……っ!私のせいでパパは聖剣を握るしかなかった……っ!右手が無くなったのは私が弱かったせいだよ……っ!!そ、それなのにっ、私だけが幸せになって……いいはずないよ……っ!!」
「幸せにおなり、シビル。君の幸せこそが、俺にとっての幸せなんだ。辛くなったらいつでも帰ってくればいい。嬉しいことも、楽しいことも、きちんと彼と分け合えばきっと上手くいく。俺が君を愛したように、君もいずれ生まれる子供を幸せにしてあげなさい。そうすれば子供たちも愛することを知って育つ事ができる。俺が得られなかった幸せを子供達が得られたなら、俺はそれで満足さ」
「パパ……」
「愛しているよ、シビル。お前は私にとって宝物だ。だから……行っておいで。今度こそ君だけの幸せを手に入れるんだ。いいね?」
「うん……ありがとう……っ!いってきます、パパっ!……私もパパのことを愛してる。ずっとずっと、パパのことを忘れない。だから……いつか私がママになっても……ずっと私のパパでいてね?」
ああ、もちろんだ。いつまでもお前の幸せだけを願っている。
お前のたった一人のパパとして。これからも、ずっと。
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人類の敵となった俺の子育て日誌【なろうリマスター】 秋雨ルウ(レビューする人) @akisameruu
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