第16話 シビル

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「来たか……我が娘を攫った痴れ者が……」


 玉座に座っていた男は幽鬼のごとき動きでゆっくりと立ち上がると、俺たちの方へと近づいてきた。


 よく見ると顔の一部が爛れたままだ。完全に復活してから宣戦布告したのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。


 そこまでして復活したかった理由はなんだったのか。


 俺の中で渦巻いていた疑問が、確信へと変わっていく。


「娘を返してもらうぞ」


「断る」


 その問いに対しては拒否以外に何もない。


 ……ないのだが。


「……魔王。お前の名前を教えろ。我が名はトリスタン・フォーレ。お前が遺した娘を育て上げた男だ」


「……我が名を聞いてきたのはお前が初めてだよ、トリスタン。良いだろう、礼代わりに教えてやる。我が名はエヴラールだ。短い付き合いだが覚えておくがいい」


 エヴラール……こいつには聞かねばならない。


 何故復活に程遠い状態でシビルを襲ったのか?いや、本当に襲うつもりだったのか?


 何故今も完全復活とは言えない、半不死と言える状態で現世に蘇ったのか?


「答えろ、エヴラール。お前が――」


 力を取り戻しきる前に復活した理由と言えば、俺には一つしか考えつかない。














「――お前が急いで復活した理由は……娘に会うためか?」











 ロックとシビルの顔が動揺で彩られ、俺の方を見つめてきた。


 魔王は……エヴラールは不快そうに眉をひそめた。


「最初からおかしいと思っていたんだ。あの日、勇者リシャールが殺された日に、お前は確かに熊を操って、二人に気付かれないように追いかけていた。だが本当にこの二人を殺すつもりなら、勇者との合流を待たずに襲っていたはずなんだ。当然、最初からリシャールを殺すつもりだったなら、二人が合流する前を狙うはずだろう」


 例えば、彼が王都から廃村へ向かう途中ならいくらでもチャンスはあった。にも拘わらずこの男は、リシャールを襲うチャンスを見送ったんだ。これは、どう考えてもおかしい。


「お前、本当はこの子達を襲うつもりは無かったんじゃないか?お前の存在に気付いたリシャールが斬りかかったから、興奮した熊がお前の支配を逃れ、勝手に暴れだしただけなんじゃないか」


 エヴラールは否定も肯定もせずに沈黙したままだ。


「熊が3人に襲い掛かる中、魔王の魔力の混ざった熊の血を浴びたこの子は、角の魔力に反応してお前の声が届くようになっていた。そんな娘に対して、お前はあながち的外れとも言えない助言もしていたな。魔法が弱いから角の魔力を活かせ。俺の教えにこだわりすぎるな。手当が未熟だ、もっと魔力を込めろ。手当の仕方を学びなおせ。そして……もう一度父の元に帰ってこい」




 そう、きっとあれは呪いの言葉なんかじゃない。


 娘を案ずる魔王の、不器用な愛と優しさからの助言だったんだ。


 魔王もまた娘のことを愛していたんだ。そうとしか思えない。


 魔王討伐軍を誘導したのも、地下に避難させた娘に気付かれないためだった。


 そんな魔王が、わざわざ熊を操ってまでシビルを襲う理由なんて、最初からなかったんだ。




「お前は成長した娘を一目見たかっただけだったんじゃないか。リシャールによって不完全に滅ぼされたお前は、意識だけが残り、無念の中で自分の娘が人間に拾われていったのを感じた。すぐに殺されるかと思えば、娘が健やかに育てられていくのが感じられたお前は、幸せに暮らしているかを確かめたくて、熊を使って――」


「言いたいことはそれだけか、トリスタン」


 魔王が黒々と光る長剣を抜き放った。おそらくまとっているのは魔王が持つ呪いの力。


 傷つけば失血死は免れないだろう、忌々しき力だ。


「よくもそんな都合のよいお伽噺が思い付くものだ。いずれにせよ、貴様が娘を盗んだことに変わりはないだろうに。よく聞け、人間。我は世界を滅ぼし、魔族と娘が虐げられない世界を取り戻す。そのためには貴様らが邪魔だ。我が娘に石を投げ、侮蔑し、言葉で傷つけてきた貴様らを、俺が許すと思っているのか」


「剣をおさめろエヴラール!俺だってお前と同じだ!娘を守るためなら世界の敵に、魔王になったって良いと思ったんだ!俺とお前なら分かり合えるはずだ!!お前も俺も、娘を愛する気持ちに嘘なんか無いだろうに!!」


「我が娘を自分の物であるかのように語るなぁッ!!!」


 魔王が完全に修復できていない傷ついた身体を引きずるようにして俺に斬りかかってきた。その剣を、教会の聖水で祝福された俺のロングソードは、かろうじて受け止めてくれた。


 聖水で祝福されていなければ、おそらく黒い魔力によって一瞬で腐食していただろう。だが危険な状況に変わりはない。向こうは俺の脈を切るだけで、出血多量によって勝負を終わらせられるのだ。


 少し遅れてシビルが上級炎魔法を詠唱し、ロックも聖剣を抜き放って魔王に斬りかかった。だが魔王と俺の話で迷いが生まれているのか、剣にいつもの冴えが無い。


 魔王の剣で受けた傷が、聖剣アスカロンの祝福によって治癒されていく。だがその輝きにいつもの煌めきが感じられない。まさか、アスカロンも困惑しているのだろうか。


「その程度で我に勝てると思っているのか!!勇者ぁ!!」


「ぐあっ!!」


 魔王の拳がロックの額に直撃し、凄まじい勢いでシビルの横まで吹き飛ばされていった。聖剣アスカロンが音を立てて床に落ちてしまった。


「ロック!!」


「よそ見をするか!人間!」


 油断した俺は、魔王の剣によって右大腿部を傷つけられてしまった。


 傷は動脈付近を傷つけたらしく、俺の脚からどくどくと血が流れ落ちていく。


「パパ!」


「詠唱を続けろ!大丈夫だ、血を出し切る前に倒せばいい!!」


 構わず剣劇を繰り出すが、短時間での大量失血は俺の体から徐々に力を奪っていった。


 肩や腕、わき腹に小さな傷が少しずつ重なっていく。徐々に無視できない量の血が流れ出ていった。


「死ねッ!」


「ぐっ!?」


 そしてついに意識が朦朧とし始めたところで、魔王の剣で肩から腹にかけて袈裟斬りをまともに喰らった。


「パパあああ!!」


 これは……致命傷か……!?







「…………~~~!!」


「……~!!」




 子供たちの声が、遠ざかっていく。


 視界の側で、魔王が少しずつシビル達に近付いていくのが見えた。


 剣を持たないロックがシビルに近付かせまいと躍り出たが、一撃で殴り飛ばされて壁に激突したのが見えた。







 記憶の中の娘が、泣き笑いを浮かべている。


『パパは、パパが教えたことはパパが死んだあとも、わたしの中で生きてるって言ってくれたよね』


 ああ……お前が俺の知識を受け取ってくれれば……俺はずっとお前の中で生きていける……。


『じゃあ……じゃあさ!ころしたウサギさんも、捨てないでぜんぶたべたら、わたしの中で生きてくれるかなぁ……!』






 俺はあの時……なんて……答えたっけかな……。




 ……ああ。思い出した。




 命を無意味に殺しちゃいけない……だから……。









「……命を奪うのは……奪った命を背負うってことなんだ……シビル」




「ッッ!?シビル、だと!?」


 俺は床に落ちていた剣を拾い上げた。突如襲い来る全能感に、思わず口の端が持ち上がる。


 魔王の呪いをはねのけて、体の傷が瞬時に治っていくのと同時に、剣を握りしめた右手が内側から燃え上がり白煙を上げた。


 ああ、力がみなぎる。多幸感に満たされる。もう二度とこの剣を手放せないのが分かる。


 だからスラムで盗みを働いたあの男は全身が炭になるまでこの剣を抱いていたのか。




 素晴らしい。素晴らしいぞ、聖剣アスカロン!!




「エヴラール!!!」


 今までに感じたことのない、まるで全身に聖剣の力が行き届くような快感を無視して、魔王へと斬りかかった。アスカロンの剣劇をまともに受けた魔王の剣が、徐々に形を失っていく。ロックですら成し遂げなかったその威力が、普通ではないことは誰の目にも明らかだった。


「駄目だよパパ!!早く聖剣を離して!!パパがっ!!パパが死んじゃう!!」


「練り上げた魔力を集中させろ!!俺に構わず詠唱魔法を放てシビル!!パパは大丈夫だ!!お前の魔法からはアスカロンが護ってくれる!!」


 持ち上がる口の端を止められない。



 俺の言葉を受けたシビルが、涙目のまま上級炎魔法を魔王に向けて打ち出した。


 だがそれを受けた魔王は片手でそれを制して見せた。俺の猛攻を片手で捌くその姿は、悪夢というよりほかにない。右腕の炎は激しくなり、肘にまで到達していた。


「……畜生!!アスカロン!!トリスタンおじさんを焼き殺したら、俺が許さないぞ!!」


 少し遅れてロックが魔王を消滅させるための光魔法を詠唱し、光の魔力を練り始めた。今まで練習した速度の何倍も早い。俺をなんとか助けようと必死になってくれてるのがわかった。


 猛攻の中、魔王の顔が急に穏やかになった。


「……と名付けたのか」


「!?」


「……お前らが来たあの日、我があの娘に名付けようとした名前だよ」


 その顔は、泣き笑いのようで、あろうことか俺に感謝するような笑みだった。


 油断した俺は、魔王の剣によって右腕を肘から先にかけて切断されて、壁際まで蹴り飛ばされた。


「ぐああああああ!!!」


 切断面はアスカロンの力の残滓によって即座に焼かれ、強制的に止血させられたものの、あまりの激痛とショックにのたうち回るほかなく、もはや左手で剣を握ろうという気も起きない。


 それを見届けた魔王は俺から顔を背け、両手をシビルに向けたまま邪悪な笑みを浮かべた。


「どうした!!その程度か!!」


「つ……強い……!なんで止められるの……!!」


「角の魔力をすべて解放しない限り我には勝てんぞッ!!頭を割るつもりで全ての魔力を込めんかッ!!」


「うるさい……!うるさい!私は、パパを助けるんだ!!お前なんかに負けるもんか!!」


「ふははははは!!吠えよるわ!!貴様の父親の教えなど所詮はこの程度よッ!!


「ぐうううう!!あああああああ!!パパをばかに……するなあああああ!!!」


 シビルの両手から、これまでとは比較にならない爆炎が発生した。ついに魔王は膝を付き、受けた腕が焦げ付き始める。


 だがシビルの片角はその負荷に耐えきれなかった。数秒の奇跡を起こしたその角は、ついに砕け散った。爆炎がまるで夢であったかのように消失する。


「そんな……!魔法が出ない……!?」


「いや、間に合ったぞ!」


 入れ替わるように、黄金色に輝くロックがシビルの前に躍り出た。


「我が父、リシャールが成し遂げなかった貴様の消滅!!俺が成し遂げてやる!!……エヴラール!!シビルの事は俺たちに任せて、今度こそ完全に消滅しろお!!」


 その手から極光が放たれ。














「…………ああ、後はお前たちに任せよう」


「……っ!?」


「シビルのことを……よろしく頼む」











 魔王は優しい満足げな笑顔をしたまま極光に飲まれ、消失していった。




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