第2話 運転手さんは何マン?
タクシー運転手になって一年が経過し、仕事も余裕でこなせるようになった頃、俺はとんでもない客を乗せてしまった。
スーツを着た40代半ばくらいの男は、乗った途端「ねえ、運転手さん。俺サラリーマンなんだけど、運転手さんは何マン?」と、訳のわからないことを言い出したのだ。
「何マン? えっと、そうですね……ちょっとわからないですね」
戸惑いながら俺がそう返すと、男は「ブ、ブー。今の答えは0点だね。ダメだよ、何か言わないと。例えば、あんまんとか肉まんでもいいんだ。わからないという答えからは、何も生まれないよ」と、文字通りダメ出ししてきた。
「ところで、運転手さん。今年のカープは強いねえ。なんでこんなに強いの?」
「そうですね。やはり、投打のバランスがとれてるのが一番なんじゃないでしょうか」
「ブ、ブー。ダメだよ、そんなに真面目に答えちゃ。こっちは面白い答えを期待してるんだから。次こそは頼みますよ」
男が発する『ブー』という擬音を耳障りに思いながらも、俺はなんとか堪えていた。
「ところで、運転手さん。梅雨になると雨がたくさん降るけど、原因はなんなの?」
「それは雷様がケンカするからですよ」
「雷様?」
「雷様は基本的に夏が嫌いなんです。ほら、梅雨が明けたら、本格的に夏が訪れるでしょ? だから梅雨の時期は雷様が不機嫌になって、雷同士が雲の上でケンカを始めるんです。そのせいで、梅雨の時期は雨がたくさん降るんです」
「ははは。なかなかやるじゃん。今のは、まあまあ面白かったよ。じゃあ、次で終わりにするから、飛び切り面白い答えを期待してますよ」
「本当ですか? では、最後は簡単なやつお願いします」
「そういうわけにはいかないよ。じゃあ、いきますよ。夏になると、セミが出て来るけど、セミって、なんであんなに寿命が短いの?」
「セミって、幼虫の間は何年も土の中で過ごすことをご存知ですか? なので、成虫になった時にその嬉しさから、ついはしゃいで必要以上に大きな声で鳴いてしまうんです。そのせいで寿命が縮まって早死にするんです」
「ぎゃははっ! セミって、バカだねえ。いやあ、それにしても、今のは面白かったよ」
「そう言ってもらえ光栄です。どうしたらお客様に喜んでもらえるか、脳をフル稼働させて考えた甲斐がありました」
「そうだったんだ。ん、あれ? ちょっと待って。なんで、こんなところ走ってんの?」
「えっ、〇〇に行くんじゃないんですか?」
「俺、そんなこと言ってないよ」
「いえ、確かに乗る時にそう言われましたよ」
「そんなの、言うわけないじゃん。だって、俺の家、✕✕なんだから」
男の言葉に、俺は一瞬頭の中が真っ白になった。乗る時にちゃんと確認したつもりだったが、もしかしたら聞き違いをしていたのかもしれない。
「すみません。どうやら私が聞き違いをしたみたいなので、今から✕✕に向かいます」
「もういいよ。このまま〇〇に行って」
「えっ、でも」
「いいから、早く○○に行ってくれ!」
俺は頭が混乱したまま、とりあえず男の言うことを聞いて、〇〇へ向かった。
やがて〇〇に着き、「本当にこちらでよろしいんでしょうか?」と訊くと、男は「いいも悪いもないよ。だって、ここが俺の家なんだから」と、またしても訳のわからないことを言い出した。
状況がイマイチ呑み込めずポカンとしていると、男は「ぎゃははっ! 何、その顔? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔してさ。腹が痛いからやめてよ」と大笑いし、それはなかなか収まりそうになかった。
「一体どういうことなんですか?」
俺は、男が笑い止んだタイミングに訊いてみた。
「だから、ここが俺の家なんだよ」
「でも、さっきは✕✕だと、おっしゃったじゃないですか」
「だから、あれは噓だったんだよ。運転手さんを驚かそうと思って、嘘ついてたんだよ」
「本当ですか! でも、それって、ちょっとひどくないですか?」
俺は男を睨みつけながら言った。
「まあ、そう怒りなさんな。さっきも言ってたじゃないか。客が喜べば、運転手さんも嬉しいんだろ? おかげで楽しませてもらったよ。ほんと、さっきのポカン顔は最高だったよ。百点をあげてもいい。思えば、最初のリアクションは0点だったのに、最後に百点取るなんて、運転手さん伸び率半端ないね。ぎゃははっ!」
そう言うと、男は満足気な顔を浮かべながら、車を降りていった。
俺はいつもなら、「ご乗車ありがとうございました」と、ちゃんと挨拶するのだが、今回はとてもそんな気分にはなれなかった。
男に騙された悔しさと、それを見抜けなかった自分への怒りから、俺は車の中で「ばかたれがっ!」「死ね!」等の汚い言葉を、気が済むまで叫び続けた。
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