【中入り】その一

 とうとう始まっちゃった。

 小杜若はふっと笑みをこぼす。

 輝く夜の街並みが、騒動への期待に胸を膨らませている。高い場所から街を見下ろすと、ダイレクトに世界が地図マップになる体験ができる。小杜若はそれが好きだった。

 物思いにふけていると電子画面が開いた。電話だ。無視しようとわせた指を止める。数秒ほど悩み、応える。


【電話:國府田/SOUND ONLY】


「お疲れ様。無事、第一フェーズ終了といったところかな。小杜若君」


 今日の部活での出来事らしい。

 開口一番どうでもいいことを言ってくる顧問がおかしくて、小杜若は素で笑ってしまった。


「どうかしたかね」


 いぶかしむ声が耳障りだった。


「いいえ? こかきたち、明日からどうなるのかなーって思っただけですよぉ」

「さあね。彼らに対する授業の成果次第だろう。なあに、半月もかからないはずだ──能だけなら」

「だけって?」


 含みのある言い方に、苛立ちを抑えつつ訊き返す。


「もしかして忘れたのかい? あの授業は他ならぬ君が頼んできたんじゃないか。あれだよ、あれ」

「……あぁ」


 國府田先生の狙いはやっぱりそっちか。

 小杜若は電子画面から視線を外した。

 あれ──の授業は、小杜若にとっては不本意だった。だが、國府田と協力関係を結ぶために目をつぶることにした。結果として國府田は自身が計画の全権を握っていると勘違いしている。無駄な譲歩ではなかったようだ。

 そう、主人公シテはつばたなんだから。


「いっけない、そうでした……! 今やっと思い出しました。えへへ」


 小杜若は小動物のようにこくこくと頷いてみせた。

 感情表現の基本──声だけではなく身体も動かす。サラリーマンが電話で上司へ謝罪する際、不要だと知っていても本当に頭を下げるように。身体は本心をにじませる。VTuberにとっては常識だ。


「ははは……いよいよか」

「はい」

「拙者は早くも愉快だよ。紛れもなく世界が変わるのだからな」


 昭和の特撮番組の悪役みたいな台詞。小杜若はまたしても笑ってしまいそうになった。

 悟られないように、神妙な口調を意識する。


「お考えに変わりはないん……ですか?」

「拙者はオタクのあるべき姿を取り戻す。この国家にVTuberはいらない」


 時代の変化を受容できない老人さんは大変ね。

 喉の奥で冷淡な笑いを押し殺しつつ「かもしれないですね」と返す。


「先生はお好きにやってください」

「そうさせてもらうよ。第二フェーズも任せたまえ。……そろそろ時間だ、失礼する」


【通話終了】


 電子画面が閉じた。

 ああ緊張した。

 どっどっ、と早歩きする心臓を捕まるべく、思いっきり息を吸い込んで空に吐き出す。小杜若は昔から電話が苦手だった。他人と声で繋がる感覚が生理的に許せず、気持ち悪いとさえ思っていた。


「気持ち悪い……」


 数時間前、鋤柄が投げてきた言葉もそうだった。途端に胸が締めつけられたが、恨んではいなかった。推しに暴言を吐かなければいけないほど追い込まれていた彼も辛かったはずだと分かっていたからだ。


「なら、なんで止まらないんだろ」


 とめどなくあふれる涙。

 それは発信されず、漂うだけ。拾い上げる者はいない。誰にも見られていなければ存在しないも同然。ここにいる自分は、実在しない。

 勝手に煩悶はんもんする自分が嫌になって、小杜若は無理に微笑んだ。

 くじけていても始まらない。

 そうだ、こかきはやるんだ。

 両腕を水平に伸ばし、ひらりと一回転する。袖から無数の蝶が舞い上がった。意思を持たない使い魔たちは、少女の負の感情を洗い流した。

 視界を高速で流れる街は光を放っていた。色とりどりの、カメラがぶれたような軌跡。街を照らす光は、その下にいる人間の存在を提示している。夜景とはメタ視点的な情報の群集である。

 眺望する中で錯覚した。今、自分はこの街を支配していると。馬鹿と煙は高いところが好き。現代人はみんな好きだ。自重しなくてはいけない──小杜若は自嘲気味に口角を上げた。


「君が現実にアクセスする時、小杜若は必ず君のそばにいるよ」


 俯瞰ふかんする情報のどこかにいる想い人にささやいた。

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受肉虚像彼女 園山制作所 @sonoyama

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