春になる前に置いて行く

雅 翼

第1話

まさか家の前に、こんな絶好の隠し場所があるなんて思わなかった。

田舎だから築年数の古い家には防犯カメラなんてないし、大きな車道から奥に入ってしまえば途端に街灯もなくなる。おまけに夜中ともなれば、年配の方々が多いご近所さんはほとんどが寝静まっているから窓の向こうは暗く、わざわざ外を覗こうとする人なんてまずいやしない。多少音が響いたとしても、この時期ならただの雪かきだと思われておしまいだ。

全てが私に味方している。

そんな確信めいたものを感じながら、私は玄関からズルズルと死体を引きずり出した。


玄関からの移動にはソリを使った。斜向かいの老夫婦の家の前に無造作に立てかけられていた、お孫さんの忘れ物らしい大きめのソリを拝借して死体の上半身をどうにか乗せ、向かいの空き地へと運ぶ。

お向かいさんが去年引っ越す際に更地にしていったおかげで雪捨て場として重宝されているその空間には、日増しに大きくなっていく雪山が形成されていた。まだまだ雪解けは遠く、この雪山が大きくなることはあっても縮むことはしばらくはないだろう。

つまり、死体を隠すにはもってこい、というわけだ。


小学生の頃から流行っていた探偵モノの推理漫画やアニメを見ながら、ふと自分ならどんなトリックを使うだろうと考えることがあった。

大抵はいかにも子どもらしい荒唐無稽な思いつきばかりだったけれど、唯一我ながら使えるな、と思ったのが氷の塊で撲殺し、雪捨て場に死体を隠すというものだった。冬場にしか使えないトリックである代わりに、冬場なら成し遂げられるのではないか、という自信があった。

毎年積雪の時期になるたびに、町のあちこちに大きな雪山を見るたびに、あそこなら死体を隠せそうだ、と頭の片隅で薄暗い想像を募らせてきた。まさか、実際にそのトリックを実行するなんて、もちろんその頃の私は思いもしなかったけれど。


ガシュッ。ザッ。ギュッ。

くぐもった音を立てながら少しずつ雪山を解体していく間にも、新たな雪が次々と降り積もっていく。今夜の雪はふわふわのかき氷のような雪質だ。降りたてのうちは軽いし、固める時はよく固まる。

とはいえ、殊更体格に恵まれているわけでもない女手ではなかなかの重労働であることに変わりはない。程なくニット帽で覆った額がじんわりと汗で湿ってきた。

腕時計は手袋の内側、スマホはポケットの中。時間も確かめずに作業に没頭してどのくらい経っただろう。ようやく雪山に大人ひとり分の空洞が生まれた。傍らに置いていた死体もいつしか新雪を被っていたが、構わずに持ち上げてみる。

予想していたよりも重く、人間の体とは思えないほどに固い。これが死後硬直、というやつだろうか。下手な姿勢で置いておかなくて良かった、と思う。

こうなることを踏まえ、死体の手足はあらかじめサランラップでぐるぐる巻きにして固定していた。ついでに頭部にも巻き付けた。血液が漏れ出るのを防ぎたかったし、一見して身元が分からないようにしておくに越したことはない。他殺だ、ということが露呈してしまうのはこの際、仕方ないと思うことにした。

どの道、死体が見つかる頃には私はもう、この寂れた田舎町から出ているのだから。


火事場の馬鹿力とはよく言ったもので、元々私より体重があったであろう死体を半ば担ぐようにして上半身、下半身と順番に持ち上げ、どうにか雪山の窪みに押し込むことに成功した。サランラップを隔てて感じるひんやりとした感触は、外気に晒されたせいか、それとも。

ぶるり、と背筋に寒いものを感じて身震いしながら使用済みになったソリの雪を綺麗に落として返却し、今度は解体した雪山を再び積み上げる作業に着手する。

次々と降り積もっていく新雪と、雪山を崩す際に掘り出した固いざらめ状の雪を織り交ぜつつ丁寧に再形成していくのは、解体するよりよっぽど神経を使う。死体そのものは新雪をまぶして固め、凍りやすいようにコーティングしていった。ざらめ状の雪の方は、大量に出ていれば雪山を一度解体したことがバレてしまうため、死体と窪みの隙間を余すことなく埋め込んでいく。

時々つなぎとして新雪を挟み、少しづつ雪山の内部に地層を作るようにして雪を積み上げていると、不意に好物のミルクレープを思い出した。そういえばしばらく食べていない。まだスーパーが開くまでにはだいぶ時間がありそうだし、これが終わったら最寄りのコンビニに買いに行こう。

現金なもので、そう決めた途端に作業能率が上がるのを感じた。それでもこの季節、それも真夜中に長時間屋外に出ているのだ。汗もすっかり冷えてしまったし、手袋の中でさえじんじんとかじかむ手の握力は徐々に失われつつある。結局、雪山をすっかり元通りの高さに戻し終えた頃には、遠くの方から微かに新聞配達のバイク音が響き始めていた。


ストーブを付けっぱなしにしておいて助かった。真っ赤になった手をあぶって暖を取り、握ると開くを何度か繰り返しているうちに少しづつ指の感覚が戻ってくる。すっかり真っ赤になってしまった手を再手袋に押し込んで、私はコンビニに向かうべく家を出た。

一晩丸々降り続けた雪はこんもりと積もり、早起きのご近所さん達が何人か、玄関先で朝の雪かきを開始している。おはようございます、今日も積もりましたねえ、などと当たり障りのない挨拶を交わし、まだ道が作られていない雪の中を膝下まで埋まりながら通りに出る間際に一瞥した雪山は、新たに積もった雪を被ったこともあり、まるで昨日までと変わりなくそびえ立っていた。


まさかあの中に死体が埋まっているなんて、一体誰が想像するだろう。

そんなことをぼんやりと考えながらミルクレープを頬張る。久しぶりの甘さが口の中に広がって、自然と口元が綻んだ。

さあ、腹ごしらえが済んだら後始末が待っている。



我ながら陳腐な工作だなと思いつつ、しばらく探さないで欲しい、と一言だけ本人のアカウントに投稿してスマホの電源を切った。叩き割ってご近所さんのゴミ袋にそっと混ぜ込んでしまえば、数日後にはスクラップだ。ついでに財布と、マジックで塗り潰してハサミでバラバラに切り刻んだ身分証の類も同じように処理した。念の為、指紋はあらかじめ拭き取っている。

物取りに見せかけるために一応、財布からは現金も抜き取っておいた。ただし長く持っているのは気が引けたので、コンビニでのミルクレープの支払いに使った残りは全額レジ横の募金箱に突っ込んだ。たとえ出処が真逆であろうとも、箱に入れてさえしまえばこのお金は誰かを救うための慈善の寄付に変わる。

血液が付着したラグは、その部分だけ切り取って燃やした。残りはシンプルに巻いて粗大ゴミに出すことにする。引っ越しを控えた人間が家具を処分するのは別段珍しいことでもない。

長年愛用していたキャビネットと一緒に処分することで、疑いようのない状況は容易く作ることが出来た。傍から見た私には、不審な点は何ひとつ見つからない。



家を引き払う日になっても雪山は全く揺るがないどころか、連日の積雪で更に一回り大きくなっていた。

けれど春になれば雪は解け、埋められた死体が少しづつ顔を出すだろう。

その時のご近所さん達の驚きようは、きっと想像もつかないものになるに違いない。腰を抜かす、では済まないくらいの。

寂れた田舎町で起きた殺人事件。それがどれ程のセンセーショナルをもたらすものか、私は遠く離れた街の、新しい家のテレビで見届けることになる。

寝耳に水の報道に驚く、かつて現場の近くに住んでいたAさん、として。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

春になる前に置いて行く 雅 翼 @miyatasu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ