エピローグ:人でなしの挽歌
#1:人でなしの挽歌
事件から一週間が経過し、少しずつ周りの状況は落ち着いてきた。
まず、朝霧朱里の葬儀はつつがなく執り行われることとなった。四十九日だのなんだのまだろっこしいものが残っているが、ひとまず区切りがついて一安心というところだろう。
『学内自治法』が試験運用を開始してから五年経ち、初めての殺人事件。もっと
隠さなければならない問題が胚胎するような『学内自治法』を、そうまでして維持したい理由は俺には分からない。人間じゃない俺には、人間の考えは理解しがたい。
俺はただ、再開した学校にいつものように通い、そして朱央との約束だったラーメン屋に行くだけだった。
その日は休校が解かれた初日ということもあり半日授業で終わった。それだから約束を守ってもらうついでに昼も食べようということで、朱央と二人、話題に上っていたラーメン屋に赴いた。なるほど妙にこみいった立地にあって、地図も更新されていないので俺ひとりでは見つけられなかっただろう。
ラーメン屋というのは大抵狭い店内にカウンター席がひしめき合うようなものだが、この店はファミレスか喫茶店かの居抜き物件らしく思われた。テーブル席が多く、比較的ゆったりとしていて落ち着ける。ラーメン屋に落ち着きを求めるやつがどれほどいるか知らないが、家族連れにはちょうどいいだろう。
「それで」
渡された水を一口飲んで、メニューを見ながら俺は聞いた。
「あの後どうなった? 紅助の捜査は」
「警察に引き渡されたから、それとなくしか聞いてないよ」
おしぼりの袋を破りながら、朱央が答える。
「でもひーくんの推理した通りだったみたい」
「つうかそもそも、警察に引き渡したんだな」
そういえば夜雷も言っていたか。紅助が犯人と確定すると理事会を牛耳る四名家は朝霧家に反旗を翻した。理事長である朝霧赤次郎の甥が学校内で殺人を犯したのだ。責任を追及することは容易い。その過程で都合がいいので、朝霧家以外の昼雨、夕雲、夜雷が共同して警察を入れることを決定し、事件は生徒たちの手から警察に委ねられるようになった。つまり紅助の身柄も、やつが受けるであろう刑罰も、『学内自治法』外の犯罪と同様の始末になると予想されている。
「今お父さんたちは弁護士をつけてなんとか無罪にしようとしてるんだけどね」
「無罪にできるのか?」
「さあ。でも警察が調べたら、うちの山から射撃の練習痕が大量に見つかっちゃって」
「殺意は確定的か」
一応、『学内自治法』が適用された特殊な環境下だったので出来心を抑えられませんでした、という
「それにしてもびっくりしちゃったよねえ」
注文を取ってもらって、店員が脇に引っ込んでから朱央は呟く。
「夜雷さんのハッキング、実はハッタリだったなんて」
そう。あの
「ハッタリと言えば、藍子もやりやがったな」
もうひとつあった。藍子は銃の指紋を取れる、その設備を風紀委員会が虎の子として持っていると言っていたが、あれも嘘だ。紅助の心を折るためのハッタリで、実際はそんなものなど持っていない。そもそも一生徒がどうやってそんなもん調達するんだという話で。
「でもなんであの銃に指紋なんて残してたんだろうね。普通なら拭かない?」
「普通なら指紋がつかないよう手袋をするんだが、警察に捜査権が移らない限り指紋による捜査はないと踏んだ紅助は手袋をしなかったんだろう。手が滑って狙撃の精度が荒くなる方を嫌がったんだな。それに手早くことを済ます必要上、使用した銃を拭いている暇もなく、すぐに袋へ詰めて給水タンクに隠さないといけなかったしな」
「それにしてもよく給水タンクの中に残ってたよね。回収されてたら終わってたじゃん」
「夜雷は俺の推理を聞いていたからな。それであの捜査会議を当日の夜なんて設定にしたんだ。紅助はほとぼりが冷めてから回収するつもりだったんだろうが、その前にこちらが確保できた」
捜査会議が直前に迫れば紅助は生徒会警察の連中との打ち合わせで身動きが取れなくなる。だからその隙をついてマユミに回収してもらったわけだ。まあ、事件当日から翌日のうちに回収されていたら終わりだったが、捜査でごたつけば生徒会室も人の出入りが多くなる。回収した銃を人目につかぬようこっそり元の位置に戻す暇はない。だったらしばらく給水タンクの中に隠しておく方が安全だろう。なにせ誰も、あそこから狙撃したなんて思っていないわけだし。
朱央を早い段階から犯人に仕立て上げたのも、可能な限り狙撃という方法にみんなの意識が向かわないようにするためだったというわけだ。
「それにしても………………」
夜雷はともかく藍子のやつ、あんな土壇場でハッタリを言えるキャラだったとはな。優秀じゃないと自虐していたが、あの分なら風紀委員会は藍子のやつが問題なくまとめるだろう。生徒会警察は知らん。
「ありがとうね、ひーくん」
唐突に、朱央が言う。
「どうした?」
「ううん。そういえばお礼、言ってなかったなあって」
「俺は好き勝手しただけだ。礼を言われる筋合いはない」
「そう言わないでよ」
朱央はどこか上機嫌だ。
「本当はね、六年前にもお礼、言いたかったんだ」
「六年前?」
「結局言えなかったし、もう六年も経ってるから今更言うのもおかしいかなって。だから六年前の分も含めて、ありがとうって言いたくて」
六年前。何かあったか? いや、まあ、あったけど。それは朱央が引っ越した後のことで、そしてお礼を言われる類のことではなく…………。
「クラスメイト、殺したのひーくんでしょ」
「……………………」
「だからね、あのちょっとウザイお兄ちゃんもひょっとしたらひーくんが消してくれるんじゃないかなって思ってたんだけど、思った通りになったからすごく嬉しかったよ」
「お前…………」
俺は何かを言おうとした。それは何か、であってそれ以上の具体性を持っていない。何を言うつもりだったのか次の瞬間には分からなくなってしまう。
俺が口を開いた瞬間、注文したラーメンが運ばれてきたからだった。
「わあ美味しそう! 食べよ食べよ」
「……まあいいか」
クラスメイトを殺した俺と普通にラーメンを食べて暮らせる神経。
ちょっとウザイだけの兄をあわよくば消えないかなと願ってしまう心性。
そういう感情を抱えても、次の瞬間にはラーメンに心を奪われる純真さ。
それらはすべて、人間の抱えていていいものじゃないように、俺には思われた。
まったく、俺は長い付き合いのつもりだったが、こいつのことをまだまだ理解していないらしい。
こういうとき、人間はどう思うのだろうか。理解していたと思っていた女性の意外な一面を見て、その予想外に驚く? その意外に面食らう? その想定外に落ち込む?
どれでもいい。それは人間の心の機微であって、俺には関係ない。
だって。
俺は人間じゃないからな。
非人間推理ゲーム:非人間と三つの密室 紅藍 @akaai5555
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