第五章 結論

 二〇〇七年九月十六日日曜日午後二時。奈良国立博物館資料保管庫。そのドアを開けると、観客はすでに勢揃いしていた。

 黒羽教授を筆頭に、金沢、曽部、福原の学生三人組。遺骨の鑑定をした津嘉山教授。それに、今回の依頼の主人公である名もなき遺骨も、テーブルの上に横たわっていた。

「お揃いですね」

 榊原はそう言うと、テーブルに近づいていく。瑞穂と秋本は、部屋の隅に控えていた。

「榊原先生、どうですかな? こうしてわしらを集めたという事は、結論が出たという事ですかな?」

 そんな黒羽の問いに、榊原はためらいなく即座に頷いた。

「えぇ。そのつもりです。あなたの依頼……この遺骨の殺害状況の推察は、一通りの推察ができたと考えます」

 その言葉に、その場の誰もがざわめく。

「ほう、面白いですな。実のところ、わしとしてもあなたへの依頼は一か八かの賭けだったのですよ。ですが、どうやらそれも杞憂に終わりそうだ。さぁ、話してくだされ。あなたが想像した、はるか一五〇〇年以上前の殺人事件の真実を」

 黒羽は目をキラキラ輝かせながら言う。皆が皆、固唾を飲んで榊原の次の言葉を待ち受けていた。昨日の鋭い推理をした榊原なら、さらにとんでもない真実を明らかにしてくれるかもしれない。誰もがそう期待していた。

 だが、榊原は小さく笑うと、思わぬ事を言い始めた。

「その前に、実は私の方から一つお願いしたい事があります。まずは、それを引き受けて頂けないでしょうか?」

 その言葉に、黒羽も多少戸惑った表情を浮かべる。

「どういう事ですかな?」

「他意はありません。私の推察には、どうしてもその頼み事が必要なのです。いかがでしょうか?」

「それは……あなたの推理に役立つなら、喜んでお引き受けしますが……」

 いきなり梯子を外された形になり、黒羽の声に不安が入り混じる。

「安心してください。私はあなたの依頼に対する完璧な答えを用意しています。その前座だと思ってくだされば結構です」

「……いいでしょう。わしは先生に賭けたのです。この際、何でも言ってくだされ」

 黒羽は何か覚悟を決めたように宣言した。それを聞いて、榊原は深々と一礼する。

「ありがとうございます」

「それで、その頼み事とは?」

 せかすような黒羽の言葉に、しかし榊原は冷静に答えた。

「実は津嘉山教授、頼み事というのはあなたにお願いしたいのです」

「わ、わしか?」

 思わぬ指名に津嘉山は目を白黒させる。が、すぐに元の表情に戻った。

「まぁ、黒羽君がそう言うならいいだろう。で、わしは何をすればいいんだ?」

 その言葉に対し、榊原はスッと顔を上げると……いきなり何の前触れもなくとんでもない爆弾を叩き込んだ。

「津嘉山先生。この遺骨に対し、もう一度放射性炭素年代測定法検査を実施してもらいたいと思うのですが、いかがでしょうか?」

 その言葉に、その場にいる誰もが凍り付いた。


「……いったい、それはどういう事だ?」

 最初に声を上げたのは、怒りに声を震わせた津嘉山本人だった。他の人間は何が起こったのかわからず、ただ茫然としているだけだ。

 津嘉山が怒るのも無理はない。言ってみれば、自分の鑑定が間違っていると言われたようなものだからだ。だが、榊原は真剣な表情で繰り返す。

「言った通りです。この遺骨の再鑑定をお願いしたい」

「それは、わしの鑑定が間違っていると言いたいのか?」

「はっきり申し上げますが、私はその可能性が高いと考えています」

 思わぬ展開に、誰も口を挟む事ができない。

「そ、それが君の結論だというのか! 言わせておけば……わしの鑑定に間違いなどない! 大体、何がどうしたらそんな話になるんだ! 納得のいく説明をしてもらおうか!」

 もはや頭から湯気が出そうなほどに怒り心頭な津嘉山に、しかし榊原は冷静な様子のまま言葉を紡いでいく。

「いいでしょう。では、最初からお話しします」

 そう言うと、榊原はいつもと変わらぬスタイルで自分の考えを披露し始めた。

「私は数時間前、原田山遺跡を発見したという小学生に話を聞きました。その中で、一つ興味深い新事実が明らかになったのです」

「え、でも、あの時二人は何も新しい事は……」

 その場に同席した福原が戸惑ったような声を出す。

「確かに、あの時はそうだった。だが、私は特に男の子の方が何かを隠していると考えてね。帰宅する彼を追いかけて、もう一度話を聞いた。その結果、興味深い話を聞けたという事だ」

「その話というのは?」

 金沢が興味津々に尋ねる。

「遺跡の発見時、あの野辺裕樹という少年は穴に落下し、もう一人の平木瑠奈が助けを求めに行った。その空白の時間、穴の中にいた彼は、そこで珍しい石を見つけたらしい。咄嗟に彼はその石を手に取り……それを遺跡から持ち出してしまった。そんな話だったよ」

「な……」

 全員が絶句した。まさか自分たちが来る前に、遺跡から持ち出されていたものがあるとは想定外だったのだろう。

「それで、その石というのは?」

「黒羽教授、ご心配なく。彼からこうして預かってきました」

 そう言うと、榊原は例の金属の小箱を取り出してテーブルの遺骨の横に置いた。

「さて、問題はこの石の正体です。それがわかった瞬間、私は今回の一件……すなわち、この遺骨の死の真相がはっきりと見えたのです。どうぞ、見てみてください」

 そう言うと、榊原はいともあっさりと箱のふたを開けた。慌てて中を覗き込んだ黒羽たちだったが、その表情がすぐに凍り付いた。

「な、何だ、これは?」

「嘘……」

 そこにあったもの、それは先程榊原と瑞穂が見た、一部分だけがなぜか金属光沢に輝いている、直径五ミリメートルにも満たない小石のようなものだったのである。

「銀のついた小石? いや、でも……」

「あり得ない。まだ鉄器をようやく加工できるようになった時代の遺跡だぞ。この時代に銀を使った加工装飾などあり得ないはずだ。大体、こんな小石に銀を張り付ける意味など……」

「本当にただの小石だと思いますか?」

 唐突に榊原が議論する黒羽たちに口を挟んだ。

「ど、どういう意味ですか?」

「確かに一見すると銀がこびりついた薄汚れた石にしか見えない。これがあの遺跡から出土したという前情報があればなおさらだ。でも、見る人間が見れば、これはあまりにも常識外れなものになる。津嘉山さん、改めてこれを見てほしい。何に見えますか?」

「何って……」

 津嘉山は訝しげに箱の中を覗き込んでしばらく顔をひねっていた。が、次の瞬間、その顔が大きく青ざめた。

「ば、馬鹿な! そんな……」

「え、何なんですか?」

 戸惑ったように言う金沢に対し、津嘉山は衝撃的な言葉を告げた。

「これは……歯だ」

「え?」

「歯だよ。薄汚れていてすぐにはわからないが、明らかに人間の歯だ。しかも、この銀色の物は……」

「銀歯、ですよね」

 後を引き継いだ榊原の言葉に、全員の表情が一気に驚愕へと変貌した。

「あ、あり得ない! いくらなんでも、一五〇〇年以上前の遺跡から銀歯が出るなんて、そんな馬鹿げた事が……」

「私も冗談だと思いたいですがね、生憎そうはいかないんですよ」

 榊原はそう言うと、唐突にどこで用意したのかピンセットを取り出し、それで銀歯らしき物体を掴むと遺骨の奥歯の辺りに近づけた。全員が固唾を飲んで見守っている中、その銀歯と思しき物体は……見事に右奥歯の欠けた部分と一致したのだった。

「そんな、馬鹿な……」

 黒羽はもはや茫然としていた。

「私は歴史の事はあまり詳しくありませんが、それでもこれだけはわかります。弥生時代だか古墳時代だかはわかりませんが、その時代の日本人が銀歯治療を受けているはずがない。つまり……」

 榊原は衝撃の結論を叩きつけた。

「この遺骨が、先の鑑定結果通り一五〇〇年以上前の物でない可能性が浮上してくるんです。だからこそ、私は津嘉山さんに遺骨の再鑑定を依頼しているんですよ」

「そんな……信じられん……」

 津嘉山はもはや気の抜けたような声でそう言うのがやっとだった。代わりに、金沢が引きつったような声を上げた。

「じゃ、じゃあ、この遺骨は一体……」

「少なくとも、一五〇〇年前の人間でない事は確かです。そして最大の問題は、津嘉山さんが鑑定した通り、この遺体には殺害の痕跡が見られるという事です」

 その瞬間、誰もが真っ青になった。

「そ、それはつまり……」

「えぇ」

 榊原は衝撃の事実を告げた。

「この遺骨がいつの時代の物かは鑑定待ちですが……事と次第によっては、この遺骨が現代の殺人事件の被害者の物である可能性が浮上します。そして、そうなればこれは歴史学ではなく、私の専門範囲になるという事です」

「ひ、ヒィッ!」

 現代の殺人事件の遺骨、と聞いて思わず福原がテーブルから後ずさった。一方、黒羽は気丈にも前に出る。

「一体……あなたはこれがいつの時代の遺骨だというつもりなのかね?」

「言った通り、詳しくは鑑定待ちです。ただ、推察はできます。歯科治療の詰め物治療において銀歯は保険適用内なので安価で済む反面、金歯やセラミックなどに比べると腐食が起こりやすいんです。もちろん通常通りに使用していればそこまでの心配はいりませんが、遺体と一緒に湿り気のある地面の下にあったとした場合、何十年も前に埋められていたとすれば多少なりとも必ず腐食の痕跡が発見されるはずです。ところが、この銀歯にはそうした腐植の痕跡が一切見当たらない。となれば、この遺骨が埋められたのは比較的最近……おそらくは、最大でも一年から二年以内だと推察できます」

「そんなに最近……」

 黒羽が目をむく。だとすれば、もはやこれは考古学の範疇ではなく、現在進行中の立派な殺人事件に他ならないではないか。

 黒羽はその事実を認めたくないらしく、首を振りながら反論を続ける。

「馬鹿な……あの遺跡は地中に埋まっていた、事実上の密室ですぞ。そんな遺跡の中にあった遺骨が現代の物などという事は、まずありえない。仮に現代の遺骨なのだとすれば、その遺骨はどうやって密室状態の遺跡の中に入ったというのですか」

「そんなもの、あまりにも簡単な話です」

 榊原の答えは簡単だった。

「あの遺跡は石室の頭上が土砂崩れを起こした事で見つかっています。つまり、犯罪学的に言えば密室が崩壊した状況で発見されているだけで、実際に密室の中にあの遺骨があるのを見た人間はいないのです。ならば、こんなものはいくらでも可能性が考えられる。例えば、遺骨はあの石室の真上に埋められていて、土砂崩れの発生で土砂と一緒に石室の石棺の中に落下した、とか。今日の検分によればあの遺跡は地面からそう深くなかったし、たまたま遺跡の上に埋められていた現代の遺骨が未発見の遺跡に落下する可能性は大きいと思いますが」

 いともあっさり言われて、黒羽の方が拍子抜けする。

「そ、そんな……では、あの遺跡は……」

「遺跡が本物である事は私も否定しません、が、遺骨が今のような経緯で遺跡の中に入り込んだのだとすれば、元の遺骨は最初からなかった事になる。とすれば、あの遺跡ははるか昔にすでに盗掘されていたという可能性が浮上します」

「盗掘……」

 思わぬ話に、黒羽はもう何も言えない様子だ。

「そう考えれば、あの副葬品の少なさにも納得がいく。黒羽教授、今回の依頼では一五〇〇年前の殺人事件の真相を暴いてほしいという事でしたが、この依頼は不可能と言わざるを得ません。なぜなら、あの遺跡に関していえば、私としては一五〇〇年前の殺人事件そのものが幻だと結論付けざるを得ないからです」

 その言葉に、黒羽は大きく目を見開くと、やがてがくりと力なく肩を落とした。思わぬ展開に、誰もが何も言えずにいる。

「じゃあ、だ、誰なんですか、この遺骨の持ち主は……」

 金沢が呻く。が、榊原はそれに対して静かに答えた。

「現段階では推測に過ぎませんが……それもおよそ見当は付きます。というより、皆さんも薄々感じているのではないですか?」

「な、何を……」

「いるじゃないですか。約一年前に突然姿を消した原田山に関係のある女性。そんな人間は一人しかいません」

 この日最大の衝撃がその場にいる全員を襲う。

「まさか……そんな、まさか……」

「えぇ」

 榊原ははっきりと衝撃の事実を告げた。

「松浦茉奈……原田山遺跡群の発見者であり、一年前から姿を消しているこの研究室の元学生。彼女はこの研究室から消えてなどいなかった。完全に変わり果てた姿でこうして研究室に舞い戻り、無言のまま堂々と皆の前に姿を見せていた。私はそう考えているのですがね」

 もう、誰も何も言えない様子だった。


 歴史の真相探究から一転、現代の殺人事件の糾弾へと変貌してしまったこの報告会は、何とも異様な空気を醸し出しつつあった。今まで研究対象にしか過ぎなかったこの遺骨が実は見知った人間の遺体だったと知らされ、誰もが何も言えずにいる。

「し、信じられない。この遺骨が、松浦君だなんて……」

 何も語らない無言の遺骨の前で、黒羽は動揺しながらもなんとかそう言うのが精一杯だった。だが、榊原は静かに首を振る。

「この遺骨が彼女の物かどうかはすぐにはっきりすると思います。言った通り、この遺骨は銀歯の治療を受けています。仮にこの遺骨が松浦茉奈だとすれば、彼女が生前通っていた歯科医には彼女の歯型や詰め物治療の記録が残っているはず。この歯型と遺骨の歯型を検証すれば、この遺骨が彼女のものであるかどうかは一目瞭然です。そうでなくとも、発見一年目くらいの遺骨であれば、まだDNA鑑定も可能なはずです」

 そう言うと、榊原は視線を鋭くした。

「さて、そうなるとこの一件に関する問題は大きく変貌します。すなわち、誰が松浦茉奈を殺害したのか。『一五〇〇年前の殺人』と違って、この一件はそこまで解明する事が可能になるのです」

 その言葉に、場が一気に緊張した。そう、もしこの遺骨が松浦茉奈だとすれば、そこには必ず彼女を殺害した「犯人」が存在しなければならない。容疑者の存在さえあやふやだった一五〇〇年前と違い、松浦茉奈殺しの「犯人」は指名が可能だ。そして、今目の前で淡々と事実を追及するこの男は、それを専門としているプロフェッショナルなのである。

「わ、わかるのかね?」

「それが仕事ですからね。さて、状況から考えてこの遺骨は松浦茉奈の物である可能性が非常に高い。しかし、だとするなら疑問が一つ。なぜ、この遺骨の鑑定結果が『一五〇〇年以上前』などという馬鹿げたものになってしまったのか」

 榊原の表情が真剣になり、その言葉……否、追及に力が入る。

「もちろん、鑑定そのものがいい加減でない限り、こんな間違いが自然に発生するはずはありません。だとするなら、この鑑定は第三者の手によって意図的に歪められてしまった事になる。ではなぜその第三者はそんな事をしたのか。それは、この遺骨が一年前に殺害されたという事実が明らかになっては困るという理由以外には考えられません。一五〇〇年以上も前の遺骨となればこの事件は『殺人事件』として捜査される事もなく、遺体が見つかっているのに誰も事件だと認識しないまますべてを終わらせる事ができる。事実上の完全犯罪が成立してしまうんです。そして、そんな事を考える人間はただ一人しかいません」

 榊原はその残酷な真実を容赦なく告げた。

「すなわち、遺骨の主……松浦茉奈を殺害した真犯人です」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! では……」

 黒羽が恐る恐る聞く。

「えぇ。博物館に運ばれた遺骨に鑑定結果をごまかす細工するなど、発掘と無関係の人間には不可能です。だとするなら答えは一つ。遺骨に細工をした人間……すなわち、松浦茉奈殺害の真犯人が、遺骨の研究に関係していたここにいる人間の中にいるという事なのです!」

 瞬間、全員が息を飲んで咄嗟に周囲の人間を見渡した。が、榊原はその間意にも容赦なく推理を進めていく。

「では、それは一体誰なのか。そもそも、鑑定結果をごまかすにはどのような方法があるのでしょうか。これに関してはいくつか可能性があります。一つは、正しい鑑定結果が出ているのにわざと違う鑑定結果を報告するという手法。つまり、鑑定を行った津嘉山教授自身が犯人であるという場合です」

 その指摘に、誰もが津嘉山の方を振り向き、津嘉山自身も真っ赤になる。

「いい加減な事を言うな! わしは知らないぞ!」

「えぇ、でしょうね。私もその可能性は低いと思います」

 榊原はあっさりと自説を否定した。

「そもそも、この手の鑑定は一人でやるものではなく、普通は複数の人間で行うはず。津嘉山教授もそうだったはずです」

「もちろんだ。その場にはわしの助手たちが多く立ち会っていた」

「だとすれば、結果を改竄するのは非常に困難を伴います。また、それが可能だったとしても今回の場合は津嘉山教授が犯人とは思えない。なぜなら、『現代の遺骨』を『一五〇〇年前の遺骨』として改竄するには、その遺骨を調査する黒羽教授たちを騙すだけの考古学知識を有していなければならないからです。下手にいい加減な改竄結果を出してしまえば、実際の遺跡調査などとの間に矛盾が生じてしまう可能性さえある。それを考えれば、津嘉山教授がこの段階で改竄する事など、心理的側面からも不可能という事になるんです」

 津嘉山がどこかホッとしたような表情を浮かべる。

「では、どうやって……」

「検査段階での偽造は不可能。なら、可能性は一つしかありません。検査前……検査用のサンプルが津嘉山教授の手に渡った時点で、サンプルそのものがすでに偽物にすり替えられていた可能性です」

 その言葉に、全員が息を飲んだ。

「放射性炭素年代測定法は、何も遺骨全体を調査するわけではない。調査の際には遺骨の一部であるサンプルを検査する事になります。ならば、渡されたのが別のサンプルだったとしても、気付かれる恐れはまずありません」

「違ったサンプルを検査したっていうのか?」

 津嘉山が驚いたように言う。一方、黒羽はすっかり厳しい表情で言った。

「だが、むしろ一五〇〇年前の遺骨を探す事から大変ですぞ。医学者の津嘉山ならさすがに骨でなかったら気づくだろうし、そもそもそんなものがその辺に転がっているはずが……」

 そこまで言って、不意に黒羽の顔色が変わった。

「……まさか」

「そのまさかだと思います」

 榊原は厳しい表情で告げる。

「仮にサンプルの入れ替えが事実だとすれば、それが可能なのはただ一人だけです。出土品の管理をすべて任されていて、津嘉山教授に実際にサンプルを渡し、なおかつこの部屋に保管されているであろう他の遺跡から出土した遺骨を差し出す事ができる人間……」

 榊原の視線が、先程から黙ったままのある人物の方へと向いた。

「この事件の犯人は君だ。この保管庫の保管管理責任者である……曽部徳弘!」

 その瞬間、犯人……曽部徳弘はびくりと肩を震わせ、青白い顔で榊原を見やった。

「君こそが、一年前に松浦茉奈を殺害し、その遺骨を一五〇〇年前の遺物に見せかけた張本人だ!」

 それは、まさか起こるとも思っていなかった、探偵と殺人犯との直接対決の火蓋が切って落とされた瞬間だった。


「え……僕が……犯人……?」

 告発された曽部徳弘は、最初そう言うのが精一杯の様子だった。だが、そんな曽部に対し、榊原は容赦なく追及を仕掛ける。

「君であれば、検査用のサンプルを捏造する事は充分に可能なはずだ。検査のためのサンプルを直接津嘉山教授に手渡したのは、遺骨の管理を任されていた君だったはず。それに、保管庫を管理する君あれば、すり替えるためのダミーの遺骨を用意する事も簡単なはずだ。この保管庫には、他の遺跡から発見された遺骨の破片も、いくつか保存されているはずだからな」

「ま、待ってください! ちょっと、待って!」

 我に返った曽部が慌てて反論を始める。

「な、何でそれだけの理由で僕が犯人にならなくちゃいけないんですか。確かにサンプルを渡したのは僕ですけど、それ以前に入れ替えられていたのかもしれないじゃないですか。この保管庫には別に僕だけしか入れないわけじゃないんです。僕が渡す前に、誰かが保管庫に侵入してサンプルをこっそり入れ替えていた可能性も……」

「それはあり得ない」

 榊原は曽部の反論をばっさり切り捨てた。

「言ったはずだ。君の仕事はこの保管庫の管理業務全般。そこには、当然保管されている物品のリスト作成とその確認も含まれているはずだ。となれば、犯人が君以外の人間だとすれば、このサンプル入れ替えはとんでもなく危険な行為になってしまう。所蔵品リストを管理している君が保管記録をチェックすれば、入れ替えた他の遺跡の遺骨が紛失している事が明白になってしまうからだ」

 曽部がハッとしたような表情をする。

「遺骨が現代の物だとばれるのを恐れる犯人が、そんなリスクを負うとは思えない。だが、もし君が入れ替えの張本人だとすれば、この心配は全くいらない事になる。他でもない、保管記録をチェックする君自身が犯人であり、保管記録のチェックなどいくらでも捏造ができてしまうからだ。つまり、このサンプル入れ替えが行われた時点で、それが可能なのは保管記録をチェックする役割を担っていた君以外にあり得ないという話になってしまうんだ。反論するというなら、今ここで保管記録と現実にここに保管されている物品の記録をチェックしてみようじゃないか。必ず、どこかで所蔵品の紛失が確認できるはずだ」

 理路整然とした榊原の追及に、曽部は顔面蒼白になっている。が、あっさりと認める気はないようだ。

「そんな無茶苦茶な……。保管資料の紛失があったくらいで殺人犯にされるなんてたまったものじゃありませんよ。仮に紛失があったとしても、原因は全く関係ない事かもしれないじゃないですか。それだけで、僕を犯人だと言い切る事は出来ないはずです。大体、何で僕が松浦さんを殺さないといけないんですか。僕にはそんな動機はありませんよ」

 曽部は必死に反論する。が、榊原はあくまで静かに追及を続行する。

「そうだな……先にそちらを片付けておこうか。つまり、彼女が殺害された動機、だ」

 榊原は手元のアタッシュケースから、彼女の論文が載っている論文集を取り出した。

「状況を整理しよう。松浦茉奈は数年前、藤原春平の『大和国覚書』を根拠に原田山からいくつもの発見を成し遂げ、それを論文に書いた。しかし、この論文は酷評され、一年前に突然失踪。私はこの辺りで彼女が殺害されたと考えているが、問題はこの彼女による一連の発見だ。私は、ここに今回の事件の根幹があると考えている」

 榊原はおもむろに黒羽に向き直った。

「黒羽教授。藤原春平という人物の書いた書物は、元来考古学界ではあまり信用されていない文献だったそうですね」

「あ、あぁ、そうじゃな。確かに、原田山の遺跡が見つかるまでは、文献として利用すべきでない書物として有名だった」

「逆に言えば、その文献をもとにして何らかの発見があったとすれば、それまでの考古学業界の常識を覆す大発見になったという事ですよね」

「それはそうじゃが……何が言いたいんだね?」

 榊原は少しためらうような感じを見せたが、やがてこんな事を言った。

「教授、これから私は松浦茉奈のある所業について明らかにします。残酷な話になるとは思いますが、事件解決のためにお許しいただきたい」

「どういう意味だね?」

「原田山の遺跡に関する私なりの考察です」

 榊原はいったん小さく息を吐くと、事件の本筋に切り込んでいった。

「私は今回の依頼を受けて、遺骨が発見されたという13号遺跡のみならず、今までの1号から12号までのすべての遺物も調べてみました。最初はここから何かわからないかと思っての事でしたが、実際に調べてみると奇妙な事が判明したのです」

「奇妙な事?」

「発見された遺物、それが他の遺跡で発見された遺物とよく似た物ばかりだったのです」

 その言葉に、黒羽は首をひねった。

「同年代の遺跡から同じような遺物が発見されるのはよくある話です。彼女もそう判断していたはずですが」

「えぇ、確かに。実際、これに関して松浦茉奈はその他の遺跡と同じ年代の遺跡が原田山に眠っている証拠であるという論文を執筆しています。ですが……冷静に考えるとこれは妙な話ではないでしょうか。確かに、一つだけならそれもありうるかもしれません。しかし、発見された十二の遺物すべてがそうだというのは、考古学的にはともかく、私からしてみれば少し話が出来すぎだと思うのです」

 榊原はそう言って深刻そうな表情を浮かべる。

「考古学の立場に立つなら『同じ年代の遺物が見つかったのは同じ年代の遺跡が近くに眠っているかもしれないからだ』と肯定的に解釈すべきなのでしょう。それが考古学の考え方だからです。ですが、私は探偵です。私の場合は疑う事が仕事です。この件に関しても、私は肯定的にとらえる前に、あくまで探偵として否定的に考える事から始めました。すなわち、『十二もの遺物がかつて他の遺跡で出土したものと同じなのは果たして偶然なのか』、『そこに第三者による作為が存在しないのか』と。そう考えたとき、私の頭にある事件が浮かんできたのです」

 そう言って、榊原は黒羽を鋭い視線で見つめた。

「時は二〇〇〇年、当時の考古学界を揺るがし、考古学会の権威をどん底まで叩き落とした大事件が起こりました。考古学を学んでいる方々ならまず間違いなくご存じのはずの事件です」

「それって……もしかして、旧石器時代の遺跡捏造事件の事ですか?」

 答えたのは金沢だった。

「さすがにご存知ですね」

「もちろん。この世界の人間ならまず誰でも知っています。数々の旧石器時代にかかわる遺跡を発掘した『ゴッドハンド』の異名を持つアマチュア考古学者が、実は発掘前に自分で石器を遺跡に埋めて、さも新発見かのように掘り返していた事が発覚した歴史捏造事件。結果、彼の関与した遺跡発掘の成果は軒並みなかった事になり、教科書の内容まで大幅変更を余儀なくされました。学術的にも『前旧石器・中旧石器時代』という区分が消滅し、旧石器時代以前の日本の考古学研究が大きく遅れる要因にもなっています」

「その通り。まぁ、その事件そのものは別に今回関係はないのだが……私はこの事件と今回の事件、どこか似通っているのではないかと考えているのだがね」

「え?」

 金沢が何を言っているのかわからないと言わんばかりに戸惑った声を出す。一方、黒羽は何事かを察したらしく、その顔色がみるみる悪くなっていた。

「まさか……松浦君は……」

「察しましたか」

 榊原は真実を告げる。

「松浦茉奈が本来文献利用する事があり得ない藤原春平の書物を研究題材にしていた理由。発見された遺物が他の遺跡から見つかった遺物とすべて似通っていたという事実。さらに、1号から12号までの遺物の発見場所が、13号遺跡の位置から見ると明らかに意味不明というかバラバラな場所から見つかっている理由。そして、そんな不可思議な状況にもかかわらず、それらの遺物をほぼノーヒントで発掘する事ができたという松浦茉奈自身の挙動。これらを総合して考えれば、このあまりにも残酷な事実を指摘するのは比較的容易です」

 そして、榊原は切り札の一つを叩きつける。

「そう……松浦茉奈による原田山遺物群の捏造です」

「っ!」

 そのあまりに重い言葉に、その場の誰もが絶句した。

「おそらく、筋書きはこのようなものだったのでしょう。先に言ったように、藤原春平の書物はインチキ臭いという事で有名な代物だった。そして、おそらくそれは彼女自身もよくわかっていたはずです。ですが、それと同時に彼女には思惑があった。確実に嘘くさいとされている文献を根拠にした研究でその文献が実は『正しい』事が証明されれば、それは考古学の常識を覆す大発見になると同時に考古学界に永遠にその名声を残す事ができるはずだ、と。同じような経緯でトロイ遺跡を発見して歴史に名を残したシュリーマンと同じく、ね」

「それで、何も出ないはずの山から遺物を発見したという捏造工作を……」

 金沢が憔悴しきった表情で言った。松浦を尊敬していた福原は今にも倒れそうな顔をしている。

「彼女が過去に他の遺跡で見つかった遺物しか発掘できなかったもある意味当然。以前に発掘された遺物を適当な場所に埋めて、それを自分で掘り返していただけなんですから。そして、ここからが大切ですが、松浦がその捏造のために使用したすでに発掘済みの遺物は、そのすべてがこの保管庫から盗み出されたものだと私は踏んでいるのです」

 その言葉に、全員がハッとした表情で曽部の方を見つめる。

「一連の捏造事件の犯行はこうでしょう。まず、彼女はこの保管庫に潜入し、保管されている遺物を盗み出す。さっき曽部本人も言ったように、この部屋に入る事自体は内部の人間ならそんなに難しくないという事ですので、彼女に犯行は充分可能だったでしょう。ただし、いくらなんでも一つしかない遺物を盗めばすぐにばれてしまう。なので、彼女は1号遺物の鏡のように、他の遺跡で一度に大量に出土していて一つ程度なくなったところでそう簡単に気付かれない物ばかりを標的にしていた。これには、大量に出土しているという事実を逆手にとって、原田山から出土してもおかしくないという印象を与えられるというメリットもあったとは思いますが」

 そこで、榊原は曽部を見やる。

「もちろん、いくら誤魔化したところで、本来管理業務がちゃんとしてさえいれば、保管されていた遺物が紛失していた事はわかるはずだ。だが、現実は全くばれなかった。ここから察するに……曽部、君はこの時、この保管庫の管理業務をかなりいい加減にやっていたんじゃないか?」

 その指摘に、曽部の顔が引きつる。

「おそらくなくなるはずがないという油断があったんだろう。リストの数と現実の保管された遺物の数を確認する際、大量に出土した遺物に関してはきちんとその総数を確認していなかったんじゃないか? 確かに面倒くさい業務だし、そうしたくなる気持ちはわからないでもない。例えば1号遺物になったと思しき鏡の場合、この保管庫に保管されている他の遺跡で大量に出土したという鏡は百枚以上あるはずだからな。さすがに一つしかない遺物がなくなっていたという事になればいくらいい加減にしていたとしても気づいただろうが、松浦はそこを見越して大量に出土した遺跡の遺物ばかりを狙っていた。結果、君は松浦の犯行に気付く事ができなかった。非は松浦の方にあるとはいえ、これは明らかに君の失態になるだろう」

 曽部が拳を握りしめる。

「話を戻しますが、松浦はこの保管庫から遺物を盗み、その遺物を原田山の適当な場所に埋める。そして、後日その場所を掘り返し、あたかも新発見であるかのように見せかけた。これが彼女による原田山遺物群の捏造の真相だと考えます。彼女はこの功績で論文を書く事ができ、本来なら大きな名声を得る事ができるはずだった」

 だが、と榊原は続けた。

「現実はそう甘くはなかったのでしょう。論文は認められず、彼女は自説を証明するためにさらなる捏造に走らざるを得なかった。遺物の持ち出しがばれなかったという事も、彼女を大胆にする一つの要因になったのでしょうね。そして、この手の犯行は数を重ねれば重ねるほどにばれる可能性が高くなります」

 榊原は再び曽部を見据えた。

「おそらく、君がこの一件のからくりに気付いたのは、彼女が失踪する直前の8号遺物発見時点の事だったはずだ。さすがの君も、彼女が見つける遺物が保管庫に保管されている他の遺跡の大量に出土した遺物と一致している事に気付き、ここでちゃんと数の確認をしたんだろう。そして、予想通り1号~8号までの遺物と同型の他の遺跡から見つかって保管されて遺物の数が減っているのに気が付いた。だが、君はこれを言うわけにはいかなかった。言えば、君が保管庫の管理業務をいい加減にしていた事がばれてしまうからな。そんな事になったら、下手をすれば大学から追い出される可能性さえある。君は黙るしかなかった。そして、その辺に君の動機が存在すると思うのだがね」

 曽部はまるで恐ろしい物でも見るように榊原を見上げた。

「犯行が行われたのは、おそらく原田山のあの13号遺跡の近くでしょう。詳細はわかりませんが、新たな捏造のために遺物を埋めていたところを曽部が見つけ、そこで何かがあって反射的に殺害してしまったと考えるのが筋です。殺害方法に関しては私が昨日推察したものがそっくりそのまま当てはまります。もみ合って倒れた拍子におそらく石か何かで後頭部を強打、そのまま首を絞めて殺害、と言ったところでしょうか。状況的に、計画的ではなく突発的な犯行だったはずです。計画的な犯行にしてはあまりに犯行が杜撰すぎますから。そして、我に返った曽部は遺体を近くの土の中に埋めた。近くには彼女が遺物を埋めるために使っていたスコップがあったはずですし、バイクの免許しか持っていない君では遺体を他の場所に運ぶ事もできなかったはずだからだ。まさかその下に松浦本人でさえ心の中では否定していたはずの本物の遺跡があるとも知らずに」

 まるで見てきたかのように犯行を語る榊原に、曽部はまともに反論する事もできない。

「……だが、だとすれば8号遺物以降に発見された12号までの遺物はどうなるのですかな?」

「それはおそらく曽部の仕業でしょう。松浦が失踪した直後から遺物が発見されなくなってしまえば、遺物発見に松浦の何かが関与していたという疑いを抱かれてしまうかもしれません。すなわち捏造の発覚です。そうなっては自分の保管業務の失態や、そこから松浦殺害までもが明らかになってしまうかもしれない。だからこそ、曽部は皮肉にも松浦と同じ方法でしばらく捏造を続けなくてはならなくなった。ただし、遺体が発見されては元も子もないので、遺体を埋めた地点からは遠く離れた場所で、ですが」

 黒羽の反論にも榊原は丁寧に答える。

「ところが、そんな矢先にとんでもない事が起こってしまった。曽部が松浦を埋めたあの地点の地下から、よりにもよって本当に遺跡が見つかってしまったんです。それが13号遺跡だった。これは私の予想ですが、一度遺跡の真上の地面を掘り返して遺体を埋めた事で地面に隙間ができ、その隙間に雨水などが伝う事で遺跡上部の地盤が緩み、遺跡の落盤、発見という事態を引き起こしたのではないかと思っています。いずれにせよ、これはとんでもない皮肉だったでしょうね。原田山には何もないと考えたからこその捏造だったにもかかわらず、その原田山から本当に藤原春平の書物通りの遺跡が見つかってしまったんですから。彼女が捏造など考えずに真面目にあの書物を研究していれば、ちゃんと彼女が望む名声を得る事ができたはずなのに、残念です」

 それは誰もが同じ思いなのだろう。皆が皆、沈痛な表情で頷いていた。

「ですが運命はさらに皮肉だった。発見された遺跡からは、当然その上部に埋められていた松浦茉奈の遺骨も発見された。しかし、落下地点が石棺だった事が災いして、彼女の遺骨が遺跡の主の遺骨と誤認されてしまったんです。原田山の遺跡を否定して捏造に走った彼女が、その否定した遺跡の主になってしまったというのだからこんな皮肉はないでしょう。ともあれ、曽部としてはその遺骨が松浦の物だと判断される事は絶対に阻止しなければならなかった。そして、遺跡の発掘作業に携わった彼には、それが可能だった」

「だからこその、サンプルの捏造か」

 津嘉山が苦々しい表情で呻く。

「さっきも言ったように、この犯行は突発的なもので、証拠の処理などはしっかり行えていないでしょう。それでも今まで犯行がばれなかったのは、これが殺人事件だという認識がなかったからです。逆に言えば、曽部、君の防波堤は『この事件が殺人事件と認識されていない』というこの一点に集約されている事になる。この防波堤が破壊された今となっては、君の犯行に絞って捜査すればいくらでも証拠は出てくるだろう。さて、まだ言い逃れでもしてみるかね?」

 曽部は全身を震わせていた。榊原の推論は、反論の余地さえ残さないものだった。だが、それでも曽部は悪あがきを見せる。

「い、今のは、すべて想像じゃないですか。僕がその殺人事件をやったという直接的な証拠はどこにもない。それにその遺骨が松浦さんのものだと、まだ正式に証明されたわけでもない」

「この遺骨が現代の物なのは、銀歯の件で証明できたと思うが」

「そんなの、偶然一致しただけかもしれないじゃないですか。ほら、たまたま断面が一致しただけとか……」

「そんな言い訳が通じると本気で思っているのかね?」

「わからないじゃないですか! あなたの主張だっていくつもの偶然がある。だから、そんな偶然があったって……」

 と、その時保管庫のドアがノックされ、誰かが中に入ってきた。

「お話し中失礼します」

 それは、黒羽に榊原を紹介した、奈良県警捜査一課の網田警部その人だった。黒羽が驚いた顔をする。

「どうしてあなたがここに……」

「私が呼びました。事が殺人なら、彼に連絡しないわけにはいきませんから」

 榊原が説明する中、網田は無感情な声で事実を淡々と告げる。

「榊原さんの要請で、松浦茉奈の歯科治療記録を大至急調べました。結果、三年前に奈良市内のある歯科医で治療しているのが先程確認されました。治療は右奥歯に対する詰め物治療で、銀歯が使われています。その治療記録と、詰め物作成のために使われた彼女の歯型もここにあります。その遺骨と比較検討すれば、すぐにでもその遺骨が彼女の物かそうでないのかが判明するでしょう。それと、改めて原田山13号遺跡周辺も所轄に依頼して検査してもらいましたが、遺跡近くにあった岩からルミノール反応が検出されたそうです。岩の隙間には血痕そのものもわずかではあるものの付着しているようで、それを調べればその血液が松浦茉奈の物かどうかは判別が可能でしょう。少なくとも、あの場所で松浦茉奈の血が流れた事は明らかになるはずです」

 おそらく今までで一番の長台詞を発した網田に対し、曽部はすでにこの件に関して警察が本格的に動き始めた事を察したようだった。そして、自分の工作が本格的な警察の捜査に耐え切れないようなものである事も、彼自身が一番よくわかっているようだった。だが、曽部はなおもあがき続ける。

「そんな……知らない……僕は……僕は知らない! たとえそれが松浦さんの遺骨だったとしても、僕には何も関係ない!」

「関係ないのだとしたら、なぜサンプル捏造など行った? 理論的に考えて、サンプル捏造が可能なのは君だけだぞ」

「知らない! そ、そうだよ、たまたまサンプルを間違えただけかもしれないじゃないか! 間違って別の遺跡のサンプルを渡してしまったのかも……」

「そんなくだらないミスがあったと本気で言うつもりか?」

「あったかもしれないじゃないですか! 確かに僕の大失態だけど、殺人犯にされるよりはましだ! 僕は何も知らない! 全部あなたの妄想に過ぎないんだ!」

 すでに警察の介入である程度の証拠が出始めている現状で、一連の推論を榊原の妄想というのは的外れな反論なのだが、曽部はもうなりふり構っていない様子だ。見苦しくわめく曽部に対し、榊原は決定打を叩きつけにかかった。

「松浦茉奈はどうやって原田山まで行っていたのだろうか?」

「は?」

「福原さんの話では、彼女は運転免許を持っていなかった。また、原田山は最寄りの飛鳥駅からはやや離れた場所にあって、徒歩で行くとは考えにくい。なら、遺物を埋めに行くときの彼女の交通手段は何だろうか。人に見られたくないだろうからタクシーを使うとは思えない。となれば、その手段は限られてくる。おそらくは自転車だ。多分、飛鳥駅近くのどこかに放置自転車と見せかけて置いてあったんだろう」

「それが何か?」

「事件後、持ち主のいなくなったこの自転車はどうなったのか、という事だ」

 その瞬間、曽部の顔色が変わった。

「原田山の近くに放置しておくわけにはいかない。犯人としては、彼女に関係する物品が近くに放置される事だけは避けなければならないからだ。だが、だからと言って自転車ほどの大きさのものを持ち去るわけにもいかない。君が犯人だとした場合、君もバイクの免許しか持っていないはずだから、バイクで山まで来ていたとしても自転車を持ち去るのは不可能だ。となれば可能性としては……自分でその自転車に乗って現場を離れ、どこか一定距離離れた場所に放置自転車として放置し、その後歩いて現場に戻ってバイクで帰宅するという手法だ」

 榊原は論理を駆使してすでに崩壊しかかっている曽部の牙城に切り込んでいく。

「現場は田園地帯である明日香村の周辺だけあって、下手なところに放置自転車を置いておくのは逆に目立つ。だから、放置するなら同じ放置自転車が大量に置かれてある場所に紛れさせてしまうのがいい。しかし、最寄りの飛鳥駅まで行くのは少々時間がかかりすぎる。自転車を放置した後の帰り道は歩いてバイクの置いてある原田山周辺まで戻らなくてはならない以上、その場所は現場から離れすぎず近すぎずという場所だったはずだ。では、そんな場所があるか? 私には一つ心当たりがあるのだがね」

「そんな場所があるわけ……」

「例えば、今日あそこに行く途中で見かけた産廃の廃工場だ」

 榊原は容赦なく告げた。曽部はもはや瀕死寸前である。

「あの工場は数年前に閉鎖されて以降、中の産廃共々そのまま放置されているという。しかも土地の汚染がひどくて人が立ち入る事もほとんどない。となれば、証拠品である自転車を放置するにはおあつらえ向きだろう。他の産廃に紛れ込ませてしまえば、殺人だとばれない限り発見される事はない。あくまで、殺人と判定されなければ、だが」

 榊原がとどめを刺しにかかるのを、曽部は唇を噛みしめて耐える他ない。

「警察があの廃工場を調べれば、問題の自転車がすぐにでも出てくるはずだ。何度も言うようにこの事件は突発的な犯行で、しかも自転車という大型の証拠品。自分のものはともかく、自転車に付着した被害者の指紋は完全に拭き取れていないとみるのが妥当だろう。そして、彼女が失踪したのは今から一年前……すなわち八月から九月にかけての暑い時期だ。そんな時期に自転車を漕いだのだとすれば、指紋は残っていなくても別の犯人の痕跡が残っている可能性がある。例えば……犯人の汗」

 今度こそ曽部はその体をガタガタと震わせ始めた。

「犯人もさすがに指紋が付かないようにしていたとは思うが、汗までは考えが及んでいなかっただろう。おそらくハンドル、サドル、その他色々な場所に付着しているはず。この汗の痕跡からDNAが採取できれば、それは動かしがたい物的証拠になるはずだ。違うというなら、彼女の指紋が付いた自転車に君の汗が付着している理由を鑑定結果が出るまでに考えておく事だな」

 さらに榊原は追い込みを続ける。

「証拠はまだある。例えば、彼女が事件当時着ていたであろう服だ。遺骨に衣服がなかった以上、彼女は服を剥ぎ取られて全裸状態で埋められたのは間違いない。これは万が一発見された時に身元を隠すためだと思われるが、だとするなら疑問が一つ。剥ぎ取られた衣服を犯人はどう処理したのか。まさかその辺に埋めるわけにもいかないし、山中で燃やすのは危険すぎる。となれば、自転車共々廃工場に放置されたとみるのが妥当だろう。持って帰るわけにはいかないからな。仮に運よくこれも見つかったとすれば、その衣服には彼女の体毛や皮膚片、場合によっては指紋も付着しているはずだ。さて、私の推理では犯人は被害者を突き飛ばすなりして石に後頭部を強打させている。となれば、その突き飛ばした部分に指紋が付着している可能性もないとは言い切れない。布についた指紋というのは消えにくいから、指紋がついていたら高確率で残っているはずだ。そうでなくとも、彼女の衣服が残されている時点で、自転車の件と合わせれば君の犯行は限りなく疑わしくなるはずだ」

 そう言うと、榊原は静かに曽部に最後通告を突きつけた。

「私が考えただけでもこれだけの証拠が出るんだ。警察が君に絞って重点的に調べれば、さらに多数の決定的な証拠が出てくるはず。……もう、これ以上の反論は無駄だと思うが、まだ続けるかね、曽部徳弘!」

 そう啖呵が切られた瞬間だった。曽部は突如として頭を抱えてその場にうずくまると、呻くように絶叫した。

「あ、ああ……ああああっ!」

 曽部の絶叫が部屋の中に空しく響き渡る。それが、殺人犯・曽部徳弘が陥落した瞬間だった。

「あ、あの女……あの女が悪いんだ! あいつが捏造なんて馬鹿な事をしなければ、僕だってこんな目には……畜生、畜生ぉっ!」

「やはり、松浦茉奈は捏造をしていたのかね」

 榊原はそんな曽部を目の前にしても氷のような冷たさで冷静に尋ねる。

「あぁ、そうだよ! あの女、保管庫の遺物を勝手に持ち出して、それを原田山に埋めて、さも自分が掘り出したかのように見せてやがった! おかげで僕の保管業務に穴があった事が証明されてしまった! あんな女に僕の人生が潰されるなんて、そんな事があってたまるかぁっ!」

「なぜ殺したんだ?」

 榊原の問いは簡単だった。

「あいつが捏造しているとは思っていたけど、証拠はなかった! だから、僕は保管庫をこっそり監視した。そしたら、あの日の夜……あいつは堂々と保管庫から遺物を持ち出して、そのまま原田山まで向かった! 僕はそれを追いかけたさ! バイクで先回りして原田山の近くで待ち伏せして、やつが自転車でやって来たのを追いかけた。そしたら、あいつはそのまま山に登って、地面を掘り返してその遺物を埋めていた! 僕はそれを写真にも撮ったんだ!」

 それは、松浦茉奈が捏造を行っていたという決定的な証言だった。

「すぐに問い詰めたさ! そしたらあいつ、逆に僕の保管業務怠慢を訴えるって脅してきやがった! しかも、それを秘密にする代わりに捏造に協力して、さらに証拠の写真まで渡せって……。そんな事、できるはずがないじゃないか! そしたら、あいつカメラを奪おうと襲って来て、咄嗟に突き飛ばして……あああああああああぁぁぁぁぁっ!」

 ついに、曽部はそのまま床に突っ伏して泣き始めてしまった。黒羽たちは、それを呆然とした様子で眺めている。

「その後、山中に彼女の遺体を埋めたんだな」

「あんな女のせいで僕が逮捕されるなんて、そんな理不尽な事が許されるわけがないだろう! あいつが掘っていた穴にそのまま叩き込んださ! まさか、あんな場所からあのインチキ女の主張していた遺跡が出るなんて、普通は考えないじゃないか!」

「だから、検査の際にサンプルを入れ替え、あの遺骨を一五〇〇年前のものに偽装した」

「昨日、あんたがあの時の状況をピタリと推理するのを聞いて、正直背筋が凍ったよ……。あんた、一体何なんだよ! 何をどうやったら、あそこまで正確に殺人の状況がわかるんだよ! 僕にとっては、あんたの方が怪物だよ!」

 そう言って、曽部は榊原につかみかかろうとするが、背後に控えていた網田がそれを羽交い絞めにする。

「あんたさえいなければ! あんたがこんな依頼を受けなければ! すべて丸く収まっていたのに! 何でだよ、何でなんだよぉっ!」

 絶叫しながらわめき散らす曽部に対し、榊原は憐れみに満ちた視線を向けるだけだった。

「……もう、これ以上君に語る言葉はない。後は警察に任せる。網田さん」

 網田は頷くと、曽部に宣告した。

「曽部徳弘、松浦茉奈殺害に関して話を聞きたい。御同行を」

「……くそぉ……」

 それが、このあまりに異常な報告会を締めくくる言葉となった。


 翌日、国民中央新聞の秋本記者によるスクープを火種に、全国のマスコミや考古学界は大パニックに陥った。原田山13号遺跡から見つかった遺骨が実は現代の殺人事件の代物で、その犯人の自供により、遺骨の主である松浦茉奈が犯した遺跡捏造事件までもが明るみに出てしまったのだ。

 事態を受け、文部科学省を中心とする遺跡捏造調査委員会が現地入りし、すでに発見されている1号から12号までの遺物の再鑑定に乗り出した。結果、すべてがすでに他の遺跡で大量に出土していた遺物であり、それらがすべて問題の保管庫に保存されていたものと同一であるという事が確認された。また、曽部の自宅から彼が供述した捏造作業を行っている松浦茉奈の写真データが発見されるにあたり、松浦茉奈の遺跡捏造は決定的なものとなった。

 同時に、殺人事件の方も捜査は進展した。遺骨は即座に警察に押収され、専門の鑑定の結果遺骨のDNAと松浦茉奈のDNAが一致。また歯形も一致したため、この遺骨が松浦茉奈の物である事は動かしがたい事実となった。同時に遺骨の再鑑定が行われ、死亡時期が一五〇〇年前どころか一年前後だったという事実も白日の下に晒された。これにより、考古学に名を残す大発見は、一夜にして捏造・殺人事件へと大きく変貌する事になったのである。

 事件発覚から二日後、警察は証拠及び自供がそろったとして、北大和大学文学部日本史学科大学院博士課程一年・曽部徳弘を、松浦茉奈殺害容疑で逮捕した。曽部は素直に犯行を認めており、榊原が証拠として指摘した自転車や被害者の衣服も問題の廃工場から発見。特段に難しい事件でない事もあってこちらの捜査はスムーズに進んでいた。

 問題なのは原田山13号遺跡の方で、この13号遺跡そのものは本物であると断定されたものの、その歴史的価値に関しては現在再評価が行われているところである。実際は遺跡そのものがすでに盗掘されていて副葬品もわずかだったため、当初の予想より遺跡の価値は落ちる見通しである。とはいえ、この遺跡が別の意味で歴史に名を残すのはほぼ間違いない様子だった。

 ただ、今まで評価のされていなかった藤原春平の書物に真実が書かれていた事を証明した事は評価され、藤原春平の書物に関する研究が加速する見込みが立ちつつある。もっとも、その業績は事の経緯から「誰のものでもない」とされてしまい、松浦茉奈自身は『前代未聞の捏造学者』という本人の思惑とは反対の業績で考古学の歴史にその名を残す事になってしまった。

 そして、殺人事件から捏造事件へと発展したこの一連の事件は、後にマスコミや考古学業界の人間からはこう呼ばれる事になったという。

 『原田山13号遺跡事件』と。


 報告会終了から数時間後の午後六時。榊原と瑞穂は奈良駅の前にいた。曽部は網田により引っ立てられ、黒羽、津嘉山、金沢は捏造発覚に伴う後処理に忙殺されている。秋本は土田の読み通りに遭遇したスクープに狂喜乱舞し、今頃本社との間で連絡を取り合っているはずだ。そんなわけで、この場に見送りに来ているのは福原だけであった。

「まさか、こんな事になるなんて……」

 福原は憔悴しきった表情ながらも、気丈にそう言って榊原を見つめた。

「正直、私も最初は歴史ミステリーに挑戦しているつもりだったのだが、いつの間にこうなってしまったのか……。事実は小説より奇なりとはこの事だ」

 榊原は呆れたように言ったが、そう言いながらも、先程の追及が嘘のような穏やかな表情に戻っている。

「教授から伝言です。依頼料と今回の件で迷惑をかけた謝礼に関してはまた改めてするという事です」

「依頼料はともかく、謝礼はいらないと伝えてくれ。こんな事は、正直日常茶飯事なものでね」

「本当に、先生と一緒だと退屈しませんよ」

 瑞穂がそう言って首を振る。

「その、君にとっては残念な結果になったね。尊敬していたんだろう、松浦茉奈の事を」

「はい……。でも、なぜか憎めないんです。確かに、先輩がした事は間違っていると思います。だけど、先輩がそんな事をした理由も何となくわかるんです。先輩は……焦っていたんだと思います。少しでも早く成果を出したくて」

 そう言うと、福原はポケットから車にぶら下げていた勾玉を取り出した。

「それは確か……松浦茉奈が君にあげたという」

「はい。私、先輩がこれをくれたのには、自分の境遇と私を重ね合わせたんじゃないかって思うようになりました。同時に、私が自分みたいになってはいけない、と思っていたんじゃないかと。先輩も、心のどこかでは駄目な事をしているという認識はあったと思うんです。だからこそ、これを持つのは自分より私の方がふさわしいという事で、私にこれをくれた。少なくとも、私はそう信じています」

「そうか……」

 それに対して、榊原は何も言おうとはしなかった。彼女が死んでしまった今となっては、何が本当なのかを知る機会はない。

「それじゃあ、そろそろお別れだね」

「またぜひとも奈良に来てください。今度はぜひ観光で」

「考えておこう。では」

「あ、先生、待ってくださいよぉ」

 榊原と瑞穂は改札の向こうへ去っていった。福原が黙ってそれを見つめる中、どこか近くの寺の鐘が駅前に大きく響き渡ったような気がした。

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原田山13号遺跡事件 奥田光治 @3322233

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