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  • 2023-1-12への応援コメント

    大丈夫です。
    恋をしたことがあり、友人との会話が楽しい。
    様々な事に興味を抱け、行動力、思考能力が高い。
    そんな貴方は人生を諦めなければ幸せを見出し掴める人間だと思います。
    嫌いなところがあっても無理に変わる必要はないのではないでしょうか。

    一つ言うならば、これ以上思考能力を高めないほうが良いかと。世の中を変えられる天才レベルになれるのなら別ですが。

    初対面の人を除いて、人との会話で相手の思考をトレースして返答内容を一言一句違わず予想できる様になってしまったら危険信号です。

    長いこと錆びつかせた頭でここまで読んだ感想なので、見当違いの事を言ってる可能性が高いですが……まぁバカな事を言ってるなと笑ってください。

    失礼しました。

    作者からの返信

    ありがたいお言葉です。ただ少し過大評価かとも思います。実際の私は好きなことに対しては行動力があるものの、嫌いなものはとことん後回し。そんな人間です。
    そして私にはyasaiさんにとって悪癖とも言える趣味があります。相手との会話の前に、私の中で構築してきたイメージを使い、会話のシュミレーションをします。そして実際に会話をするとそれが的中して、用意した返答を私も続ける。というものです。これが行える相手は一切面白味がないので、私にとっては格付けの意味もあるのかも知れません。私の予想内で生きているかどうなのか、を。長いこと錆つかせた。だなんてとんでもないです。見当違いとは思いませんが、もしそうであっても私にとって予想できる。つまり私にも含まれる考えよりは刺激的で面白いです。コメントありがとうございました。

    編集済
  • 2023-6-10への応援コメント

    私が実体験から得た教訓として、
    「命は使いきるものであって、捨てるものではない」をベースに考えると、リスカ等を行いそれを盾に構ってチャンになるメンヘラは、有象無象に湧くイキり野郎と変わりません。
    何かを引き立て役に自分を表現するのは芸術方面で十分でしょう。
    なんの生産性のない自己表現は、ましてや自傷によるアピールはただの駄々っ子です。
    心配しても行動に移さない自分を最低だと思う必要はありません。
    あなたの真っ直ぐ張った糸を弛めてまで、既に絡まった糸と繋げる必要がないからです。
    あなたが太陽になることで、彼女は自分の影を見ることになるでしょう。
    ならば、星の光に徹してください。

    作者からの返信

    本質主義に似ている考え方ですね。彼女の考えは私も透けて分かります。それが醜く、意地汚い、理由付けをしているだけなのも分かります。ただ、私が行動せず何かあったら、と考えてしまいました。私はそれでも後悔はしないと思います。彼女がどうなろうと私の知ることじゃありませんから。しかし彼女がどうかなると、悲しむ人が居るのも事実で、私はこの考えに苛まれました。今こんなことを言っても、言い訳を並べているだけのようですが。
    糸を張りすぎですかね。いつか切れてしまえば、それは大変なことです。しかしどうにも緩めることはできません。そして太陽にも星にもなれる気がしません。周りを気にする余裕も、気遣える器量も持ち合わせていません。自己評価が過小か過大かと言われれば、それまでですが少なくとも私だけはそう思います。自己評価がこんな平凡な人間には人を照らすことは早すぎるかもしれません。適当に話をそらす、精々が月に対する地球が精一杯でしょう。それで十分と言うならまた私は私を嫌いになると思います。兎にも角にも星の光、その様に、なれるかどうか、努力だけは怠けられないと思う。社会に生きるのだから、身につけておいて利しかないスキルだ。

  • 2023-5-27への応援コメント

     お久しぶりです。
     環境の変化とともに、王生さんの文体に少し変化が現れてきたように感じます。
     私個人の主観で表現するなら「毒」が出てきたように思います。
    「毒を吐く」の毒とは意味合い的に似て非なるものですが、自身を螺旋階段に見立て、それを頂上から俯瞰して見下ろすとグルグル回っているだけに見える感覚…とでも表現しましょうか。
     確実に高さは上がっているはずなのに、代わり映えしない心色に鬱蒼とした気分になっているのかなと思いました。

     実際は多忙のなかで変化は確かにありますよね。知ったような口振りは良くないですが、文面からだと何か引っ掛かるものがあるのです。
     それでも、現実で充実した日々を過ごしてくれているだけで私は安心できます。
     

    作者からの返信

    お久しぶりです、いつもお世話になっています。この書き出しはビジネス感が出てしっくり来ませんが、定型ではなく意味のみを受け取って頂きたいです。私は日記を夜につけることにしています。理由は、出来事が起こった瞬間は自分を主観でしか見れませんが、夜振り返ると、私を客観視できるからです。今回のことも結局下に見られるのが嫌だったのに、会話のあるなしという自分だけの線引きで見下したことを悪く思いました。そういう点で自己ではなく、他者にも向いた刃が毒として映るのかもしれません。数ヶ月後、この毒の真意を掴める気がします。短い目で見すぎですから、そんな言葉しか出てきません。何か引っかかるのは私自身も同じです。時が経って、普通は成長をするはずなのに、卑屈さに磨きがかかって、人間的に退化をしている気分です。これをスランプと言えるほど出来た人間ではありませんが、更なる成長の前兆であることを切に願います。表面上だけでも取り繕えたら、人間が拙い私も変われるのでしょうか。最も卑屈さは人間の真髄である気もしますが、分かりかねます。私はどうしたら良いのかという念に駆られて、なにか、なんでもいいから、行動に移したい時があります。今はそれです。何をしたらいいのですかね。結局行動には移せずじまいです。過去はこうではなかったと栄光とも言えない、過去の普通に縋るばかりです。ああ、本当に嫌になります。勿論、これは櫻井さんのコメントを読んだ故ではないので気分を害さないで頂きたいです。

    編集済
  • 2023-5-2への応援コメント

     王生さんは自身でバイトをして稼いだお金だからよりそう思いますよね。
     これが親からもらったお小遣いだったら話は変わりますが、自分で稼いだお金というのは、自分の生涯生命力の一部を働く時間に充てて、その対価にお金を貰っているわけですね。
     ということは王生さんの命の一部を彼に与えているわけです。
     そう考えると、物乞いにお金を恵む行為に対しても少し考えが変わるかもしれません。
     逆説的に、誰かに奢ってもらう時は「これは彼(彼女)の命をもらう行為なのだけれど、その対価を返すことができるだろうか」と考えねばなりませんね。

    作者からの返信

    バイト程度と思っていましたが少なからず労力もかかるわけで、生命力を削るという表現も納得しました。私は遅刻したのに、かるい謝罪で済ませる方が得意ではありません。遅刻することは仕方ないのですが、人の時間、有限な人生の貴重な時間を奪っておいて申し訳なさそうにしないことに腹が立ちます。金銭に関しても、本当にお金が無く借りることは仕方ない、でも生命力を借りておいて、対価もなしか?と置き換えられるかもしれません。言い得て妙ですね。良い考えだと思いました。ありがとうございます。

  • 2023-4-29への応援コメント

    たぶん充実してるんだろうなと思い、日記が更新されないことを特に気にかけていませんでした。
    その数日前の二~三日はなんだか、内容というより言葉選びに霞を感じました。
    まあ人間いつも一定じゃないですから、そんな細けぇことは気にすんなって感じですかね。

    作者からの返信

    日記自体はかいていたのですが、投稿することを忘れて寝てしまっていました。何かを続けることはやはり難しいですね。霞の意味、私と櫻井さんで違った認識を持っているかも知れませんが、そうですね。読んでいる小説に影響を受けているかもしれません。私としては素のつもりですがそこまで侵されているやもしれません。侵すというと悪いもののように映るかも知れませんが、ポジティブに考えたいものです。

  • 2023-4-17への応援コメント

    面白い考察ですね。
    私が中学生のころ、後に大阪大学や京都大学へ進学した親しい友人が、当時学年最下位辺りの成績だった私に「『賢い』のと『頭が良い』のは違う」と言ってたことを思い出しました。
     当時私が友人と呼べる人は三人ほどしかおらず、成績トップクラスの友人と勉強の話はできませんでしたが、少し掘り下げるような話になると立場が逆転していました。
    ただ、私の成績が急上昇したのはその友人から読書を勧められたことがキッカケだったのは間違いないです。同時にチェスを始めたのも大きかったですね。
    高校はトップで卒業しましたが、やはり読書が楽しかった記憶はあります。
    ユーモアに関しては…どうでしょう(笑)
    人生経験と会話の場数でしょうか、これは私にもわかりません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。勉強が出来ない人とバカは違いますものね。読書はやはり色々な考えの表現の仕方に直に触れられるので思考が煮詰まってきますよね。チェスも論理的思考が必要なゲームなので頭がよくなるかもしれません。結局高校は私もかなり上位でしたが、受験をがんばらなかった私でも行けた高校での話です。

  • 2023-4-14への応援コメント

    良い時間を過ごしましたね。

    作者からの返信

    ありがとうございます、心地よかったですすごく。何気ない時間でもあり、特別な時間でもありました。確実に私の人生の色を増やしてくれたと思います。今回増えた色は一生残ると良いですね。

  • 2023-4-12への応援コメント

     ふふっと笑ってしまいました。
     ひねくれ(を)純度100(%)で受け止めて、という件にです。

     私はその「捻くれ者」という解釈について、少し違う認識を持っています。
     通常解釈では「ひねくれ者は素直でなく、 性格が歪んでいる人のことを指します」とあります。ははあ、なるほど。

     素直な人というのは例えば突然殴られたとして「驚いたり」「怒ったり」「泣いたり」、普通の反応をする人です。
     ひねくれ者だと「殴ってくれてありがとう!!」等と感動して謝辞すら述べる人なのでしょうか。
     流石に殴られて悦んでしまうのは変わった性癖の現れなので例文としては相応しくなかったですが、ともあれ通常の反応や解釈をしない人でしょう。

     これらの事象を私の解釈で述べるなら、
    「人と違う反応がしたい人」と捉えます。
    言い方を変えると「目立ちたがり」ともいえます。
     少なからずマイノリティを好む人間がいて、個性が尖る自分が好きで、潜在的にマイノリティな自分に陶酔していることがあります。ちなみに私もこのタイプです。

     そこから導きだされる解は、ひねくれ者、変り者と括られる人種というのは「自分を『こう見られたい』という欲求に忠実で、それを言葉にできる素直な人」ということになります。性格が歪んでいるという解釈がそもそも間違ってるよ、というのが私の見解です。

     私が本当に「変わっているな」と思う人種というのは稀代の発明家や研究家、アーティスティックな傾向の人、何かに没頭していて自分と他者を比べず、比べることすらせず、無自覚な人を指します。
    天才と言わしめる人は大体この辺の人種かなとも思っています。

     私が生徒で教師に「独特の雰囲気がある生徒ですね」と言われようものなら「それってあなたの感想ですよね?」と言ってしまいそうですね。

     

    作者からの返信

    マイノリティを好む心は多くの人にあると思います。それを行動に移せる人が少ないからそれでもマイノリティなのですが。私はマイノリティになろう。とは思いませんが、その考えが普通だとも分かっています。マイノリティになろうとしても、マジョリティであり、ならないと決めてもマジョリティです。結果、そんな考え無しにマイノリティである方を天才と呼ぶのでしょう。ひねくれ者をそれとを一括りにはできません。全て天才への憧れです。私が敬愛する音楽家の方が、変わり者だと思われたくて、パジャマで東京藝術大学に通っていた。と仰っていました。東京藝術大学、言わずと知れた天才のみが入学できる大学です。そんな方も変わり者を目指すのですからそういうことと終わらせる他ない事実です。それってあなたの感想ですよね?なんて言った日には特待生の諸々の特権を奪われてたかもしれないです、それは困るので四回生になったら言ってやります。


  • 編集済

    2923-4-8への応援コメント

    友達と異性との違い。
    説明するのが非常に難しいようで、結構簡単かもしれません。
    「自分が踏み込まない理由」を考えるのではなく「相手が貴方を異性としてみられた時に断る理由」を考えたほうが結論は出るかと思います。

    おおよその人類は、異性=性行為に直結しますし、それは生物学的にも正しい認識であると思います。

    自慢話のように聞こえたら申し訳ないのですが、私の経験人数は300人ほどです。
    倫理観の壊れた時期に一気に加算されたものですが、私がそこで得たものというのは、肉体関係をいくら持ったところで自分の心を埋めることはできない。ということでした。
    そして、女性に依存することで自分という存在を認めて欲しいという欲求と、存在意義を確認していたのだと悟りました。

    男女の関係の中で、深層的に何を求めているか。

    おそらく王生さんがそのご友人に求めているのは、心の安寧です。
    共に分かち合いたい、共に同じ時間を共有していたい。それが今現在、その瞬間の存在意義なんでしょう。

    たぶん貴方であれば、性行為に及んだとしてもお酒と同じく「こんなものか」と思うはずです。
    念のため、賢者タイムとは別物です。
    そして善悪の判断と同じく、その異性に対しての罪悪感や、自分に対する嫌悪感、どこで繋がっていたかったのかという再確認することになるでしょう。
    これは経験しなければ本当の意味で理解はてきませんし、語ることはできません。

    余談ですが、私個人としては異性との性行為の中で心地よい瞬間があって、それは相手が素になる時に心が行き交い優しくなれる感覚が得られるからです。
    一方通行でない、人の本質的な柔らかい部分に触れ合うというのは良いものです。
    それをある種の手法として使う場合は、相手を見抜くために事に及ぶこともあります。性行為は人間の本質が最も出やすいからです。例えば結婚相手を決める時に、等もそういう杓子は必要かなとも思います。

    これらを経験則として持っていれば、風俗やキャバクラなどのクソみたいなものに散財することはなくなります。
    そして自分を内外共に着飾ることもなくなります。
    逆説的にそういったものにハマっている人間は、つまりそういうことなのです。

    「愛」とは、ひとくちに語ろうとはできないですよね。
    プラトニックな関係性を構築できるようになるのは、数多の不純を越えた先にあります。

    何事も多面的な知識や見解、総合的な経験則から弾き出された「心」のベクトルや長さで、判断基準が決まります。
    それが成熟された魂という存在です。


    人生でこの話を他人にしたのは初めてです。
    長々と失礼しました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。立場はいつだって無意識下だと私が中心に立っている。という認識になってしまいます。私としては彼女、つまり件の友達が私を異性として見ることが想像できませんので、なんとも言えません。しかしそれが答えですかね。そこを見極めるには私には性行為の数などではなく、単純に人生経験が足りません。私は性行為に限定した経験でしたら、まだ全員を覚えていられる人数と言いましょうか。誰でもいいという思考にはなっていない証拠だとするなら一生彼女たちを忘れたくないものです。性行為についてですが、櫻井さんの想像通り、こんなものか。という感想でした。私の中で期待値が高まりすぎていた故ですかね。しかし、こんなもの。が好きな私も居ます。理由は私にもよく分かりませんが、性行為を人の本質が最も出る瞬間だとするなら、私は欲求に忠実なのかも知れません。凡人な私にとって人の人生はどれも変わっていて、輝いて見えます。だから小説や映画、美術や音楽といったものが好きなのですが、性行為も似ているのかも知れませんね。このように真面目に思考することを、無意識的に避けていたかもしれません。性行為で人の人生を感じたことはありませんが、どこかで懐かしさを覚えたのはそのせいでしょうか。風俗やキャバクラは、マスターベーションと同じかと考えます。美味しいご飯を食べる。そのためにお金を使う。と同じ感覚ですね。私は自炊をしますが、外食は好きです。この言い方だと風俗やキャバクラが好きなんだと誤解されるかもしれませんが、経験がないので誤解と断定もできません。愛を語るにも私には経験が足りな過ぎます。今の経験で語るなら、相性の運としか言えません。これでは多くの経験を経て一つ信念を持つ櫻井さん含めた多くの方を不快にさせる気がします。ですのでいつか人生経験を深めたら、また語り合いたいです。


  • 編集済

    2023-4-7への応援コメント

    存知の通り、自動車による当て逃げは立派な重罪であることは言うまでもなく(状況から察するに、横断歩道を通過しようとした自転車が右折時の自動車に巻き込まれたのかな?)しかしながら自転車も軽車両であり、イヤホン装着での走行は道路交通法第70条によって愛知県でも罰則があります(五万円以下の罰金等)

    過去の判例でも、自転車を運転している者がイヤホン装着をしていたことによる過失事故により、書類送検や実刑が出たこともあるため、その辺の意識は高めておいたほうが良さそうです。

    今回はイヤホンをしてようがしていまいが自動車側のBBAは巻き込み事故を起こしていたと思いますが、それはおいといて、何より無事で本当によかった。

    まだお会いしたこともない間柄ですが、私はあなたという存在を気に掛けている地球上の一人です。その人が不慮の事故やあらゆる不幸に見舞われるのはとても悲しいことです。どうかご安全に。

    作者からの返信

    イヤホンの着用はクラクションが聞こえたら良いものかと思っていました。教えて頂き感謝します。会ったことがない、あくまで私の考えですが、現実世界は窮屈です。たまたま産まれた土地、産まれた環境、産まれた時期が近いと言うだけで教室にまとめられ均一化された教育の元仲良くする、だなんて馬鹿げています。会ったことがないからこそ、自由な出会いができます。私と櫻井さんは先程あげた生まれの共通は無い訳ですから。遠回りをした言い方になりましたが、本当に価値観が合うという意味では会ったことがないからこそ私も貴方を気にかけています。とりあえずは安静にしていますので、想像する不幸よりは意外にも幸によっている現状です。心配されるだけでまた幸に近づきました。コメント返信という形ですが感謝をしていることを誤解なくお伝えしたいです。ありがとうございます。


  • 編集済

    2022-12-21への応援コメント

     別の方のコメントを見つけて「どんなことを書いてるのかな?」と読みました。
    まあひどいもんです。
     絵に描いたような「価値観の押し付け」ですね。

     コミュ力は確かに大切なスキルですが、カネを稼ぎ、生きていくだけならコミュ力は必要ありません。
    株のトレーダーや学者なんかもそうです。
    知識力>コミュ力ということです。
    よってコミュ力が一番大事ではないという証明になります。

    ちなみに私が思うのは、
    学生が言うコミュ力は同質な中でのこと。
    社会が求めるコミュ力は異質な中でのこと。です。

    年齢を重ねると、自分の生きてきた経験則が絶対の正義のように勘違いする老害が増えてきて困ります。

    常に思考は柔軟に、物事には二極化する真逆の思考をもって練り合わせ、この中で篩にかけて出てきたものを我が物とするべきではないでしょうか。

    【愛もコミュニケーションのひとつ】と定義付けると、愛は単位では表せず、目に見えない内面の感情を文字や言葉に置き換えただけで、コミュ力が【高いor低い】という言葉が存在するということは、愛にも高低差があり数値化できるものかと疑問に思えます。
    よって、愛もコミュニケーション(能力)と同義に扱われるものではないという証明になります。
    難しく考えず、端的に言えば『好きの積み重ねが愛』かなと個人的には思います。

    単一化された一方通行な思考では、コミュニケーション能力が高いとは言えませんね。

    追記:一晩明けて、自身で書き殴ったものを冷静に読みました。8割本音で2割は言いがかりみたいなものです、すみません。
    立場上、返答に困るようなことを書いてしまい申し訳ないです。
    しかし一度発したものは取り消せないので私としてはこのままにしておきますが、削除も可能ですので判断はお任せします。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私個人としては色々な価値観が知れて楽しいコメントでした。勿論合わない価値観を押し付けられ続けるのは迷惑ですが、一度提示して頂くくらいは気にしないです。コミ力が一番とは私も考えませんが幾つかの要素で楽しいを形成できると思います。その要素の一つがコミ力である、くらいには大切だと思います。結局人の人生の数だけ一番があると思うので一概に断定することは困難ですね。愛は、そうですね。確実にコミュニケーションでは無いと思います。私にとっては好きの伝え方にコミュニケーションを使用して、愛を形成するというイメージですね。会話はキャッチボールとは言い得て妙です。一方通行では壁と話すのと変わりません。それは言語化、または思考の数の話でしょう。一方通行の思考はコミュニケーションとはズレている、全くの同意見です。ダラダラと書きましたが、別コメントの方の思考、櫻井さんの思考、そして私の思考。練り合わせた結果の今の私の思考です。上記したものも価値観の押しつけ感が出てしまいました。不快でしたら申し訳ないです。

    追記についてですが、恥ずかしながら私も次の日に昨日を振り返り反省するという似たような経験があります。私としては櫻井さんのこのコメントも大切な他者の意見ですので残させて頂きたいです。返答には今のところ、ただ私の思うことを本音で書くだけなので困ることはないです。もし櫻井さんの気持ち的に削除をご希望でしたらいつでもコメントをして頂ければ、私としては寂しさも残りますが削除致しますのでそこまで気にしないで頂きたいです。

  • 2023-3-31への応援コメント

    王生さんに出会ってから、私はとても楽しくなっています。
    妻にも誤解のないように「最近交流してる男子高校生がいるんだよね」と話して「(人に興味を示さないあなたが)珍しいね」と言われるほどです。興味を引く人間がおらんのじゃいバカタレ。

    失礼ながら本音で書くと「こいつと中学、高校と過ごせたら親友になっていたに違いない」とニヤニヤしている自分がいます。
    人生のなか、必ずといっていいほど自分と似た感性の人間と出会うもので、しかしそう言われると「俺とお前は違う、お前は俺の何を知っているのか」とも思われ、いやまあ確かにそうやけども。とフラれた気分になって笑ってしまう自分もいます。

    隙あらば自分語りになってしまいますが、学生時代は私も同じような感覚でした。
    何せ周りと話が合わない。が、自分は周りと合わせる人間だったので「櫻井ってアホの子」と思われているままだと思います。
    昨日「40歳で同窓会をしたら自分はどう振る舞うべきだろうか?」と考えていました。
    『ありのままの姿見せるのよ』というのはディズニーのおとぎ話であって、表面上でしか付き合ってない連中と対話をしたもんなら完封してしまうのが目に見えている…うむ、どうしたもんか。
    そもそも何のために行くのか、つまらん行かんでいいな。よし、そうしよう。と結論に至りました。

    脱線してしまいましたが、クラスや学校というのは単位的な括りであって、この先の日本社会や世界というのは天文学的数値の出会いや可能性があります。
    しかし、私はよく『神の視点』という俯瞰方法を取りますが、自分の変化も他人の変化も宇宙視点からすれば、取るに足らないミクロなものです。人間が素粒子のことを気にかけないのと同じですね。
    結論としては「気にしない」ことかなと思います。自分より気付きの少ない他者にいくら想いを馳せたところで、穿った思想も得られず、僅かばかりの哀れみくらいしか浮かばないからです。

    前述に「親友になっていたに違いない」とオジサンは書きましたが、似た感性や思想の持ち主は時として毒となります。
    大きな違いとして、その人が「精神的成長を望んでいるか」若しくは「ある壁を越えたか」「その得た知識を他者へ分け与えることができるか」ということです。
    いくら感性が高くても、それに溺れる者は腐っていくので注意が必要かなと思います。長々と失礼しました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私の書く文章を通じて楽しいと思って頂くだけで私には十分すぎます。元々誰にも見せず書き続けた日記でしたが、カクヨムに投稿してみたのも意味があったのかもしれません。猫を被るという表現が正しいかは分かりませんが、本心にいくつも膜をはって、会話をすることは多々ありますね。全員が出来ることではないですが、多分半数以上の人は、人を気遣いしている行為です。その膜の多さが櫻井さんだと多いのかと存じます。これはあくまで私の経験からくる意見ですが、気を使った結果、アホの子というレッテルを貼られることが、気を使っている自分からしたら望んでいたことのようで、でも本心だとそうでなくて。よく分からない気持ちになります。本心で語り、誰かを完封することは簡単です。ただ相手と違う思想を、つまり持論を展開すればそれで終わりですから。ただそれでは本心を傷つけられているようで私は膜を貼ります。私は私の自己評価が日本人の平均値あたりと定めています。故に自分より気づきが少ない人には哀れみを感じざるをえません。そう思う自分は嫌いですが、嫌いな部分も確かに自分なので上手く付き合います。それと同様に哀れみを抱く相手とも櫻井さんが仰った、気にしない、など上手く折り合いを付けて付き合えたら良いとも思います。櫻井さんとは親友になれるかと聞かれたら、年の差など関係ないかと思います。実際に文章だけでは推測の域は出ませんが、その上での結論が年の差など関係ない。です。似た思想が毒となることも分かります。私は自分を毒として感じることの方が多いですから、同じ思想でもそうなのです。常に新しい何かに触れ合って感性をこれからも作り上げていきたいと思います。人間は不安定な状態が最も美しいですから。もしかしたらサクラダファミリアに言語化不能だった美を感じたのも似た理由ですかね。


  • 編集済

    2023-3-30への応援コメント

    桜は良いですね。
    自分のペンネームに『櫻』の文字を入れているくらいですから、私も好きです。
    新海誠さんの「秒速5センチメートル」という作品はご覧になったことはありますか?
    詳細は割愛させていただきますが、まるで桜の美しさと儚さを物語にしたような、最後には別々の道を歩んでいく男女の物語です。
    私は人生のある期間だけ、男としての倫理観が壊れた時期がありました。
    代わる代わる女性に依存した期間です。
    それを当時の稚拙な私は「モテ期到来」とばかりに楽しんでいたわけですが、結局のところ、人を深く愛せない営みというものは虚無以外の何ものでもなかったと気付きました。
    ある側面では、男性は女性によって精神的に成長をするものであると、そういった精神的境地に立ちましたが、何も悟らずただ数だけ増やせば年齢と人格の伴わないクズに成り下がるなとも思いました。
    心に穴の開いた人間、男は特に無意識化で母性を求めます。
    貴方ほどの達観した考えのある人なら、自分の成長材料に女性を利用しているのではないか、そんな自分に嫌気が差すとお考えになるでしょうが、それでもそういった機会に恵まれ出会いがあれば、自然の摂理に従い、事に及ばぬとも交流をしても良いかと思います。
    自分の行動範囲でしか出会い(異性に限らず)がないのは、人も植物も同じかなと私は思いました。
    ごめんなさい、少し講釈を垂れてしまっているようで書きながらピアスの話のように罪悪感があります。考えの一つとして捉えて頂ければなと思います。

    作者からの返信

    秒速5センチメートル、は新海誠作品で唯一小説で読んだ作品です。映画は見れてないのですが、やはり映像美が面白さの根底にあるのでしょうか。桜の映画と言えば、邦画のイメージが強いですね。植生に由来するか、もしくは日本人独特の感性なのかもしれませんね。最近だと、君の膵臓をたべたい、世の中にたえて桜のなかりせば、余命10年、なども個人的に桜が印象的だった映画です。どの作品にも共通しますが桜は感動に根強く結びついている気がします。それだけ人の心を揺さぶるのに効果的なのでしょう。櫻井さんが桜を良いと言うのも私としては深く同意できます。モテ期という言葉は便利ですね。自分の行動次第でモテるモテないなど些末な問題だったと分かるのに。しかし恥ずかしながら私もモテ期に執着してその期間を引き延ばそうと尽力していた時期がありました。今思うと私を形作っている大切な経験です。今現在は落ち着いて、言葉を借りるなら、行動範囲での出会いのみで間に合っています。正しく女の子というものにばかり優先順位の1番を与えていた自分に理由はどうあれ嫌気が差したからです。講釈と思われているかもしれませんが、新鮮な面白いお話です。私の考えに近いことを話す人も少なく、馴染み深いのに新鮮という一見矛盾しているような気持ちです。最後になりましたが、いつもコメントありがとうございます。

  • 2023-3-27への応援コメント

    善悪に上下という格差を付けるなら、善が上で悪が下なんでしょう。
    善い行いは、悪行を行ったことのない人間には実に薄っぺらいものです。
    命の取り扱いと同じです。

    そもそも善悪とは、人間社会においてのルールであって、動植物には適用されませんよね。
    私の個人的主観だと、悪を行い善を知る。というのが基本的な考え方です。
    だからといって「真っ先に人を殺せ!」という話ではなくて、タバコや酒なんかも、まずどういうものか知らないと、善悪の判断基準が自身で確立できない、と思っているからです。

    命に関わることや大ケガをする、又は他人に危害が及ぶことは一旦考えて動くべきですが、自己完結できる悪さは多少必要です。
    ちなみに私は「やるなら善悪どちらも振り切ってやれ」というタイプで、大体の同世代保護者からは敬遠されます(笑)

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。この文章を全て浴びるには私の身は小さすぎるようです。櫻井さんの伝えたいことを理解しきれていない気がしますが、そんな私の考えをだらだらと失礼します。善悪の基準を持つために悪行も理解するべきということは分かりました。あ、確かに。と率直に感じました。やわな価値基準では悪と定義するのも、世間を引き合いに出すしかないですし、同意します。ただこれを私が私を正当化するために振りかざすことは悪と考えます。理由は何があっても世間がNOと言えば集団の中ではNOなんだと思うからです。結局やわな所に落ち着く考えで分かった気になって、櫻井さんの言葉を復唱しただけな気もしますが、つまりは櫻井さんの物の捉え方というか、思考はユニークだと感じました。同世代保護者との関わりも重要ですが、私はそれに揉まれて、櫻井さん独自の頭の中を薄めて欲しくないです。余計なお世話でしたら申し訳ないです。兎に角私には欠けていた意見をありがとうございました。

  • 2023-3-14への応援コメント

    私は短絡的なところがあるので「リップピアス反対!」と脊髄反射で答えてしまいそうになる。
    ただ一拍置くと「ダメな理由はなんぞ?」と自問自答して考えてしまった。
    詰まる所、開けた人に私が質問して「何故開けたいのか?」という理由を明確に説明できない場合、そのピアスに込められた想いが感じられずに「ただの飾りか、やめてしまえ」と言ってしまう。

    私個人の意見ですが、高いクルマや腕時計、ブランド物などとピアスは同様のもののように思えるのです。
    世界に自分一人しか存在しなくても、どうしてもそれをやりたいのか?と、それでも「Yes」と答えられるならやれば良いと思います。
    誰のために、何のためにその選択をするのか。
    20年後の自分ならなんと言うか、そんな風に考えると案外悩まなくなるかもしれません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。
    私は生まれてから自分のためだけに何かをしたことは、せいぜい小学校低学年が最後だったかと思います。例えば、垢抜けを頑張ったのも、異性にモテたい。という自分のためであり、他人の目を気にしたものでもありました。リップピアスも同様です。そんなことは経験できないので容易に想像できませんが、もし世界に私一人しかいないのなら自殺にのみYESと答える気がします。それだけ私は他者に依存して、自分受けが良ければいいなどと思い込むために口から言葉として出す程度でしょう。
    私は自分を飾っています。ギターだって油絵だって、この日記だって。先人への憧れから始めました。それは自分の中身を先人に重ねて少しでも煌びやかであると思いたかったからです。
    少し容量を得ない話になりましたが、詰まるところは全て自身の正当化です。20年後の自分は今の自分も認めた上で自己を肯定できていると良いと思います。なんて言うでしょうね。今の私に、そんな人間は。

  • 2023-3-10への応援コメント

     モネの池で「こんなものか」と思ったのであれば、白川郷も同じように感じるかもしれませんね。
     私もインスタなどの雪積もる美しい合掌造りを胸に現地へ行きました。

     しかし現代文明品が多く散見され、とてつもなく現実に引き戻されてガッカリしてしまいました。
     これは自分の空想的期待値が異常に高かったため、合掌造り自体は素晴らしかったものの、集落としての生活、営みにまで考えを巡らせてなかった結果だと思い知らされました。
     ただひとつだけ「美しいな」と思えたのは、白川郷を高所から見渡した時です。

    「美しいものを美しいと思える、あなたの心が美しい」
     気分が滅入ったとき、自分の心が腐ってると思った時、こうやって「美しいと思えるもの」をみて、自分がどう感じるかで自分を知る方法を使っています。

    作者からの返信

    白川郷は6年前家族で行きまして、私が旅行を好きになったきっかけの場所でもあるんですよね。
    現代文明品見ると、すこしブルーな気持ちになりますよね。故にいつか国外に行ける財力を身につけたら現代文明品のなさそうなマチュピチュやイースター島、エジプトなどに行きたいです。
    美しいものをどう捉えるかで自分の心も推し量れる方法、大変共感します。白川郷を見れば私は6年前から多くのことを学び心が進化(もしくは退化)したと実感できると思います。近い未来にそんなことも日記を通して櫻井さん含め多くの方に共有できるといいと考えます。
    最後になりましたが、コメントありがとうございます。大変励みになりました。

  • 2023-1-29への応援コメント

     二日間の日記を見てコメントを書こうと思いました。
     社会的通念として「失敗したことを挽回する」という一通りのことを、手順通り+αをつけて行っていて、それに対して外から評価するならば合格ライン以上だと思います。
     その過程の中で、一つ一つの行動に対する自身の想いというのを客観的にみて、利己的であるとか自分本位だと過小評価してしまうのは、些か過度な解釈ではないかなとも思いました。
     全ての事柄を内外正直に正すことは誰にもできません。相手の求める誠実さと自分が与える誠実さが合致する保証がないからです。
     誠実さとは、清廉潔白なことを指すのではなく、誠実でありたいと思うその心のベクトルの長さにあると思います。
    ベクトルが長ければ長いほど、相手の求める【誠実】という数が、より感じ取られやすくなります。
     私は王生さんの日記を読ませて頂いて、その考え方にとても好感が持てました。
     私が高校生の時、そこまで色んな事柄について深く掘り下げ考えていたとは思えません。文字に書き起こすという考えに至らなかったからです。
     私のこのコメントも、良かれと思い書いているものですが、王生さんにとっては不快な物言いに見えるかもしれません。そうであったなら、そうですね…LINEギフトでも送りましょう。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。誠実性の合致など考えておらずただ、形式的に、自分のためにと思ってしまっていたことがまた恥ずかしくなりました。櫻井さんの真意はそこではないことは分かりましたが、そう思ってしまいました。考え方に好感というのは嬉しい言葉です。自分では捻くれていて、関わりづらい性格だと思っていますから。
    不快な物言いだなんてとんでもないです。とても嬉しかったです。が、LINEギフトはいただきますね。

  • 2022-12-21への応援コメント

    森緒 源です。
    ここまで拝読しました。

    私はもはやけっこう年配なので、現在の視点で言えば、人生を送る上で何が難しいって、長さが分からないことですよ。

    それこそ事故死もそうだし、若くして終わるのか、あるいは百歳まで続くのか?…

    だから予定が立たないのね。

    それじゃあ何も考えずに生きていりゃあ確かに死なない限り明日は来る訳だし、…いやしかし終わりは必ず来るんだから若い時に目的を持って悔いのないように頑張らなきゃ!…とかいろいろな考えがぐるぐるしたり。

    ただ、私が思うに、あんまり無理やり生きる意味とか目的とか必死に考えてもがくのは結果からすると良くない気がしますね。

    それよりも、若い時は人とのコミュニケーション技術を身に付けることを考えた方が良いと思います。

    これは単純にその後の損得に大きく関わることだからです。

    例えば、愛とか優しさなんてのも、コミュニケーションのひとつですからね。

    大人社会では、いろんなめんどくさいクセのある奴らがいる訳で、時にそいつらと相対し、時に仲間にして、時に味方にしないといけない場面が来る。

    学校で習った知識なんぞ役に立たないし、実際に世間で最も必要のあるものって、コミュニケーション技術なんですよ。

    これは自信を持って言えることです。

    大人になったら、人生は今までが全てですから、少なくとも人のヒンシュクを買うようなことはしない方が良いですね。

    例えば不治の病になって、余命宣告されたからといって、そこから必死に何か残そうなんてのは、正直くだらない考えですよ。

    不治の病になる前にやって来たことしか、他人は評価しないんです。

    とりあえずこのカクヨムに作品を残して、読者という味方を得られるように技術を磨くことから始めましょう。

    あなたのこの日記エッセイは、なかなか面白いと思います。

    では。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私よりも程々に年をとっている、つまり人生を重ねている人からの言葉はこと人生において説得力がありますね。コミュニケーション、頑張ってみます。自分を隠すべきかどうかは分かりませんがその場その場ですね。カクヨムではありのままの自分の感情を受け入れられるように、表現の幅を広げたいですね。最後になりましたが、とても丁寧に嬉しいお言葉ありがとうございました。