応援コメント

2023-4-12」への応援コメント

  •  ふふっと笑ってしまいました。
     ひねくれ(を)純度100(%)で受け止めて、という件にです。

     私はその「捻くれ者」という解釈について、少し違う認識を持っています。
     通常解釈では「ひねくれ者は素直でなく、 性格が歪んでいる人のことを指します」とあります。ははあ、なるほど。

     素直な人というのは例えば突然殴られたとして「驚いたり」「怒ったり」「泣いたり」、普通の反応をする人です。
     ひねくれ者だと「殴ってくれてありがとう!!」等と感動して謝辞すら述べる人なのでしょうか。
     流石に殴られて悦んでしまうのは変わった性癖の現れなので例文としては相応しくなかったですが、ともあれ通常の反応や解釈をしない人でしょう。

     これらの事象を私の解釈で述べるなら、
    「人と違う反応がしたい人」と捉えます。
    言い方を変えると「目立ちたがり」ともいえます。
     少なからずマイノリティを好む人間がいて、個性が尖る自分が好きで、潜在的にマイノリティな自分に陶酔していることがあります。ちなみに私もこのタイプです。

     そこから導きだされる解は、ひねくれ者、変り者と括られる人種というのは「自分を『こう見られたい』という欲求に忠実で、それを言葉にできる素直な人」ということになります。性格が歪んでいるという解釈がそもそも間違ってるよ、というのが私の見解です。

     私が本当に「変わっているな」と思う人種というのは稀代の発明家や研究家、アーティスティックな傾向の人、何かに没頭していて自分と他者を比べず、比べることすらせず、無自覚な人を指します。
    天才と言わしめる人は大体この辺の人種かなとも思っています。

     私が生徒で教師に「独特の雰囲気がある生徒ですね」と言われようものなら「それってあなたの感想ですよね?」と言ってしまいそうですね。

     

    作者からの返信

    マイノリティを好む心は多くの人にあると思います。それを行動に移せる人が少ないからそれでもマイノリティなのですが。私はマイノリティになろう。とは思いませんが、その考えが普通だとも分かっています。マイノリティになろうとしても、マジョリティであり、ならないと決めてもマジョリティです。結果、そんな考え無しにマイノリティである方を天才と呼ぶのでしょう。ひねくれ者をそれとを一括りにはできません。全て天才への憧れです。私が敬愛する音楽家の方が、変わり者だと思われたくて、パジャマで東京藝術大学に通っていた。と仰っていました。東京藝術大学、言わずと知れた天才のみが入学できる大学です。そんな方も変わり者を目指すのですからそういうことと終わらせる他ない事実です。それってあなたの感想ですよね?なんて言った日には特待生の諸々の特権を奪われてたかもしれないです、それは困るので四回生になったら言ってやります。