第二話『窓辺のイモリ:後編』


「異界へようこそ、『襖間 風花ふすまふうか』さん。」


 彼女の言葉が決定打となった。やはりここは異界だ。あの話を読んでから行きたいと思ってはいたが、実際に来てみるとぞっとする。

「あなたの記憶を変えてもいいけど……あなたはこっちに来ちゃいけない。ここに馴染ませてはいけないんだ。」

「あの話は本当だったの?『窓辺のイモリを追いかけると異界に辿り着く』って。」

「どうだか。この辺の話じゃないだろうし、証拠だって残ってない。でも、ここはあなたのいる世界じゃないよ。」

目の前の人物――『こころ アリナであろう存在』はくすっと笑った。


「ずっと見てたよ。あなたに渡したいものがあるんだ。」

「渡したい……もの?」

「そう。でも、それは異界にしかない。ここにしかないから、ここでの歩き方を教えるよ。」

……歩き方?首を傾げる私に、彼女は説明を始める。

「『ごうに入ってはごうに従え』。帰るまでに、ここの人に話しかけないで。今は大丈夫だけど、校舎の中ではよ。」

「……なんで?」

彼女は真剣な顔で「あなたが帰れなくなる」と言った。詳しくは聞けないが、とにかく無言でいることを心がけようと思った。彼女は校舎へ向かう。私もついていった。


―――――


 そこはいつもの学校に見えて、少し違っていた。リコーダーではない奇妙な音。ひそひそ話を続ける生徒。鬼の面を付けた担任らしき大人。

そして、音程の外れた鐘が鳴る。

「風花さん、返事をしないで聞いて。」

アリナが小声で話しかける。私は返事をしないように、ただ頷いた。彼女は私を廊下のはしに誘導する。

「黒い仮面が通ったら、わたしと一緒に手拍子をして。」

どうやって、と思った直後。かつん、かつんと何かが廊下を歩いてくる。それは下駄のような、でも杖をつく音にも聞こえた。いつの間にか生徒は、廊下の真ん中を開けて手拍子をした。

パン、パン、パンと一定の速度で手を叩く生徒達。私もそれとなく合わせて叩いていた。


 やがて、黒い仮面をつけた人物が廊下を歩いてきた。杖をついては一歩進み、ついては進むを繰り返すそれは、黒いローブを羽織はおって入口へと向かう。

しかし、誰かが小さくくしゃみをした。手拍子は鳴りやみ、全員がくしゃみをした生徒へ視線を向けていた。


「あ。」「くしゃみしたね。」

「してないっ!してないっ!」

 少女は必死に訴えるも、生徒は冷ややかな視線を向けることを止めない。

「したよね。」「嘘つき。」

「ごめんなさいっ!許してくださいっ!」

すると、黒い仮面が口を開いた。

「いいですよ、です。」


その合図を聞いた生徒は彼女を取り囲む。少女は逃げ場を無くし、泣いて懇願こんがんを続けていた。

「……風花さん。こっちだよ。」

アリナは私の手を握ると、少女の方へ向かう。私もそれについていくが、近づくにつれ悲鳴が大きくなるのが聞こえた。私たちは円の外側にいるから彼女の姿は見えなかった。しかし、手を叩くような音、ドンドンとぶつかるような音が鳴りやまなかった。「いたいっ!いたいっ!」確かにそう聞こえる。

「……風花さんは見ないで。大丈夫。今ね、自由時間だから、みんなやりたいことをやってるの。誰も邪魔しちゃいけないから、私たちもあっちへいこう。」

何が大丈夫なのか。少女は叩かれて、殴られて、泣きながら謝り続けているのに。それなのに、恐怖で体が動かない。声を上げたら、私も。そう思えて仕方なかった。階段を上がる間も、彼らは殴るのをやめなかった。何より恐ろしかったのは、それを感心するように傍観する仮面の人物であった。


―――――


 アリナについていくと、そこは図書室だった。本来ならば音楽室があるはずの部屋には、元居た世界とは少し違う色の本棚がずらりと並ぶ。アリナは机に置かれた一冊の本を私の方へ差し出す。

「あなたはこれを持っていて。絶対に無くさないでね。」

はい、と手渡された本を見ると、表紙は黒く塗りつぶされた児童書のようだった。何故こんなものを渡したかったのか。何故ずっと見ていたのか。


「じゃあ、帰ろうか」とドアを開けるアリナ。気を緩めてしまった私は、彼女に質問をしてしまった。

「アリナさん、なんでこの本を――」


 言い終わるより先に、アリナの顔色が悪くなっていた。すると、ドタドタと階段を駆け上がる音が廊下から聞こえる。

「逃げて!!!」

アリナはドアを押さえつける。やがて、ドンドンとドアが叩かれ始めた。

「どこから逃げるの?!」

「窓の外!急いで!!」

恐らく奴らだ。少女の次に、私を襲うつもりなのだろう。恐怖と混乱でどうにかなりそうだが、私は本を持ちベランダに出た。……ここは四階。落ちたら死んでしまうか、歩けなくなってしまう。

押さえつけたドアのガラスが砕ける。「早く!!」と急かすアリナ。辺りを見回すと――。


――防災用の滑り台!

私はぐに蓋を開け、その中へ入る。直後、アリナの悲鳴が聞こえた。


―――――


「痛っ……!」

 下駄箱の入り口。私は段差で転んでいた。膝を擦りむいたが、それ以外に痛いところはない。体を起こしたところで気がつく。今までの出来事は何だったのか、夢ではないはずだと。傍にはあの本が落ちていたのだから、現実に違いないと。

「……異界に、行ってたのかな。」

そうつぶやいた時、異界での記憶はラムネのようにシュワっと消えた。イモリはいなくなってしまったのだから、早く音楽室に戻ろう。

「――フーカ!おーい!」

頭上から声がする。図書室の窓から、アリナが顔を出し呼んでいた。

「イモリいたー?」

「ううん!いなかったー!」

戻っておいで、とアリナが手を振る。そうだ、もうすぐ昼休みも終わる。早く本を持っていこう。


―――――


「その本、どうするの?」

 あの後、本は落書きが酷く使い物にならないと言われた。それをなんとなくだが、私が貰う事になったのだ。

「このまま持ってるつもり。内容も興味深いし。」

「ふーん……どんな話なの?」

この本は所謂いわゆる、怖い話が集められた一冊だ。タイトルは――


「『新約しんやく:おばけの帰り道』!異界の話とかオススメだよ!」

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新約:おばけの帰り道 狐面 シノ @chibifox505

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