ウサギは寂しくても死なない

右中桂示

寂しいのはヒトだから

 雪原という男子は明るく社交的な中学生だった。そうあろうとする人物だった。

 今日も教室で友人達と話をする。漫画やゲームや部活など、他愛なくも学生らしい話題を楽しげに。

 そうであっても雪原は、常に他者を立て、揉めそうになれば間に入り、気遣いを忘れずに場を和ませる、そういう振る舞いをすべく努力していた。


 更に、そんな中でも教室を隅々まで見ていたから、気付いた。


 彼は天海という女子生徒を見る。

 彼女はいつも一人で本を読んでいるような大人しい女子で、今まさにトラブルに巻き込まれているのを見つけた。


「ちょっとごめん」


 友人との会話を中断し、離れる。天海の下へと足早に向かった。


 天海は自分の席の前に立っており、冷たい声を出していた。


「退いてくれる?」


 相手は派手な女子生徒達。天海がいない間に彼女の席に座り、隣の女子とお喋りをしていたようだ。

 二人は天海の要求を聞いても、退く代わりにクスクスと笑うばかりだった。


「ごめーん。でもほら、この席だと喋りやすいし」

「あ、この気持ち分かんないか。友達いないもんね」


 馬鹿にした態度で嘲笑う。悪意に満ちた発言も添えて。

 天海は黙って見下ろす。酷く軽蔑するような視線を向けて。

 本人達はともかく、他の教室内の人間にとっては居心地の悪い空気となってしまっていた。


 それを払拭しようと、雪原は慌てて声をかける。


「ちょっと。やめなよ」


 あくまで優しく注意する。下手に刺激しないように気を付けて、愛想良く仲裁を試みた。


「ほら。天海さんも困ってるし、今は退いてあげて」


 だが、雪原の努力は無駄に終わる。

 派手な二人は、天海が雪原に庇われた事が気に障ったのか、増々態度が悪くなってしまった。


「あたしら悪くないよね? 一人で寂しい天海さんの相手してあげたんだもん」

「ね? 寂しくて死んじゃうウサギに優しくしてあげただけだし」


 雪原は困り果てた。彼の言葉では、届かない。

 苦しい。

 助けたいのに、その方法が見つからなかったから。


 だが天海の方は助けを求めておらず、何処までも冷ややかに言い返す。


「ご心配なく。私は一人でも平気。寂しくても死なないの」


 そして鋭く突き刺すように、言い放つ。


「あなた達と違って」


 それは手痛い反撃だった。

 お前らこそ一人でいるのが寂しくて耐えられないから二人でいるんだろ、と。

 これが効いた。

 二人は顔を歪めて立ち上がる。掴みかからん勢いで天海に迫った。


 しかし、二人よりも先に。



 ガシャアン!

 人が変わったような顔で、雪原が天海の机を乱暴に床へ倒したのだった。


「きゃああ!」


 誰か、天海以外の女子の声がした。

 騒然となる教室。

 集まる視線。恐れの表情。


 我に返った時には遅い。

 雪原は何かが壊れる音を聞いた。






 雪原の行動は問題になった。

 停学や謹慎とまではいかなかったが、教師からは厳しい叱責を受けた。その上同級生には腫れ物を触るような扱いを受けたし、学校中に悪い噂が広まってしまった。


 その後。

 雪原は自宅で自己嫌悪に陥っていた。

 かれこれ数時間、ベッドにうつ伏せになり、ひたすらに自分を責めていた。


「なんであんな事を……」


 重い溜め息が漏れる。

 後悔、罪悪感、後ろ暗い感情で押し潰れてしまいそうだった。


 なんで、と呟いたが、実のところは理解している。

 今、実感している。


 一人では寂しいと死ぬ。

 それは、常日頃から薄々感じていた事だったからだ。


 だから気を遣って、努力して、他人を繋ぎ止めようと努力していたのだ。

 一人の現状はこんなにも辛く、苦しい。

 寂しい。寂しい。寂しい。

 それが耐えられない。

 他人に頼り、すがらなければ生きていけない。

 それを糾弾されたようで、瞬間的に我を忘れてしまったのだ。


 雪原自身もこんな自分が嫌だった。


 変えたいと思っていた。

 変わりたいと思っていた。

 しかし、やはり駄目だった。


 深く思い知らされた。

 自分は、弱い。

 ウサギより弱い。

 だから努力も無駄になった。

 自嘲は止まらず、真っ暗な闇に沈みゆくよう。一人では引き上げてくれる者もいない。

 このままでは、本当に──



 と、そんな折に。

 チャイムが鳴った。

 自宅には一人しかいないので、仕方なく玄関に向かう。

 心情に対して軽い足取りなのは、やはり相手を待たせてはいけないという他人への配慮が染み付いているからだろう。更に胸の内が重くなる。


 友人が心配して来てくれたのかもしれない。

 と考えもしたが、スマホに連絡すらないのだからそんな事はないと自己否定。問題児として見放されているだろう。

 そんなネガティブ思考も嫌になる。


 鬱々とした気分で玄関に到着。

 果たしてドアを開ければ、そこにいたのは。


「天海さん? なんで……」

「雪原君に謝りたくて」


 驚きに固まる雪原。ぽかんと口を開けたまたで動けない。

 一方で天海は丁寧に頭を下げてきた。


「ごめんなさい。イライラしてたとはいえ、あれはあまりに考えなしな発言だった」

「あ、いや……」


 雪原は困惑してしまう。

 悪いのは自分なのだ。謝罪すべきなのも、自分の方だ。

 だから素直に頭を下げ返した。


「おれこそ、ごめん。うん。天海さんが羨ましかったんだ」


 自嘲する。

 もう同じ失態はしない。したくないから、素直に本心を告げる。


「おれは一人じゃ寂しい。確かに一人じゃ死ぬ。死んでもおかしくないんだ」


 うつむいたまま、重苦しく語る。

 初めて他人に己の心情を吐露する。


「だから、強い天海さんが羨ましい。おれは努力しても強くなれない。その嫉妬をぶつけたんだ」

「それは強い弱いって話じゃないでしょ」


 淡々と返された言葉に雪原は息を呑み、ゆっくりと顔を上げる。

 目の合った天海は、表情をピクリとも変えずに続けた。


「一人で生きていける人がいれば、一人で生きていけない人もいる。ただの体質みたいな問題。例えるなら、サメは陸地じゃ生きられないし、トラは海で生きられない。それは強さの問題じゃなくて、努力じゃ変えられない。そんな感じでしょ」


 独特な例え話に意外性を感じつつも、内容に雪原は納得する。

 それは、雪原と天海、どちらの生き方も認めるものだった。


「……そっか。いくら鍛えても無理って事か」

「そうね。でも、それは当たり前。絶望するような事じゃない」


 寂しさへの耐性は決して鍛えられない。

 諦念が雪原の胸に満ちる。

 だがそれは確かに絶望に値しない、むしろ心地良い諦めであった。

 晴れやかにすらなった顔で、疑問をぶつける。


「なんで、ここまで親身になってくれたの?」


 ここまでの饒舌振り。

 いつも一人でいて、一人でも平気な天海には、似つかわしくないと感じていた。

 この問いで、天海に初めて感情が見えた。わずかに目を伏せて、静かに答える。


「一人だと生きられない人の事は、よく知ってるから」


 ああ。

 と、雪原はこの天海の切なげな一言で納得した。

 きっと、家族か誰か、近しい人間が、孤独に耐えられなかったのだ。

 それだけの重い実感が伴っていたから。



 天海は帰っていった。

 一人残された雪原は、そのまま玄関に立ち尽くしていた。

 言葉を噛み締め、考えている。


「……俺は、寂しがり屋から変われない。なら」


 悩んだ結果、雪原は開き直る事にした。






 夜。深夜と言っても差し支えない、冷え冷えとした時間帯。

 雪原はリビングである人物を待ち構えていた。


「おかえり、父さん」


 母親を亡くしている雪原にとって、たった一人の肉親である。


 遅くに帰宅した父はまだ起きている息子を見て眉をひそめた。


「こんな時間に何をしてるんだ。早く寝なさい」

「話があるんだ」

「体に悪い。明日にして早く寝なさい」

「話があるんだ!」


 叫んだ息子に、父は驚きに目を見張る。

 今までとはまるで違う態度に面食らったのか、硬かった表情に困惑が混ざった。


「どうしたんだ一体」

「だから話をしたいんだ」

「だから何の用があるんだと聞いている」

「とにかく話をしたいんだって! 一人じゃ寂しいから!」


 ひたすらに思いの丈をぶつけた。

 母が亡くなって以来、父は忙しくしていて、ずっと家では一人で苦しかった。

 寂しかった。だから強くなりたかった。

 でも強くなれないと気付いたから、こうして話そうと決めたのだ。


 それでも父は冷静に苦言を呈してくる。


「もういい年なんだ。我が儘を言うんじゃない」

「そっちこそワガママだろ。いい年した大人が言うなよ」

「時間がないんだ」

「それがワガママだって言ってんだよ!」


 いつの間にか涙が流れている。

 感情任せの言葉を連ねて、爆発させて、我慢して隠していた弱さだと思っていたものを、全て吐き出す。


「もっとおれを見てくれよ。聞いてくれよ。話してくれよ!」

「……分かってくれ。お前を養うには残業だって必要なんだ」

「分かってる。分かってるよ。分かってるけど、でも、苦しいんだよ」


 ずっと良い子であろうとしてきた。

 そうであれば、他人を繋ぎ止められると。

 だがそれでは駄目だと気付いてしまった。

 いつかきっと、限界が来てしまう。


 弱い自分が嫌だったが、強くなろうとするより、まず自分の特徴を認める事が先決だった。

 素直に助けを求められない事こそが弱さだった。


 だから彼は、甘えるように声を絞り出す。


「少しでいい。一言だけでもいい。せめて。構ってくれよ……」


 泣き崩れる。

 格好悪くても、これが自分なのだから仕方ない。

 下手に見栄を張って苦しむより、全てさらけ出して楽になった方が、遥かに生きやすい。

 求めていたのは、強さでなく温もりだった。


「…………ごめんな。今まで、悪かった」


 不意に背中に腕が回された。

 父の心を動かした証拠だった。

 親子は久し振りに互いの温度を確かめ合った。

 並んでいながら孤独だった家族の、これが出発点だったのかもしれない。






 翌日、雪原が登校すると、早速奇異の視線に迎えられた。

 仕方ないと受け入れる。

 内心傷つきながらも受け入れて進み、そしてある女子生徒の席の前に立った。


「天海さん」


 教室の緊張感が高まった。多くの視線が集まっている。ヒソヒソと警戒の声が聞こえてくる。

 針のむしろだ。逃げ出したくなる。


 だけど、どうしても言わないといけない言葉があった。

 居心地悪い空気に負けないように、意識して声を張る。


「ごめん。……それから、ありがとう」

「どういたしまして」


 天海は澄ました顔で端的に返答した。

 決して冷たいとは思わない。確かに彼女なりの優しさを感じたから。


「……じゃあ」


 名残惜しさがありつつも、足早にその場を離れる。

 一人を好む天海を、これ以上邪魔したくなかったから。


「言っておくけど」


 が、天海の声に素早く振り返った。

 あくまで平静な瞳と目が合う。淡々と天海は言った。


「私は一人が好きなだけで、二人以上が嫌いなわけじゃないから」


 それは明らかに気を遣われていた。

 もしかしたら憐れみかもしれないし、自分のせいで立場を悪くした負い目かもしれない。一人だと何をするか分からないと警戒しているのかもしれない。

 理由は分からない。

 とにかく好きな時間を我慢してまで、雪原を孤独にしないでいてくれるというのか。

 それは心苦しい。感謝しているからこそ、迷惑はかけたくなかった。


 それでも雪原は甘えて、乗る。

 一人は寂しいから。苦しいから。二人でなら大丈夫だから。

 代わりに、せめて邪魔しないように、彼女の理想に寄り添おう。出来得る限り助けよう。

 そう決意する。

 例えお互い無言でも、傍に誰かがいるだけで孤独の辛さは紛れるから。気持ちだけで温かくなれるから。


「じゃあ……今日は一緒に──」



 雪原は優しい手を借りて孤独に立ち向かっていく。

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