第5話

 せっかくだから、きちんと考えた素敵な愛称をつけてあげたい――


 そう思って一晩考えたが、正直に話すと何も浮かばなかった。


 だって無理もないだろう。生まれて初めて美少女と一つ屋根の下。

 おまけに同室で、すぐ隣のベッドからはすやすやとした愛らしい寝息が聞こえてくるんだから。


(結局、徹夜してしまった……)


 悶々と、何の意味も成果もなく。


 やることがなくてキッチンを無駄に掃除していると、ふあ~と間の抜けたあくびをしながら、S5003が起きてくる。


「んあ……よく寝たぁ……」


「おはようございます、お嬢様。朝食ならすぐに用意しますね。フレンチトーストなどはいかがでしょう?」


「なに? 朝から執事モードなのか?」


「雰囲気づくりは大事でしょう」


 とはいえ、そんなものはただの言い訳。

 愛称の良いアイデアが浮かばなかった僕は、「どんな名前をつけてくれるのかな〜?」と期待に満ちた眼差しを向けてくる彼女から逃れるように、藁にもすがる思いでハカセに相談に行くわけだ。


「フレンチトーストです。焼きたてなので気をつけて」


「わぁ、いい匂い、、あっつ!!」


「ああ言わんこちゃない。ほら、冷やしたタオルで口を拭いて。ふーふーしてから食べてください。それと、食べる前には『いただきます』ですよ」


 ……なんだこれ。

 これじゃあ執事というよりじゃ……?


「いただきまーす! はふ、はふ。うまーい! あつーい! 甘くてうまーい!!」


「ふふっ、そんな喜ばなくても……あはは!」


 ……ほんと、張り合いがあるなぁ。


「??(もぐもぐ)」


「いえ。気に入っていただけたなら何よりですよ。僕は少しハカセに用事があるので外します。食べ終わったらお皿は流しに..いや、テーブルに置いたままにしてください。『聖女様』にお片付けは必須スキルじゃないですからね。食べ終わったら読書でもして待っていてください」


「ん!(もぐもぐ)」


 元気な返事に口元を綻ばせつつ、僕はハカセの部屋へ向かった。


 ◇


 しかし、朝の九時をまわっているというのにいくらノックしても返事はなく、「んんん、ちょっと待ってくださーい……」からの五分後、ねぐせの直り切っていないハカセが顔をのぞかせる。


 白衣で隠しているが、下にうっすらとパジャマが透けて見える。うーん、この人私生活は案外ずぼらなのか? 朝は苦手みたいだし、急襲するなら朝だな。

 密かに決めて、僕は尋ねた。


「相談したいことがあるんです。部屋に入れてくれませんか?」


「イヤです」


 んー、と背後を見やるハカセ。隙間から覗いただけでも部屋が片付いていないのが丸わかりだ。いわゆる、生活力皆無の天才ってやつなんだろう。

 てっきりハカセは完璧超人だと思っていたから、僕にも付け入る隙がありそうなのは嬉しい。というか、今しがたのやり取りで、僕は少しハカセのことをナメだした。


「彼女には内緒にしたいことなんです。部屋を片付けてあげますから、相談にのってください」


 そう告げると、ハカセは頭上に電球を浮かべて、何か思いついたように部屋に戻って行く。そうしてがさごそと荷をまさぐっては、麻薬の密売でもするみたいにソレを僕に手渡した。


「んもう。ソウジくんも隅に置けませんねぇ。どうか優しくしてあげてください」


 にこ!とウインク混じりにコンドームを渡された僕は朝から頭に血がのぼってどうしようもない……!


「何を考えてんだ、あんたは!」


「え? だって、彼女に内緒の相談ごとって言うから……てっきり持ってないのかと」


「は!? はぁぁ!? あんた、仮にも彼女の保護責任者じゃないんですか!? そんな簡単に、僕に彼女を許すなんて! 信じられない!!」


「だから、優しくしてあげてって言ったじゃないですか」


「ばっかじゃないのか!? ばか! ばぁーーか!!」


 叱り飛ばすと、ハカセは「保護責任者ねぇ……くっくく」とどこか自嘲的に笑ってゴムを引っ込めた。

 「仕方ない、入っていいですよ」と部屋に通され、怪しげな荷に囲まれた内部の様子に絶句する。一見すると強盗にでも入られたかのような凄惨な有様だ。


「こう見えて、昨日一晩がんばったんですけどねぇ」


「だとしたら、壊滅的にセンスがない」


 僕はかろうじて生き残っているダイニングテーブルに腰掛けて、得体の知れないフラスコに注がれたコーヒーを手にする。


「……わ。いい香り」


「でしょう?」


 悔しいが、コーヒーを淹れる腕前にはセンスがあるみたいだ。


「彼女を素敵な聖女にするためにも、キミには素敵な執事になってもらわねば。コーヒーや紅茶くらい、香りで値段や良し悪しがわかるようになってくださいね。ちなみにこれは、一杯3000円程度のアラビア産です」


「ドバイ価格っ!?」


 あまりの高さに思わず吹き出しそうになるが、一口で牛丼一杯食えると思うと死んでも吐き出せない。


 「で? 相談ごととは?」


 白衣+パジャマ姿で優雅にコーヒーをくゆるハカセに、僕は打ち明けた。


「S5003に名前を?」


 きょとーん、と大きくなる瞳に、「名前なんて大それたものじゃなくて、愛称みたいな」と訂正を入れる。だが、ハカセはそれこそ驚きというように笑みを浮かべた。


「いいんじゃないですか? 彼女が望むなら。私ならそうですねぇ……Sシリーズなので、セイクリッド・セレスティなんてどうでしょう?」


「聖女だから?」


「はい」


 なんて安直な。そのあまりの安直さが、愛を感じないようで悲しい。

 だが、話を聞くにセレスティとは天空を意味するものらしく、それが図らずも彼女の瞳の蒼を感じさせて、悪くないなぁと思ってしまった。


「自由な空の蒼――セレスティ……セレスティーナ……?」


「おや。素敵!」


「愛称は?」


「セレス、ティナ、くだけた感じだとシャーリィとかでしょうか?」


「シャーリィ……シャーリィお嬢様……」


 可愛い……かも。


「にまにまとして、気持ち悪いですよ」


「あんたにだけは言われたくない」


 こうして、S5003の愛称がシャーリィに決まった。


  ◇


「シャーリィお嬢様、お昼は何にいたしますか? できれば牛丼以外で」


「シャーリィ……?」


 新しい呼び名に、「ふふ、むふふ……!」と頬を緩ませるお嬢様。

 桜色の小さな唇で、噛み締めるように何度もその名を口にする。


「シャーリィ。シャーリィかぁ……えへへ……んっ! ごほっ!」


「ああもう、欲張って食べるから――」


 気が緩んだ途端にむせて、ハカセの部屋から拝借してきたクッキーを吐きだしそうになるところが本当に……世話が焼けるなぁ。


(でも、それくらい、僕の付けた名前を気に入ってくれたってことだよな……?)


 そう思うとつい頬が緩んで。

 僕も「ン゛ッ……!」と、むせそうになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

実験体ヒロインとしたっぱ執事の僕 南川 佐久 @saku-higashinimori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ