第2話 忠誠

「臓器を売るのと彼女を風俗に入れるの、どちらがいいですか?」


 夜通し森を抜けてようやく渋谷に着いたと思ったのに。

 僕らの前に待ち受けていたのは牛丼屋でなくハカセだった。

 てゆーか、聞き方がもう科学者じゃなくてヤクザだよ。


 牛丼屋まであともう少しの代々木公園。

 朝焼けを背に、胃がもたれるくらいに綺麗な顔と笑みを浮かべて銃――でなく、財布を手にしている。


「キミ達、一文無しでこれからどうしようっていうんです?」


「牛丼二杯分くらいなら、まだ持ってますよ……」


 いまだ寝息を立てるS5003を庇うように背負い直し、正面を睨みつける。

 しかし、こんなひょろっこい未成年がすごんだところでなんのその。ハカセは慣れない朝陽に目を細めながら続ける。


「こういうこともあろうかと――ようのシェルターに潜んでいたので、所員に大きなケガなどはありませんでしたが、あの爆発で被検体の多くが逃げ出し、組織は壊滅……我々は解散を余儀なくされました。でもねぇ、数々の戦いを勝ち抜いた最強の個体――S5003を、夢を。私は捨てきれないんです」


 「んふふっ」と妖艶に微笑むハカセはこれみよがしに携帯端末を振っている。

 おそらくだけど、彼女の身体に発信機でもついていると言いたいのだろう。



 ……逃げきれない。



 僕は、頭を下げた。


「……お願いです。せめて彼女に、牛丼を……お腹いっぱい食べさせてあげたいんです。約束、なんです」


 そう言うと、ハカセは驚いたように蒼い瞳を見開いて、額を抑えた。


 「……ッ。くくっ……牛丼? 牛丼ですか? あははははっ!」


 牛丼がなぜかツボったらしく、うっすらと涙を浮かべて笑い転げるハカセ。

 警戒心MAXで対峙していた僕は拍子抜けだ。

 だが、ハカセはS5003が手元にいればそれでいいということらしく、あっさりとその願いを聞き入れた。

 「それくらい、お好きなだけどうぞ」と。僕らに一万円を手渡して。


「三時間後に迎えに来ます。牛丼屋は……24時間営業でしょう?」


「いいんですか? ついていなくて」


「発信機がありますからね。それに、私にも今後キミたちを匿い、暮らし、体勢を立て直すための準備が必要だ。これから諸々の手配をして、三時間後に迎えに来ます」


「来なくていいって言ったら……?」


「三時間後です。時間厳守」


 強引ににこり、と頷いて、ハカセはスーツを翻して去っていった。

 白衣を羽織っていないとどうにも品のいい一般人にしか見えないのが憎たらしい。


 しかし――


「暮らし……暮らすって、言ったの?」


 僕と、彼女と、ハカセの三人で?


「えっ。うそ……」


 彼女とひとつ屋根の下で同居できるのは図らずも嬉しい。

 しかし、あの男――ハカセはイヤだ。


(でも、世帯主あの人だしなぁ……僕は両親が他界しているし、未成年だし、他にアテもないし……)


 こうして僕らは、再び彼の傘下に入ったのだった。


 ◇


 牛丼屋が近づいてくるにつれて、朝の匂いに出汁の香りが混じる頃、S5003――彼女が目を覚ました。


「ん……いい匂い……?」


「これが、牛丼の匂いだよ」


「!? ぎゅーどん!? ぎゅーどん、どこっ!?」


 ぴょん、と勢いよく飛び降りると、スクランブル交差点をキョロキョロと見回し、彼女は僕の背に隠れた。見慣れない景色と街並み、異様な目で僕らをチラ見するまばらな人々の視線に本能的な恐怖を覚えたのだろう。だが、銀髪碧眼の美少女にぴったりとくっつかれて、浮かれない男子はいない。


「あれ……? ここ、どこ?」


「渋谷」


「もしかして……外?」


 その不安そうな瞳を安心させるように目線を合わせて、季節外れな白のワンピースに身を包む彼女にジャケットを羽織わせる。組織に入団したときに支給された、軍服もどきのようなものだ。男性もののぶかっとした袖をしげしげと眺めて、「あったかい……」と呟く彼女がとても可愛い。


「お腹空いてる? 食べられそう?」


 その問いに、彼女は、にぱぁ――!と微笑んだ。


 朝焼けよりも眩しいその笑顔に。

 僕は忠誠を誓った。


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