フランス国王への書簡
親愛なるフランス国王陛下、
先日送りました書簡はもうお読みいただけたでしょうか。今は亡き、ムガル帝国第五代皇帝シャー・ジャハーンの召使と名乗るインド人の男から聞いた、皇帝の人となりを知る貴重な昔話をいくつかご報告したものです。
本日お伝えしたいのは、その召使の男についての不思議な後日譚です。その後、あの男にもう少し詳しい話を訊こうと城中を探し回ったのですが、一向にその姿が見当たらない。そこで宦官らにその男の行方を尋ねてみたところ、誰もそんな男は知らないと答えるのです。皇帝の幼い頃よりそばに仕えていた専属の召使だとこちらが言っても、そんな者は知らない、皇帝の召使ならば星の数ほどいるが、隣の部屋で寝起きするような者は今まで聞いたことがないと口を揃える。
ぞっと背筋が凍るような思いがしました。では皇帝シャー・ジャハーンに自分の魂を捧げたと言ったあの男は、一体誰だったのでしょう。
そこで私はひとつの可能性を思いつきました。今からお話ししますのは私の馬鹿げた戯言だと思ってどうかお聞き流しください。私の空想はこうです。もしかするとあの男は、幼くして母親から引き離された孤独な少年が、自らを慰めるために作り上げた幻影だったのではないかと。主人亡き後も、この城を離れることができずに彷徨い歩く、亡霊のようなものではなかったかと今になって思うのです。
この国ではいまだに、亡霊や精霊や鬼神のような、人ならざるものたちが人々の間に生き続けているようです。事実、今回のような話も枚挙にいとまがありません。ですから私は陛下を恋しく思う気持ちを押し殺し、いま少しこの神秘に満ちた地に起こる出来事を書き記しておこうと思うのです。いつか再び陛下の御前に参上いたしますときには、摩訶不思議な土産話が陛下のお耳の慰みになることを切に願っております。
陛下の
いとつつましく従順なる臣下にして僕、F.ベルニエ
ベルニエは額の汗を拭い、窓の外に目をやった。
眼下に広がるヤムナー川の対岸に、この世のものとは思えぬ白亜の霊廟が幽玄に浮かび上がっている。ムガル帝国第五代皇帝シャー・ジャハーンは、あの夢のような白い城の中で心から愛した妃と共に眠っているという。
もしかするとあの男もいまごろ、あの霊廟にいるのかもしれないな――そう思った瞬間に、ベルニエは目撃した。
タージ・マハルを取り囲む、天を貫くようなミナレット(尖塔)の天辺から、ひとつの黒い影がこちらに向かって手を振っているのを。
〈完〉
幻想のシャー・ジャハーン 鹿森千世 @CHIYO_NEKOMORI
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます