【エピローグ】
時は西暦1600年の夏となる。再びの関ヶ原の戦いが起こる気配は感じられない。
今年で、俺は55歳になる。この時代からすれば老齢の域に差し掛かっているが、元世界から引き継いだ体質のせいか、食生活の関係か、そういう実感はない。この時代出身の同年代の連中も、ほぼ漏れなく元気である。
元気ではあるが、鎮守府大将軍職を息子の柑太郎……、いや、尊邦に譲り渡して、もう十年になる。
かつての藤島での戦いの後、足利、新田連合軍によって実施された近畿、西日本の制圧は、散発的な戦いこそあったが、事実上は諸勢力を押し潰した状態となった。
それでもなお、事前に戦後の配置案を漏らしたことで、激しく抵抗された方だったのだろう。
再配置は、当初案に多少の手直しこそ施したが、概ねそのまま実施された。海外の各方面の植民都市づくりは順調で、既に入植が進んでいる。
済州島で復活した耽羅の国王……、星主に従うキリシタン大名連合は、朝鮮半島の南方を制圧し、その一部を神に捧げたようだ。李氏朝鮮の両班による支配が苛烈だったために、庶民からはわりと歓迎されているらしい。
そして、済州島に生き残っていた王氏の当主は高麗の再興を宣言し、島津、毛利が援軍となり、さらに北西へと侵攻している。
ちょうど女真族の活動が活発化したためか、高麗、耽羅からの貢物が是とされたのか、交易商会の香港経由での働きかけが効いたのか、明は朝鮮半島での内訌と捉えてくれたようだった。
耽羅の建国神話では、穴から現れた三兄弟が、箱に入って流れてきた、東方にある碧浪国の王の三人娘と結婚して、世界が始まったらしい。そして、碧浪国は朝鮮では日本だとされているとかで、それなら半分は日本じゃないかとの話になって、援軍話はあっさりとまとまったのだそうだ。
ソントウはそのあたりの伝承に詳しく、済州島の人々は中国の三国時代には州胡と呼ばれ、匈奴のような辮髪の風習があり、牛と猪を飼育して、船を操って朝鮮半島と交易していたとの記述を諳んじてくれた。
朝鮮半島とは言語も違ったそうだから、いわゆる朝鮮民族とは完全に別系統の、騎馬系の異民族だったのだろう。
済州島は火山島で、草原的な土地でもあり、蒙古がこの地域を席巻した際には直轄状態に置かれた時期もあったそうだ。火山島で草原が多い立地から、騎馬民族好みの風土だったのだろうか。元来の住民が匈奴的だったとすると、必然なのかもしれない。その後、明の成立時に土着化した蒙古人が虐殺され、まとめて李氏朝鮮に併呑されたのだそうだ。
呑み込まれた側の恨みがきついものになるのは当然である。さらには虐殺から逃れた蒙古の末裔も、逃してもらえると騙された高麗王家が船ごと沈められた際の脱出者の子孫と称する者もおり、李氏朝鮮で権力争いに敗れて流刑になった者もいたことから、渾然一体とした敵意が李氏朝鮮に向けられたようだ。
ただ、ソントウの制御もあってか、対象はあくまでも支配階級である両班に向けられ、庶民は慰撫する対象とされていた。……耽羅の星主は、少なくともその方向性らしいが、李氏朝鮮時代に流刑になった者たちは、別の対応があったようでもある。
まあ、日本から島津、毛利、キリシタン大名勢は加わっていたものの、彼らはあくまでも復活した高麗と耽羅であり、北方で抵抗する李氏朝鮮との間で三国鼎立の状態にある。押し出された李氏朝鮮は、想定通りに北東方面の女真族とも揉めているようで、あまり気にし過ぎないようにしよう。
耽羅には俺も一度顔を出したが、少なくとも現段階では友好関係を構築できそうでなによりである。
この処置によって、主だったキリシタン大名は日本を離れたことになる。国内では、奴隷交易に携わった修道会こそ追放したものの、民の信心までは禁じていない。けれど、居づらいのか、耽羅のキリスト教が公認された地域に移住した者もいたようだ。神の下で幸せをつかんでほしいものだ。
現状の日本統治から離れた勢力としては、ナホトカ……、いや、新河に拠点を構える古河公方勢力も健在で、ウラジオストック方向に進出しつつ、明に取り入っているようだ。となると、女真族は東西に敵対勢力を抱えているわけで、やはり清は興らないのかもしれない。
足利義氏は既に亡く、娘の氏姫と伊達政宗の縁組が成立し、現在は足利政宗が当主となっている。本庄繁長が治める佐渡経由での交流は続いており、中四国、九州で居場所がなくなった武士の一部も移住しているようだ。耽羅との関係性も考えると、水軍の優越は維持していくべきだろう。
忍者として潜入している鷹彦は、あちらではすっかり重臣扱いらしい。まあ、政宗も氏姫も幼少の頃から接してきたわけで、このまま見守っていくものと思われた。
さて、既に隠居の身である俺が、旅支度で江戸湊を歩いているのは、巡察という名の環太平洋旅行に出ようとしているからだった。主な目的は、松平、北条統治域での埋もれた人材の発掘と、孫世代の縁談をまとめるためとなる。
ただ、もちろん全員を連れていくわけではないので、揃って海の藻屑になっても、各方面に展開している現体制は盤石だろう。
足利尊棟との手打ちを済ませてからの道程は、決して安定したものではなかった。
南では、楠木信陸、後醍院沙羅夫妻……、陸遜と双樹が、かつてのオーストラリア大陸で勢力圏を広げている。名付けは土地の生き物にちなんでワラビー大陸、和名は蕨大陸とされた。
現地人との関係性は、まったくのトラブルがなかったと言えば嘘になる。また、病原菌も持ち込んでしまっているだろうが、史実で流刑に処せられた入植者らが行ったとされる戯れの殺戮や、組織的な虐殺などは起きていない。それだけでも、いい状態だと言えるだろう。
防備は怠らないにしても、食料の提供、畑作の支援などで、幾つかの氏族と親密な交流が進んでいるようだ。どうにかして、元々の住民たちを保全した状態で、安定した国作りに結びつけていきたい。
各方面の初期の基盤づくりには、もちろん黒鍬衆が派遣されている。本国に戻った者ばかりではなく、東方に向かった人数もいるが、定住組も多かった。そうできるように、女性技師を多めにしてもいた。
南本願寺として向かった長島勢を主体とする一向衆の者たちも、憑き物が落ちたかのように新たな世界を切り拓いているようだ。まあ、そもそもの話として、宗教指導者が信徒たちに対して、生命を賭して権力者に抗えと命じる状態が異常なのである。信徒たちには、よく働いて、暮らしの中に楽しみを見つけ、多くを学ぶようにとの指示が出されている。
そして、ようやく安定した状態となりつつあることから、宮様を迎える準備も進んでいた。
東では、足利尊棟が元世界でのサンフランシスコに入植している。名付けは新足利だというのだが……。まあ、そのあたりは、それぞれに任せたのでよしとしよう。きっと、足利氏が絶えても、名は残るという深謀遠慮なのだろう。いや、浅いのか。
ネイティブ・アメリカンとの交流は、蕨大陸と同様に穏やかめに行われている。初期には襲撃などもあったようだが、無事に手打ちができているようだ。こちらも、食料提供の体制が早期に整ったのが大きかったと思われる。
東本願寺としての、大坂勢を中心とする一向衆信徒も、新たな生活に打ち込んでいるようだ。元々が純真な人達であるのだろう。
利用している度合いでは、自分たちの利益のために一揆を起こさせるのと、海の向こうに入植させるのとでは、同じか、あるいは程度が悪いのかもしれない。まあ、それでも一応の大義があるのは間違いない。
南方と違って、こちらには仮想敵が存在する。南米の元々の住民を、持ち込んだ風土病と意図的な虐殺とで壊滅的に減少させたスペイン帝国である。西岸には、西欧諸国の中での縄張りの関係から、ポルトガルは進出してきていない。
オセアニアの蕨大陸では、食糧増産、現地人との共存、ニュージーランドへの進出検討、ニューギニアの諸国家との共存などが課題だが、北米の新足利方面では要塞都市を構築していく必要がある。
戦国の余波で血の気が余っている者たちのうち、新田・足利体制に抵抗感を抱いていない者たちの多くがアメリカ大陸を目指していた。有力どころでは、九戸政実、浅井長政らが参加している。お市の方も同行していて、浅井三姉妹はそれぞれ史実とは別の伴侶を迎えたようだ。
そして……、藤島の戦いの後に年に一度開催されるようになった天下一剣術大会で、足利尊棟と名勝負を繰り広げていった新田柚子は、結婚相手に足利の棟梁を選択して、アメリカに渡っている。政略結婚ではないのだけれど、実質的には融和の象徴となった面はあったかもしれない。その流れの中で、俺の目から心の汗が流れたのも、今となってはいい思い出である。
その影響もあってか、剣豪勢から移住者が多く出て、忍者隊からも手練れが派遣され、なかなかにぎやかな展開となっているようだ。
剣聖殿も笹葉と一緒に北米で暮らしている。ラーメン開発などもしつつ、あちらの戦士との勝負を重ねてさらなる新境地を開いたようだが、さすがに衰えても来ているようだ。
南米絡みでは、滅亡したメシコ……、いわゆるアステカ帝国の、八十年で一割まで減ったと言われる生き残りが抵抗運動を続けているのを察知して救出しただけでなく、彼らによる新たな国家、アストランの設立を援助したそうだ。さらには、インカの末裔の一部も誘って、別の土地に移住させたという。
これらは、正面からやれば宣戦布告に近い行為だが、通訳系スキル持ちの忍者を使って隠密理に進めているらしい。もっとも、足利尊棟には、ばれたらばれたでかまわない、くらいの感覚がありそうだ。
元世界でのロサンジェルスなどへの進出計画もあるそうで、いざ開戦となれば、本国から援軍を出す必要もあるかもしれない。
蠣崎氏と松平氏が担当する北東方面では、千島からカムチャッカを経て、アリューシャン諸島、アラスカ、新足利方面への拠点確保活動を進めている。カムチャッカ辺りまではアイヌが暮らしていて、蝦夷アイヌから募った協力者も参加していた。
交易をしつつ、船着き場を確保し、一部では防衛拠点と町を作って、一歩ずつ進んでいる。こちらも、蠣崎と松平に任せきりにするわけではなく、新田の水軍を始めとする各部門が共同で参画している。
最終的にはバンクーバー、シアトル辺りに拠点を作り、足利勢とも協調しつつ、現地民を巻き込んだ沿海交易を目指す形になるだろう。
この時代には、元々の住民以外の敵対勢力は存在しないはずだが、海の荒れ方が異なるので、手探りの進行となっていた。
一方で、東北海道の松平家による統治は、新田幕府の手も入っているにせよ順調である。その功績に報いて、旧領の三河が領地として認められたのは、つい先日のこととなる。人的な交流も進んでいるようだ。
北条は、西北海道から樺太全域までを確保している。こちらでも、アイヌとの協力体制は、まだ万全とは言えないまでも、深化しているのは間違いないようだ。
特に通商面では、アイヌからの初期留学生のチニタが、ネーデルラント・新田交易会社での勤務を経て興した商会が活躍していた。新田式開発に、孤児への教育なども手掛けているというから、半ば国家状態ではある。
ただ、樺太の冬は尋常じゃないまでに冷える。和人勢の全員が冬越しをしているわけではないが、要塞を兼ねた地下居住街的な施設を幾つか構築済みとなっていた。
北条にも、これまでの貢献を踏まえて、相模を領国として認めていた。軍港化している横須賀については、対象除外とさせてもらっている。
さらには、樺太の北端付近からはほど近い、元時代ではロシア領となるアムール川流域には、小金井護信……、津軽為信となるはずだった武将が、妻の静月ら家族とも協力して勢力を築いていた。アムール川を遡上してハバロフスクまで確保するつもりらしい。そうなると、古河公方勢と勢力圏が接近するのだが、まあ、うまくやるだろう。
こちらは、一応は新田の傘下となっているが、実際には独立勢力である。どうにか登用時の約束を果たせてよかった。
大浦、北畠、湊安東はそれぞれ臣従した形にしても健在で、有為の人材を中央に送り出してくれている。
そして、東方の新足利勢と同様に派手に展開しているのが、南西方面となっている。織田信忠率いる織田家は、一部は新田式の兵制を採り入れながらも、従来型の大名として活動していた。
国替えで本国となった薩摩・大隅は、南西への玄関として発展していて、そちらは文治派の家臣団が仕切っている。
台湾……、高砂は、信忠自身が前田利家らを率いて半ばを確保し、呂宋は新田家臣として織田家と連携する形の黒田孝高、長政親子が橋頭堡を築いて浸透、攻略中となっている。
水軍については新田水軍も参加しており、スペインの軍船との艦隊戦も幾度か行われた。現時点では技術的にはこちらが進んでおり、優勢に展開できている。
ただ、特に織田家については、今後の代替わりがうまく進むかどうかが、やや懸念点となる。実務担当者は、全国から仕官があるので集まるだろうが、幹部が世襲となると、やや危うい面もありそうだ。場合によっては、幕府が介入の度合いを強めていくことになるのかもしれない。
国外の各地域に浸透していくにあたって、料理、菓子の目新しさが大きく影響したのは間違いない。そして、弓巫女と橙上衣に象徴される香取、鹿島両神社の果たしている役割もまた大きかった。
うまい食事と、現世利益をもたらす女性の神の遣いとは、どちらも受容されやすい威力を持つようだ。戦陣に立つ弓巫女も、盗賊追捕を始めとする治安維持隊をまとめる橙上衣も、今では銃を併用するようになっている。両者はやがて、銃の女神的に溶け合っていくのかもしれない。
海外の諸地域の情報は、一般向けの概要を軽くまとめたものと、行政官、武官向けの詳細情報を含めた、二種の新聞的な文書が流通している。それによって、日本国内でだけでなく、各方面が全方面の情報を得るようにしていた。
一体感を醸成するためでもあり、商機を逃さないためでも、また、危機を未然に防ぐためでもある。海流の利用によって、往来は割と盛んとなっていた。
いずれにしても、元の世界では各地で起こっていった侵略的、民族虐殺的な動きをなるべくマイルドなものにし、穏やかな世界を作っていくのが、当面の目標となる。そのためには、幾世代にもわたる努力が必要となるだろう。
史実の日本では、戦国で沸騰していたパワーを国内に押し込める形で、江戸幕府が二百五十年の泰平を実現した。ただ、その間に環太平洋諸国では、既にスペイン帝国が南米で惹き起こしていた悲劇的展開が拡大再生産されていくことになる。
日本人が介入すれば総てがうまくいく、なんてつもりはまったくない。けれど、少なくとも元時代の思想を持った四人が想いを伝えていければ……、もう少し穏やかな世界にできるのではないか。
それが、俺、震電がソントウに提示し、陸遜と双樹にも受け容れられた、新たなゲーム……、「天下泰平・オフライン」の内容だった。
その進行具合を確かめに行く今回の旅には、同行者が多い。
蜜柑と澪。それに、岬と道真と三日月。俺の道行きを支えてくれた彼女らもまた、忙しく過ごしてきたため、今回は一緒に旅をしてのんびりしようとしている。三日月は、同じく隠居済みの夫の多岐光茂も一緒である。
縁談含みの孫たちもいれば、実務的な随行員に、林崎甚助とその門下の護衛もいる。ステータス値で取り立てた者もいれば、古馴染みの子女もまた多い。いずれにしても、気心の知れた面々となっている。
今回の乗船は、スクリューを採用した本格的な蒸気船として就航したばかりの「蜜柑姫」号である。
「自分の名を冠された船に乗るとは、微妙じゃのう」
さすがに加齢はしているが、蜜柑の明るい声と表情は変わらない。
「しょうがないって。今上のお義母様だもの」
華やいだ声の澪も、若い頃の立ち居の雰囲気を色濃く残している。
彼女の指摘通り、蜜柑との間の末娘である来夢は、今では皇后となっている。いや、俺が無理やり押し込んだわけではなく、むしろ見坂御所で展開された熱愛劇を追認した状態である。尊棟といい、今上といい、泣かせたらとっちめてやる、とは言いづらい相手となっていた。
蜜柑との息子の柑太郎……、いや、尊邦は、新田幕府の二代目鎮守府大将軍として統治に奔走している。ただ、幕府による統治を継続させるかどうかは次の世代で検討する予定となっている。民主制に移行できるほど、民への教育は進んでいない。元の時代では、民主政や平等こそ正義だ、みたいな風潮があったが、それで済む話でもない。
税金を一定額支払っている者に市民権的な権利を与え、彼らに統治者を選ぶ役割を与える、という形も検討されている。同時に、平定に際して保証してきた諸勢力への家禄を段階的に廃止する方向で動いているようだ。
このあたりは、四人の神隠し勢の見解を、公開時期を指定した書簡か、タイムカプセル的に残していく手筈は整えている。それも踏まえて、その時代の当事者に検討してもらうとしよう。
渚は、外務省と世界史研究所を兼ねたような組織を作り、外交や通商の情報を集積している。彼女の脳内では、地球上の総てが粘土箱的に把握されているのかもしれない。その知識量は、元時代分を合わせても俺を軽く上回っていた。
また、澪との息子の汐次郎は学級肌で、新田学校の全体指揮を取りつつ、化学方面の研究に注力していた。
他の親族についても話しつつ、俺ら三人は蒸気船が係留されている岸壁へと向かっていく。
その向こうには、鎧島の姿が見える。今となっては、焦って構築した雑な城がひどく恥ずかしく感じられた。
あの頃の縁者の多くは、既に物故者となっている。軍神殿は、新体制の諸々の仕置が片付くのを待っていたように、安堵の表情を浮かべて永眠したし、剣神殿は天下一剣術仕合の観戦中に、満足げな笑みを浮かべて世を去った。
英五郎どんは息子と孫たちに見守られながら旅立っていき、加藤段蔵はある日突然に姿を消した。
多くの人達を見送った俺たちも、やがて見送られる日は来るのだろう。だが、まだその時ではないように思えた。
今回の各方面の巡察を終えたら、尊邦と渚と一緒に、もう一度方向性を考えるべきだろう。交易会社を共同で運営してきたネーデルラント商人とは話が通じそうだが、オランダ本国との関わりはどうなるか。ネーデルラント・新田交易会社は、リーフデの息子であるリヒトが継いで、九鬼初音がその伴侶となっていた。幼馴染からそのままという流れで、岬が二人の母親代わりを務めている。
そして、イギリスについては……、より厄介な相手になる懸念がある。さらに別の対応になりそうだ。
明から清への体制移行は、起こらない可能性が高まっている。朝鮮半島での三つ巴の戦いには、明は本格的な参戦をしておらず、統治は不安定ながらも国力の大幅な減衰は免れているだろう。
万暦帝は、史実通りに政事に無関心で、財政を傾ける奢侈をしつつ、後宮に籠もるようになっているそうだ。英明だとの呼び声高い太子が、十八まで成長したことで、陰忍方面からは皇帝暗殺案も具申されてきている。悩ましいところではある。
そして、史実で清を興した女真族は、耽羅、高麗に圧迫された李氏朝鮮と揉めつつ、東方に出現した古河公方勢……、いや、新河公方勢への対応もある。一方で、栄えている明方面への進出の勢いは続いてきそうでもある。
明側、女真族側の双方の事情から、明が継続するとして……、現状で、香港からの交渉で、沿海州での古河公方勢、小金井護信の両和人勢力の活動は目こぼししてもらっている。だが、代替わりによって対応が急変する可能性もある。
もっと先の話としては、日本を除けばほぼ欧米人同士の戦いだった二つの世界大戦が、東洋と西洋の戦いに置き換わって、より凄惨なものとなる可能性もある。アメリカ大陸も、足利勢の介入もあって波乱含みとなろう。
そう考えると、インドやアフリカ、中東にも手を伸ばしていくべきなのだろうか。進出していくのは考えづらいが、外交によって意思疎通を図っておくだけでも意味があるかもしれない。
もちろん、それらの最終判断は現役世代となる。二代将軍の尊邦は、その方面に積極的で、船団を組んでの使節団を送ろうかとの計画が持ち上がっている。場合によっては、帰国後の俺が向かってもよいのだが、指示に従うとしよう。
国内の産業は、順調に育ってくれている。絹織物が桐生織と那波織を中心に質を向上させ、今では明に高級品として買われるようになっていた。一般向けも、産業革命とまではいかなくても、手工業の集中化による増産体制は構築されていた。
明への輸出品としては、銀と海産乾物に加えて、様々な工芸品が人気となっている。象嵌細工や蒔絵を施した漆器に、屏風や絵画の類も高価で売られていた。最上級の作品は、国内向けに確保しているけれど。
食文化は、元時代のコピーではなく、より広がりを見せているようでもあった。外国の料理文化として明確に存在しているわけではなく、俺からのざっくりした知識伝授のみなので、よりアレンジに抵抗がないのかもしれない。ラーメンにしても、ピザにしても、クレープにしても様々な進化を遂げ、また、アイスについても、和菓子への組み込みも含めて、新たな味が豊富に生み出されていた。
その前提となる食糧増産は、関東、東北に加えて、蝦夷地、北陸、甲信越、近畿、中四国、九州でも進められ、ひとまず充足し、明や南方への輸出も行われていた。蕨大陸や新足利方面でも食事情は安定し、自給自足から輸出に転じられそうな情勢となっている。そのあたりは、今回の旅でより詳しく確認できるだろう。食文化についても、だいぶ異なっていそうだ。
貨幣については、かつての新田永楽から、国内で造幣する銅貨の「文楽通宝」へと基幹通貨が切り替わっている。
それに、百文……、元の時代でのだいたい一万円相当の紙幣と、同じく十万円にあたる千文の小粒金が通常向けの通貨として設定され、高額決済用に中粒金、大粒金、小判が用意されていた。
銀については、明朝やアジア諸国との決済にも使えるように、大きさを揃えた角銀と呼ばれるものを流通させていて、東洋における事実上の国際通貨となりつつある。
金と銀の交換比率は変動する状態にしてあり、国内の基軸はあくまでも金貨から銅貨に連なる序列としている。やがて主流となる金本位制の先取りのような形で、新田学校の印刷術を駆使した紙幣も今のところ問題なく通用していた。上方では、いまだに銀を好んでいるようだが、基軸となる金、銅の貨幣と紙幣が日常には浸透してきているので、実際には問題のない状態である。
都は京のままだが、正親町天皇から孫となる今上への代替わりが済んでも、見坂御所での滞在が続いている。見坂……、元時代での国分寺市や小金井市の辺りを中心に、武蔵野台地の国分寺崖線の坂上に、公卿や役人らの居住地と政庁、その他の施設が整えられつつあった。その辺りは、先帝の命名で新京と名付けられている。
崖下の武蔵の国府、武蔵国分寺跡地を中心とした土地には、武家や商人が居を構え、活気のある町が拡大していた。
崖の上り下りには、水車動力によるエスカレーター的な自動歩道が要所に設置されている。また、崖下からの湧き水を汲み上げる機構も稼働していた。
このまま、なし崩し的に遷都が行われるのか、あるいはどこかの時点で京へと戻るのか、それもまた今後の世代が決めることとなる。
そして、新田を含めた諸大名視点での史書と、全体的な歴史が書物にまとめられつつある。編纂は、春日虎綱、箕輪繁朝、芦原道真や、それに続く若い世代が中心となっていた。
これはまじめな史料としてなのだが、同時に物語的な新田の歴史も刊行されていた。そちらの方にも春日虎綱と箕輪繁朝が絡んでいて、さらに黒幕として娘の渚が関与……、いや、むしろはっきりと主導しているらしい。
読み物としてはおもしろいのだが、脚色が……。まあ、しかし、ご隠居が文句を言うのもいかがなものかとも思う。
そうそう、芦原道真と青梅将高は、藤島急襲から程なくして夫婦となった。その際には、男性同士だと認識していた連歌愛好者界隈が騒然となったようだ。二人の子らは、連歌にも文武にも才能を示している。
ステータスを覗ける能力は、次の世代には引き継がれなかった。この時代に出現した四人に限定された特質に留まるようだ。
血の濃さによって引き継がれるとでもなれば、おかしな特権階級が生まれていたかもしれず、その面ではよかったのだろう。
それを踏まえると、単純にステータス値やスキルを見て引き立てるのではなく、能力の高い者が自然と出てくる状況を作り出すべきである。結果として、職能体験の仕組みを広く実施する流れが生じつつあった。今回の旅は、その面の微調整の意味合いも含まれていた。
俺たちがこの世界にやってきた理由は、本当の意味ではわからない。偶発的な出来事だったのかもしれない。
けれど、せめて元の時代よりいい状態にする努力はしていきたいと思っている。それは、楠木、後醍院夫妻とは共有できていると思われる。……尊棟は、もしかしたら最後までゲーム感覚を貫くかもしれないが、それはそれである。
船着き場には、岬、三日月、道真の姿が見えた。こちらに気付いて、三者三様に手を振ってきている。見送りの青梅将高、多岐光茂、リヒトと初音を含めた家族の姿も見える。
「さあ、競争じゃ」
走り出した皇后の母親に、澪が苦笑する。
「蜜柑はいつまでも変わらないわね。行きましょう、護邦」
澪が俺の手を取って走り出す。さすがにやや手加減をしてくれているようなのは、俺が二人と違って体力系でないのを考慮してくれているのか。
きしむ身体をなだめつつ速度を上げながら、俺は改めてこの世界での生を走り抜ける覚悟を固めていた。江戸の夏空にはぽっかりとした入道雲が浮かんでいた。
<了>
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