epi- 『繰り返す日々』



 身支度を終えて自室でくつろいでいると、扉をノックする音が聞こえた。


 ティーカップを机に置いて、ソファーから立ち上がる。


 扉を開けると――白髪のツインテールが、申し訳なさそうな顔で立っていた。


「こんな時にすみません。少しお話したいことがあるのですが……お時間、大丈夫でしょうか?」


 イプシロンにそんなことを言われたら、断れるはずがない。


 ソファーに案内し、紅茶を淹れた後……ごちゃごちゃした装飾のある木棚から、ガラス瓶と皿、フォークを持ってくる。


「この間、任務でアテノイに行った時に、イプシロンが好きかなと思って、買ってきたんです」


「え……あ、ありがとうございます」


 瓶に目を釘付けにしていたイプシロンは、慌てたように頭を下げた。


 顔を上げたイプシロンは……瓶を見つめながら、唾を飲みこんだ。


「アテノジャムン、ですよね?」


「さすがイプシロン。ご存じでしたか。ひょっとして、食べたこともありますか?」


「いえ、前々から気になってはいたのですが、まだ食べたことはないです」


 予想通りの回答に、俺は内心安堵した。


 瓶の蓋を開けて、中身を皿に出す。


 黄金色の、一口大のドーナツが転がって、その上に透明なシロップが降り落ちる。


 その様子を、イプシロンはまんじりともせず見つめていた。


「――それでは、いただきますか」


 灰色の瞳と視線を交わして……ドーナツに、フォークを突き刺す。


 ドーナツには、たっぷりとシロップが染み込んでいる。


 床に滴り落ちてしまわないように、身を乗り出して、ドーナツを口の中に入れる。


 瞬間――脳天を貫くような甘さが、口の中いっぱいに広がった。


 ……お店の人いわく、アテノジャムンは世界一甘いお菓子だという。


 覚悟はしていたが、信じられないほどに甘い。


 噛めば噛むほど、口の中で甘さが爆発する。


 食べて三秒で、俺はこのお菓子に手を出してしまったことを、後悔していた。


 震える手でティーカップを掴みながら、眼前のイプシロンに目を向ける。


 イプシロンは……顔をとろけさせていた。


 目尻を下げて、幸せそうな顔でアテノジャムンを食べている。


 ……この顔を見るために、俺は三刻も行列に並んだのだ。


 アテノジャムン販売店の店主は頑固者として有名で、教会の威光なんて歯牙にもかけない男だった。


 だからこそ、イプシロンもまだ食べたことがないだろうと、俺は目を付けた。


 ……満足感とともに、ティーカップを傾けていると、イプシロンは俺の視線に気付いたようだった。


 キュッと、緩んでいた唇を引き締めて、灰色の瞳を向けてくる。


「すごく、美味しいです。わざわざ買ってきてくださって、ありがとうございました。今度、何かお礼をしますね」


「お礼は、もう頂きましたよ」


 俺の言葉に、イプシロンは困惑したようだった。


 イプシロンの恥ずかしがる様子も、本当は見たいけれど……今はそれほど時間がない。


 俺はティーカップを机に置いて、真面目くさった口調で言った。


「それで、お話とは何でしょうか?」


「……カザンブルクの件です」


 カザンブルクは、二ヶ月ほど前に任務で向かった街だ。


 魔物を倒すと、やはり幽霊は全て消えてしまった。


 数百人の人間だけが、モノクロの街に残されていた。


 後処理は教会に任せて、俺たちは帰還したのだが――


「アル聖官とエトレナ聖官の発案を受けて、カザンブルクに教会を置くことになりました。

 現在、モスロ・ビンスクを中心として、住民を募集しているところです」


 カザンブルクでは、人間と幽霊が幸せに暮らしていた。


 それが偽りだったとしても、本人たちにとって、カザンブルクは思い出の土地となっている。


 ――なんてことを聖女様に言っても、鼻で笑われるだけだ。


 なので、北方の監視基地として必要だとか、適当な理由を付けて、聖女様にカザンブルク再興を提案しておいた。


 無事、俺たちの提案は認められたらしい。


「ありがとうございます。イプシロンが口添えしてくれたんですよね?」


「いえ、私はそれほど力には……私というより、ベータの言葉が大きかったみたいです」


「ああ。たぶん、エトレナがベータに頼んだんでしょうね」


 一人納得していると、イプシロンが浮かない顔で言った。


「……エトレナ聖官とベータ、仲がいいですよね」


「初任務の時に仲良くなったって、言ってましたよ。……ベータを取られたみたいで、寂しいですか?」


 出来心で言ってみると――イプシロンは、フォークを皿に突き立てた。


 鋭い目をしながら、ドーナツを口に放り込む。


「……すみません」


 即座に謝ると、イプシロンはこくりと喉を動かした。


 幾分、表情が柔らかくなっている。


「アテノジャムンに免じて、今回は許します」


 ティーカップを持って、一口紅茶を飲んでから、イプシロンは思い出したように言った。


「大事な話を忘れていました。実は、カザンブルクに慰霊碑を建てる計画が持ち上がっていて……」


 そこまで言って、イプシロンは言いづらそうに目を向けてきた。


「慰霊碑の隣に、『青の騎士』の銅像を建てることになっています」


「……は?」


 銅像?


 『青の騎士』の?


「ちょ、ちょっと待ってください! それってつまり、私の銅像を建てるってことですか?」


「はい。……嫌ですか?」


「当たり前です!」


 恥ずかしいし――そもそも、俺は狂王を倒した英雄なんかじゃない。


 教会の権威を守るためと言われて、聖女様の作ったストーリーを黙認してはいるが……本当は、それだって我慢ならないのだ。


 イプシロンは俺の顔を見て、悲しそうに笑った。


「ですよね。……私の方で、計画を変更しようと思うのですが、構いませんか?」


「……取り乱してすみません。お願いします」


 イプシロンは頷くと、ソファーから立ち上がった。


「アテノジャムン、本当に美味しかったです。今度は私が、何かお土産を買ってきますね」



 ○○○ 



 中央教会の裏庭に向かう。


 緑のアーチを潜り抜けると――銀髪の少女と、黒衣の女性が、楽しそうに話していた。


「アル、やっと来たの!」


 マオさんが跳ねるような声で言った。


「お待たせしました」


「ほんとなの! イーナが――」


「ま、マオ様!」


 慌てたように、イーナがマオさんの口を押さえた。


 そのせいで、イーナの持っていた花束が、地面に散らばってしまった。


「あっ!」


「ご、ごめんなさいなの!」


 三人で拾い集める。


 赤、黄、白、ピンク――色とりどりの花は、マオさんとイーナ、俺で育てたものだ。


 イーナも俺もほとんど来れないから、実質的にマオさんが育ててるようなものだけど……中央教会にいる間は、水をやったり、雑草を抜いたり、できる限りの世話をしている。


 それほど大きな花束ではないから、幾らもかからずに拾い終わった。


 イーナと俺で半分ずつ、花束を持つ。


 漆黒のほうをまとうイーナと、青色の神官服をまとう俺。


 並んで立つ姿を、マオさんは満足そうに見つめていた。



 ――



 転移をすると、そこは薄暗い室内だった。


 いつものように、俺が花瓶の用意をして、イーナがお茶の用意をする。


 机を拭いて、真ん中に花瓶を置く。


 それぞれの花の角度を調整していると、イーナがお盆を持ってやってきた。


 三つの湯呑を、それぞれの席に置いていく。


 俺とイーナは、いつものように対面の椅子に腰掛けた。


 熱い湯呑を持って、一口飲む。


 染み渡るような苦味が、身体の中に落ちていく。


「……うん、美味しい」


 湯呑を両手で持っていたイーナは、見惚れるような微笑を浮かべた。


「お口に合ってよかったです。少しだけ生姜を混ぜているんですけど、分かりますか?」


「……言われてみれば、たしかに、身体がポカポカする気がする」


 イーナは嬉しそうに俺を見つめながら、お茶を一口すすった。


「――そういえば、サラさんから聞きましたよ。お弟子さんと、ずいぶん仲良しらしいですね」


「仲良し……んー、まあ、険悪ではないかもな」


「二人で抱き合っていたって、サラさんは言ってましたよ?」


 ……沈黙は金だと、昔の偉い人が言っていたらしい。


 俺は堂々たる態度で、湯呑を傾けた。


 そんな俺を……イーナは、何も言わないまま見つめている。


 全く、怒ってはいない。


 ただ、そうしているのが幸せだというように、俺のことを見つめている。


「……たしかに、そういうこともあったけど、あれは不可抗力で」


「たまには、サラさんも構ってあげてくださいね? 少し、寂しそうにしてましたよ」


「……そうだな」


 白い息をはいて、俺はイーナの隣に目を向けた。


 誰もいない席には、湯呑が一つ置いてある。


「自分が師匠になってみて思ったけど、色々と難しいんだな。丸っきり放置だと駄目だし、目をかけ過ぎたら過保護だって言われるし……」


 くすりと、イーナがおかしそうに笑った。


「アルさんも、やっぱり同じように悩むんですね」


「同じ?」


「お義父さんも、昔は同じように悩んでましたよ。お酒を飲みながら、お父さんによく相談してました」


「父上が……」


 そうか。


 父上も、同じように……。


 ひょっとしたら父上だけでなく、師匠も悩んでたのかもな。全然そうは見えなかったけど。


 ……お茶をすすりながら、これまでに出会ってきた、多くの人を思い出す。


 小さな頃は、この小さな村で、一生を終えるのだと思っていた。


 けれど……色んな場所を旅して、数え切れない人たちに会ってきた。


 たくさんのことを経験して、たくさんのことを教えてもらった。


「……次は、俺の番なんだろうな」


 ぽつりと言うと、イーナが漆黒の瞳を向けてきた。


 その視線を受け止めて、俺はぎこちなく笑った。


「なんでもない。――そんなことより、そろそろ行かないか? 母上が美味しい昼食を用意して待ってるだろうし」


「そうですね!」


 漆黒の芳と、青い神官服を脱ぐ。


 二人並んで、扉を開ける。


 エンリ村には、珍しく雪が積もっていた。


 真っ白な地面には、まだ誰の足跡も見当たらない。


 イーナと、顔を見合わせる。


 どちらともなく頷いて――


 同時に、足を踏み出した。






 幼馴染が俺の妄想だったはずがない


 ―完―





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幼馴染が俺の妄想だったはずがない くるくる @Kurukuru_5

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