11話 『エトレナ・ディクスト』
坑道が崩壊する。
黒い岩が――俺を避けるように降ってくる。
ぎりぎり、間に合ったようだ。
坑道には、たっぷりと魔素が染み込んでいた。
それを操作して、ほんの少しだけ、岩が落ちてくる方向をズラすことができた。
とはいえ、岩が落ちてくることは止められない。
大きな岩の陰――その小さな空間に、俺とエトレナは閉じ込められていた。
「……怪我は無いですか?」
エトレナを放して、俺はできるだけ距離を取ろうとした。
けれど、背中が岩に当たってしまって、ほとんど距離が取れない。
「はい。大丈夫です……」
エトレナが話すと、胸元に吐息を感じる。
……ものすごく居心地が悪い。
俺はエトレナを極力意識しないようにしながら、眼前三十センチの黒岩に触れた。
岩の隙間に霧を流し込んで、その先の構造を確認する。
「……かなり先まで、落盤しているようですね」
「アルさん」
ギュッと、エトレナが俺の胸元を握った。
「その……あの、私、狭い場所は苦手なんです。暗い場所も、実は苦手で……」
必死に堪えているようだったが、エトレナの声は震えていた。
……エトレナに当たらないように、霧を展開する。
紫電を走らせると、小さな空間が光に照らされた。
俺の胸の中で、エトレナは顔を上げていた。
ジッと、上目遣いで、俺のことを見つめている。
息遣いを感じられるほどの距離で、エトレナと見つめ合ってしまう。
慌てて目を逸らすと……重々しい声が聞こえた。
「アルさん。私、アルさんに隠していたことがあるんです」
横目で見ると、エトレナは照れた様子もなく、赤い瞳を俺に向けている。
「……どれのことですか?」
エトレナの正体がエトナだったことは、さっき判明した。
ついでに言えば……陛下の幽霊が言っていたことを思い出してみると、どうやらエトレナは、すでに陛下の幽霊と会っていたらしい。
おそらく、単独行動をしている間だろう。
話すタイミングはたくさんあったのに、そんな話は一言も聞いていない。
エトレナは、悪戯がバレた子どものような顔で言った。
「私の『能力』のことです。私は魔素を見ることができますけど、実はそれだけじゃないんです。
魔素の揺らぎから、その人の気持ちが何となく分かったり……あとは、ほぼ確実に、嘘を見抜くことができちゃったりして」
「……えっと、つまり、今も見ているってことですか?」
「はい!」
俺が気配を完全に絶つと、エトレナはむすっとした顔をした。
「魔素を隠しちゃうってことは、私に隠したいことがあるんですか?」
「人間誰しも、隠したいことくらいあります」
「……そういえば、さっき私が人質に取られていた時、アルさんには最初から、私を見捨てるつもりなんて無かったですよね?」
俺はエトレナから目を逸らした。
「エトレナを助ける算段は、付いていましたからね」
「もし助ける手段が無かったら、どうしてたんですか?」
「それは……」
俺は一度言葉を切ってから、真っすぐにエトレナを見下ろした。
真剣な目で、エトレナは俺のことを見ていた。
「……エトレナが一人前になるまで、私にはエトレナを守る義務があります。そう簡単には、見捨てませんよ」
エトレナは目を閉じると――ぽすんと、俺の胸に額を押し当てた。
「これ以上は、聞かないことにします。
……アルさん。アルさんも、『能力』を使えば、相手の考えていることが分かるんですよね?」
そこまで言って、エトレナは俺の背中に手を回してきた。
「……私の気持ちを、覗いてくれませんか?」
俺は、エトレナの金髪を見下ろしていた。
甘い匂いが、ほのかに漂ってくる。
なぜ、とは聞かなかった。
エトレナの身体に、軽く電気を流す。
ビクッと、一度身体を震わせて、エトレナは強く抱き着いてきた。
「……アルさん。胸がドキドキしてますよ」
「うるさいです」
エトレナは、小さく笑いながら言った。
「冒険者の先輩が言うには、腕に抱きついたら、男の人は大抵のことを聞いてくれるらしいです。
なら、こうやって胸に抱きついたら……アルさんは、私のお願いを、何でも聞いてくれますよね?」
エトレナが口を噤むと、小さな空間に沈黙が満ちた。
どこかで、小石の転がる音が聞こえた。
静かな声が、沈黙を貫く。
「私が、アルさんの弟子になった日。アルさんにこてんぱんにされて、中央教会に戻ってきた時……私、アルさんに聞きましたよね。アルさんが、お父様を護衛した任務のこと。
あの時、アルさんは嘘をつきました。全て、聖女様の指示だった――教会が公式に発表しているのと同じ話を、私に言いました。
……アルさん。私に、本当のことを教えてくれませんか?」
それが、エトレナのお願いだった。
軽い物ではない。
たぶん、エトレナは……その答えを、ずっと追い求めていたんだろう。
ひょっとしたら、この質問をするために、冒険者になって、聖官になって、俺の弟子になったのかもしれない。
俺は……あの日のことを思い出しながら、口を開いていた。
「私も、全てを知っているわけではありません。私が言えるのは……陛下が私に殺してくれるように頼み、私が陛下を殺した、ということだけです。
どうして、陛下がそんなことを頼んだのかは、分かりません。けれど、それが陛下の意志だったのだと……私は、そう思っています」
エトレナは、俺の胸に顔を埋めていた。
だから、どんな表情を浮かべているのかは、分からない。
その代わり……エトレナの中で渦巻く、幾つもの感情を、俺は感じ取っていた。
その感情を、一つずつ、エトレナは言葉に変えていく。
「あの小さな部屋にいた時……私にとって、お父様が全部でした。毎日、お父様が来てくれるのを、心待ちにしていました」
温かい、毛布のような感情が、エトレナの中に生まれる。
「お父様以外の人も来てくれましたけど、みんな、国王の部下でした。私のことを、国王の娘として扱ってくれました。
それが、私は不満でした。だから、アルさんが来てくれて……嬉しかったんです」
毛布とは別の、春の太陽のような、ぽかぽかとした感情だった。
それを感じながら、俺はエトレナの声を聞いていた。
「アルさんは、他の人と違いました。アルさんの前では、お父様はお父様でした。
三人で一緒にいると……まるで、家族のような気がしました。もしもお兄様がいたら、こんな感じなのかなって……そう思っていました――」
凍てついた、刃のような感情。
それが、エトレナを切り裂いている。
「アルさんが、お父様を殺したって、聞きました。始めは信じませんでした。そんなはずないって、お婆ちゃんに当たり散らしました。
でも……ある日、ふっと理解できたんです。お父様はもういないって。アルさんが、私からお父様を奪ったんだって。
その日から、私はアルさんを恨むことにしました。毎日頑張って、アルさんを殺すために訓練をしました」
そう語るエトレナの中に、憎しみは一つも浮かんでこない。
好きで、嫌いで、温かくて、悲しくて、苦しい。
ごちゃ混ぜの感情が、ぐるぐると回っている。
「アルさんを殺すために、神官になろうと思いました。『儀式』は受けられなかったので、冒険者になって、そこから神官になろうと思いました。
たくさん依頼をこなして、一年も経たないうちに、私は銀級冒険者になりました。
次は金級冒険者になるために、帝都に向かって……そこで、ビビアナさんとラウラさんに会いました」
パッと、光が差し込むようだった。
混沌が消えたわけではない。
けれど、エトレナの中は、さっきまでと比べ物にならないほど、鮮やかに色付いていた。
「三人で、一緒に行動するようになりました。ちょうどその頃、王国で冒険者組合が設置され始めたと聞いて、帝国から王国に移動しました。そこで――」
エトレナの声が止まった。
すがりつくように、エトレナの腕に力がこもる。
「……たくさんの人がいました。たくさんの人が、お父様のことを恨んでいました。そして……アルさんのことを、称えていました」
それを言ったきり、エトレナは黙り込んでしまった。
俺は……電気を流し込むのを止めた。
エトレナの背中に、手を回す。
声をかけることはしない。
無言で、エトレナのことを抱きしめる。
岩に囲まれた空間で、俺とエトレナは抱き合っていた。
そうしていると、不思議と落ち着いた。
互いの体温と、鼓動を感じる。
――数分が経った頃、もぞもぞとエトレナが動いた。
手を緩めると……胸の中から、エトレナが見つめてくる。
「……私は、アルさんのことが嫌いです」
「そうですか」
「アルさんのことが、好きです」
「そうですか」
「……アルさんは、私のこと、どう思っていますか?」
俺はちょっと考えてから、エトレナの顔を見下ろした。
「かわいい弟子、ですかね」
エトレナは、小さな頃とそっくりな、輝くような笑顔を浮かべた。
反射的に顔を逸らすと、意地の悪そうな顔が、視界の端に見えた。
「照れなくてもいいんですよぉ。こんなかわいい弟子ができて、アルさんは幸せ者ですね」
「訂正します。小生意気な弟子です」
「……嘘、ではないですね」
ぽかりと、俺の胸を小突いてくる。
それから、エトレナは岩壁に目を向けた。
「今さらですけど、この状況ってマズいですよね。アルさんが全く動揺していないところを見るに……何か、打開策があるんですか?」
「坑道に入った直後に、教会へ支援要請をしています。二、三刻で到着すると言っていたので……しばらく、ここでのんびり待ちましょう」
○○○
エトレナと他愛のないことを話していると、小さな地響きを感じた。
顔を見合わせて……霧を、岩の隙間に流し入れる。
さらにそこから電気を流して、数十メートル先まで意識を伸ばす。
――繊細な、動きだった。
力任せのようでいて、その裏には繊細な技術が隠れている。
一点に集中された力が、大岩を粉砕していく。
その直後に、細かな破片となった岩が凍り付き、坑道の内部が補強されていく。
「到着したようです」
「……早かったですね」
エトレナが言うように、教会に支援を要請してから二刻と経っていない。
あの雪道を、時速百キル以上で走ってきたということだ。
苦笑いを浮かべていると――エトレナがジト目を向けてきた。
「アルさん、ちょっと嬉しそうですね?」
「ん? ……まあ、ようやく窮屈な場所から解放されるわけですし」
お尻や腰、後頭部が、岩に当たっている。
魔素で保護してるから痛くはないけど、座り心地はすこぶる悪い。
「……本気で言ってるのが、ほんと、腹が立ちます」
エトレナはため息をついて、黒い岩壁に目を向けた。
いつしか、気配がすぐ近くまで迫っている。
エトレナは右手に青色のナイフを発現すると、それで岩を両断した。
パカリと、桃のように岩が割れた。
「アル!」
満面の笑みで言ったサラは、その直後に表情を固めた。
無言で、エトレナに目を向けている。
「……アルさん」
俺の胸元を引っ張って、エトレナが声をかけてきた。
「こちらの方は?」
「サラ聖官です」
「サラ聖官……ベータさんに聞いたことがあります。アルさんに、魔素の使い方を教えた方ですよね?」
教えたというか……まあ、教えたことになるのか?
俺が考え込んでいると、エトレナは純真な笑顔をサラに向けた。
「サラ聖官、はじめまして! エトレナ・ディクストと言います。先日、アルさんの弟子にしていただいた者です」
「む……うん、知ってるわ」
「サラ聖官は、アルさんの師匠のような方なんですよね?」
「……そうね!」
ついさっきまで機嫌が悪そうだったサラは、上機嫌に腕を組んだ。
そんなサラに無垢な笑顔を向けながら、エトレナは胸の前で指を組んだ。
「すごいです! アルさんのような、素晴らしい方の師匠だなんて……きっと、サラ聖官は、もっとすごい方なんでしょうね!」
「そうよ!」
「ところで、先ほど自己紹介しましたが、私はアルさんの弟子なんです。つまり、私にとって、サラ聖官は師匠の師匠ということになりますよね?」
サラは、上機嫌に頷いた。
エトレナは、輝くような笑顔で言った。
「サラお婆ちゃんって、呼んでもいいですか?」
空気が変わった。
サラの深紅の瞳と、エトレナの赤い瞳。
二つの間で、火花が散っている幻視が見えた。
俺は……気配を完全に消して、岩の隙間から抜け出した。
サラの後ろ――そこで、フレイさんがニマニマと笑っている。
「なんだ、小僧。ヤバいって言うからわざわざ来てやったのに……楽しそうじゃねぇか?」
「……どうでしょうか。ともかく、来てもらってありがとうございました」
フレイさんに、頭を下げる。
顔を上げた俺は、真面目な表情で言った。
「フレイさんなら、倒せそうですか?」
「ああ。あとは、俺に任せろ」
気負うことのない、ごく自然な口調だった。
その場に片膝を付いて、両手を岩の地面に押し付ける。
――ピキピキと。
フレイさんの手のひらを中心に、坑道が凍っていく。
黒い岩が、白い氷で覆われていく。
……抵抗は無かった。
闇の奥で、気配が消えた。
○○○
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