来訪者:バイク事故――④
この屋敷はやっぱりわけがわからなかったが、さっきみたいな目に遭うのは御免だった。
翌朝になってカフェ室に向かったが、昨日のあれがなんだったのか聞く気になれなかった。
「おはよう。よく眠れた?」
シラユキが笑いかけてくる。
「ま、まあ一応……」
それ以上聴けずに、ひとまず朝食を出される。
よく焼いた食パンに、目玉焼きやベーコンをカリカリに焼いたものがつけられた豪勢な朝食だ。
「ご飯とお味噌汁の方が良かったかしら」
「この雰囲気で白飯と味噌汁出されてもなあ……」
正太郎は思わずという風に言った。
「言えてる」
笑いながら朝食をとっていると、ウィルが入ってきた。修理が終わったから午前中には帰れる、ということだった。
二人は顔を見合わせると、拳を突き合わせた。
荷物をまとめてからガレージに向かうと、二台のバイクが並んでいた。
「おーう! メンテ終わったぞー!!」
声をあげたのは、オレンジ色の、少し汚れたツナギを着た少女だった。銀色のストレートをひとつに纏めているが、両側に一束ずつ赤い髪のある、赤い目の少女だ。
「終わったのか! ええと、カナリアって人は……」
「オレがカナリアだよ、おっちゃん!」
「お……」
まだそんな年じゃないぞと思ったが、確かに正太郎のほうが若く見える。
それよりも、「カナリア」が思っていたよりも少女だった事に驚いた。だが驚く間もなく、彼女は先に喋り始めた。
「使いすぎてて劣化してるとこがあったからな。部品もいくつか交換しといたぞ! 一応これで家には帰り着けると思うけど、一応バイク屋に見せた方がいいかな!」
「これって料金は……」
「いま払えるのか? オレの趣味だから全然いいけど」
「趣味!?」
「腕はいいぞ、腕は」
さすがにウィルが横から口を出した。
確かにガレージの中は使い込まれた感触がある。バイクだけでなく何かエンジンのようなものもあるし、用途不明の工具も転がっている。
「これだけあってなんで電話が無いんだよ、ここ……」
思わずぼやく。
「え? 正太郎の方の兄ちゃんは携帯持って……むぐっ」
何故か途中でウィルとシラユキの両方から口を塞がれるカナリア。
正太郎の方を見ると、なんとも言えない表情をしていた。
「まあとにかく、帰れることは帰れると思うぞ」
カナリアの代わりにウィルが言った。まだカナリアの口を塞いでいたからだった。
試しにバイクのエンジンをかけてみると、ちゃんと動いた。見た目に反してというか、思ったよりもというか、仕事はきちんとしてくれたようだった。
「これが敏雄のバイクかあ……!」
正太郎は興奮してあちこちから見ていた。よくあるタイプのバイクだというのに、まるではじめて見たかのようだ。
「それよりお前のバイクの方が凄くないか。これ、見た事無いな! 本当にこれ、中古か!?」
むしろ正太郎のバイクの方が初めて見るタイプだった。
中古だというからもっと古いのを想像していたのに、ずいぶんと洒落た作りだと思った。できればもっと見ていたい。たぶんお互いにそう思っていた。
カナリアがシラユキをみる。
「えーっと、この二人ってどこから出てきたっけ?」
「それより玄関から出たほうがいいんじゃないか?」とウィル。「落ちてきた場所に出ても面倒だろ」
「そうねぇ。玄関からならちょうどいい場所に出そうだし、そっちのほうがいいかもね」
もしかしてこの家の庭や裏口の近くに落ちてきたんだろうか。
でも、走っている途中にこんな大きな家は見えなかったはずだが。
バイクを腕で押して、玄関のある方へと行く。そういえばあの吹雪はどうなったのだろうと考える。あれだけ降っていたら、例え外に出ても帰れないのではないか。だがそんな心配をよそに、すっかり帰路につく準備は整えられていった。
「世話になったな」
いよいよというときになって、正太郎が不意に敏雄をじっと見た。
「そうだ、敏雄。これ、受け取ってくれないか」
「なんだ?」
正太郎は革張りのキーケースからバイクの鍵を外して、ケースの方を差し出した。
「せっかく会えたんだ。だからこれ……やるよ」
「ええっ、本当か!? というかお前、結構いいキーケース使ってるなあ! これ、革張りだしなかなか恰好いいじゃねぇか! いいのか、こんなの貰って?」
「大丈夫、大丈夫」
「それじゃ、俺のと交換……っていっても、俺のは使い古されてるぞ?」
「いいよ、それがいいんだ」
「お前、なかなか変わってるなあ」
敏雄は自分のキーケースから鍵を外し、正太郎に渡す。
「必ず、会いに行くから」
「何言ってんだ。それはここから無事に帰り着いたら言う台詞だろ。それに、俺とお前は一緒に酒を飲みに行くんだからな!」
「うん、必ず行く。だから、何度でも、何度でもこの話をしてくれ」
正太郎は頷き、バイクを押した。
「本当に変な奴だなあ」
「いいか、開けるぞ」
ウィルが玄関のドアノブに手をかけた。
「おう、世話になったな。気が向いたら礼に来るわ」
二人はバイクを押して、玄関のドアをくぐる。
「必ず行くから。だから、また会おうな。――爺ちゃん」
「えっ?」
横を振り向いたときには、もうだれもいなかった。
慌てて後ろを振り返る。
敏雄はバイクのハンドルを掴んだまま、山道の真ん中に突っ立っていた。正太郎の姿もどこにもない。
「……そんなバカな」
いままでのは夢だったのか。
「……いや……」
バイクは直っているし、ヘルメットには小さな凹みがそのままついていた。
そして、交換したキーケースが手の中に残っていた。
敏雄が大学まで帰り着くと、いつも通りの日常が待っていた。バイクを贔屓にしているバイク屋に持っていくと、ちゃんと修理されていることもわかった。事故ったとはいうが、既にバイクは直っているし、警察に連絡するのも面倒に思えた。
実家に行って近くを調べてみたが、不思議なことに「松下正太郎」という人物は存在しなかった。それどころか「松下」という苗字の家も近くには無かった。
いまやあの日の出来事を象徴するのは、正太郎から貰ったキーケースだけになってしまった。
それから十年、二十年、三十年が経った頃。
敏雄は長男夫婦が病院から孫を連れてくるのを待っていた。朝からそわそわと落ち着かなく家の前で待つ姿に、妻が呆れたように「来るのはお昼近くなってからですよ」と言葉を投げた。
ようやく長男の車が家の前に停まったとき、敏雄はいそいそと居間から出てきて、妻の後ろの方から覗き込んだ。
「もう名前は決めてあるのか?」
敏雄はそう聞きながらも、はっとした。
「……正太郎?」
その名前が口をついて出た。
「あれっ、もう知ってたのか!?」
息子は驚きの声をあげた。
「ちょっと古くさい名前かもだけどさー、逆に目立つかなって思って。それで……」
途中から息子の声は聞こえなくなった。
――ああ、そうか。こいつ。
――ようやく約束を果たしに来たか。
「俺と同じ、バイク好きに育ちそうだ!」
敏雄が豪快に笑うと、息子とその嫁はきょとんとしたように目を瞬かせた。
*
「しかし――こんなことがあるとはな」
カフェ室で、ウィルはコーヒーを啜ってからぼやいた。
「同じ日の同じ時間に、同じ場所で事故を起こした人間同士が――親族とはいえ別の時代からここに落ちてくるとは」
「そんなこともあるんじゃねぇの?」
「……」
隣でココアを飲みつつ気楽に言うカナリアに、微妙な顔をするウィル。
なにが起きても不思議ではないのだろうが、それにしたって、という気持ちになる。
「実際起きてるからな!」
「いいのかそれで?」
だが本当に実際起きているのだから、文句を言っても仕方がない。
「正太郎の方が、『この人、僕の爺ちゃんかもしれない!』とか言い出したときは、頭がどうかしたのかと思ったが……」
「うーん。そうねえ、敏雄さんの方が過去からやってきたって感じかしら」
シラユキはカウンターの中で首を傾げる。
「この屋敷の中とはいえ、今後に影響がありそうなことがあって良かったのか?」
最後にキーケースを交換するのを、誰も止めなかった。
それはおそらく、敏雄にとっては未来で作られたであろうものを――過去に持ち込むことになる。それは過去を変えることにならないのか。
「過去が変わるっていうより、敏雄さんがここで会う、っていうことがもう決まってたのかもしれないのだわ。だから、未来にとっては必要だったのかも」
「ふうん。……じゃあ、そういうことにしておくか」
そう言ってから、ウィルはコーヒーを飲み干した。
最果て迷宮の冬の魔術師【短編集】 冬野ゆな @unknown_winter
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