「悲願」の裏で、二つの価値観は共存できるのだろうか?

622年、ヒジュラ暦元年。イスラム教が成立した年です。
それから100年も経たないうちに、井筒俊彦曰くほぼ完璧に近い教義と、中東の肥沃な領土と豊富な資金を背景にイスラム教は地中海の制海権を得ます。当時のキリスト教はキリストの神性は認めないが人性は認める(※キリストが偉大な人物であることは肯定するが、神の子とはいえない)、という「異端」を排除したばかりであり、その異端・ネストリウス派やアリウス派と同じ考えを有する上、「神の子」を擁しながらも「絶対神」を擁するキリスト教が自らの弱点(※「神の子」という存在は絶対神の絶対性を否定しかねない)を埋めるために考えついた三位一体説を否定する、そんなイスラム教に悩まされていました。反面、イスラム教もユダヤ教・キリスト教の矛盾をムハンマドの教義を用いて「補正」する作業に追われており、こうした思想上の争いとともに領土争いも便乗して、両宗教の対立は抜き差しならないところまできていました。
そしてとうとうイスラム教初の帝国・ウマイヤ朝は、キリスト教徒の手元にあったスペインを入手します。
だから、スペイン奪還はキリスト教徒の悲願であったようです。
どのくらいの悲願なのか、現代に住む我々には理解できませんが、理解できないと突き放してしまうと、昔、そのなかで生きていた人を馬鹿にすることになるので今も思いを巡らせています。


で、本作のなかみなのですけども(ようやく)
そのヒジュラ暦元年の100年後の、レコンキスタが始まるスペインを舞台にしています。
その両宗教の怒涛の対立のなかで、司祭であるエルナンドが一人のイスラム教徒の女性と出会ったことから物語が始まりますが……
作者がこのスペインという地を舞台に選び、レコンキスタを題材に選んだ理由が非常に心に響きます。もともと二つの宗教が共存しており、庶民としてはそれなりに仲良く付き合い、しかし二つの宗教は決定的に対立している。
宗教と、思想の中でも非常に色濃いものを選ばれたと思いますが、これが別にただの「価値観」でもあり得ることだと思います。
異なる価値観が共存するには、ただただ語り合わなければならない。どうして彼はそう思うのか、どうして彼女はそう思うのか、ひたすら語り合わなければならない。その末に見えてくるものがきっとあるはず——というところで、あの結末というのはまるで「語る」ということも意味をなさず灰燼に帰すのだというふうにもうけとれますが、「言葉は、消えない」という作中の言葉の通り、ただ一つの言葉だけは消えませんでした。
最近は語るということがあまりに精神的な健康に直結するようになり、語り合うことさえ拒絶するような風潮が随所で見られますが、語り合わなかった先は無知と相互不理解による愚昧なる地獄なのだぞと、言われているように感じました。
この物語からスペインがキリスト教の色に塗り替えられるのは、1492年。争いが終わるまで700年以上のときがかかり、そのあいだ、スペインはキリスト教・イスラム教問わず、人の血にまみれていきます。

……なんてことを考えちゃう素敵な作品です!!思想オタ・宗教オタにむちゃくちゃおすすめ!!!