魔女と黒猫とガールズバー

霜月このは

魔女と黒猫とガールズバー

 ……ああ、もう。どうしてこんなところに来ちゃったんだろう。


 綺麗なお月さまが照らす明るい夜。だけど路地裏の隅で私は頭を抱えていた。

 この街に降り立ったのが夕方の四時過ぎで、今はもうまもなく夜の十時になるところだから、私はもうかれこれ六時間も彷徨い続けていることになる。

 街じゅう探したけど、お目当ての品は見つからなくて。やっぱりこの街もだめか、と諦めた。


 それで今夜の宿を探すべく、勢いよく西に向かって歩いているつもりだったんだけれど、目標にしていた太陽が沈んでしまったせいで、さっぱり方角がわからなくなってしまったのだ。せっかく街の人が宿屋までの道を教えてくれたっていうのに、この体たらくである。


 一回、来た道を戻ろう、とも思ったんだけど、振り返ったら似たような形の家ばかり並んでいて、もうどっちから来たのかもわからなくなっていた。

 こんなの多分、箒で飛んで上から眺めたら一瞬なんだろうけど。でも残念ながら、それはできない。


 こんなところで面倒を起こすわけにはいかない。だから知られちゃいけないんだ。

 私が魔女だってことは。

 

「あれ、お客さんですかー?」


 頭を抱えている後ろから、急に声をかけられる。


「えっ、わああぁっ!!」

「ふわぁあああっ」


 びっくりして思わず声をあげてしまったら、私の声に驚いてしまったらしいその女の子は、後ろに転んで尻餅をついてしまった。

 ちゃんとご飯を食べているのか心配になってしまうくらい、小柄な体躯。だけど綺麗な艶のある黒髪とキラキラしたオレンジの目を見れば、彼女が健康体であることは明白だった。


「び、びっくりしたぁ……いてて」

「ご、ごめん。……でも私もびっくりしたんだ。大丈夫?」


 私は女の子の手をとって起こしてあげようとする。だけど私の手が届く前に、彼女はスタッと立ち上がった。さっき尻餅をついていたのと同じ人とは思えない素早さで、驚く。


「大丈夫です! それより、こんなところでどうしたんですか? このへん、うちの店以外は何もないから、てっきりお客さんかと……」

「お店があるの!? 何時までやってるの?」


 ついつい身を乗り出してしまう。もう、足はすっかり棒になっていたし、なんでもいいから休みたかった。


「ひゃうっ。えっと、一応、朝までやってます、けど……」

「行く。案内して」


 即答する。ラッキーだ。このままこのお店で朝まで休ませてもらえばいい。


「……こっちですよ、どうぞ」


 女の子は私の勢いにまたびっくりしたみたいだったけど、すぐに気を取り直して、案内してくれる。

 暗い路地裏を進んでいくと、古びた木の扉があって、そこを開けるとすぐ階段があった。


「足元、気をつけてくださいね」


 そう言いながらも、彼女は私のことなど気にせずに、ひょいひょいと先に登ってしまうから、ついていくのが大変だ。

 階段を登ると、また木の扉がある。


「どうぞ! 1名さま、ごらいてん、でしゅ!」


 なんだかやたら滑舌が悪い掛け声と一緒に入店した。


「いらっしゃいませー」


 中はバーだったようで、カウンターの向こう側に若い女の子が何人か立っていて、こちら側の背の高い椅子には何人か男の客たちが座っている。


「マリナちゃん、ほら、お客さんにおしぼり出して!」

「へ? うあ、は、はぁい!!」


 さっきの女の子はマリナって言うのか。変な返事とともに、マリナは早足でお店の奥に向かって、すぐに帰ってきた。


「はい、おしぼりですっ」

「あ、うん。ありがと」

「あの、私、マリナです。よろしくお願いしますっ」

「あ、はい。よろしく」

「の、飲み物っ。な、なににしますか?」


 マリナはぎこちなくしゃべる。おそらくまだ新入りなんだろう、と思う。にしても、限度があると思うのだけど。


「なにがあるの? なるべく弱いお酒のほうがいいんだけど……」


 朝までいる予定だから、あんまり早くつぶれちゃいけないし……と思って訊く。


「えーっと、うーんと……。ちょっと待ってて! 聞いてきますっ」


 そう言うとマリナはまた走っていってしまった。どうやらメニューもまともに覚えていないらしかった。


「えーと、メニュー表、もってきました!」

「ありがとう」


 マリナが持ってきたメニュー表を眺めて、とりあえず一番飲みやすそうなお酒の水割りを頼む。


「水割りですねっ! つくってきますっ」


 そう言うとまた駆け出す。

 本当にもう、見ていてハラハラする。


 飲み物を待ちながら、お店の中をぐるっと見渡す。お客の人数のわりに、女の子の数が多い。なんとなく空気を察するに、ここは男のお客さんに女の子が一人二人ついて接客するお店のようだった。


 なんとなく、女の私が来るのは場違いだったかな、なんて思ったけど、来てしまったものは仕方ない。幸い、お金はまあまあ持っているし、よほど法外な値段を請求されなければまあ、大丈夫だろうと思う。


 しばらくして、マリナはグラスを持って戻ってきた。


「どうぞっ!」

「ありがとう」


 どんっ、と力強く置かれたグラスからはちょっとだけ中身がこぼれたけど、もう気にしないようにする。とりあえず朝までここで過ごさせてもらうんだから、多少のことには目をつむらないといけない。


「あのっ……おねえさんは、何てお名前なんですか?」


 おそるおそる……といった様子でマリナが訊いてくる。


「私は、コトノ。……そんなに緊張しなくていいよ」

「は、はいっ。ありがとうございますっ」


 私の言葉を聞いて、マリナはぱあっと笑顔になる。本当にわかりやすい子だなあ、と思う。


「コトノさんって優しいんですね! 好き!」

「え? は、はあ? ……ありがとう」


 この子は急に何を言うんだろう。ちょっと距離感が変だなーなんて思いつつ、持ってきてくれたグラスの酒を飲む。が。


 ……ぶっ!!


「ちょ、な、なにこれ、……濃すぎない?」


 私がアルコール弱すぎる、なんてことはないと思う。むしろ私はお酒が強い方だ。故郷の街で飲み比べた時には、幼馴染の男たちを軒並み潰してしまっていたくらいだったから。


「……ご、ごめんなさい。わたし、よくわからにゃくて……。す、すぐに替えてきますっ」


 そう言うとまたお店の奥へと走っていく。

 しかし、さっきからめちゃくちゃ滑舌が悪いのだけど、まさかマリナは酔っているのだろうか。


 マリナはカウンターの奥で、先輩らしき女性になにやら怒られている様子で。代わりのグラスを持って戻ってくる頃にはすっかり元気がなくなってしまっていた。


「ごめんにゃさい……」

「あ、うん。いいよ全然。それより、マリナちゃんもなんか飲みなよ?」


 こういう店では確か、女の子に一杯どうぞ、をするのがマナーだった気がする。


「い、いいんですか!!!??? やったーーー」


 やっぱりわかりやすく喜ぶマリナ。なんなんだろうと思っていたけれど、ここまで来ると、なんだか可愛らしくも思えてくる。


「わたしの、もってきますね! まってて!」


 ところどころ混ざるタメ語も、もうあまり気にならなくなっていた。

 自分のぶんのお酒を作って、マリナが戻ってきたので、グラスを合わせる。


「かんぱーいっっ!!」

「乾杯」


 もうひとくち、お酒を飲む。やっぱりお酒は少し濃いめだけど、もう言うのもめんどくさかった。


 やたら元気なマリナのテンションで、このガールズバーでの夜は始まった。




 *



 二時間後。午前〇時をまわったくらいだけど。


「それででしゅね、にゃんと、スミレちゃんが……」

「はぁ」


 すっかりできあがったマリナは、一方的に自分の話を振ってくる。よほど楽しいのだろう、お店の他の女の子たちのお話だった。


 私は私で、こうなる分にはいいんだ。

 自分の正体を知られたくなかったから、マリナが自分の話ばかりしてくれるのはかえって好都合だった。


「それで、にゃんと……スミレちゃんにモモコちゃんがキッスしてたんでしゅよ!!」

「……え?」


 いやまあ、今時、女の子同士だからとかで、キスくらいなんとも思わないのだけれど。

 目の前にいる女の子たちのそういう話を聞かされると、さすがになんだか落ち着かない気分になってくる。


「だからでしゅね、わたしもスミレちゃんにしようとしたらね、おこられちゃったの! ひどくないですかぁ!!??」

「あー、そうね、それはちょっと寂しかったねえ……」

「わかりますでしょぉ~~~? ねぇー? やっぱり、コトノしゃん、らいしゅきでしゅ」

「あーはいはい。ありがとうね」


 ここまでくると、どちらが客で、どちらが店員でなんだか、わかったものではない。

 私は別にかまわないのだけど、ちょっと先ほどから気になることがあった。

 それは、酔っ払ったマリナの頭のあたりに、にょきっと三角の物体が生えてきてしまっていることだ。


 最初はてっきり、そういうコスプレかなにかだと思ったのだけど。

 その三角はマリナがしゃべるのに合わせて、時折ピクピク、と動いたりしているし、飾りにしては妙にリアルな質感だ。

 それに、まわりを見渡しても、他にそんな猫耳を生やしている女の子なんていないから、多分そういう店ってわけでもないんだろう。


 と、なると、あれは。


「コトノしゃ~ん、もう一杯、いただいてもいいでしゅか!?」


 マリナはもう、すっかり調子に乗って、自分からお酒をおねだりにくるようになってしまった。


「いいけど。……そろそろノンアルにしといたら? だいぶ酔ってるでしょ。お水も飲みなさいよ」

「はぁ~い! わたし、お水持ってきましゅ!!」


 そう言うと、また駆け足でお店の奥に向かう。狭いお店の中なのにすぐ走りたがるから、危なっかしくて仕方ない。


 そう思って眺めていたら、ああ、またいけないものを見てしまった。

 なんとマリナのスカートがめくれあがっている。そして中身がチラッと見えてしまった。


 ……ああ、もう。


 それで確信を持たざるを得なくなった。

 マリナのお尻には、ニョロニョロ動く、長い尻尾が生えていたのだった。



「コトノしゃん、たらいま~」

「はい、おかえりー」


 マリナが、持ってきたお水のグラスを、私のお酒のグラスにかちゃん、と合わせる。もう乾杯すらも雑だった。


 耳と尻尾のことに気づいているのは、どうやら私だけみたいで。

 他のお客はすっかり酔い潰れていたし、お店の女の子は酔っ払いたちのお世話で忙しくて、こっちの様子なんか気にもとめていないようだった。


「それでね、それでね、マリナちゃんがねー」


 すっかり心を許してくれたのか、マリナは自分のことをちゃん付けで呼び始めたりする。


「マリナちゃんはね、世界一可愛いんだよー!」


 もう、ちょっと褒めすぎじゃないかってくらい、自分のことを褒めているけど、どうも様子がおかしかった。


「で、でも、マリナちゃん、わっ……」


 そう言いながら、ボロボロ涙を流すマリナ。やっぱりさすがにこれはだめだ。いくらなんでも酔わせすぎた。


 もうちょっと注意してあげたらよかったな、なんて思っていたところで、マリナはカウンターにつっぷして、動かなくなった。どうやら眠ってしまったようだった。


 スースーと寝息を立てるマリナ。

 その寝息と共に、ただでさえ小さい身体がみるみる小さくなっていく。

 あっという間に、両手に収まるくらいのサイズになったマリナは、カウンターの上で小さな黒い猫になっていた。


 ……ああもう、仕方ないな。


 私は、すっかり酔い潰れた黒猫をそっと抱きかかえる。そして人に見られないように、カバンの中に入れる。最低限の空気が入るように、ちゃんと隙間は開けておいたから、大丈夫だろう。


 しばらくして、お店の女の子の一人がこちらにやってきた。


「あれ、マリナちゃん、どっか行っちゃいました?」


 さっき、スミレちゃんと呼ばれていた女の子だ。雰囲気から察するに、マリナの先輩みたいだった。


「マリナちゃん、具合悪くなったみたいで。帰っちゃったみたい」


 そんなことを言って適当にごまかす。悪いけど、お仕事中に猫になった、なんて言われるよりはマシだろう。


「ほんとにすみません……。あとで叱っておきます」


 スミレはそんなことを言って、マリナの代わりに私のそばに付いてくれる。

 お酒の作り方も、マリナとは比べ物にならないくらい慣れた感じで、濃すぎるなんてこともない。


 軽く自己紹介をしあって、会話を始める。私は通りすがりの旅人だと言ったら、今まで訪れた街の話を訊かれたので、当たり障りのない話をした。向こうも深く突っ込んでくることはなくて、ただその場の会話を盛り上げてくれる。


 プロによる接客は、とても心地がよかった。

 だけど、なんだろう。さっきまでのマリナのドタバタのせいで、ほんのちょっとだけ、物足りない気持ちになったりもしなくはない。


 しばらくして、潰れて眠りこけたお客を置いて、他の女の子たちもぞろぞろ私のそばにやってきてくれた。


「わーい、女の子のお客さんだっ」

「あれ、マリナちゃんはー?」

「マリナちゃん、帰っちゃったんだって」

「え、またー?」


 何人もの女の子たちが、ワイワイガヤガヤ。まるで女子校みたいだな、と思う。私自身は通ったことはないけれど、きっと多分、こんな感じだろう。

 そんななかで、一人の子が話し始めた。


「マリナちゃん、最近ちょっと変だよね? 前はもうちょっとおとなしい子だったのに……」

「確かに。お酒ももうちょっと、作るの上手だったと思うんだけどなー」


 他の皆もそんなことを口々に言い始め、話題はすっかりマリナの噂話だった。

 話によれば、以前のマリナはずいぶん大人しい性格の娘で、こういうガールズバーとか、お酒を作るようなお店で働くような雰囲気じゃなかったとのことだった。


 だけど一ヶ月ほど前に一度体調を崩して寝込んでから、急に様子が変わったのだという。


「そういえば最近、マリナちゃん、イヴちゃんの話ぜんぜんしないよね。あんなに可愛がってたのに、どうしたのかな?」


 マリナは去年の冬に、道端で凍えていた子猫を拾って、その子をたいそう可愛がっていたとのことだった。子猫のイヴちゃんが待ってるからと、お仕事の帰りにみんなで遊んでいく、みたいなこともあまりしなかったんだそうな。


 ……なるほどね。


 私は一人、納得した。


 色々な女の子と話している間に、時刻は四時。そろそろ夜が明けてくる時間だった。


「そろそろ、帰るかな」


 私はお会計をして、お店を出る。黒猫入りのカバンを、路地裏に残して。

 まだ寒くて心配だったから、魔法でありったけの防寒具を出して、上にかけて。そしてお手製の粉薬を、たっぷり瓶に詰めてカバンに入れてきてやった。


 街の人々が起き出す前に、早く出発しないとね。

 丈夫そうな屋根を見つけて飛び上がる。しばらく街を見下ろして、心の中でバイバイした。


 短い付き合いだったけど、もう行かないと。私にもあまり時間はないのだし。

 箒を取り出して、スタンバイ。さて、そろそろ飛び立とう、というところで、目の前に黒猫が飛び出してきた。


「コトノさん……やっぱり魔女さんだったのにゃ」

「あら。もうお目覚め?」

「うん。毛布、あったかかった。ありがとうにゃ。……それと、薬も」


 顔をこすりながら、黒猫は話す。


「いいえ。私も、一晩あったかいお店にいられてよかったよ。いくら魔法でも、宿をまるごとはちょっとね」

「もう行っちゃうのにゃ?」

「うん。もうここに用はないから。元気でね、『イヴ』ちゃん」

「気づいてたんにゃ」

「まあ、魔女だしね。もう、酔いすぎには注意しなさいよ」


 魔女とか関係なく、あんな働きぶりじゃ、いつばれてもおかしくないんだから。


「みんなに黙っててくれて、ありがとにゃん」

「こちらこそ。マリナちゃん、元気になるといいね」


 それだけ言って私は、箒にまたがり、屋根を蹴る。


 飛び立ちながら、後ろを振り返る。屋根の上にはご主人様思いの黒猫が、こちらをじっと眺めていた。


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