大切で大嫌いで、そして…
間川 レイ
第1話
1.
あなたにとって、原風景とでも言うべきものはあるだろうか。それは、オリジンと言い換えても良い。あなたがあなたたり得る、原初の記憶。今のあなたを形作った、最初の記憶。それが無いという人間は中々いないだろう。私にだって原初の記憶とでもいうべきものはある。
それは、言葉だ。産みの母を幼くして亡くし、父の再婚相手から向けられた言葉。
「あんたなんて、もう育てられん。あんたなんて、引き取らんだら良かった。こんな子と一緒に生きていくのはもう無理や」
義母が家を出ていく前に言い残したその言葉。その言葉こそが、私の原風景だった。義母にすら、見捨てられた私。そんな私に生きている価値なんてない。そんな思いを心のどこかに残して。
2.
そんな思いを抱いて中学校に上がった私は、それはもう見事に荒れた。物を壊したり暴れたり、そんな典型的な荒れ方ではない。夜な夜な家を抜け出して、あてどもなく夜遅くまで出歩いてみたり。学業で私に劣る子を露骨に見下してみたり。そんな陰性な荒れ方をした。特に後者に関しては、なまじっか勉学に打ち込んでいた事もあって、見下す相手は次から次へと増えていった。
そんな私は当然の如く浮いた。浮いただけならまだいい。物を隠されたり、捨てられたり。いじめの走りみたいな目にもあった。そんなことに関わったと思われる子の持ち物を、同じように隠したり捨てたりしているうちに、そんなことも無くなっていったけれど、その代わり私に話しかける子もいなくなった。
いや、それでも1人だけ話しかけてくれる子はいた。名前を優。その名前の通り、優しい子だった。それでいて、私に似ている部分のある子でもあった。幼くして親が家を出て行き、残った片親も随分と私たち子供に厳しく当たる。それこそ、殴られたり罵られたりなんて日常茶飯事。ひどい時には馬乗りになって殴られたり、或いは着のみ着ままで家を放り出されたりする。そんな共通項を持つ私たちは、何処となく、馬があった。
それは優もまた、勉強ができる子で、まだ習っていないことに関しても突っ込んだ話が出来る子だったからかも知れないし、社会情勢にも興味があって、そうした話ができたからかも知れない。あるいははたまた、親に関して共通項があったからかも知れない。
とにかく、私たちは馬があった。私たちはいつでも一緒にいた。登下校中も。休み時間も。お昼の時間さえ。私たちは色んな話をした。最近ハマっている小説の話。親の目を盗んで見に行った映画の話。最近のニュースについて。親に対する愚痴で盛り上がった事もある。また殴られたんだ、酷いね。そんな言葉をかけてくれる子が1人でもいるという事実が、私に耐え忍ぶ力を与えてくれた。
優と話すのは好きだった。心がぽかぽかしてきて。世界に優と私だけならよかったのに。そんな事さえ考えたりもした。だってそうすれば、私たちを傷つけるものも無くなるのに。なんて。
でも、優とずっと一緒にいるうちに、私は気づいてきた。私と優は似ているようでいて、かなり違うということに。例えば友達。相変わらず私に話しかけてくる子なんてほとんどいなかったけれど、優の周りにはいつも友達がいた。クラスの人気者というわけではなかったし、少し変わった子という扱いを受けてはいたけれど、それでもその周りには友達がいた。例えば勉強。優は私と同じぐらい、いや、それ以上に勉強が出来る子だったけれど、決して周りを見下さなかった。それどころか、問題が解けずに悩んでいる子に頼まれれば、喜んで教えるような子でもあった。
そして、極め付けは親への態度。私たちは片親には捨てられ、残った親にだって毎日馬鹿みたいに殴られ罵られているというのに、優からは決して自分の両親に対する悪口を聞いたことがなかった。「あの人はただ厳しいだけなんだよ。」そう言って庇いさえする優。愚痴ぐらいはこぼすけど、そこからさらに踏み込んで憎しみを向けたりはしなかった。私にはそんな優の態度が不思議でならなかった。なんでそんなにも親を敬えるのか。大事に出来るのか。あいつらは機嫌が悪けりゃ殴り、罵ってくる。せいぜい私たちの事を生きて反撃してこないただのサンドバッグぐらいにしか思っていないだろうに。
そう言っても、優は哀しそうに微笑みながら「亜衣ちゃん、そんな事ないよ。いつか分かり合えるよ。」そういうばかり。何で優はそんなことが言えるのだろう。私には理解出来なかった。優のこぼす愚痴から、優の家庭環境ぐらいは知っている。酷い物だった。一挙手一投足にすらケチをつけられ、殴られる。そんな家庭。私なら、とっくの昔に耐えられなかっただろう。そんな家庭で育ちながら、人の善性を無邪気に信じれる優の事を気持ち悪いと初めて思ったのは、いつの事だったか。
一度、優の事を気持ち悪いと思ってしまえば、後は早かった。何故勉強ができない子にわざわざ教える。所詮、勉強ができないのは本人の自業自得だろうに。なぜそんなにもリーダーシップを取ろうとする。他人なんて放っておけばいいのに。陰であの子仕切り屋だからウザい、なんて言われても、優は挫けずリーダーシップを発揮する。「自分にできる事ぐらいはやりたいじゃない」
そんな事を言って。
私にはもう、優が理解できなかった。何でそんなにボロボロになりながら親を信じられるのか。裏で色々言われているのを知っているだろうに、それでも他人のために動けるのか。所詮、他人なんて私たちを傷つけるだけの存在。そんな人たちなんて、放っておけばいいのに。
偽善者。そんな言葉が頭をよぎる。よぎってしまう。そんな考えが、きっと態度にも出てしまったのだろう。私たちはあんなにいつでも一緒にいたのに、次第に疎遠になっていった。口を聞かなくなったわけではない。顔をあわせば楽しく話もする。だが、お互いがお互いを何となく避けるようになっていった。
そして、皮肉な事だが、優とあまり話さなくなってから私にも友達が出来た。その子たちは、優の事をあまり良く思っていない子たちだった。優のやり方を、あまりよく思っていない子たちであった。色んな話をしたけれど、反優という感情でまとまっているような集団だった。そんなグループにいれば、ますます優との関係は冷え込んでいった。当然といえば当然だろう。だが、私としてはそんなつもりではなかったのだ。たまたま顔見知りのクラスメイトに優の愚痴をこぼして。それがそのグループの耳に入って。ちょくちょく話しかけてくるからそれに応じていれば、いつしか私もグループの一員として扱われていた。
そして、私がそんなグループにいると言う情報は簡単に優の元へと届く。次第に優と話していても、優の表情に貼り付けたような笑みが浮かぶのを見てとった。
そんな目で見ないでよ。私はそう叫びたかった。悪いのは私だと分かってる。先に裏切ったのも私だって分かってる。こんな事を言うのは身勝手の極みだろう。でも優は、私に出来た最初の友達と呼べる人で、同志だったのだ。初めて心の底から分かり合える人ができたと思ったのに。
なのに優はそんな目で私をみる。感情の読めない、貼り付けたような笑顔で。きっと、彼女の親にだって向けるようなそんな笑顔で私をみる。それが私には耐えられなくて。逃げるようにグループとの関係を深めていった。優とはますます疎遠になり、滅多に話さなくなった。話を合わせるために言っていた優の悪口も、いつの間にかそれはまるで本心のように私の心に居座るようになった。
そして、私たちが中学3年生になるころ。優が生徒会役員に立候補するとの噂を聞いた。その頃の優の評判は、昔と違って大変いい物だった。曰く、誰に対しても優しくて、リーダーシップがあって、頭がいい。そんな子こそ生徒会長にふさわしい。
そんな評判を聞くたびに私の心にモヤモヤとしたものが広がっていった。確かに優は優しい。頼まれたらNOと言わないし、誰に対しても親切だ。だが私は覚えている。中学に入ったばかりの頃、そんな彼女をいい子ちゃんぶってと冷笑的に見ていた周りの人間。そんな彼らが優を一転持て囃すその姿は、私にとって大変疎ましく見えた。それに、そんな声に乗せられるように立候補を決めた優も優だ。私には気に食わなかった。だから、私も立候補を決めた。優を、生徒会長にしないために。
結果は私の無惨な惨敗だった。7:3どころか、8:2。あるいはポロリと情報を漏らした選挙管理委員の子の口ぶりからすれば、9:1すら可能性のあるぐらいの大差で私は負けた。方や校内随一の有名人で、方や知る人ぞ知るちょっと変わった陰気な子。勝負は初めから見えていたとはいえ、中々堪える差ではあった。でも1番腹が立ったのは、無邪気に当選を讃えるその周囲。それといつもの様に微笑んでそれに応える優の姿だった。そしてあまつさえ「ナイスファイトだったよ」と私に手を差し伸べるその姿。底の知れない笑顔を浮かべて。それはかつて私に向けた無邪気な笑顔とまるで違っていた。そんな目で見られるのが耐えられなくて。「うるさい!」と気付けばその手を払い除けていた。手を払い除けた刹那、優の表情が哀しげに歪んだのは目の錯覚だったのだろうか。私たちは、ろくな会話すら行わなくなった。そして、そのまま高等部へと上がった。
3.
私たちの学校は、中高一貫校だったから、多少の編入生を迎えた事以外はほとんどその顔ぶれを変える事なく高等部へと進級した。優は相変わらずの優等生として名を馳せ、それに反感を持つごく一部の生徒が私の属するグループで管を巻いていた。私も、ずるずるとそのグループに属し続けていた。
優の手を振り払って以来、私と優の間に会話は殆どなかった。お互いがお互いを無視しているわけではない。顔を合わせれば会話ぐらいはする。だけれど、その会話はどこまでも義務的で、他人行儀。とても心弾む会話とはいえなかった。かつての優の面影などどこにも感じられない、乾いた仮面を身につけた優との会話。私はそんな優に、次第に苛立ちを覚える様になった。グループにこぼす優の愚痴も次第に増えていく。そんな事情を知ってか知らずか、ますます優の被る仮面の分厚さは増していく。優からは次第に冷ややかな感情すら感じる様になった。
そんな折だった。優が高等部の生徒会選挙に出馬する、という噂を聞いたのは。私も即座に出馬を決めた。別に、優を生徒会役員にしないためという訳ではない。その証拠に、今度は別の役職で立候補したのだから。ただ何故立候補したのかと問われると応えるのは難しかった。優と同じ生徒会に入れば、優とまた昔みたいに仲良くできると思ったからか。おそらくは違うだろう。もう、私たちは違う人種だということがお互い理解できすぎるほど理解できていたから。あるいはひょっとしたら、私も優が見ている世界を見てみたくなったのかも知れない。かつてあんなに大好きで、いまや複雑な感情を抱く親友。あの子と近い場所に立てたら、あの子が何を考えているのかがわかるかも知れない、だなんて。
選挙の結果、優は大差で先輩を下し副会長となり、私は僅差で逃げ切り書記となった。そして肝心の生徒会運営だが、私と優はしばしば対立した。私が右といえば優は左。私が秩序を重視すれば、優は自由を重視した。それはさながら水と油。信じるものが違う、価値観が違う。論戦はしばしばヒートアップし、怒鳴り合いに近いところまで行くことさえあった。でも私は楽しかった。まるで、かつての私たちに戻ったようで。私たちがまだ胸を張って親友と言えた頃も、ニュースの解釈を巡ってこんな風に議論しあったな、なんて。それに、生徒会役員として話をしている時だけは、優も私を見てくれている気がした。いつもの貼り付けたような笑顔じゃなくて、鋭い目つきで熱を込めて話してくれる。私は嬉しかった。
でも、オフの時は、私人として会う時の優はまるで違っていた。何重にも貼り付けた笑みを浮かべ、優しくうんうんと頷く。嘘つきと叫びたかった。昔の優はそんな腹の底の読めない顔をしなかった。もっと熱くて、人間らしかった。でも今の優は違う。まるで優等生という張り紙を貼られたお人形さんのよう。気味が悪かった。昔みたいに怒ってみせてよ。笑ってみせてよ。そんな私の内なる声は届かない。だから私は優のことが苦手になった。否、はっきり言おう。嫌いになった。気持ち悪かった。生徒会で見せる昔の優としての顔と、お人形さんとしての今の顔。そのギャップに吐きそうだった。だから私は書記を2期務めたあと、生徒会から引退した。優は引き留めてはくれなかった。
優といえば、非常に思い出深い光景がある。それは私が生徒会を引退した高校二年生の夏のこと。その頃は優から話しかけてくることなんて殆どなかったのに、珍しく呼び止められた。曰く、バンドをやっているのだがチケットが売れ残ってしまった。よければ一枚買ってくれないか。優が、バンドをやっている事を私は知っていた。だって、前にドラムとして誘われた事もあったから。その時はすげなく断ってしまったけれど。なんで断ったか、なんてもう覚えていない。でも、チケットを買うぐらいはいいか。その時の私は思った。以前優のバンドに誘われた縁もある。最悪、ブッチしてしまっても構うまい。そんな軽い気持ちで私はチケットを買った。買ってしまった。
後日、私は優のバンドを見にバンドハウスにきていた。優のバンドメンバーに是非に、と誘われたこともあって。そして私は後悔した。そこには私の知らない優がいた。優は、輝いていた。ステージの上で、心底楽しそうな笑顔で。キラキラ、キラキラと。優は、眩しかった。そんな顔ができるなんて、私は知らなかった。ライトの光の下、汗を散らして演奏する優は、本当にかっこよかった。そして、優が、心底無邪気な笑顔をむける相手がいた。それはベースの男だった。かつて私に向けていたような無邪気な笑顔。それ以上の何らかの熱のこもった目線を向けていた。2人が特別な関係にあることは明らかだった。そして、それは皆の周知の事実の様だった。私は吐きそうだった。私は、私だけは何も知らなかった。アンコール、アンコールの掛け声が響くなか、私は光の中の優に背を向けて私は帰った。私は、もう優に話しかけられなかった。優も、私に話しかけてくることはなかった。そして私たちはそのまま卒業した。
4.
それから数年して。お互いが大学を卒業し、社会人数年目となった頃に開かれた同窓会で、私たちは再会した。優の苗字は、私が知るものとは異なっていた。
「結婚したんだ。」その私の質問に静かに微笑んでみせる優。「子供もいるの。」そう言って見せられる家族写真。例のベースの男と3歳ぐらいの男の子が手を繋いでいる。その反対側には無邪気な笑顔を浮かべる優の姿。かつて私に向けられたような無邪気な笑み。そんな幸せそうな笑顔で、優は写っていた。かつて私だけが得られていた笑顔。その先に私はいなかった。「おめでとう」そう返す私の声は震えてはいなかったか。私は優と分かれて同窓会場を出る。
溢れる雫を拭いながら廊下を歩く。惚れていたわけではない。大好きだったわけではない。私たちの関係はそんなものじゃない。陰口だっていっぱい言ってしまったし、決して世間一般でいう良好な関係ではなかっただろう。
だが、私は優の事を本当の意味で嫌いにはなれなかった。どんな時でも他人を思いやれるあの子の精神性に憧れた。そう、憧れたのだ、私は。あの眩い光のようなあの子に。その名の通り、どこまでも優しいあの子に。私は優みたいになりたかった。今ならわかる。だから優みたいになりたくて生徒会に入ったし、あえて同じバンドに入る事を避けた。
だけど、優の世界に私はいなかった。私は優が結婚したことすら知らなかった。一世一代の晴れ姿。その場に呼ばれることすらしなかった。どこで私は間違えてしまったのだろう。おそらくは最初から。届かぬ光に憧れた、あの時から私は間違えていたのだろう。憧れたことが間違いじゃない。それだけは絶対に間違いじゃない。ただ。接し方が間違っていたのだ。もっと、マシな接し方をしていたら。きっと、未来も違うものになっていただろう。
来世が欲しい。切実にそう思った。もしくは人生を記憶を引き継いでやり直せたらどれだけ素敵なことか。あなたの隣に立たせてくれ、なんてそんな贅沢は言わない。ただ、今よりもっとましな位置であなたを見る事を許してくれたら。だが。それは夢なのだ。決して叶わぬ夢。
外は、雪が降っていた。ふわふわとした雪が私の髪に、肩にふりつもる。だが、不思議と払い落とす気にはなれなかった。私はいっそ雪の彫像になってしまいたかった。朝日が登ればぐずぐずに溶けて消えてしまう、雪の彫像に。なのに私の身体は一向に凍ってくれなくて。
頬を、溢れた熱い雫が流れていくのが鬱陶しかった。
大切で大嫌いで、そして… 間川 レイ @tsuyomasu0418
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