ブラームスの推し活子守唄・改稿版

柴田 恭太朗

推し活こそ我が人生

 おいらはブラームス、ヨハネス・ブラームス。

 作曲家さ。生まれ育ったハンブルクなまりがちょいとばかりキツいが、そこは勘弁してくれな。


 遅咲きの作曲家として知られているおいらだけど、それはあくまでも表向きのかお。もう一つの貌は大きな声では言えないが、いわゆるアイドルのをやっている。おいらの推しは、ウィーンの誰もが知ってる天才女流ピアニスト、クララ・ヴィーク。あの美人の熱狂的ファンなんだ。どっちかというと作曲家というより追っかけのほうが、おいらの本性かな。これ、絶対ナイショだぜ?


 そんなわけだからクララ・ヴィークの演奏会があると聞けば、地方でも駆け付けて朝から握手会に並ぶし、彼女が新しい曲を作れば楽譜を買って応援した。ただね、場末の飲み屋のバイトで生計を立てているおいらのサイフにゃ限度がある。演奏会に行けないときは熱い思いをこめたファンレターを、そりゃあもう書いて書いて書きまくって、毎日のように送ったもんだ。


 クララの肖像画ポスターなんかも買い漁ったなぁ。美しい彼女の肖像画を部屋に貼って眺めたり、抱き枕を作って楽しんだりするわけよ。ただその肖像画だけど、画家の理想とする美形女性像が多めに加えられているせいか、ちぃーっとばかりホンモノのクララより眼が大きかったり、細面ほそおもてだったり、鼻筋が通っていたりする。実物のクララはドイツ女性らしく咀嚼力の強そうなアゴをしたゲルマン顔だったんだけど、まぁそこはよくあるアニメみたいに『盛った』絵なのだから気にするな。ファンは部屋にかざる肖像画はキレイなほうがいいし、当のクララ本人だって実物より美しく描かれてうれしくないはずがないだろ。


 ただね、おいらの推し活には、ひとつ大きな問題があった。それは、クララが既婚者だってこと。おいらはあこがれの彼女が人妻だなんて認めたくないから、いまでも前姓のままクララ・と呼んでいるけど、現実社会ではクララ・。かのロベルト・シューマンの奥さんだ。


 そこでおいらは一計を案じた。ダチのバイオリニストであるヨアヒムに頼み込んでシューマンを紹介してもらい、作曲のアドバイスをお願いしたってわけ。ロベルト・シューマンって人は寛大な男だね、下心があるとも知らずにおいらをとして受け入れてくれたのさ。そりゃもう快く、ふたつ返事で。


 おいらが初めてシューマン家へ挨拶に行ったとき、ちょっとばかり驚いた。というのも、旦那のシューマンとともに応接間で同席していたクララが、この弟子入り志願の若者の顔を見ても何も言わなかったんだ。おいらは「あれあれ?」って不思議に思った。だって彼女はおいらが握手会に通いつめている熱心なファンだってことに、絶対気がついてるはずなんだよ。おかしいなぁ、いったいどうしたんだろう。顔なじみのファンが尋ねて行ったんだから「いつも応援ありがとう」ぐらい言ってもよくない? アイドルのピアニストなんだからリップサービスぐらいするよね? あこがれのクララと親しくお話できると思って楽しみにしていたおいらは、期待がはずれて大いにがっかりした。


 でも数日と経たないうちに、そんなくだらない失望感は消えてしまった。なにしろシューマンは教え方のうまいすばらしい教師だったし、おいらが住まう同じ屋根の下にはわがいとしの推し、クララがいるではないか。ああ、クララ。推しのピアニストと一緒に同じ空気を吸って生きていけることの幸せよ! 素晴らしくも甘やかなる喜びよ! 感情があふれて新しいメロディが次から次へと浮かんできて楽しすぎる。シューマン家は作曲家ブラームスにとっての天国だったよ。


 それに推しが結婚していたって、おいらの愛情がさめるわけじゃない。たとえば真っ赤に焼けた鉄のかたまりを水の中に沈めたら、はげしい水蒸気爆発が起こるだろう? おいらの気持ちはそれと同じだよ。障害があればあるほど、クララへの愛は冷めるどころか、ぜて熱く膨れ上がるのさ。その思いのエネルギーを作曲活動に昇華させたってわけ。前向きでいいって? そう思うだろ。われながら感心するね。


 そうそう鉄で思い出した。おいらのダチにドボルザークってヤツがいる。アイツはいわゆる「鉄」だ。鉄道オタクってヤツ。アメリカまで行って何するかと思えば、汽車に乗りまくって、鉄道ネタの曲とか作ってやんの。何それ? あたおか。頭おかしいっての。やっぱり推し活というのはさ、追いかける対象はクララのような生身の人間じゃないと邪道だと思うんだよね。


 ところでおいら、こないだ「ブラームスの子守唄」って曲を作ってクララに弾いてもらったよ。初演はもちろん大成功。ピアニストは人気絶頂のアイドル、クララ・ヴィー……じゃなくてクララ・シューマンだし、作曲は巷で天才と呼ばれ始めた、この。この理想的なチームで失敗するわけがないよね。子守歌の楽譜が売れに売れたのは当然。楽譜の場合、印税とは言わないけれど、書籍に重版がかかると作家がもうかるのと同じで、楽譜も刷り部数が増えれば増えるほど作曲家にお金がチャリンチャリンと入ってくる仕組みなんだ。クララのおかげで、おいらもだんだんと裕福になっていったね。

 ほら「推し活は人のためならず」って言うじゃん。まさにソレ。


 売れた曲といえば「ハンガリー舞曲」もそう。あれだってクララが流行りを取り入れた曲を聴いてみたいとリクエストしてくれたから作る気になった曲。最初おいらはその流行りって何よ? と思った。ちょうどその頃、ジプシー音楽テンプレが流行し始めていたから試しに取り入れてみたところ、大成功ってわけ。ブラームスの名前が天才作曲家として押しも押されぬ存在になった一曲だ。

 マジ、クララさんってば女神様かよ~って思ったね。


 またあるとき「ヒゲを伸ばしたらどうかしら?」なんて提案してきたのもクララ。おいらは翌日からヒゲを伸ばし始めた。推しが勧めてくるならヒゲでも首でも伸ばしてみせてご覧に入れましょうってもんさ。その結果わかったのは、意外においらはヒゲが似合うってこと。さすがは女神様、お導きに間違いがない。気を良くしたおいらは、どんどんヒゲを育ててトレードマークにすることに決めた。最終的にはチラ見した誰もが「あれってブラームスじゃね!?」って気づくほど印象的なヒゲにしてみたい。


 あと、これ。これはぜひとも書き残しておかねば。

 長年推し活を続けるといいこともあるってこと。日頃の全力推しに感謝したクララからピアノを贈られたんだ。嬉しかったなぁ、推しからプレゼントをいただくなんて、まったくファン冥利につきるよね。プレゼントされたピアノの鍵盤をクララその人だと思って、昼となく夜となくでているうちにピアノの連弾曲がたくさんできた。


 作曲したのは新曲ばかりじゃない。もともとオーケストラのために作ってあった交響曲や弦楽合奏曲を、じゃんじゃんピアノ曲へとスケールダウンして編曲していったわけ。何のためって? そりゃもちろんクララと連弾するためよ。しかもただアレンジするんじゃなくて、わざとおいらの右手とクララの左手が交差するように書いたんだ。ウソだと思うならゼクステットのピアノ譜を開いてみるといい。二人の奏者の手が演奏中に不自然なほど交わるように仕組んであるから。


 想像してごらん? 楽譜を追って一心にピアノを弾く二人。メロディと気持ちが最高に盛り上がったところで、愛の言葉を交わすがごとく二人の手が鍵盤の上で交差するのさ。ときに優しく、ときに激しく。ひょっとすると彼女の白くなめらかな指とおいらのごつい指が空中で触れあうかも知れない。指と指との逢瀬おうせ、そして軽やかなキス。ああ、至福。なんというエクスタシー。ふだん握ることも許されない推しの手に触れる瞬間。おいらの心の中で熱い火花がはぜる。推しの禁忌の指に触れたっていいじゃないか。なにしろそれは、演奏中の偶発的なできごと。すべては芸術のためなのだから。

 ふふふっ。策士だろう? このブラームスさんは。


 もうひとつ告白しておこう。おいらはいわゆるオタクだ。

 自分から名乗るのもアレだけど。オタクだから人との会話はうまくない。いってみれば典型的なコミュ障で、親友のバイオリニスト、ヨアヒムでさえ激怒させたことがある。あの温厚で聖人君子の誉れ高きヴィルトゥオーゾのヨアヒム君をだよ? おいらの人格破綻ぶりがひどいって? うん全然オッケー。気にしない。人格破綻者でも立派に名曲を書けるから平気なんだな。芸術家ってそういうものだ。


 その親友のヨアヒムと手紙でやり取りしていたとき、カチーンときたことがあった。怒ったおいらはヨアヒムに嫌がらせをしてやろうと思ったのさ。そこで書いたのが「バイオリン協奏曲 ニ長調」。主役のバイオリンソリストがなかなか登場しないので有名な曲だ。あれは初演が決まっていたヨアヒムへの嫌がらせ。ステージの上で、冒頭から所在なげに独りと立ち尽くすバイオリニストの間抜けヅラをせせら笑ってやろうという算段だ。言っておくぞ。オタクは執念深いからな? 怒らせないように気をつけろ。


 ヨアヒムのことはまあいいや。もうアイツとは絶交した。イヤなヤツがいる一方で、わが愛するクララは聖母のような優しい心と言葉で、コミュ障のおいらをうまく誘導してくれる。


 だから旦那のロベルト亡き後の四十年間、おいらがクララ親子を支えた。いいかい四十年だぜ? 生まれた子供が二回も成人できちゃう時間だ。長いよな。普通の男女なら夫婦になるには充分な年月だ。それでもクララとおいらは一線を置いていた。なぜか? クララの気持ちは分からねぇけど、おいらは思い出したんだ。シューマン家を始めて訪れたときのクララの妙なよそよそしさを。


 クララの他人行儀の意味をよくよく考えてみると、旦那においらとの関係(正確にはファンと推しだけどな)を隠そうとした行動かもしんねぇ。その頃からシューマンは心を病み始めていたから、クララはいざとなったら夫を捨てて、おいらに乗り換える心づもりが当時からあったのかも……。ま、人との距離感がわからねぇコミュ障のおいらには、クララとの恋愛なんて芸当はそもそもムリだったけどな。

 いや、つまんねぇ話をしちまった、忘れてくれ。おいらも忘れる。


 そんなわけで寡婦となったクララは大学で教鞭をとったり、演奏活動をして働いていた。しかし現実は冷たく厳しいもんだね、それでは子どもの養育費には足りなかったんだ。クララはその「ささやかな困窮」を隠し通していたから、世間の誰も知らないはずだよ。そこでいつも登場してくるのが、推し活に命を捧げるヒーロー、ブラームスさんさ。あれこれと雑多な生活費を出したり、クララが演奏旅行へ行きたいと言えばその費用も全部おいらが負担した。推しのためなら何のそのだね。


 もうひとつ思い出した。旦那のロベルト・シューマンが亡くなった直後のことだったな。クララは生活レベル維持活動の一環として、一番下の子どもが生まれるときに、命名権ネーミングライツをかけてキャンペーンを始めたんだ。女手ひとつで七人の子どもを育てなければならず、彼女も必死だったからね。一番推してくれたファンに子どもの名前を付けさせてくれるってイベント。彼女はファンクラブの全員に声を掛けていたけど、やっぱりおいらに期待していたんだと思う。


 そりゃもう頑張ったね、おいら。生涯で一番といっていいくらい推し活でお布施を頑張っちゃったの。他のファンを押しのけて、命名権を勝ち取ったときの達成感。この世はおいらのものって思ったぐらいの征服感。わかる? 「大学祝典序曲」の豪華で輝かしいメロディーラインが浮かんだのもその瞬間さ。


 そうやって命名権を得て付けた名前がフェリックス。いい名前だろう? メンデルスゾーンと同じ名前なのは偶然じゃないぜ。おいらはメンデルスゾーンも好きだから。巷じゃフェリックスは、おいらの子だって噂されてるけど、それは大きな間違い。推しとファンの間にゃ、超えちゃならねえ一線ってものがあるからね。ファンとしての掟を頑なに守る男、それがヨハネス・ブラームスさんだ。


 クララには何曲も捧げてきたけど、一番思い出深いのは「雨の歌」。彼女の誕生日に寄せて作った曲だ。クララはとても気に入ってくれたから、おいらも嬉しかった。推しの彼女の笑顔は、ファンにとって何よりのご褒美だ。


 もし「雨の歌」を聴いてくれるなら「バイオリン・ソナタ 第一番」で聴いて欲しい。第三楽章の冒頭が「雨の歌」、そして第二楽章には、このソナタを書いている途中で亡くなったフェリックスへの葬送を織り込んである。人生は喜びと悲しみで彩られているのだよ。ふむ、感傷的に過ぎるか。おいらも老いた。


 ◇


 クララが死んだ。

 推しのいない生活ほど味気ないものはない。敬愛するクララが亡くなって、おいらの気力は完全に萎えた。彼女の葬式の日にひいた性質たちの悪い風邪もまずかった。陽の当たらない花がゆっくりと枯れていくように、空気を断たれた蝋燭の火が音もなく消えゆくように、間もなくおいらは死んだ。人知れず緩やかにひっそりと。


 推し活に63年の生涯を捧げてしまったおいらだけど、女神の君がいたから良い曲をたくさん残せた。収支でいうなればトントン。え? それ以上だって言ってくれるのかい?

 ありがとうクララ、君のおかげでまったく楽しい推し活人生だったよ。


 完


※参考文献

「友情の書簡」

クララ・シューマン、ヨハネス・ブラームス著、ベルトルト・リッツマン編、原田 光子 編訳 みすず書房

「真実なる女性クララ・シューマン」

原田 光子 著 みすず書房

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