49 了


 バルデル伯爵領はメルダース帝国からの独立を宣言。それと同時にバルデル大公国を樹立。統治者として担ぎ上げられたのは、血の正当性を主張したベルツ。しかし彼が成人するまでの数年は現バルデル大公が摂政を担い、その後は宰相としてベルツを支えていく。


 残されたメルダース帝国であるが、こちらは民の留飲を下げるためにマーティアス・ノルベルト・ラ・メルダース皇帝と、ソアラ・エマ・ラ・メルダース皇后を戦犯として処刑。皮肉なことに、二名ともギロチンによって首を落とされることになった。アーデルハイトの例を警戒したようで、ふたりの遺体はまだ温かいうちに焼かれたという。骨は砕かれ、欠片も残さず北部の海へ溶けていった。


 しかし、バルデルの独立と反乱により、皇位継承権を持つ者すべてと、多くの貴族が死亡。統治者を失ったメルダース帝国は宙に浮き、バルデルの息がかかった貴族たちが治めることで一旦の落ち着きを見せた。現在はバルデル大公国メルダース自治領と名を変え、バルデル大公国の庇護下にある。

 メルダース帝国が残した各国への戦争賠償金という負債は、交易の利を上乗せする形で、バルデル大公国が引き継いでいる。今後、すべての返済が終わるまでに数十年を費やす予定だ。


 メルダース帝国の解体。二百五十年もの歴史を誇る西大陸の大帝国は歴史の海に沈み、地図からその名を消すことになった。

 それがとある龍の復讐であり、とある女の愛の証明だと知っている人間はほとんどいない。しかし、樹海の奥に佇む魔族の国では、王妃が偉大なる王へ愛を贈ったという、盛大なラブロマンスとして親しまれている。


 人間には受け入れがたい魔族の国であるが、ケイマン、ヴァリ王国、バルデル大公国が国家として認め、さらにうち二国が友好条約を結んだことで、ハッセルバムと聖ツムシュテク教皇国のあいだに不戦条約が結ばれる運びとなった。聖ツムシュテク教皇国はそれによって、通行料は必要とするものの、安全な南の海路を手に入れ、ハッセルバムは安定した外貨を得た。

 聖典は生きとし生ける者への博愛を重んじ、そこに魔族への忌避はない、と教皇が認めたことで、魔族は西大陸における実質的な『人権』を手に入れたことになる。

 聖ツムシュテク教皇国が不戦条約を結んだことをきっかけに、センドアラ公国もハッセルバムを国家として認めた。しかし、いまだ国交の開始には至っていない。かの国は今頃、虎視眈々とヴァリ王国の奪取を目論んでいることだろう。

 西大陸では国として認められていないホロホロ諸島は、ハッセルバムが友好国と同等の扱いをし、さらには積極的な交易をおこなうことで、その立場を変えつつあった。


 いまだハッセルバムに人間が踏み入れることはないが、ケイマンの港町とレッドラインでは魔族の姿を見かけることも珍しくなくなりはじめている。

 樹海の奥にひっそりと佇むだけであった魔族の国は、ハッセルバムというひとつの国として地図に名をのせることとなった。


 西大陸すべてを巻き込んだおよそ五年間の大戦は以降、歴史の中で西部六大国戦争と呼ばれる。ここから数十年後に起こる東部の統一戦争を除き、死者数、規模ともに最も大きな大戦となった。

 この西部六大国戦争の中で、どこよりも被害が少なく、どこよりも得たものが大きかった国。そして、この大戦を引き起こしたその国の王妃。


 アーデルハイト。


『悪魔から生まれた女』

『希代の悪女』

『メルダース史上最悪の皇后』


『氷結の青薔薇』


 人の命を吸って咲く青く美しい毒花に例えられたアーデルハイト・ヘルミーナ・ラ・メルダースが処刑されてから、僅か九年のあいだの出来事である。



「次はどこを落とすのだ、青薔薇」

「どこが欲しいですか? おねだりしてくださいませ」

「そうだな。甘味が食べたいから、ヴァリかな」


 いつもどおり、側近たちが集まる円卓の会議室。側近やその補佐官の目を気にすることもなく、国の統領たるクリセルダは膝の上に女を乗せていた。

 乗せられているアーデルハイトももはや慣れたもので、不埒に動き出す手を叩き落としながら書類仕事を進め続ける。数年前までは木の板に記されていた書類は、いまや白くて軽い紙へと変わっている。保管場所に困らなくなったはずが、各人の机に積まれたそれらは相変わらず山のような様相だった。


 為政者には暇など存在しない。


「シナリー様! 闘技場がッ!」

「んんんもう! またぁ!? あいつら何度壊せば気が済むのさ!」


 直すのにどれだけお金がかかると思ってるの! と叫びながら出ていくシナリーに続いて、会議の時間だと呟きながらマルバドが席を立つ。同じ会議に出席するはずのウルは何か問題を抱えているらしく、書類に噛り付いていた。


「だぁからぁ! これは国内流通が先つってんでしょ!」

「外務省の管轄だ! 僕が判断する!」

「あったま固いわね! この鈍くさカチンコチンエルフ!」


 アーデルハイトの耳元で、クリセルダが「あんな悪口、何を食べたら思いつくんだ」と呟いていた。『鈍くさカチンコチンエルフ』がどれほどの悪口なのかは知らないが、ユアンが耳を真っ赤にして怒っていることからしても、それなりに攻撃力の高いものなのだろう。アーデルハイトには関係ないが。


「ヴァリ王国は現状、センドアラ公国に虎視眈々と狙われておりますから。それに便乗するついでに、ケイマンもうちの国にしてしまいましょうか」


 そろそろディブス・トゥシマカサ改め、ディブス・ケイマンも邪魔になってきた。友好国でありながら、魔族がいまだ港町までしか浸透できていないのは、ディブスによるものとしか思えなかった。『けして敵にはまわらない』という言葉を頭から信じていたわけではないが、優秀な人間だと思っていたぶんだけ、残念な気持ちも大きい。


 ディブスは結局、己の方からアーデルハイトに殺されにきてしまった。権力を手にしてしまえば、復讐に狂った男でさえも愚か者に変えてしまう。


「それか友好国のまま、魔族におさめてもらうことにしましょうか」


 耳元でクリセルダがくすくすと笑う。くすぐったさに身をよじれば、逃がすまいとするように腕の力が強くなった。何度本人に告げたかわからないが、アーデルハイトは首と胴体が離れている。さらに上半身と下半身まで切り落とされるのは御免である。腕の力を緩めて欲しい。アーデルハイトはまだ、三分割にはなりたくない。


 ハッセルバム発展の勢いは、いまだ止まるところを知らない。アーデルハイトに蛮族の国と称されたこの国は、陸路の整備に続き有翼種族による空路の開発まで着手されている。乾いた大地に水が染み込むように、ハッセルバムは成長を続け、文化を咲かせていた。もはや蛮族とは呼べまい。

 人間とは違い長寿の国であるハッセルバムは、未来への展望に焦りを覚えない。クリセルダの意向により、いずれは魔王一強の統一体制から複数名の側近たちによる政治体制へと変えていく。だがそれも、まだまだ先のことに違いない。


 ハッセルバムは、ハッセルバムの民はまだ、強き王と王妃を必要としているのだから。

 

 国を、民を、ただ一心不乱に愛し続ける王妃を、民たちは賛仰し敬愛した。長い歴史の中で失われた魔族の誇り。それをふたたびこの地に咲かせ、己をただひたすらに愛してくれる女を、民たちが愛さないわけがなかった。愛することで愛を求めた彼女に愛を返すように、名前のなかった首都を民たちは敬意を込めて『ブルーローズ』と呼ぶ。


 青い薔薇の咲く、ハッセルバムの首都ブルーローズ。それはまさしく、アーデルハイトが何よりも欲しがった、民による愛の証明だった。


「青薔薇はなにが欲しい? 私にもおねだりしてくれ、可愛く」

「そうですね。では、生涯の愛をくださいませ」


「だぁああああ! うるっせぇんだよ! あっちはギャーギャー、こっちはイチャイチャ! 全員外でやれッ!」


 吠えた犬に、皆が笑う。

 ハッセルバムは今日も平和だ。



 アーデルハイトは国のために生きてきた。

 その生き方しか知らなかったから。その生き方しかできなかったから。

 すべて、国のためにやった。

 すべて、この愛のためにやった。


 アーデルハイトはハッセルバムを愛している。

 アーデルハイトはハッセルバムの民を愛している。

 アーデルハイトはクリセルダ・ハッセルバムを愛している。


 すべて、国のためにやった。

 国のためとなるならば、アーデルハイトは百の国を落とそう。

 民のためとなるならば、アーデルハイトは万の民を焼き払おう。

 貴女のためとなるならば、貴女さえも殺してみせよう。


「貴女に尽くしますので、どうか愛をくださいませ」


 貴女が死ねというのなら、喜んで死んでみせよう。

 貴女が殺せと言うのなら、神すらも殺してみせよう。

 死ぬまで共に生きたいと願ってくれるのなら、どうかこの身を生かしてみせて。



 アーデルハイトは青い薔薇。

 人の命を吸って咲く、青い毒花。その毒がたとえ己を蝕んでも、アーデルハイトはそうやって生きていく。


 それが、青い薔薇の愛の証明。




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これにて完結となります。

二か月間、ありがとうございました。


番外編も書けたらいいな。

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青い薔薇の愛の証明 うちたくみ @uchi_takumi

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