第19章 疑心

 咲田はパソコンのキーを叩く指を止めた。

 大きく伸びをすると、深い吐息をつく。

 課内に人影はほとんど残っておらず、鈴村も、ついさっき申し訳なさそうに彼女に声を掛けると席を外している。

 その日に起きた発生事案の報告書は、当然当日の内に仕上げなければならない。

 今回の一件についての報告書は、自分から作成を名乗り出たのだが、いざ取り掛かると、余りにも非現実的な内容だけに、殊の外文章が進まなかった。

 漸く何とか仕上げたものの、咲田の心中には消化しきれない蟠りが存在していた。

 室戸沙耶は、何故やってはいない兄の殺害を自白し、出頭したのか。

 彼女は兄に遺書を送っており、それには勿論、兄自身の殺害には触れられていない。しかも、遺書を送信する少し前に、彼女は兄に電話をしているのだ。

 電話で会話していながら、何故直後にメールで遺書を送信しているのか。

 わざわざメールを送らなくても、電話で話せばよいのではないか。

 不自然過ぎる。

 室戸沙耶の電話を受けて、兄は慌てて家を飛び出している。

 彼女の兄は縞川家に原付で向かったのだが、その前に警察に電話を入れている。

 彼女が遺書の内容を告げたとしたら、兄のその行動に違和感はない。

 であれば、尚更遺書を送信する必要はないのだ。

 だが、兄が警察に電話をした内容は、縞川家の何かあったらしい――それだけだった。

 やはり、兄への電話の直後に、室戸沙耶は遺言を綴り、メールで兄に送信したのか。

 その兄は、崖にしがみ付いて助けを求める長男を助けようとして、誤って一緒に転落し、命を落としている。

 室戸沙耶からのメールは既読になっておらず、兄はその内容を知らずに亡くなったものと思われる。

 問題は、この事件の全貌だ

 室戸沙耶が遺言に書いた犯行の告白の中に、長女をローブで絞殺した後、彼女の両親をナイフで殺害、そして長男を崖から突き落としたと記されていたからで、他に証明する物的証拠が無い故に、これに頼らざるを得ない状況だった。唯一生き残った長女も、息を吹き返した時には両親も沙耶も既に亡くなっており、事後の有様しか目撃していない。

 つまり、言い換えれば、誰もその現場を見てはいないのだ。

 咲田は古びた事件記録を広げた。

 当時、塚原がまとめた報告書で、事件の状況が事細かに記載されていた。

 調書は唯一生き残った美汐の証言と沙耶の遺書を元に作成され、被疑者死亡のまま、書類送検となっている。

 その中に兄の死については触れられておらず、あくまでも事故死として処理されているのだ。

 にもかかわらず、室戸沙耶は毎年事件のあった日になると警察に電話を掛け、兄を殺したと自供するのだ。

 過去の報告書を見ると、室戸沙耶から電話が掛かって来るようになったのは、事件が起きてから六年後で、それ以降、毎年必ずその日になるとかかって来るようになったようだった。

 報告書は、最初は塚原が仕上げていたが、途中から鈴村が請け負っている。

 室戸沙耶の連行は彼らとプラス女子職員一名で出向いているようだった。因みに、鈴村以外の女子職員は、毎年担当が変わっていた。

 室戸沙耶は、いったい何を訴えかけようとしているのか。

 それも何故、事件発生後、六年もたってからこのような現れ方をするようになったのか。

 何の為に、殺してはいない兄の死についてのみ、自分がやったと供述しているのか。

 事件そのものも何となく不透明に感じる点があるものの、毎年繰り返される室戸沙耶の不条理な行動が、咲田の脳裏に渦巻く疑問符の全てを根こそぎ搔っ攫っていた。

「手間取っているな。少し頭を冷やせ」

 塚原が咲田の目の前に缶コーヒーを置いた。

「あざーっす」

 咲田は缶コーヒーを手に取ると、リングプルを引き揚げ、口に含んだ。

 芳醇な香りと共に、ほろ苦い味が口内に広がる。咲田が好んで飲んでいる定番のブレンドだ。部下の好みまで掌握している塚原の視野の広さに、咲田は感服した。

「報告書は何処まで出来た? 」

「もう終わってます」

「そうか。じゃあさっさと帰れ」

「でも、ちょっと気がかりな事がありまして」

 咲田は作成した資料をデスクトップ上で塚原に見せた。

 室戸沙耶の自供内容と捜査資料を比較して、気付いた矛盾を彼女なりにまとめたものだ。

「ほう、良く調べたな。ちょっと待ってろ」

 塚原は自分の席に戻ると、表紙がよれよれになった一冊のノートを取り出した。

「これを見てくれ」

 塚原は再び咲田のそばまで来ると、彼女にそのノートを手渡した。

 使い込まれている割には、タイトルの記載がない。個人的な備忘録なのだろう。

 咲田はノートの表紙を捲った。

「これは・・・」

 咲田は食い入る様にノートの文面を追った。

「君と同じだろ? 俺も気になって自分なりにまとめてみたんだ」

 塚原が咲田に差し出したノート――そこには、咲田がまとめた室戸沙耶の自供内容と捜査資料を比較したものと同様の内容の文章が書き記されていた。

「係長も疑問に思っていたんですね」

 咲田は感慨深げに頷いた。

「まあな」

 塚原は照れ臭そうに頭を搔いた。

「事件そのものもそうだが、室戸の霊の事も、何だか引っ掛かってな」

「ですよね」

 咲田は塚原に同意した。事件だけでなく、室戸沙耶が霊となってまでも出頭し続ける点に関して、塚原も彼女と同じ目線で思案していたのだ。

「事件は室戸の遺書と生き残った長女の証言だけで立件され、被疑者死亡のまま書類送検されたが結局不起訴だ」

「まあ、そうなりますよね」

「でもな、残された被疑者の家族は地獄だった。殺された一家がこの街の有力者の一族だけに、家族は毎日の様に掛かって来る非難中傷の電話の対応に追われ、その結果、祖父母は心労で倒れて他界し、両親は夜逃げ同然でこの街から姿を消した――と、表向きはそうなっているがな」

「え? そうじゃないんですか? 車の中ではそうおっしゃってましたよね? 」

 塚原の意味深な口調に、咲田は色めきだった。

「祖父母は医者から処方してもらった睡眠薬の過剰摂取が引き金になったらしい。あの事件以来、祖父母共に不眠が続き、かかりつけの病院で大量に処方してもらっていたらしいんだ。見方によっては自死ともとれる。それと両親だが、ひょっとしたら既にこの世にいないかもしれない。連絡が取れなくなって心配になった親類の方が、家を訪ねたら、新聞受けに遺書らしい手紙が残されていたらしい」

「それって! もしかして」

「そう言う事だ。ただ、御遺体が発見されていないし、そうとは決まった訳じゃないから、家出人扱いになっている」

「そうなんですか・・・」

 咲田は苦悶に顔を歪めた。犯罪は被害者だけでなく、加害者の身内も不幸にする。

 まさにその典型的な一例と言えた。

 室戸沙耶が死後も霊となって出頭するのは、被害者だけでなく、家族への謝罪も込められているのか。

 だとしたら。

 何故、彼女はやってもいない兄殺害をほのめかすのか。

 しかも、それだけを。

 おまけに霊となって現れるまでに六年の空白の間がある。

 考え方によってはそれも妙だ。

「鈴村さんも最初から同行しているんですね。あと一人の女子職員は毎年変わっていますけど」

 咲田は塚原のノートに書かれた文面をを追いながら、彼に尋ねた。

「ああ。みんな怖がって行きたがらないんだ。相手が霊とは言え、女性だしな。それに、同姓同名の別人の可能性が無い訳でもないから、男の職員が連行するのはちょっとな」

 塚原はそう言うと、咲田の隣の席に腰を降ろした。間近で見ると、浅黒い肌に皺が無く、白髪交じりの毛髪のせいで老けているように見えるが、実際にはそうではないのだろう。

「ん、どうした? 」

 塚原が怪訝な表情を浮かべると、咲田を見据えた。

「あ、いえ・・・意外と若いんだなって」

「失礼な奴だな。白髪のせいで老けて見えるかもしれんけど、これでもまだ三十六だぞ」

「え、マジですか」

「マジだよ」

 疑い深い表情で見つめる咲田に、塚原は苦情を浮かべた。

「ほら、免許証見てみろよ」

 塚原は運転免許証を取り出すと、咲田の鼻先に突き出した。

「流石ですね。ゴールドカードだ」

「そりゃそうだろ。刑事が違反切符切られてたら洒落にならんだろ。ていうか、見るとこ違うんじゃね?」

「生年月日は――あ、ほんとだ! すみません、疑っちゃって」

 咲田は申し訳なさげにぺこりと頭を下げた。

「まあ、人は見た目じゃわからんだろ? 」

「言葉の使い方、間違ってますよ。でも確かにです」

 塚原の言い回しに容赦の無い突っ込みを入れながらも、咲田は神妙な面持ちで頷いた。

 表面だけで捉えては真実は見えてこないのだ。 

 そう。表面だけでは・・・。

「まさかっ!? 」

 突然、咲田が声を上げる。

 両眼をかっと見開き、僅かに開いた唇を震わせながら、彼女は塚原を見た。

「どうした? 」

 咲田の豹変ぶりに圧倒されてか、半ば仰け反りながら、塚原は驚きの声を上げた。

「室戸沙耶は誰も殺してはいないんです。彼女はそれを私達に訴えているんです」

 咲田は両手で机上を叩きつけると、叫ぶように言葉を紡いだ。

 室戸沙耶は、自身の身の潔白を訴えるがために、あえて物的証拠の無い兄殺しを自供し、その他の殺害には触れていないのだ。 

 彼女はその事に気付いて欲しいがために、毎年事件の起きた日に、行動を起こすのだ。

「確か、室戸沙耶の霊が現れるようになったのは六年前ですよね」

 咲田の眼に鋭い刃物の様な輝きが宿る。その眼は、まるで尋問をするかのように塚原の顔を真っ向から捉えていた。

「そ、そうだ。たぶん」

 咲田が放つ威圧感に押されてか、塚原はしどろもどろに答えた。

「鈴村さんがここの部署に配属になったのは? 」

「六年前だな」

「やっぱりそうか・・・鈴村さんがこの部署に異動になってから、彼女は現れ始めたんだ」

「ああ、その通りだ」

 咲田の言葉に、塚原はどこか観念したかのように頷いた。どうやら、彼もその事には気付いていたらしい。ただ、彼のノートには、其の件は全く記載されてはいなかった。

 これはどういう事なのだろう。

 咲田は疑問に思ったが、それ以上の詮索は避けた。塚原が、それを拒む雰囲気を醸していたからだ。

「室戸沙耶は、自分を連行する女性刑事の一人が縞川美汐だって気付いていますよ。彼女は間違いなく鈴村さんに自分は誰も殺してはいない事をを訴えかけているんです」

 咲田は言い切った。室戸沙耶は連行中、鈴村に話し掛ける事はおろか、目線すら合わせようとしない。

 でも、間違いなく彼女は鈴村が縞川美汐だと気付いているはずだ。

「じゃあ、何故、室戸の霊は自分が殺していないって言わないんだ? 」

 塚原は腕組みをすると、斜に構えた口振りでを咲田に問い掛けた。

「庇っているんじゃないでしょうか。自分にとって大切な人を」

 咲田は塚原を見つめた。平静を装ってはいるが、彼の瞳孔は大きく開き、目線が泳いでいる。

 この人は、何かを隠している――そんな確信が咲田にはあった。

 話の内容が鈴村に触れ始めた頃から、明らかに彼の素振りはおかしかった。

 明らかに動揺している。

 しかも、彼のノートは、緻密にまとめ上げているにも関わらず、鈴村に関わる所が要所要所抜けているのだ。

 極め付きは、腕組みだ。

 普段彼は腕組みは一切しない。この行為には、自分の胸中を探られたくないと言う心理が働いており、彼自身、それを嫌っており、普段も腕組みする者とは話をしたくないとまで言い放っている。

 室戸沙耶の犯行動機は、引っ越しが決まった被害者家族の長女と別れたくなかったから。その根源には、長女――美汐に対して友情を超えた愛情を抱いていたからだ。

 だから、引っ越しを余儀なくされる原因となった父親の不倫は許しがたい事実であり、そんな父親に三行半を突き付ける訳でもなく、甘んじて異動を受け入れた母親に対しても、室戸沙耶は同様の怒りを覚えていたのだと言う。

 だがそれは、本人の証言ではなく、あくまでも遺書に書かれていた内容によるものだった。

 果たしてそれが、信憑性があると言えるのだろうか。

 メールでの文章故に、筆跡鑑定は出来ない。

 文章の癖から調べる事も出来るだろうが、当時はそこまで調査はされていない。

 携帯電話は他人が使えない様にロックされていたらしく、それ故に本人しか書き込めないであろうと言う見解だった。

 でも。

 電話を掛けた直後だったら。

 それを、何者かが奪い取って操作したとしたら。

 遺書に書かれた友情を超える愛情を抱いていたのが、実は室戸沙耶ではなかったとしたら。

「真実を、話して欲しいんでしょうね」

 咲田は呟いた。じっと塚原を見つめながら。

 彼の表情、挙動に、隠された真実に繋がるものの可否が込められているような気がしたのだ。

 室戸沙耶の霊が虚偽の自供を繰り返すのも、自分の無実を訴えると言うより、真実を語って欲しいと言う願いの現われではないのか。

 その一方で、塚原から助言されたとはいえ、鈴村が彼女に気付かぬ振りをして毎回同行するのは、室戸沙耶の霊が真実を語る事を恐れているからはないか。

「そこまでだ、咲田」

 咲田が最終結論に触れようとした矢先に、塚原がそれを制した。

「室戸の霊の件は別として、事件についてはとことん調べ上げ、俺は彼女を犯人と決めつけるには証拠が不十分だと当時の上司に散々掛け合った。でもな、無碍もなく門前払いさ。しかもそれ以上捜査するなとお咎めまで受けた。これは署長命令だとな」

 塚原は淡々とした口調で咲田に語った。彼は平静を装いながらも、綴る言葉の節々に苛立ちとやり場のない憤怒が見え隠れしていた。

「前に話したと思うが、縞川家はこの地域じゃ財政界に太い人脈を持つ一族だ。当然、警察の上層部にも関係者がいる」

 塚原は腕組みを解いた。

「俺は、何らかの圧力がかかったと思っている。糞腹立たしい話だけどな。下っ端の俺にはどうしようもない話だよ」

 塚原は忌々し気に毒づくと、自分の膝を叩いた。

 咲田は何も言えなかった。彼の仕草が演技ではなく、真意である事を、彼女は感じ取っていた。

「咲田には話しておく。実は、鈴村は俺の妻なんだ」

 塚原は目線を机上に落とすと、徐に呟いた。

「えっ! 本当なんですか? 」

 塚原の余りにも唐突で衝撃的な告白に、咲田は言葉を失った。

「署内では、旧姓を名乗っているけどな。同じ部署に夫婦で在籍しているのは異例中の異例なんだ。何故だか分かるか? 」

「何故って・・・」

「多分だけど、上層部から俺への口止め料のつもりじゃねえのかって思う」

 塚原は含み笑いを浮かべた。

「この件については、俺は生涯真実を追う事にしたんだ。個人的にな。ノートへの書き込みはやめたけど、全て頭に叩き込んである」

 塚原は、そう静かに語った。

 不意に、彼の携帯が鳴る。

「もしもし。ああ、もう帰る所。何? うん分かった。じゃあ・・・」

 塚原は苦笑いをしながら携帯を切った。

「妻からからだ。帰りにスーパーで牛乳を買ってきてくれってさ」

 咲田は笑えなかった。

 このタイミングで鈴村から電話とは。

 あの事件の事を、もうこれ以上話して欲しくない――彼女がそう、口止めしたように思えた。

「じゃあ、俺、帰るわ」

「はい、失礼します」

 塚原は椅子から立ち上がった。

「咲田、鈴村が俺の妻だって事は内緒だぞ。上の偉い方々は知っているが、この部署の連中は誰も知らないからな」

「分かりました」

「それと、鈴村の事、調べるのは自由だが、余り記録に残すな。本人に見られる心配がある」

「有難うございます」

 咲田は塚原に頭を下げた。道理で、塚原のノートに鈴村に関わる書き込みが抜けている訳だ。

「塚原係長、一つお願いがあります」

 咲田は、帰ろうと踵を返した塚原に慌てて声を掛けた。

「来年も、室戸沙耶の連行に同行させてください」

 咲田の言葉に、塚原は満面に笑みを浮かべた。

「ああ、そうしてくれると助かる。なんせ、皆嫌がって逃げるからな。それじゃあ」

「有難うございます」

 立ち去る塚原の背中を見送ると、咲田は造り上げた資料をプリントアウトした後、削除した。

 ごみ箱の中も消去し、完全削除する。

 咲田はプリントアウトした資料を、自分のバッグにしまった。

 署での詮索は、もうやめる事にしたのだ。

 いつ鈴村の眼に留まるかもしれないから。

 続きは、自宅に持ち帰って、秘密裏に行う事にした。

 と言っても、秘密厳守故に、USBも許可を受けたもの以外はブロックされて使えないし、メールも同様でファイルの添付は出来ないよう、セキュリティーが強化されている。

 つまりは、紙ベースで持ち出すしかないのだ。

 最も、それも好ましくないのだが、表面上は解決不起訴の事案だし、彼女が作った資料は内容的に差し支える様なものではない。

 SNSの発信者が、よくネット上でやっている様な解説案件と、ほとんど変わらないような内容なのだ。悪く言えば、咲田の自論や妄想がメインであり、極秘情報については一切書かれてはいない。。

 とは言え。

 問題は、ただそれがより真実に近いか否か、だ。

 咲田は持ち帰る資料を基に、自宅のパソコンを使って整理するつもりだった。

 そうすれば、鈴村に見つかることはない。

 でも。

 万が一、鈴村が咲田の自宅を訪れて、知らないうちに彼女のパソコンの中を覗き見たとしたら。

 そうなれば、多分・・・。

                                  《了》



 

 

 

 





 


 






 

 

 


 

  

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誰もいない しろめしめじ @shiromeshimeji

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