面とペルソナ、もしくは仮面(随筆)

西しまこ

面とペルソナ、もしくは仮面

 十代後半のわたしの悩みの一つは「わたしは対する相手により、見せる顔が違う。どれが本当のわたしなんだろうか。『わたし』ってなんだろう? もしかして多重人格ではないだろうか」というものであった。

 ともかく、十代のわたしは悩み多き人生だったのである。

 大学で心理学を受講したとき、「面とペルソナ」という考えを学び、先生に「どの自分もほんとうのあなたで、それでいいのよ」という主旨のことを言われ、霧が晴れたように感じた。

 そうか。

 ぜんぶ、「わたし」なんだ。


 ところで、わたしはいわゆる「空気が読めない」人間である。小学校から二十歳くらいまで、ほんとうに人間関係が大変だった。何しろ、「空気が読めない」ので。

 いまのわたしが空気が読めているかというと、そんなことは全くなくて、たんに経験則で答えたり行動したりして、トラブルを防いでいるだけなのである。生きてきた年数分、ケーススタディが溜まっていて、それでもって一見「ふつう」に生きているだけなのだ。生きる知恵である。


 さて、それで、わたしはよく「仮面」をつけている。

 うまく世間を渡っていくための、一つの手段である。

 十代のころ、わたしは「どうして同じ日本語を話しているのに、日本語が通じないんだろう。どうして、『翻訳』しないといけないんだろう」と真剣に悩んでいた。

 この言語感覚はいまでも実は変わっていないのだけど、こころの中のスイッチをOFFにして、「周りとの言語水準に合わせたわたし」の仮面をつける。このこころのスイッチの存在は非常に重要で、以前は意図的にOFFにしていた。いまでは慣れたもので、自動的にOFFになる。大人になってよかった。これがずっとONに入りっぱなしだと、わたしはきっと精神的に破綻している。

(そうそう。書き文字の世界では「日本語通じない」と苦しむことはありません)


 わたしは、合う人やその場面に合わせて仮面をつける。

 でもそれは、全部やっぱり「わたし」。

 ケーススタディを多く溜めたように、仮面も多く溜めている。

 そうして、荒波を泳いでいくのだ。


「面とペルソナ」の詳しい内容は忘れました。ごめんなさい。

 ただ、この言葉はとても印象的で、いつも頭にあったのでタイトルにしてしまいました。

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