魔女は、何処にもない境界をそぞろ歩く

イングランドのバラッド、『Scarborough Fair』(サイモン&ガーファンクルで有名なやつ)は、互いに不可能な謎かけを投げ合う叶わぬ恋の歌です。
伝承歌のため、バリエーションも多くありますが、その中に次の一節があります。
「Tell him to find me an acre of land,
(中略)
 Between the salt water and the sea strand,
(以下略)」

「彼に伝えてください。私のために1エーカーの土地を見つけてと。
(中略)
 海水と海岸の狭間の土地を。
(以下略)」

中略部分はハーブ、以下略部分は毎連の最後なのですが、それは置いといて。
先述の通り、これは達成不可能な謎かけです。
「海水と海岸の狭間」に土地など見つけられないのです。
針も糸もなしにシャツを縫ったり、涸れ井戸でシャツを洗ったりすることができないのと同じに。
境界。それ自体が、そこに在って、そこにないのです。

物体の境界であってもそうなのですから、現世と異界、正常と異常、正気と狂気、現実と幻想、そうした概念の境界など、結局私たちの頭の中にだけあるものでしかないのです。

このお話の魔女はそんな境界を歩いて、見て、時に交わって、立ち去る力なき第三者。
無力な魔女はただただ境界の曖昧な景色の中をそぞろ歩くだけなのです。

もともとがツイッター連載なので一つ一つが短文ですが、そこに籠められた液体と化するもビロードのような手触りで溢れるひんやりとした夜のような幻想的な質感(感想には個人差があります)こそ醍醐味と思います。

ちなみに私はもともと甲田先生の大ファンですが、著作の『Missing』と『断章のグリム』を読んでいると、より楽しめます、と最後に声を大にしておきます。