遊園地に来ていた

山茶花

本文

遊園地に来ていた。私と妹と友人の3人でその日1日遊んでまわった。空は青く澄んで、建物や広場は清潔だ。楽しい時間で、私たちはほとんど満足だったが、1つ心残りがあった。パンフレットの地図によるとちょうどいま私と妹がいるあたりに馬がいるはずなのだ。ほんものの生きた馬なのかはわからないが、地図上のここには小さな馬のマークが描かれている。すると、ここには馬がいるべきなのではないだろうか。ところで、私がいまいるのは遊園地内のある館の階段の踊り場で、こんなところに馬がいるはずはないのだった。


 ここに来たばかりのころは、ほかに行きたいところもおおかったし、地図に記されている馬が見つからなかったとしても、気にならなかった。地図を読みまちがえているか、なにか勘違いしているのかしているように思えた。でも、歩き回っていれば、いずれそのマークが意味するところがわかるだろう。


 たとえば、階段を昇り降りして、角をまがると、馬があらわれる。四肢がすらりと伸びあがり、毛並みがつややかで、たてがみが神々しい1匹の白馬が、私に気づいて飼い葉桶から顔をあげる。でも、天井が高くなくて廊下も広くないこの館のなかだから、生きた馬はあらわれないかもしれない。木馬かもしれないし、馬のすがたをしたマスコットキャラクターかもしれない。私がすぐには思いつかないような、ぜんぜんべつの“馬”であるのかもしれないが、そうだとしても、一目見ればきっとわかるはずではないだろうか。だって、このパンフレットは入園者だれにも渡されているのだから。だれにも分からないようなとくべつな解読法があって、この馬に見えるマークが、馬ではなくてぜんぜん違うものを意味している、そんなことは考えにくい。


 地図に書かれているアトラクションはほとんど遊びつくしてしまった。のこすところは馬だけだ。ところで、私たちのだれも馬に興味はなかった。友人はもうしばらく前に遊園地に飽きて去り、いまは1人クーラーのきいた車のなかで本を読んでいる。あまり待たせるのも気が引けるし、馬を探さなければならない理由はなかった。


 けれども、そのとき、私たちがいる踊り場がとつぜん揺れた。この館の階段は見たところ総木造りで、まっすぐな木目が白熱灯のあかるい光に照らされている。その壁が揺れたのだ。私は壁に手をついてみた。ふたたび、壁の向こうからどすんと振動と音が伝わってきた。なにかがぶつかっているみたいだ。


 ひょっとして壁の向こうに馬がいるのではないだろうか?


 この壁には馬の絵が飾られているわけでもないし、木目を目でたどっている内に馬の姿が見えてくるということもなかった。だからここに馬がいるという考えはなにか勘違いだと思っていた。しかし、じつは私たちが地図をなにも勘違いしていなくて、ふだんはここに馬がいるのではないか。いつもはここにいるのだけれど、病気になるなどして、たまたま今日にかぎって他の部屋にうつされている。その他の部屋が壁の向こうなのではないか。そうでなければ、つい昨日までここには馬がいて、地図のとおりアトラクションの1つだったが、不人気だったり、踊り場では通行の邪魔だったりして、廃止になった。パンフレットを発行するものが怠慢で、または急な決定すぎて間にあわなくて、地図のなかにはまだ消えずに残っている。そして、やはり壁の向こうに移された。どうやらそこは馬にとって居心地のよくない場所のようだ。これまであかるい光のもと堂々生きてきた馬にとって、狭くて不潔でくらい舞台裏に移されてしまったことはがまんならず、ときどき怒りにまかせて壁に身体をぶつけている。……


 馬の体当たりを壁ごしに感じながら、私がふりむくと、妹と目が合った。妹も私とだいたい同じ考えでいるらしいことが、それでわかった。たったそれだけのことで、この想像のばかばかしさが雲散霧消してしまった、というわけではない。見たところ踊り場の壁には、その向こうに入っていく入口やドアらしいものはない。壁の向こうの部屋なんてないかもしれない。しかし、私は階段を下ると(私たちがいるのは中2階だった)、ある種の確信をもって階段の下にあつめられた掃除道具や段ボールを押しのけて、荷物によって隠されていた向こう側への入口を見つけだした。肩をすぼめればなんとか入ることができるかもしれないくらいの、狭く小さなドア。一般の客に許されているかどうかなどまったく気にかけないまま、私はその中へ入っていった。


 そこが何年も開けられたことのない部屋であることは、ほこりっぽく、こもった空気の臭いでわかった。打ちっぱなしのコンクリートで囲まれた、天井だけがどこまでも高い部屋で、照明はなく、はるか上部にとりつけられた窓から光がさしこんでくる。八畳ほどだろうか、あんまり広くない部屋の四隅にはがらくたが積みあげられていて、余計に部屋をせまく見せていた。数匹の猫がいて、がらくたは猫の糞まみれになっている。猫たちはみんなみじめっぽく痩せていて、うす汚くて、病気にかかっているように見えた。ここの猫たちはいったいなにを食べているのだろう? 共食いと近親相姦で生きていけるものだろうか? 壁に沿って赤錆びた階段がのびあがって、上階の扉まで続いていた。その真下に1匹の猫の死骸があって、腐るがまま、黒く溶けかかっている。ひょっとしたら階段の高みから落っこちたのかもしれない。


 この部屋はまるで廃墟みたいだったが、館の一部である以上、廃墟とよぶわけにもいかない。ただ、あきらかに馬はここにいなかった。


 それでも私は一歩ごとに軋むたよりない階段をのぼっていき、扉をあけてみた。そこには柵も壁もない狭いバルコニーがあって、足の踏み場もないくらい猫たちが密集していた。私が扉を開けたせいで猫たちは驚いて逃げまどい、お互いぶつかりあって、端から転げ落ちていった。私は扉を閉めて、階段を降りた。


 こうして私は自分がなにもかも間違っていたことをたしかめ終わった。ふと、先ほどの猫たちの様子が変わっていることに気づいた。その瞳はあいかわらず生気がなくて虚ろだ。しかし、私におびえてはいないようだった。もっとも痩せて小さな猫が近づこうとしてきた。そのとき私が考えたのは、不衛生な猫に病気や寄生虫をうつされるおそれだった。


 あわてて私はその部屋から逃げ出すと、館の外へ、太陽の光のかがやくところへ走った。もはや馬のことなど考えなかった。あっという間に駐車場だ! 友人と妹がいる車のところへ駆け戻った。車はすぐさま走り出し、時がたつほどあの場所から離れていく。ただそれだけがうれしかった。

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遊園地に来ていた 山茶花 @skrhnmr

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