愛と平和

 先遣隊が突撃した先では、不死者達が日の暮れるのを待つように空を見上げていた。

 その虚な目はこちらを一瞥もしない。不可解そうに立ち止まる先遣隊を置いて、ドランクだけは立ち止まることもなく突っ込んでいく。


「おい、ドランク!」


 ソーカーが呼び止めるが、彼は止まらない。歩きながら背負った三日月刀を抜き放つと、不死者の群れに突撃した。

 踊るような剣捌きは、まだ新鮮な死体ばかりのその群れを赤い血飛沫を飛び散らせて瓦解させていく。その猛攻に不死者達は特に抵抗も見せず倒れていった。

 その手応えのなさに、ドランクも後方にいた先遣隊も不可解そうに眉根を寄せる。いつもならば同胞を殺された怒りからか、一人斬れば周囲の不死者達が一斉に襲いかかってくるのだ。

 黙って斬られるままのその状況は酷く不自然だった。

 まだ日が沈みきっていないとは言え、ここは日の当たらぬ場所だ。行動を起こしても不思議ではないというのに。

 戸惑っている人間達を他所に、闇の帷が降りてくる。不死者達の時間がやってくる。

 ようやく動きがあるのかと思いきや、不死者達は人間達を出迎えるように恭しく道を開けた。否、開けたように見えた。正確には、道の先にいる彼らの主人に道を開けたのだ。

 道の先には、美しい女が立っている。女は嫣然えんぜんと笑みながら、人間達を――ドランクを見つめていた。


「その辺りでおやめくださいな。元は人間でも、今は私の愛子いとしご達です」


 す、と女が手を振ると、不死者達が更に道を開け、跪く。不死者達を操るその様子に、先遣隊の誰かが唸るように呟いた。


「――不死王ノーライフキング


 その姿は、不死王ノーライフキングに相応しかった。

 黒く長い髪に、雪よりも白い肌。その容貌かんばせは、この世のものとは思えないほど美しい。黒い瞳は全ての光を吸い込むほどの闇色だ。

 その闇色は、ドランクだけを見つめている。


「よく来ましたね、私の愛しい人」


 その呼び掛けに、ソーカーの全身にぞくりと痺れが走った。不死の女王からの愛の囁きは、こちらへ向けられていなくとも甘美に満ちている。ふらりとそのまま惑ってしまいそうなほどだ。

 だが、"愛しい人"とは誰だ。

 背を向けたままのドランクを見遣ると、微動だにせず不死王ノーライフキングを見つめている。恐怖で足が竦む性質たちの男ではない。ソーカーが疑問に思って声をかけようとした瞬間、彼は唐突に笑い声をあげた。その声は溢れんばかりの歓喜に満ちている。

 

「また会えたな、女王様」


 普段からは想像できない彼の柔らかな声に目を見張る。ドランクは血に塗れたままの三日月刀を背の鞘に戻すと、ゆっくりと不死の女王に歩み寄っていった。

 女王も髪と同じ闇色のドレスの裾を引きながら近づく。やがて二人の影は一つとなり、深い口づけが交わされた。それは長く離れていた恋人達の逢瀬そのものだ。

 呆気に取られるソーカー達を他所に、二人は甘い言葉を交わす。


「離れていて悪かった」


「いいえ、仕方のないことです。

 でも、預かったあなたの心の臓はわたくしが食べてしまったの、ごめんなさい」


「いいさ、代わりのものをもらってる」


 申し訳なさそうに白い細い指で女王がドランクの胸をさする女王に、ドランクは優しげな笑みを向けている。節くれだった指をその頬に這わせ、愛しげに包んでさえいる。

 そのやりとりは恋慕と歓喜に満ちていた。

 その逢瀬が普通のものならソーカーも止める気はない。だがここは、

 驚きで縮んだ喉を息を吐いて開くと、なるべく刺激しない言葉を選んで声をかけた。


「あー……お邪魔して悪いがドランク。俺たちにも説明してくれないか?」


 ソーカーの声に、ドランクが鬱陶しげに振り向く。折角の逢瀬を邪魔されたことに苛ついているのか、大きな溜息まで吐かれた。

 苛立ちたいのはこちらだと言うのに。貼り付けた笑顔が崩れそうになるのを堪えて、彼の返事を待った。

 ドランクは女王を抱き寄せたまま、仕方なさそうにソーカー達に向かって話し出した。


「この女王様は俺の女でな。俺が戦場に出てたのも女王様が目当てだ」


「待て。言っている意味がわからない」


「意味も何もそのままだ。俺は女王様を愛している。一度は逃げ出したがな」


わたくしもすぐ追いかければよかったのですが、時間がかかってしまいました」


 おっとりと言い放つ女王にソーカーが頭を抱える。あまりにも荒唐無稽な事だ。正直、ドランクの正気を疑う。

 人間をあれだけ殺した相手と恋仲だと言うのか。


「ドランク……とうとう不死者狂いも極まったのか?」


「元々この女に狂ってたからどうでもいいさ」


 肩を竦めて答える姿は、本当にどうでもよさそうだ。

 月が上り始め、寄り添った二人を照らす。離れようとしないその影は、まるで一つの絵画のようだ。


「俺は、この女王様と添い遂げる。俺の心臓も捧げちまってるからな」


 次々と訳の分からない事実が紐解かれていく。思考がついていかない。他の先遣隊の面々も、目を白黒させている。

 そんな先遣隊達を気にした風もなく、彼らは事の経緯を語っていった。


 ドランクは元々、片田舎の村に現れた不死王ノーライフキングへ捧げられた生贄だったらしい。

 その心臓を捧げ、村への被害を抑えるための生贄だ。

 その生贄に女王が懸想したのは、偶然としか言いようがない。本来ならば、心臓を捧げた後不死者として意志なき死体になるはずだったドランクに代わりの心臓を与え、生かした上に契りまで交わしたのだ。

 だが契りを交わした後、ドランクは女王の前から姿を消した。生贄として死ぬのは真っ平だと、元々覚えのあった剣の腕一本で生きていくのだと、決めていたのだ。

 だが女王の贈り物の心臓のせいか、契った夜のせいか。またあの柔らかな髪に肌に触れたいと切に願うようになった。

 女王もまた、ドランクが自分を見つけることを願っていた。

 戦いの日々に明け暮れる彼を彼女は待ち続け、また彼も彼女を探し続けた。

 だが女王は不死王ノーライフキングとして眷属を増やす本能に抗えず、手始めにドランクを生贄に差し出した村を滅ぼした。それからは各地で不死者を増やしていたらしい。

 その本能は生贄の血を啜れば治まるものだった。だが女王は、ドランク以外の生贄を拒んだ。その結果、人間側へ甚大な被害が出た。

 それも、ドランクが戻ったことで終息するのだそうだ。


「人間には悪いと思っていますが、仕方のないことです」


 さらりと言ってのけるそれは、不死者の冷たさを思わせた。それに怒るでもなく、ドランクも頷いている。その鈍色の目にはもう女王しか映っていない。

 既に彼も、不死者と変わらぬ存在なのだ。

 ドランクと女王はそのまま、不死者たちと共に闇に消えていった。



        *



 ドランク達が消えた後、不死者達は本当に侵攻を止め、どこかへ去っていった。

 対外的には、不死者達の侵攻をドランクが自ら生贄となって止めたと言うことにされた。彼は尊い犠牲になったのだと。

 不死者狂いと揶揄された彼らしいと、世間は納得した。

 真相は先遣隊達と、組合の上層部だけが知っている。彼らのあまりの身勝手さ故に、傭兵組合全体の信用まで落ちると考えられたのだ。

 真相の隠匿を提案したのはソーカーだった。信用を落としたくないと言うのも事実だったが、ソーカーは"彼女"を傷つけたくなかったのだ。


 

 

「そっか、ありがとね教えてくれて」


 安宿の一室の寝台に座った娼婦のココは、少し顔を曇らせながらソーカーに笑いかける。その目は悲しみを押し殺したように揺れていた。

 ココには、ドランクが死んだと伝えた。それが、最も彼女を傷つけないからだ。


「いや、こっちこそこんな形でしか伝えられなくて悪かった」


 ソーカーは躊躇いながらそっと彼女の震える肩に手を置く。彼女はそれを振り払うでもない。いつもならさらりと退けられてしまうその手は、そのまま細い肩を包み込んでいる。

 ソーカーは知っていた。

 この娼婦のココが、ドランクに懸想していたことを。

 娼婦の仕事と線引きをしながらも、彼の無事を毎回祈り、帰ってきた時には営業用ではない花のような笑顔を浮かべていたことを。

 ソーカーは羨ましかった。

 戦場から帰る度、その亜麻色の長い髪と桜色の唇、豊満な体を物にしていた事が。

 彼女に想われる彼の事が。

 ソーカーは許せなかった。

 彼女を無碍に扱い、その想いを踏みにじっている事が。

 本当は彼を戦場で殺してしまうつもりだった。

 だが彼は消えた。

 だから。

 彼女は、自分のものになった。

 いつもの貼り付けた笑みを浮かべて、ソーカーはゆっくりと彼女を慰めるように抱きしめた。

 愛しい人、食ってしまいたいほどに愛しい人。

 ソーカーは心の中で、不死の女王に、感謝の祈りを捧げた。

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傭兵と不死の女王 水森めい @mizumei

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