この世界にはもう兄貴はいない
九重ツクモ
この世界にはもう兄貴はいない
半年前、兄貴が消えた。
忽然と、本当に神隠しにあったみたいに居なくなった。
「第一志望に内定貰った!」って嬉しそうに電話があった、翌日のこと。
電話しても出ないし、一人暮らしのアパートに行っても、もぬけの殻。
リクルートスーツと、就活に使ってた鞄、そこに入れていただろうスマホや財布が無くなっていたから、面接に行ったそのままの格好で居なくなったんだと思う。
警察に話したけど「それくらいの年齢の失踪はよくあることだ。大方、就活のストレスでどこかに行きたくなったんだろう。その内戻ってくるさ」と、真剣に取り合って貰えなかった。
何言ってんだ。
兄貴は第一志望の内定貰ったばっかりだったんだぞ?
しかも、可愛くておっぱいの大きい彼女だっていたのに。
兄貴の彼女……花蓮さんは兄貴の同級生で、俺より2つ上の大学4年生。
あんなに可愛い彼女を放ってどこかに行ったりなんか、するはずがない。
警察は分かってない。
兄貴が自分で失踪するなんて、あり得ないことだ。
俺がもし兄貴だったら、絶対にあの人生を手放したりしない。
兄貴は昔から、いつだって人の中心に居るような奴だった。
人当たりが良くて、明るくて、割とイケメンだったし、要領良くこなすタイプ。
いわゆるほら、教室の真ん中で騒がしくしてるグループの奴ら、みたいな。
友だちが多くて、いつも兄貴の周りにはたくさんの人が居た。
それでいてグレたりすることもなかったし、まあ勉強はそこまで出来なかったけど、それでも兄貴はすごい奴だった。
ほんと、俺とは大違い。
勉強は出来たけど、それ以外はてんでダメ。
正直ブサメンだし、暗いし、よく兄貴の友だちに「お前の弟、全然似てねえじゃんw」って揶揄われた。
その度に、兄貴は「弟は俺と違ってユーシューだからなー!」と言って笑った。
兄貴にそう言われると、自分が惨めで仕方なかった。
まるで勉強しか取り柄のない奴みたいで、いや実際そうなんだけど、何で血の繋がった兄弟なのにこんなに違うんだろうって、泣きたくなった。
高校生になると、その差はどんどん如実になった。
サッカー部でキャーキャー言われてる兄貴と、俺含めて部員が3人しか居ない数学研究部の、俺。
まさに陰と陽っていうか。
俺たち兄弟を表すなら、そんな感じだった。
だから、「陽」の方の兄貴が、居なくなるはずがない。
母さんは毎日毎日涙を流しながら、必死で兄貴を探すビラ配りをしてる。
よく「お兄ちゃんはチャラチャラしてて困っちゃうわ」なんてボヤいてたけど、「あの子は急に居なくなるような子じゃない」って、兄貴のことを信じてるみたいだ。
うちの親父は昔気質な仕事人間で、よく兄貴とはぶつかってたけど、今は仕事もそこそこに、母さんと一緒にビラ配りしてる。
2人の兄貴への愛は、相当深いんだなって、改めて感じた。
兄貴の居なくなった我が家は、太陽が無くなった空みたいだった。
大学が遠いからって兄貴が一人暮らしを始めた時に、もう分かってたことだ。
俺の大学は近いから実家から通ってるけど、夕飯なんてもう静かなもんだった。
母さんしょっちゅう溜息ついてたし。
でも今考えれば、あの頃はまだ良かったんだ。
兄貴が消えた半年前から、我が家はずっと通夜の席みたいだから。
俺は兄貴を探す為に、色んな人に話を聞きに行った。
だけど兄貴の友だちはみんな、何も知らないらしい。
「そういや最近会ってないな〜。お前会った?」「いや、会ってない」って、そんな感じ。
友だちが消えたって言うのに、薄情な奴らばっかりだ!
もしや怪しい輩と繋がりがあったのか……なんて考えてみたけれど、そんな噂もどこにもなかった。
兄貴が内定貰った会社にも話を聞きに行きたかったけど、どこの会社か分からなくて、諦めた。
「落ちたら恥ずかしいから」って、兄貴はどの会社を受けてるか教えてくれなかったから。
兄貴のスマホがあれば調べられたんだろうけど、スマホごと消えちゃったからな。
俺は困りに困って、最終手段、花蓮さんに会いに行くことにした。
なんで最終手段かって?
花蓮さんに会うと、緊張で何も喋れなくなるからだ。
けれど今はもう、そんなことを言ってる場合じゃない。
兄貴がいなくなってもう半年。
いくらなんでも、時間が経ち過ぎだ。
警察の言うことを信じた訳ではないけれど、これまでは、いつかふらっと帰ってくるんじゃないかって気がしてた。
でも、いつまで経っても兄貴は帰ってこない。
もう手段は選んでいられない。
花蓮さんなら、何か知ってるかもしれない。
以前教えて貰ったSNSを通じて、俺は花蓮さんにコンタクトを取った。
そういう訳で、俺は今、公園のベンチに座っている訳だ。
てっきり大学近くのカフェとかで会うのかと思ったら、指定されたのは花蓮さんちの近所の公園。
連絡をしてすぐ返信があり、ここが指定された。
現在の時刻、午後8時。
連絡してすぐ会おうってなったから仕方ないとはいえ、こんな時間だけど!?
周りなんかカップル多いけど大丈夫!?
そんなことを考えながら、騒がしい胸を落ち着けようと深呼吸していると、花蓮さんが現れた。
ピンクのセーターがよく似合ってる。
ちょ、ちょっとVネックが目のやり場に困るけど……。
「遅れてごめんね。待たせた?」
「い、いえ! 大丈夫です!」
「ははは、弟くん、焦り過ぎ」
そう言って花蓮さんはくすくすと笑った。
「えっと、彼の話、だよね」
「はい。居なくなる前、何か変わった様子とか、何か言ってませんでしたか?」
「そう、だね。……私が知りたいや」
「そうですか……」
暫し、沈黙が流れる。
さっきは緊張で気付かなかったけれど、少し痩せたと思う。
目の下のは、クマ?
外灯の明かりではっきり見えなくても、花蓮さんの背負っている影が重たいのは分かる。
兄貴が居なくなって、花蓮さんも辛かったのだろう。
「彼、別れようと思ってたんだと思う」
ふいに、ぽつりと花蓮さんが呟いた。
「え?」
言われた言葉の意味がわからなくて、俺は思わず花蓮さんの方を見た。
花蓮さんの声は、まるで震えているみたいだった。
「最近、あんまり会えてなくて。会おうよって言っても、就活が忙しいからって断られてたんだ。
私はもう会社決めたけど、彼はまだ迷ってるみたいだったから、そうなのかなって思ってたんだけど……。
彼、どこ受けてるのかとか全然教えてくれなかったの。内定幾つか貰ったって言ってたのに、それもどこか教えてくれなくて。
会社によっては、もしかしたら遠距離になるとか、そういうのもあるのにさ。何も教えてくれなかった。
きっと、私との将来なんて考えてなかったのかも。だから教えてくれなかったのかも。
私のこと、もう嫌になっちゃって、だから会ってくれなかったのかもしれない」
花蓮さんは、吐き出すように一気に言うと、はらはらと涙を流した。
きっと、ずっとそうやって自分の中で考えていたのだろう。
俺は、早く花蓮さんに連絡を取らなかった自分を悔やんだ。
花蓮さんは俺の連絡先を知らない。
一方的に、SNSのアカウントを紹介してもらっただけだから。
実家にも来たことないだろうし、花蓮さんから俺たちに連絡する術がなかったんだ。
だから、俺からの連絡にすぐ反応したんだろう。
「あの……そんなことないと思います。花蓮さんみたいに素敵な人を振る男なんて、この世に居ないですよ」
夜の力を借りて、思い切ってそう告げた。
これは本心だ。
兄貴だって、本当に花蓮さんのことが好きだったはずなんだ。
花蓮さんのことを話す兄貴は、いつも笑顔だったから。
……確かに最近は、あまり花蓮さんの話はしてなかった気もするけれど。
「優しいんだね、弟くん。……よく彼に似てるって、言われない?」
思いがけない言葉に、思わず固まった。
俺と兄貴が似てるだなんて、ほぼ初めて言われた気がする。
花蓮さんの雰囲気が、何だか変わったのを感じる。
胸がドキドキして、口から心臓が出そうだ。
一体何にこんな緊張してるんだか。
「ねえ、弟くん。こっち向いて?」
「え、何です
俺の言葉は、花蓮さんの唇で塞がれて、途切れた。
頭が真っ白になる。
え、いま、何が?
柔らかい、熱い。熱い。
あまりに衝撃的なことが起こると、人間って動けなくなるんだな。
抱きしめることも突き放すことも出来ずに、ただただ動けない。
そしておもむろに、ふっと唇から温もりが消えた。
「か、花蓮さん……何を……」
「弟くん、やっぱ全然似てないや」
そう言って、涙を流しながら、花蓮さんは儚げに笑った。
俺は思わず、彼女を抱き締めた。
―――――――
「おい勇者、どうしたんだ?」
「いいや、何でもない」
勇者と呼ばれた男は、遠く先に広がる地平線から視線を外し、仲間に応えた。
逞しい筋肉、鼻の上の大きな傷、腰に下げた長い剣。
いかにも剣士といった風貌の仲間を見て、男は思った。
ここは、元の世界とは、まるで違う。
もうすぐ日が暮れる。
空には既に、うっすらと
空も、大地も、風さえも、何もかもが違う。
切り立った崖の上から、男はもう一度地平線へと目を向けた。
遥か彼方の地平線まで、遮るもののない荒野。
ちらほらと、見たこともない低木が生えている。
右に視線を向ければ、魔に汚染されたというドス黒い大地が遠くに見えた。
何故、自分はここに居るのか。
男は過去に思いを馳せた。
男には弟が居た。
優秀な弟だ。
数学が好きで、高校の時には数学オリンピックとやらで金メダルを貰っていた。
男のような冴えない大学ではなく、日本で最も優秀な大学に進んだ。
男には理解できなかったけれど、何とかという定理の証明で脚光を浴びて、新聞に載ったのは大学に入ってすぐのことだった。
自分とは全く違う。
男には、それ程熱中できるものなど、何もなかった。
本当に、まるで似ていない兄弟だった。
男には友人が多かった。
けれど数ばかりで、その仲は決して深いものではない。
弟には、部活で一緒だった親友が2人も居るのに。
サッカーなんて、女にモテるからやっていたに過ぎない。
それなりに上手かったけれど、プロになる程では当然ないし、他の部員とてそうだった。
いわば、ただのファッションだった。
男はずっと、要領が良いと言われてきた。
外見が良く好印象だと、社交性があると、それだけで社会でやっていけると言われた。
だが蓋を開けてみたら、なんてことはない。
どの企業からも、こんな底の浅い男は要らぬと突き返された。
こんなつまらない男だから、父も母も弟ばかりに期待していたのだろう。
一見自由にさせてくれているようで、両親は男に何ら期待していないのは明らかだった。
あれほどに出来のいい弟が居れば、仕方ないというものだろう。
父はよく男の軽薄さを詰ったが、弟のことはいつも気にかけていた。
男には恋人が居た。
大学の同級生で、2年の時告白されて付き合った。
彼女のことはよく知らなかったけれど、見た目が好みだったし胸の大きさも気に入ったから、二つ返事で承諾した。
付き合ってみれば案外性格も合い、わざわざ弟に会わせて自慢するくらいには好いていた。
けれど早々に内定を決めた彼女とは異なり、毎日毎日企業からのお祈りメールばかりを読む自分が惨めになって、距離を置いた。
「いくつも内定をもらったけど、どこにするか迷っている」
「第一志望の内定をもらえた」
彼女にも、弟にも、嘘を吐く自分にほとほと嫌気が差していた。
弟に嘘の電話をした、直後。
今日も結果は芳しくなかったと、夜道をとぼとぼと歩いていた時、違和感を覚えた。
いつも通っているはずの道なのに、何かが違う。
ここに、こんな路地はあっただろか。
そう思いつつ、男が恐る恐るその路地に足を踏み入れると、一瞬眩い光が辺りを照らした。
思わず男が目を瞑り、そしてゆっくりと瞼を上げると、そこにはもう、慣れ親しんだ日本の街は存在しなかった。
あれから
異世界から来た勇者だと囃し立てられ、魔王討伐の旅に出てから、それだけの時間が過ぎた。
不思議なことに、元の世界で何の能力も持たなかった男には、異世界で聖なる力があった。
その力を買われて、男は仲間たちと旅に出た。
怖くなかったと言えば嘘になる。
たがそれ以上に、「何かを成し遂げられるかもしれない」という期待が、男を奮い立たせた。
日本のことを思う。
彼女のことを、家族のことを思う。
未練はある。
が、何としてでも戻りたいかと言えば、そうではない。
男にとっては、この異世界での人生の方が、よっぽど価値があった。
(あいつ、どうしてるかな。案外、花蓮と上手くやっているかもしれない。彼女にベタ惚れだったから)
男の彼女を前にして、真っ赤に顔を上気させていた弟のことを思い出す。
あんなに優秀でいて、恋人の一人も居なかった弟のことを。
(その方がいい。その方が、この罪悪感は薄まるから)
薄情にも、元の世界を簡単に捨ててしまう自分のことを、少しは許せるから。
「勇者さまーー! 今日は私がスープを作りましたよ! 早く来てください!!」
元気にぴょこぴょこと跳ねながら叫ぶ、魔道士の少女。
「うるさいぞ。勇者は疲れてんだ。静かにしろ」
そう言って勇者を労わる、先ほどの剣士。
「お疲れでしたら、後ほど癒しの祈りを捧げます。まずは、こちらへ」
淑やかで洗練された動作で食事の席へと誘う、聖女。
みんなみんな、男の大事な仲間だ。
「今行く」
男は笑顔で応えると、過去の残像を振り払うのだった。
この世界にはもう兄貴はいない 九重ツクモ @9stack_99
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます