第42話

「今から教会の墓地に向かう」

 レーアは、クラウスにそう告げられた。

ユーリスから右肩の骨が折れていることを告げられ、いろいろ診断を受けて、多少は歩きまわっても問題ないことを確認した、その後のことだ。

「今から? 大丈夫なの?」

レーアは、ベッドの上で上半身を起こした。

「外は危険だよ。まだあいつらがいるかも」

 気がついたら目の前に現れて、大きな牙で襲ってくる化け物。奴らを思い浮かべて、レーアは手が震え始める。奴らに、たくさんの友達が殺された。クラウスも殺されるのではないか。

 だがクラウスは、震えた手を握った。

「あの狼たちなら追い払われた。兵術学校のみんなで街の隅々を確認したけど、もういない。外を歩いても襲われたりしないよ」

「でもどうして墓地に?」

「やらないといけないことがあるんだ。エルヴィも来るよな」

 クラウスの後ろで、エルヴィはうなずいた。

「うん、というより、行かないといけないし」

 用事があるとすれば、あの名前の刻まれていない墓だろう。四年前、クラウスのそばで倒れていた、名前もわからない女の子が眠っている。

 レーアは、戸惑った。

「エルヴィも、行かないといけないの?」

 レーアは問いかける。墓に眠っている子とエルヴィは、何の関係もないはずなのに。

「うん、もう危なくないんだし、レーアもちゃんと目を覚ましたんだから、ね」

 エルヴィは微笑んだ。何だかはぐらかされたみたいだ。

「でもクラウス、傷だらけなんでしょ? 二人だけだと何かあったら大変だよ」

「俺が付き添う」

 病室に、他の男の声が聞こえてきた。開いている扉から入ってきた人物を見て、レーアは身が硬くなった。

 ユージンだった。

 クラウスを敵国のスパイだ、無国籍者ステートレスだと罵り、しつこく孤立させようとした人。狼たちの襲撃を無事に生き延びていたのはいいが、レーアが最も警戒している人物だ。

「何のつもり? また好き勝手言いにきたの?」

 レーアは、ユージンを睨みつける。

「付き添うだけだ。クラウスにもしものことがあったら、すぐに連れ戻せるだろう」

 やけに協力的だ。

「兄さん、やめといてもいいんだよ? ユージンと一緒だと、また何を言われるか」

「いや、助かる」

 クラウスも応じた。

 断ると、レーアは思ったのに。

「なら、私も連れていって」

 ユージンが二人のことを好き勝手に言うのなら、止めないといけない。クラウスは、ユージンの言葉にいちいち傷つかないけれど、レーアは許すことができない。

 それに、クラウスやエルヴィと離れたくもない。

「レーア、無理はしなくてもいい。起きたばかりだろう」

 クラウスが心配して止めてくる。

「母さんは、ちょっと外を歩くくらいならいいって言ったよね。ユージンも、それでいい?」

 もう一度、ユージンを睨みつける。ユージンは真顔のままだ。

「くれぐれも転ぶなよ」


 病院の外は、雪が降っていた。負傷したクラウスのために、レーアが傘を差す。クラウスは自分よりずっと背が高いから、傘を持つ左手を大きく上げる。そのまま、教会の墓地へと向かった。

 歩いている間、三人とも無言だった。レーアはユージンを警戒していたけれど、その彼は後ろからついてくるだけだ。

 街は、これまでと変わらない。建物は一軒も破壊されていない。だが殺戮の跡はあった。建物の壁に、何かが引っ搔いた痕がある。道を舗装している煉瓦に、血の跡がある。狼たちに抵抗するために放たれた銃の薬莢が道の上に転がったままだし、壁に弾痕もあった。

 レーアは、自分が殺されかけたときのことを思い出して震えた。

 するとクラウスが、肩に触れてきた。

「怖いか?」

「怖い」

 レーアは、クラウスの手に自分の頬を押し当てて恐怖をしのいだ。

 エルヴィも、レーアに寄ってくる。

「いつでも病院に引き返していいんだよ」

 エルヴィの言葉に、レーアは首を横に振った。

「それは嫌。一緒なら大丈夫だから」

 これではクラウスやエルヴィに付き添っているのだか、付き添ってもらっているのだか。

 そうしているうちに、教会の墓地の入り口に着いた。

「俺はここで待つ。邪魔になるだろうし、好きにしたらいい」

 ユージンは、そこで立ち止まる。

「ああ、終わったらすぐに戻る」

 クラウスは、ユージンに告げた。そのまま先に進む。クラウスが傘から出ないよう、レーアも歩幅を合わせてついていく。

「お墓で何をするの?」

 進みながら、レーアは尋ねた。まだ、何の用事があるのか聞かされていない。

「たぶん、すぐに終わると思う」

 クラウスはまたしてもはぐらかしてきた。

 でもあまりにも真剣なその横顔を見ると、レーアは追及する気を失った。これから仮の兄がすることを、邪魔してはいけない。

「見るだけだから、私もいていいよね?」

 邪魔はしないから、これくらいは許してほしい。

「もちろんだよ。エルヴィもいいよな」

「うん」

 エルヴィは少しだけ微笑んだけれど、前を向く目は真剣そのもの。

 二人とも、これから大事な人に会おうとしているみたいだ。

 そうしているうちに、目的の墓に着いた。

 四年前、記憶を失って倒れていたクラウスのそばで死んでいた、茶髪の女の子が眠る墓。

「また、三人一緒になったね」

 エルヴィが言う。レーアは、わけがわからなくなった。どういうことだ?

「ああ。できれば生きているときに、エルヴィに会わせたかった」

 クラウスの言葉が、レーアをもっと混乱させる。

 ――どういうこと? 

 記憶を、取り戻したのだろうか。ではなぜ、クラウスは墓の子にエルヴィを会わせたかった、などと言う? なぜエルヴィもうなずいている?

 クラウスとエルヴィは、ずっと前から知り合いなのだろうか? もちろん、墓で眠る女の子とも。

 クラウスは、懐からナイフを取り出した。鞘から抜いて、墓の前にかがみ込む。

 そして墓の空白の部分に、ナイフを振り下ろした。

 鈍い音とともに、墓石の表面に一筋の細い線が入る。

「兄さん、何を?」

 レーアは声を上げた。死者が眠る場所に乱暴すぎやしないか。

 だがエルヴィは、レーアの肩に手を載せた。

「見守ってて。ね、お願い」

 そうしている間にも、クラウスはもう一度暮石にナイフを振り下ろす。傷が痛んだのか、短くうめいたが、やめようとしない。

 それで、レーアは察した。

 クラウスは、この墓に刻まれるべき名前を刻もうとしているのだ。

「私も手伝う。二人でやろうよ」

 エルヴィも、クラウスのナイフを持つ手を握った。

「ああ」

 そのまま二人で、墓に最初の一文字を刻みつける。

「俺は、あんたを忘れていた」

 エルヴィの手を借りて墓に二文字目を刻みながら、クラウスは言う。

「エルヴィを置き去りにしたのもあんたのせいにして、ひどいことを言った。……ごめん」

 クラウスから発せられた、さらなる謎めいた言葉。

 でも、レーアは黙り続ける。

 黙っていないといけない気がした。

「もう二度と、忘れたりしない」

 レーアの沈黙に甘えるように、クラウスは墓に眠る死者と約束を交わした。

「クラウスを守ってくれて、ありがとう」

 エルヴィも、暮石に声をかける。

「私はまたクラウスと一緒になれたから、どうか安らかに眠って。後は何とかする」

 クラウスとエルヴィは、二人で名前を刻み続ける。

 硬い暮石に、細く小ぶりなナイフで文字を刻むのには、時間がかかった。

 だがそれでも、二人は手を止めない。

 そして、

「できた、ね」

「ああ」

 クラウスは、刃こぼれしたナイフを鞘にしまい、墓に積もった雪を払い落とした。そして墓に刻まれた文字の羅列を眺める。レーアも、墓に刻まれたその名前を見つめていた。

 素人二人がナイフで刻んだせいで、文字は形がやや崩れて不格好になってしまった。けれどその文字の羅列は、明確にこの墓に眠る者の名前を示している。

 イリヤ、という名前を。

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銀色の魔女と灰色の魔女 雄哉 @mizukihaizawa

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