畦道神楽サップーケー

鳥辺野九

サップーケーにて


 私は神様に「イイね!」をもらったことがある。


 あれは十歳になったばかりの、まだまだ田圃たんぼの水も冷たい春の初めのこと。


 小さいけれども歴史のある地元の神社が音頭を取り、土地の神様へ五穀豊穣を祈願する神事が執り行われた。


 衡和泉ひらいずみ御田植え祭と銘打ってはいるもののそんな仰々しい神事ではない。神様を降ろし迎えて飲めや歌えのお祭り騒ぎ、冬の間に積もり積もった憂さを晴らそうじゃないか。そんな地元の小さな春祭りだ。


 そして私は神降しの奉納神楽を舞う巫女役に大抜擢されたのであった。


 いったいぜんたいなんで私が。


 親類に神職がいて私に霊力的な特殊能力が備わっていたから、とか。少子高齢化にますます拍車がかかり巫女役に適した少女がいなかったから、とか。ダンスが得意でSNSのショート動画で軽くバズっていたから、とか。抜擢理由はそんなんではなく、ただ単に長い黒髪が神楽舞に映えるから、だとか。


 創作ダンスクラブに入っていた私は何故かそれがすごく悔しくて、町内会の老人たちを見返してやるために神楽舞をいっぱい練習したものだ。


 踊り踊るなら誰よりも厳かな、そして華やかな神楽を奉納する。どうせ踊るなら夜露に濡れたこの黒髪が新緑色の苗に埋め尽くされたさざなみ満ちる田圃にもっともっと映えるまでに。


 しゃんと伸ばした指先まで鈴の音が鳴るような弾む芯を通す。大きく回すべき腕の所作は大袈裟に刀を振り回すみたいに動かしてぴたり止める。泥に塗れる爪先で土の粒子を踏み分けるくらい繊細に意識を張り巡らせる。畦道あぜみちに溝を彫り刻む摺り足は牛馬のごとくに力強く、だけどずるりと音一つ立てずしなやかに歩む。


 思うに、奉納神楽は創作ダンスの競技会によく似ている。舞う巫女は選手。祀られる神様は審査員。そして結果発表は五穀の豊穣。いかに神様をほっこりさせられるか。ダンスの腕の見せ所。秋の豊作は巫女のキレのある挙動に託されるワケだ。


 不本意な抜擢だけれども、選ばれたからには伝統的な神楽舞に私なりのアレンジを加えて踊り切ってやる。


 冬が終わり、春が始まるまで私は神楽舞の練習に明け暮れた。


 そろそろ日差しの色味も暖かく、かすかな風にも水面に柔らかな波紋が残る頃。透き通る緑色が並んだ田圃は無色の風に撫でられて波打ち、きっと神様も満足気に赤橙色に染まる山際を眺めているだろう未だ明るい宵のうち。


 純白と真紅の巫女装束。長い黒髪を注連縄しめなわのように編み込み、一掴みの青い稲苗いななえを携えて。私は神楽を奉納する。


 奉納神楽を舞う場所は神社に即席であつらえた舞台ではない。白い足袋で土の上に直接立ち、畦道に静々と足を摺らせて、青々とした稲苗が整然と並ぶ田圃の水面に白い影を渡らせる。


 目線は遥か。稲苗にわずかな夜露をかき集め、肩から手首まで関節を連動させて指先を弾く。ぴん、と稲苗は揺れずに夜露が跳ねる。


 神楽の舞台は機械で整えた田圃ではない。奉納米を育てるために人の手でこしらえた不恰好で小さな聖域だ。畦道だって真っ直ぐじゃない。あちこち泥だらけ。紅い袴が田圃の泥に穢れようと、むしろそれは神遊び。喜んで泥に塗れよう。


 神楽とは神人一体の宴の場。町内会の若い旦那さんが慣れないバチで和太鼓を打ち鳴らし、街の大きな神社さんから借りてきた神楽歌の古いCDを大音量で流す。五穀豊穣を祈願する里神楽は近代日本のオリジナル要素も加わって古式ゆかしく神様と一緒に遊ぶようなものだ。


 目に見える範囲の山々は新緑に埋もれて枝ぶりもたっぷりと重そう。それを肩から腕を大きく振るうようにして緑の豊かさを描写する。土地神様のもたらしてくれる緑色はとても丸々として力強いですね。


 水を張った田圃が青く突き抜けた空をどこまでも写す。ぽっかりと地面に空いた穴から空がゆらゆらと覗き見える様子を上半身を揺らめかせて表現する。土地神様の恵みのお水はとても清らかで冷たそう。


 神楽舞は神様を降ろす舞。神様が喜んでくれるまで、巫女が疲れ果てるまで続く。


 未だか細い十歳の少女であった私がそろそろきつくなってきたと思う頃。ふと気付く。町内会の重鎮たちが組み立て式テントでパイプ椅子に座ってビールなんかを酌み交わしている席に。


 私は神様と出逢った。


 ぽつんと一人だけ。古めかしい綿生地の白作務衣みたいなのを身に纏った歴史の教科書に出てくるような格好をした見知らぬおじさんがいた。


 お酒を嗜む席の輪から外れて、誰からも見られることのないテントの奥、もっさりと白いお髭を蓄えた赤ら顔のおじさん。不思議な笑顔で神楽歌に合わせてふわふわと肩を揺らしている。


 誰だろう、と思いながら謎のおじさんに目線を向けて神楽を舞う私。こっそりビール瓶を拝借して誰とも交わさず手酌で楽しむ謎のおじさん。春祭りの少し寒いけれど賑やかな雰囲気の中、私とおじさんの周りだけ風が変わったような感じがした。空気が暖かい。


 謎のおじさんは、ぱちん、と私と目を合わせたかと思おうと、慣れていないのかぎこちない仕草で親指を立てて「イイね!」サインをくれた。


 神楽舞に振り回されてくたびれたのか、艶をなくして垂れ下がり気味だった一掴みの稲苗がしゃんと立つ。朧月に吹き下ろされた冷たい風が夜露に濡れる黒髪を撫でてくれる。踏みつける畦道の泥が瑞々しく跳ねる。私の神楽舞が自然の中に溶け込めた気がした。


 独りぼっちっぽいけど、楽しそうで何より。見たことのない謎のおじさん、この土地の神様ですね? 里神楽、楽しんでますか?




 そして二十年後。私は再び奉納神楽を舞うことになってしまった。よりによって故郷から遠く離れたこんな僻地にて。


「私がですかあ?」


 甲高くて少しトゲのある声がオフィスに響き渡る。しっかり空調が効いているオフィスのはずが循環空気の温度がちょっと下がったような気がした。声が大き過ぎたか。私は声を顰めて上司に反論してやった。


「それは私の仕事じゃありません。無理言わないでください」


 無理どころの話じゃない。無茶だ。いや、無謀だ。それでも上司を含め会社の重役たちは自分こそが正しいと意見を曲げないだろう。お偉いさんとはそういう生き物だ。


八乙女やおとめくん。会社の意向とは言え、これは人類史に名を刻む一大プロジェクトで、世界初の偉業であり、さらには日本人として大変名誉なことなのだよ」


 直属の上司はさらに上の上司の影をちらつかせて、香ばしくて誇り高い言葉をきれいに並べ立てた。


「地元の春祭りで神楽を舞ったのは十歳の時ですよ。二十年も前の話ですって」


 上司のデスクをばんって叩く勢いでがぶりよる。黒髪がふわりと揺れ立つ。十歳の頃と変わらず夜露に濡れたようなしなやかな黒髪は波間にたゆたう海藻のように膨らんでは流れる。


「過去の話でも巫女だった事実は変わらないだろう?」


「バイト巫女です。専属巫女じゃありません」


「それでもこれは君にしかできない重要な任務だ。この大舞台で舞ってみせてくれたまえ」


「いやいや、暴挙ですって。低重力下で神楽を舞えだなんてっ!」


 人類が再び月に立ってはや十五年。


 ついに日本人は月面に田圃をこしらえて月面稲作を始めようとしていた。


 月面基地の食糧事情は相変わらずカツカツだ。基地の食糧生産プラントは順調に稼働している。とは言え、膨らみ続ける月面労働者の食欲を地産地消で賄うためプラントの増産は急務だった。


 月面基地から月面都市へと人類のステージを昇華させるためにも、月面稲作は人類の夢なのだ。お米が生産できるようになれば、月面産のお餅も日本酒も楽しめるじゃないか。ついに月に住む日本人は立ち上がったのだ。


 太陽光エネルギーを大量に取り込める強化アクリルガラスのクリアハウスの建築。月特有のレゴリスを取り除いて栄養豊富な人工泥を大量投入。あとは人の手で田圃を一から構築。アナログでプリミティブなやり方だけれども、お米を食べるためなら日本人にとってはこんなの文字通り朝飯前だ。


 その一大プロジェクトとやらのデモンストレーションとして、五穀豊穣を祈願するために月面神社を建立しようと無茶苦茶な企画が持ち上がったのだ。


 弊社の建築部門に白羽の矢が立てられたのはまあいい。月面に新しく神社を建立するだなんて、たしかに意欲的な挑戦であり大変名誉なことだ。だが、低重力重機専門のパイロットである私が神楽を舞うだなんて、そんなのは聞いていない!


「やってくれるね、八乙女くん。宇宙初の月面神社で人類初の神事を見事遂行してくれたまえ」


 ふざけんな。なんて言えなかった。かしこまりました。すでに私は飼い慣らされた社畜なわけで。




 スペーススーツを着込み、何故か巫女装束になぞらえて純白と真紅のツートンカラーに染められて、私は月面田圃に降り立った。もうどうにでもして。


 静かの海。海と呼ばれているが、実際は海なんかじゃない。宇宙の黒さがよく映える荒涼とした月砂漠だ。田圃は月面基地からほど近いこのエリアに構築された。


 もちろん空気の存在しない月面に直接水田を作るわけではない。巨大な多層ドーム状のクリアハウスを建設して大気組成が完璧にコントロールされた空気で満たし、土壌は根こそぎ入れ替えて、人工的なミニマム生態系を構築するのだ。月面神社はその田圃ドームのすぐ側、月の砂漠に直接建立されていた。


 私はスペース地下足袋の足跡を月面にぽとりと落とした。細かなレゴリスが私の形に押し固められるのがスペース地下足袋越しにもわかる。ずるり、摺り足でレゴリスを掻き分けて足跡を溝として刻み、しゃん、と月のうさぎのように跳ねる。


 空気のない月では音は伝播しない。だからタブレット型PCからワイヤレスで音楽を飛ばし、各々のヘルメットの中に直で神楽歌を流す。せめて和太鼓が欲しかったけど、さすがに月に太鼓はなかった。仕方なく地球から音源をダウンロード。


 わざわざ地球から運んだ青い稲苗を一掴み、真空ジップフィルムに包んで神様へ捧げよう。


 小さな赤い鳥居が月砂漠によく目立っている。真っ黒な宇宙空間を背景に木目をプリントされたケイ素樹脂製の建材で建てられた神社の境内にて。即席の田圃が作られた。


 ドームハウスの外だから空気がなくて水も張れない。形だけの奉納田圃。その畦道にスペーススーツに身を包んだお偉いさんたちが行儀良く並んでいる奇妙な光景。


 鳥居の赤があるだけでそんな無機質な光景でも神事っぽい雰囲気は十分に醸し出せる。だけど、神楽舞はそうもいかない。


 地球の16%しかない月の重力は私の身体を宙へ放り投げる。


 凛と強く脚を踏み込めば、私の上半身はぽんと跳ね上がる。束ねた黒髪は一本の注連縄のようにうねり、月面へ直に降り注ぐ太陽の光を反射させる。結えた黒髪が宇宙に映えるようにと特注されたヘルメット後頭部から伸びる透明なヘルメットシェードに、お団子が連なった多関節な黒髪が単体の生き物みたいに跳ね動く。


 月砂漠の真ん中で奉納神楽を舞いながら私は思った。


 宇宙は自然ではない。


 どこまでも続く無機質な世界は色彩に乏しくて、温度すら感じられないただの直線が無為に伸びているだけだ。この灰色の稜線を緑に染めようだなんて人の手でどうこうできるものじゃない。


 それは神の御業みわざだ。


 そして、真空パックの稲苗を振るって雨降る野山を表現する仕草で舞った瞬間。私には見えた。


 月砂漠の丘を太陽光発電のソーラーパネルが覆い尽くし、黒いはずの月の空を白く照らしている。樹木を模して植えられたツリー型人工光源が田圃に眩しい自然光を振り撒いている。水は静か。浸透圧ポンプでゆるゆると動きを与えられた流れはきらきら瞬いてる。


 神様が降りてきたような一瞬の白昼夢に私は月面の自然を見た。


 純白と真紅の宇宙服、多層ドーム状クリアハウスと小さなお社の神社、赤い鳥居の向こう側、手作り田圃に敷かれた真空状態の畦道を軽やかなステップで宙を舞うように神楽を奉納する。なんだ、これ。


 人類史上初の月面神楽。故郷たる地球から遠く四十万キロ離れた極端な僻地で、私は低重力神楽を奉納した。


 ふと、人類初の神事に参列する宇宙服姿のお偉いさん集団に、謎のおじさんが一人で紛れ込んでいるのに私は気が付いた。


 低重力神楽を舞いながら古式ゆかしい衣装を身に纏った謎のおじさんを見つめる。何故、この不思議なおじさんは宇宙服を装備せずに月面に立っていられるのだろう。


 白いお髭を蓄えた赤ら顔のおじさんは、睨むような私の視線に気付いたようで、少し照れたような笑顔でぎこちなく親指を立てて「イイね!」サインをくれた。


 あっ。思い出しました。謎のおじさんの正体はいつぞやの神様ですね。お久しぶりです。またお逢いできて光栄です。


 二十年前、春祭り里神楽で神楽舞を奉納した年は大豊作でした。月面神楽により神様がこの神社に降りてきたということは、今年も豊作間違いなしですね。


 私は八乙女初穂やおとめはつほ、人類初の月面巫女です。こんな何にもない殺風景な土地へのお引越し、お疲れ様です。今後ともよろしくお願いいたします。

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