夕暮れの殲滅戦

 その後も何度か撃たれ、その都度痛みに悶え、高らかに挙手をして退場した。

「さあ、今日もいよいよ最後の殲滅戦か……」

 夕刻が近付き、森の木々の深い影がセーフティエリアに落ちる。夜戦を行わないこのサバゲー場では、試合は18時までと決まっているらしい。定時で帰れる戦場。ありがたい。

 次は殲滅戦。相手チームを全員撃てば終了というシンプルなルールだが、それはすなわち草の根を掻き分けてでもこんな初心者を狙いに来る戦いということである。既に数ヶ所撃たれてうの体の私は、どうやり過ごそうかと考えていた。

「さあ、最後も頑張っていこうね!」

 銃床の泥を拭い、網野さんは楽しそうに笑う。通算20キルを超えた彼は本日の殊勲賞だろう。対して私は未だ0キル。何とか一人は殺らねば……。そう思い最後のチーム分けのくじを引く。出て来たのは――

「あれ、文川さん赤?」

 黄色のくじを持った彼が目を丸くした。何てことだ。次の試合はこの猛者を相手に戦わなくてはならない。

 私は情けない半笑いを浮かべ、ゴーグルを装着し直した。



 試合は早々に動きがあった。本日最後ということもあり、これまで身を潜めていた者達は一様に敵陣に突っ込んでいく。敵方もそれは同じようで、前線では激しい銃声が響いていた。

 数多のBB弾が詰まった手榴弾グレネードが炸裂する音も聞こえる。あんなものが直撃した日には、明日会社を休まなくてはならない。

 いや、もうむしろ早々に撃たれて楽になった方が良いだろうか。

 そうドラム缶の陰で逡巡していると、10時の方向、30mほど先の木陰で何かがちらついた。息を潜め目を凝らす。それは黒い消音器サイレンサーだった。銃口は私から見て7時の方向、つまり別の者を狙っているようだ。

 まだ私に気付いていない。逸る気持ちを抑え、スコーピオンの照準を木陰の襲撃者に合わせる。

 届くか。どうだろう。連射すれば或いは。指が引き金の上を彷徨う。一撃で当たらなければ、下手にこちらの位置を教えることになる。一撃で殺るしかない。

 照準の切り欠けと襲撃者の頭を重ねる。弾が少し浮き上がるのも計算に入れ、角度を調整する。殺れ、殺るんだ、私が。

 突如、幼少時代の懐かしい記憶が蘇った。宵闇に浮かぶ縁日で父親に手を引かれた日のこと。得意満面で射的の腕を見せた父は、なかなか当てられない私にこう言った。

 ――引き金を引くときは、息を止めるんだよ。

 お父さん、ありがとう。我が家の教えを思い出させてくれて。

 細く息を吐き、呼吸を止めて照準を引き絞る。肩から手首、指先まで寸分の揺れもなくぴたりと狙いを定めた。

 人差し指が短く引き金を引くと、銃口からパシュ、と小気味良い音と共に一発のBB弾が放たれた。弾は音とほぼ同時に木陰に飛び込み――

「ヒット!」

 潜む襲撃者の息の根を止めたようだった。良かった、初キルだ。木陰から撃たれたと思しきコンバットスタイルの男性が立ち上がり、私は気分が高揚した。これは楽しいかもしれない。

 ようやく初キルを達成した私は、その後も前線へ向かいながら襲撃者達を迎え撃っていった。一人撃ってタガが外れたように、二人、三人とキル数を重ねていく。私は気付いた。これは勝者が楽しい遊びだ。安穏と隠れているだけ、撃たれるのを待っているだけでは全然楽しくない。死地を抜け勝者となる喜びこそ、サバゲーの醍醐味なのだ。

 廃車の陰で替えの弾倉マガジンを装填しながら、私はようやく戦場での立ち居振る舞いを身に付けられた気がした。

 その時、ブザーが鳴り響いた。殲滅戦では複数回ブザーが鳴る。終了時だけではない。残り時間が少ない時と――残り人数が少なくなった時だ。ブザーに引き続き、係員の放送が流れる。

『赤チーム、残り一人です』

 残り一人です。口の中で呟き、二の腕の腕章を見る。くたびれた赤色と目が合った。

 なんということだ。私は初心者のくせに、最後の一人になってしまったようだ。

 恐らく敵も味方も早々から激戦に身を投じたせいで、大きく数を減らしてしまったのだろう。いつもなら生き残る人達がこぞって死んでしまったのだ。

 私は狼狽しどの方向に逃げようかとあたふたしていると、3m先の草むらが揺れた。

「く……!」

 反射的に横っ飛びに転がると、次の瞬間、隠れていた廃車はBB弾の嵐に襲われた。間一髪避けられたようだ。ネックウォーマー越しに腐葉土の臭いを嗅ぎながら銃声がした方へ狙いを定め、息を止めて引き金を引く。断末魔は3人分聞こえた。

 これで6キル。喜ぶのも束の間、10m先のドラム缶の陰から銃口が差し向けられる。敵には完全にこちらの位置がバレているようだ。傍の塹壕に転がり落ちながら狙撃手に向かい連射する。ヒットの申告は聞こえない。撃ち損じたか。

 塹壕を駆け抜け、木々の間に身を潜ませる。これは殲滅戦。相手がゼロになるまで終われない。どこに何人潜んでいるかも分からない黄色の襲撃者に神経を尖らせ、腐葉土に伏せたまま視線だけで周囲を見回す。

 もしかしたら、いや恐らくはまだ――あの狙撃手は生き残っているはずだ。本日の殊勲賞である歴戦の戦士。柔和な笑みの似合う紳士。そのどちらの顔も、私は知っている。

 ――生きているなら、走れ。

 そう教えてくれたのは……サバゲーの楽しさを教えてくれた網野さん、貴方だ。であれば、教えの通り戦場を駆け、届けてやらねばなるまい。万感の思いを込めた忘れ物鉛玉を。

 ゴーグルの土埃を払い、ゆっくりと身体を起こす。ここは敵陣の腹の中だ。もうどの角度から襲ってくるかもわからない。素早く樫の木にぴたりと背を付け、様子を窺う。次に銃声がしたら撃つ。そして一人ずつ数を減らしていけば、いつか彼に出会えるはず……

 その時、傍の低木ががさりと揺れた。不意を突かれた私は、襲撃者の姿を確かめる前に引き金を引いた。人に当たった感触はない。

「反応は上々――でもね」

 真後ろから声がして、慌てて振り向く。そこには左手に小石を転がし、右手にを構えた狙撃手が立っていた。よく知る目元が、ゴーグル越しにすっと細められる。

 私がスコーピオンを構えるより早く、彼は引き金を引いた。

「俺を狙うにはあと一歩、ってところかな」

 言葉と共に、至近距離でのヘッドショットが炸裂した。



「まさか、小石を使って陽動するとは……」

「あはは、まんまと引っかかってくれたね。大丈夫? 痛くなかった?」

 痛む額を抑え、帰りの助手席で私は網野さんを恨めしそうに睨む。痛くないと言えば嘘になる。気合の入ったニキビくらいには腫れていたからだ。

「ていうか、二丁持ってって良いんですね!?」

「うん。いつもは遠隔射撃が専門だけど、敵が近すぎると狙えないからね。普段の二丁めはスコーピオンを使ってるよ」

 お見逸れしました。さすが歴戦の狙撃手、抜かりがない。手鏡で傷痕を見ながら化粧で隠せるだろうかと考えていると、ハンドルを握る網野さんは私に問いかけた。

「どう? サバゲー。ハマりそう?」

 今日一日を思い返す。撃たれた思い出が9割。撃った思い出は1割だ。しかし――その1割がもたらす高揚感に惹かれていたのも事実だった。

「……痛かったけど、楽しかったです」

「それなら良かった」

 紳士はいつもの笑顔で微笑んだ。それは新たな共通の趣味を持った友達を見つけたかのような、少年の笑みだった。

 知らない網野さんの顔、知らない世界。今日一日でたくさんのことを学んだ。

 けれどまあ……知らなくても良い世界であったこともまた、事実だ。


 疲れた身体を乗せて、黒いSUVは街灯りへひた走る。次はいつ行こうか! と運転席で意気込む網野さんの横で、私はどういう言い訳をして断ろうかと考えていた。

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スコーピオンに左手を添えて 月見 夕 @tsukimi0518

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