戦場の作法と月刊ムーの女

 いざフィールドに足を踏み入れると、森林特有のフィトンチッドの香りが胸いっぱいに広がった。

 雑木林の中には塹壕があったりドラム缶が転がされていたり、奥の方にはやぐらや小屋が建っているのも見えた。なるほど、木々以外に身を潜ませる場所には事欠かない様子だ。

 今から始まるのはフラッグ戦。私達が守るのはセーフティエリアから見て奥の陣地の旗だ。相手チームの攻撃を掻い潜り、手前の陣地の旗を取れば勝利となる。

 どうにも自分から突っ込んでいく度胸のない私は、味方チームの後方のドラム缶の陰に身を潜める。初戦だし、様子を見ながら通りかかった敵を待ち伏せしよう。

 前方に見える我がチームの黄色い旗が、台座の上で頼りなく揺れている。あの旗を巡り、血で血を洗う銃撃戦がこれから行われるのだ。

「網野さんは――」

 どこに陣取りしますか、と振り向くと、既に彼の姿はそこになかった。セーフティエリアで見せてもらったスナイパーライフルは、そう簡単に隠せない長物だと思ったが、どこを見回しても朝見た不審な姿はどこにもいない。彼は隠密行動に移ったようだった。

 そうこうしていると、開始のブザーが鳴った。ズザザザザ! と腐葉土を踏み散らす凄まじい足音がそこらから聞こえ、彼らは一目散に相手の陣地へ吸い込まれていく。

 初参加の私はひとり、錆びたドラム缶の後ろに取り残された。

 はるか前方では既に交戦中なのか、マシンガンの忙しない銃声と、「ヒット!」と申告する声が響いている。

 そう。この戦い、自己申告制なのだ。敵に狙撃されようと味方による誤射だろうとBB弾が直撃した者はその場で素早く挙手し、「ヒット!」と叫ぶ。敵は叫んだ者のことを撃ってはいけないルールで、それによりオーバーキルを防止している。

 私のような初心者は、掠りでもしたら一刻も早く自己申告しなくてはならない。でなければたちまち蜂の巣にされてしまう。

 そのまま物陰で数分が経過した。時折遥か前方で銃声が聞こえる以外、平和だ。傍の枝では小鳥が囀っている。誰もここまで来ない。どうやら我が黄色チームの優勢らしい。

 同時に焦りも覚えた。これ、楽しいか? せっかく連れてきてもらったのに、貸してもらった小銃の引き金を引くことなく草むらでを安穏と過ごすなど。

 誘われた身としては、さすがにそれはまずい。やはりこうしたゲームは参加してこそ、人を撃ってこそだ。弥生時代から連綿と続く農耕民族としての生き方を捨て、ここはひとつ狩猟に身を投じねば。狩るのだ、赤チームの奴らを……。

 無理やり闘争心を叩き起こし、ドラム缶の陰から飛び出した。自軍の旗を追い抜き、低木を乗り越えて前線へ向かう。

 大きな樫の木の陰に滑り込むと、傍の木々が立て続けに狙撃され、枝葉を散らした。旗と旗の中間地点辺りに来たようだ。木の又からそっと顔を出すと、20mほど前方に狙撃手の銃口が見えた。慌てて顔を引っこめると、BB弾の雨が音速で横切っていく。ヤバい、居場所がバレてる。

 逃げようと先程銃弾を浴びた方とは反対側から飛び出した瞬間、脇腹に衝撃が走った。

「ぐえ」

 轢かれたカエルのような声が出た。所詮BB弾だからと高を括っていた。革の鞭で打たれたような激しい痛みに涙が滲む。

 さっきとは全く違う方向から撃たれたようだ。よく見ると10mほど離れた場所に塹壕が掘ってあり、黒い目出し帽のスナイパーが潜んでいた。彼が私を殺したようだ。

 であれば、早々にあれをやらねばなるまい。

「ヒ、ヒットぉ」

 痛みに悶えながらよろよろと挙手し、森の中に申告する。撃たれました。私、死にました。そう申告した矢先、側頭部を銃弾の嵐が掠める。

「うええ!?」

 慌てて伏せる。申告した者を撃たないルールではなかったのか。聞いてないぞと怯える私に、前方の櫓から檄が飛んだ。

「そんな声、戦場じゃ聞こえないよ!!」

 櫓を見上げると、紫色のTシャツの女性がライフルを抱えて叫んでいた。ゲームじゃなくて戦場。私にはその覚悟が足らなかったようだ。彼女の胸には『月刊ムー』のロゴが大きく踊っている。ここまで面倒臭そうな人間だと一発で分かる格好も珍しい。忠告はありがたいが、なるべくお近付きになりたくない。

 すみません……すみません……と小声で唱え、フィールド端の死者の道退避ルートを抜ける。

 セーフティエリアに戻ってくると、他にも死者となった者達が各々の席でひしめいていた。試合終了までは皆ここで待機するようだ。ゴーグルとネックウォーマーを外し、息を吐く。

 10分ほどしてブザーが鳴った。どうやら勝敗が決したようだ。

「おかえりなさい」

「あら、撃たれちゃった? 試合はこっちが勝ったよ」

 泥だらけの網野さんを迎え、運営が用意していたお茶を手渡す。受け取った彼は試合結果に満足そうだった。

は7キルかなぁ。もう少しいけたと思ったけど」

 聞き逃そうかとも思ったが、どうやら戦場は紳士の一人称すら変えてしまうらしい。

「文川さんはどうだった?」

 網野さんはわくわくしながら聞いてきた。不甲斐ない結果を伝えると、次頑張ろう! と肩を叩かれた。

「生きているなら走らなくちゃ。戦場を駆け抜け、命を晒してこそサバゲーの醍醐味だよ」

 どうやら、今日は誰か一人でも殺すつもりでいかねばならぬようだ。せめて次は引き金を引こうと決めて、私は冷たい緑茶を呑み下した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る