私がなりたかったのは悪役令嬢で、悪役"の"令嬢じゃない!

劉度

悪役の令嬢の絶叫

クソわよ神は死んだッ!」


 心の底から叫んだら、お上品に変換されて口から飛び出した。あのクソ神神様、私の口の悪さに気を遣うくらいなら、もっと根本的な問題に目を向けてほしかった。


 私が神様と出会ったのは17年前。正確には、今の私が生まれる前、前世の私が死んだ後だ。残業続きの心を少しでも癒そうと、ラーメンとエナドリを胃に流し込みながら海外ドラマを見ていたら、急に胸が苦しくなって死んだ。

 そして死んだ先で神様に会った。私の人生があんまりにあんまりだったから、憐れに思ってもう一度生きるチャンスをくれると言ってくれた。いわゆる転生というやつだ。


 そこで私は『悪役令嬢』に転生したいとお願いした。最近流行りの転生モノの一ジャンルだ。どうせ二度目の人生なら、生活水準は高い方がいい。貴族の暮らしがしたい。そしてただの悪役令嬢なら破滅が待っているが、自分が悪役令嬢だとわかっていれば話は別だ。目につく破滅フラグを片っ端から叩き折れば、ハッピーエンド間違いなしだ。


 今思えば、怪訝な顔をしている神様に悪役令嬢の何たるかを説明しておくべきだったかもしれない。


 神様の力で、私は令嬢に転生した。悠々自適の生活を送り、充実した特権階級ライフを楽しみ、そして今日、前世の記憶を取り戻してブチ切れた神を呪った


 ベッドから起き上がり、鏡で自分の姿を確認する。足元には茶色い革のロングブーツ。タイトなジーンズとレギンスで下半身を包み込み、上半身は黒いハイネックのセーターと青いジャケット。整った顔には鳶色の瞳が輝いて、綺麗な金髪を頭の後ろで括っている。そして頭には包帯をガッチリと巻いていた。


クソわよなんてこと……!」


 頭が痛い。精神的なものじゃない。いや、頭の痛い状況ではあるけれど、この痛みは物理的なものだ。何しろ、拳大の石が頭に当たったのだから。

 昨日、市街を巡回していた私は、少年奴隷に石を投げられた。私はそのまま気絶したからどうなったかわからないけど、記憶通りの展開なら、今頃街では奴隷の大反乱が起こっているはずだ。


 そして反乱で生じた隙を突くかのように、"奴ら"がやってくる。


 窓の外に目をやる。屋敷を囲む塀の向こうには活気を失った街が、更にその外側には川が流れている。

 その川沿いを歩いて、黒々とした集団がこっちに向かってくる。数える気も失せる程の、人だったものの群れ。老若男女の区別なく、服とも言えないぼろ切れを体に貼り付けた"奴ら"が、ゆっくり、ふらふらと歩いてくる。顎はだらりと垂れ下がり、肌は破れて肉が腐っている。その上、体のあちこちに赤黒い血や腐った肉がこびりついている。

 遠くからでもよくわかる。ゾンビの群れだ。


クソわ最悪よ……」


 これで決まりだ。ここは海外ドラマ『ジェーン・オブ・ザ・デッド』の世界だ。しかも、シーズン2最終回。

 私はこの回で無惨に死ぬ悪役"の"令嬢、アトランタ・マックスフィールドに転生してしまったのだ。


 『ジェーン・オブ・ザ・デッド』はゾンビものの海外ドラマだ。ゾンビによって崩壊した世界というB級映画ド真ん中の設定は、当初は一発ネタのイロモノ扱いだった。

 しかし、いざ公開されてみれば、ポストアポカリプスを逞しく生き残る人々の魅力、変異しないし走らないという古典的な設定ながらも人々を追い詰めるゾンビの恐怖、ゾンビものとは思えない堅実なドラマ、パワフルな女性主人公ジェーン、子役のマーティン君の可愛さなどが明らかになり、予想外の大ヒット。シーズン9まで続く長寿作品になった。私も転生前は毎回夢中で見ていたものだった。

 ただ、テレビを通して見る分には楽しくても、実際にその世界に転生して生活するとなると話は別だ。電気水道ガスライフラインは壊滅してるし、基本的人権いのちのほしょうもない。ましてや、最終回でゾンビに食い殺される悪役ともなれば、クソわよふざけんなとも言いたくなる。


 こうしちゃいられない。早く対処しないと死ぬ。断頭台送りとか交通事故とかそんな綺麗な死に方じゃない。ゾンビに食われて死ぬとかいう、およそ考えうる限り最悪レベルの死に方になる。悪役"の"令嬢としては正しい死に方かもしれないけど、悪役令嬢としては勘弁して欲しい死に方だ。

 私は部屋を飛び出すと、家族の元へ向かった。今は昼の12時。優雅な昼食を楽しんでいるはずだ。

 食堂に入ると、案の定全員揃っていた。


「おお……おお! アティ! 目を覚ましたか! 良かった、本当に良かった!」


 でっぷり太った中年男が立ち上がって私を出迎えた。ゴーンド・マックスフィールド。アトランタの父親で、シーズン2の悪の大ボスだ。

 ゴーンドはゾンビ騒動で混乱する街を小賢しく取り仕切り、住人を奴隷にして支配するようになった。もちろん住人が黙っているはずもなく、反乱軍レジスタンスが密かに戦っている。

 最終回では反乱軍とゾンビの両方に襲われ、ゾンビの群れの真ん中にモッシュダイブす突き落とされることになった。悪党のスカッとする死に様にガッツポーズしたのを覚えてる。


「よかったわねえ。傷は残ってない? 大丈夫? 痕になったらキレイな顔が台無しだったもの」


 ゴーンドの隣に座る着飾った女性は、カスリン・マックスフィールド。アトランタの母親だ。3度の飯よりオシャレが好きで、それ以上に権力が好きという典型的な悪女だ。

 街の人たちが穴だらけの家に住んで、ボロ切れを服代わりに纏っていても知らんぷり。奴隷の親の形見の指輪を、綺麗だからと殺して奪い取る非道なシーンもあった。

 最終回では夫を見捨てて逃げ出そうとするけど、ゾンビに捕まって殺される。悲鳴をBGMに、散らばった宝石とドレスが血飛に塗れる映像は見事な出来だった。


「お前に石を投げた奴隷、捕まえたらどうする? 吊るし上げるか? 串刺しか? 生きたまま中身を引きずり出すか?」


 肉を食べながら食欲が無くなることを言っているのは、ダグラス・マックスフィールド。アトランタの上の兄だ。見た目は精悍な男性だけど、実際には人殺しが大好きな精神破綻者だ。

 ダグラスは自警団チンピラを率いてこの街を暴力で支配している。逆らった奴隷は皆殺し、逆らわなくても虫の居所が悪いと殺される。主人公を匿っていたお爺さんが火炎放射器で殺された時、現地の実況コメントには『Obutu wa syodoku daaaa!!』の文章が溢れたらしい。どんだけ人気なのよあのマンガ。

 最後は反乱軍と戦っていたところにゾンビが乱入。三つ巴の混戦の末に頭にボウガンの矢を受けて死ぬ、という結末になっている。


「まあまあ、とにかく食べなよアティ。今日の肉は旨いぞ」


 隣に座る茶髪の女性から肉を食べさせてもらっているのは、ジェイコブ・マックスフィールド。アトランタの下の兄だ。

 コイツは親の威光を傘に来て、気に入った女を何人も屋敷の離れで囲っている。しかも飽きたら荒野に捨てて、ゾンビに食われる様を見て楽しむから最悪度ヘイトが高い。

 ちなみに隣の女性はミリアム。反乱軍のリーダーの恋人だ。無表情でジェイコブに肉を食べさせてるのが痛ましい。頑張れ、今日が最終回よ。あと数時間でリーダーが助けに来てくれるから。そいつはリーダーに負けて命乞いした後、騙し討ちしようとしてゾンビに襲われて死ぬから。もうちょっとだけ我慢して。


 以上、この世界でのアトランタの家族4人。揃いも揃って人間のクズばかりだ。

 まあ、そんなクズの家系の末娘の私も大概で、ショットガンで奴隷をハントするのが趣味のロクデナシ残酷趣味なんだけどね。前世の記憶が蘇った今となってはドン引きだ。車に乗って逃げようとしたところで、後部座席に隠れていたゾンビに襲われたのも仕方ないかもしれない。

 いやそれより。今はこいつら家族を動かさないと。


「呑気に食べてる場合じゃないでしょ!? 西からゾンビの群れが来てる、迎え撃たないと!」

「ゾンビ? そんなのは自警団どもに任せておけ。それよりどうだこの肉。うまいぞ、一口食ってみろ」


 私の訴えをゴーンドは聞きもしない。その自警団は反乱軍の対処にかかりきりで、ゾンビに気付いてないのよ。


「だけどもう街に入り込んでるんだって!」

「どこから?」

「西から!」

「なら貴族街じゃない。大丈夫でしょ、こういう時のために銃を持たせてるんだし」

「そうだなあ。普段は使えないけど、自分たちの家を守るためなら、いくらなんでも戦うだろ」


 カスリンとジェイコブは貴族がゾンビを止めると思ってるけど、あいつら使い物にならないよ。なんなら真っ先に逃げる。


「ダグラスお兄ちゃん!」


 せめてもの望みをかけてダグラスに頼んでみるけど、彼は首を横に振った。


「後にする。お前を傷つけた奴らが先だ」

「でもゾンビの方が近いって!」

「ゾンビはつまらん」

クソわよわからず屋っ!」


 こいつらはもう駄目だ。私はクソ家族に背を向けて、食堂を出た。こうなったら自力で脱出するしかない。


 まずは食料だ。食堂の隣にあるキッチンに押し入り、倉庫から缶詰や水を取り出す。父が溜め込んだ分だ。どうせもう使えないんだから、遠慮なく持っていこう。

 それから自室に戻ると、クローゼットから一番大きいリュックサックを取り出し、集めた食料やサバイバル用の道具を詰め込んでいった。

 表からは叫び声や銃声が聞こえてくる。反乱軍が押し寄せているのだろう。ドラマと同じ展開なら、この後裏門からゾンビの群れが押し寄せてくるはずだ。突破される前に、急いで脱出しないと。


 荷造りを進めていると、ドアがノックされた。無視。今は忙しい。

 ところがドアを開けてメイドが入ってきた。黒髪を切り揃えた、青い瞳の小柄なメイドだ。手には救急箱を持っている。

 メイドは荷造りしている私を見て目を丸くした。


「失礼したしました。お目覚めでしたか、お嬢様」


 あー、そっか。私がまだ気絶してると思ってたのね。


「お疲れ様。もう大丈夫だから、放っておいてちょうだい」

「いえ、包帯をお取り替えいたします」

「いいわよ別に。今忙しいから」

「……何をしているのですか?」


 私を見て首を傾げるメイド。


「脱出の準備よ」

「脱出?」

「これから反乱軍とゾンビがいっぺんに突っ込んでくるから。終わりよ、ここはもう」

「え、え?」


 戸惑うメイドを横目に荷造りを進める。ギッチギチに荷物を詰め込んだけど、それでも入り切らない食料があった。こんなに持ってくる必要はなかったか。


「はい」


 残った食料を袋ごとメイドに渡す。


「え?」

「アンタもそれ持って、みんなと一緒にとっとと逃げなさい」


 ここのメイドたちは街から攫われてきた奴隷だ。私らクズ一家に付き合って一緒に死ぬ必要はない。


「ですが、逃げろと言われても……逃げたら殺されてしまいます」

「それもそうね。だったら隠れてなさい」

「どこに?」


 考える。ドラマで一番安全だった場所はどこだ。本館はダメだ。ゾンビが殺到する。東館も西館もダメだ。自警団と反乱軍の銃撃戦になる。というか、この屋敷のどこも安全じゃないような……いや、待った。


「離れよ」

「え?」

「ジェイコブのクソ兄さんが女を閉じ込めてる離れに隠れなさい。あそこなら、反乱軍も手荒な真似はできないはず」


 『ジェーン・オブ・ザ・デッド』だと、あの離れは反乱軍のリーダーとジェイコブが対峙する場所だった。このシーンは、予算の都合だかなんだか知らないけど、ゾンビが1匹しか出てこなかった。だから他の乱戦シーンよりはずっと安全なはずだ。ここは現実だからドラマ通りにいくとは限らないけど、可能性は高いはず。


 メイドと話しながら手を動かしていたら。荷造りが終わった。リュックサックを背負う。ちょっと重いけど、これが私の未来だ。重い方が安心できる。

 最後に、ベッドに立て掛けていた愛用のショットガンを手に取れば、脱出準備完了だ。


「よし。それじゃ、アンタも早く隠れなさいよ」


 まだ突っ立ってるメイドの横を通り過ぎて、私は部屋を出た。屋敷に隣接した車庫からバイクを引きずり出し、庭を抜けて正門に向かう。

 ところが正門は既に反乱軍に突破されていた。クソわよ遅かったか。引き返そうとすると、奴隷たちの間を何者かバイクで爆走してきた。

 そいつは奴隷じゃなかった。黒髪、褐色肌の、力強い女性。モスグリーンのタンクトップの上にアーミージャケットを羽織っている。

 彼女を見て、私は呻いた。


「主人公……!」


 間違いない。あれはドラマ『ジェーン・オブ・ザ・デッド』の主人公、ジェーン・リベラだ。ゾンビがはびこるアメリカ西海岸を身一つで渡り歩き、立ち寄った先に悪党がいれば叩き潰すパワフルな人。シリーズが進むと強さのインフレに巻き込まれてどんどん人間離れしていき、最新作のシーズン9ではゾンビ熊と一対一タイマンという暴挙も成し遂げている。

 そんな、この世界の絶対法則が、私のことを睨みつけていた。


「アトランタァ!」


 空気が震えるほどの怒声。思わず、肩をすくめてしまう。


「これが、この街の人たちの怒りだ! 覚悟しろ!」


 ヤバい。主人公が私に殺意を向けている。他の反乱奴隷たちも、ジェーンの大声で私に気付いて寄ってくる。このままだと殺される。


「ちょっと待って!? わかった、今までのことは全部私が悪いってことはわかってるから!」


 必死に反論する。ドラマのアトランタはここで逆上して銃撃するけど、今の私にそんな気はない。そもそも自分が悪いってことをわかってる。


「私はこのまま逃げるから! 二度と帰って来ないから見逃して、ねえ!?」


 両手を高く上げて降伏ホールドアップ。心の底から敵意がないことを証明する。

 ジェーンたちは動きを止めた。わかってくれたか、見逃してくれたか。


「……ふざけんなぁ!」


 奴隷のひとりが石を投げた。それを皮切りに、全員がキレた。


「ウソつくんじゃねえ!」

「夫を返せ!」

「てめえだけはブッ殺す!」

「逃がすなぁーっ! 捕まえろーっ!」


 火に油、いやガソリンを注いだかのような勢いで、奴隷たちが石を投げつけ、私を殺そうと押し寄せてくる。


クソわよ話を聞いてーっ!?」


 私はバイクで逃げ出した。

 どうして。心の底から逃げ出したいと思ってるのに。私の家族はどうなってもいい、というか罰されるべきだと本気で思ってるのに。私に何の恨みが……あるな、うん。クソハント奴隷狩りで何人殺したことやら。なんなら、クソ親父お父様より恨まれてるまである。


「逃げるなぁっ!」


 バイクを走らせながら途方に暮れていると、後ろから怒声が響いた。振り返ると、バイクに乗ったジェーンが追いかけてきていた。


「やっば!?」


 慌ててアクセルを全開にして、スピードを上げる。半泣きになりながら視線を前に戻すと、もっと絶望的な光景が見えた。

 ゾンビだ。屋敷を囲むゾンビの群れが、行く手に広がっていた。方向転換、いやだめだ、アクセル全開だった。

 私を乗せたバイクは、全速力でゾンビの群れに突っ込んだ。


クソわよ嫌ぁぁぁっ!?」


 バイクが次々とゾンビを跳ね飛ばす。その度にハンドルが大きく揺れて、バランスを崩しそうになる。それを両手で必死に抑える。ここで倒れたらゾンビの行列のド真ん中、すなわち死だ。

 十何匹分の衝撃の後、視界が開けた。屋敷の壁だ。


「げっ!?」


 慌ててブレーキを掛けるが、それがまずかった。急ブレーキでとうとうバランスが崩れ、バイクが横転した。


 回転。衝撃。激痛。


 なんとか体を起こす。体中が痛いけど、手も足も頭もついてる。だけどバイクは壁にぶつかってスクラップになっていた。


 背後から呻き声。さっき抜けてきたゾンビの群れが、両手を掲げて私の方に歩いてくる。ヤバい。

 私は地面に転がっていた愛用のショットガンを手にして、ゾンビたちに向けた。


クソわよくたばれバケモノ!」


 轟音。火薬の炸裂とともに、ゾンビが3体まとめて吹っ飛ばされる。だけどゾンビはあと100体以上いる。

 うん、ダメね、これは。撃退は諦めて、窓から屋敷の中へ逃げこんだ。


 屋敷の中はゾンビの襲撃で鉄火場になっていた。警備の人間たちが戦っている横をすれ違う。構ってる暇はない。一直線に車庫を目指す。確かバイクがもう1台あったはず。

 角を曲がると目の前にメイドがいた。止まりきれずにぶつかってしまう。


「きゃっ!?」

「いたっ……お嬢様!?」


 さっき私の部屋に来たメイドだった。ボウガンを持っている。まさか、戦うつもりだったんだろうか?


「隠れてろって言ったじゃない! あの数のゾンビをどうにかできるわけないでしょ!?」

「し、しかし……」


 何か言おうとしたメイドの言葉を、ガラスが割れる音が遮った。


「アトランタ!」


 ジェーンが窓をバイクでブチ破って屋敷に入ってきた。


「ふざけんなぁぁぁっ!」


 踵を返して全力ダッシュで逃げる。冗談じゃない。あのゾンビの群れを乗り越えて、私を追いかけてきたっていうの!? 勝てるわけがないじゃない、そんな主人公バケモノ

 車庫に向かって走っていると、階段の下でクソババアお母様がゾンビたちに食われていた。原作通りの死に様だ。それはどうでもいいけど、ゾンビの群れが車庫に続くドアの前にいるのは邪魔だ。やむを得ず階段を駆け上がる。追いかけてきたジェーンはゾンビの群れに阻まれて立ち止まった。ゾンビは10体くらいいる。いくらジェーンでも瞬殺はできないはずだ。

 その間に私は全力ダッシュで廊下の突き当たりの窓に駆け寄る。下を見る。3mくらい低くなった所に、車庫の屋根。意を決して飛び降りる。一瞬の浮遊感の後、私は屋根に着地した。

 すぐに振り返って、ショットガンを窓へ向ける。追いかけてきたジェーンが顔を出した所で引き金を引いた。銃声が響き渡り、窓が割れる。ジェーンは命中する前に頭を引っ込めた。


「どうしたぁ!? 出てきなさいよ、主人公! その元気な顔を見せてくれれば、秒で吹っ飛ばしてあげるわぁ!」


 声を張り上げ、ポンプを動かし、威嚇する。ジェーンは壁の影からこっちの様子を伺っている。頼むから降りてこないで。そのまま帰って。

 祈りは通じた。ジェーンは顔を引っ込めて、そのまま出てこなかった。逃げた。やった。助かった。なんだか哀れっぽい目で見られてたのは気になるけど、目前の主人公バケモノがいなくなっただけでもありがたい。


 ここまで来れば後は逃げるだけ。真下は車庫だ。ここから降りれば、バイクはすぐだ。

 屋根の下を覗き込む。ゾンビが群がっている。こっち側は駄目だ。

 反対側に回る。やはりゾンビがそこら中にいる。降りたらあっという間に食われるだろう。

 嫌な予感がした。辺りを見回すと、私がいる車庫はゾンビの群れにすっかり取り囲まれていた。


「まさか……!?」


 ゾンビは大きい音に引き寄せられる。そういえば、さっき私はショットガンを連射した上に、ジェーンに向かって啖呵を切っていた。そのせいで?

 さっき飛び降りてきた窓枠に手を伸ばす。届かない。飛び降りる時は一瞬だった3mが、あまりにも高い壁として立ちはだかってる。

 悲鳴が聞こえた。見ると、太った中年男ゴーンドお父様がベランダから突き落とされて、下で待ち構えていたゾンビの群れにモッシュダイブす突き落とされるところだった。父親の体が胴上げされる度に、その体のパーツが食い千切られていき、最後にはゾンビの海の中に沈んで二度と浮かんでこなかった。私もああなるの?


 車庫が揺れた。見下ろすと、古ぼけたピックアップトラックが車庫の壁に衝突していた。


「お嬢様!」


 運転席から顔をのぞかせたのはメイドだった。脱出する時に食料の余りを渡して、さっき館の中でも会った、あのメイドだ。


「乗ってください!」


 予想だにしなかった脱出路。是非もなく、私はそこへ飛び込んだ。剥き出しの硬い荷台に倒れ込む。ゾンビが1匹這い登ってきたけれど、ショットガンで吹き飛ばした。

 エンジンが唸り、トラックが走り出す。バイクと違って、ゾンビの1匹や2匹じゃビクともしない。鋼鉄の質量で強引に包囲網を突破し、裏門を潜り抜けて、そのまま街を脱出してしまった。



――



「あだだだだ……」

「我慢してください、お嬢様」


 夜になるまでトラックで走り続けた私たちは、誰もいない荒野で休息を取ることにした。荷台から降りた私は、足に激痛を感じてのたうちまわった。どうやら飛び降りた時に痛めたらしい。それで今、メイドに手当てしてもらっている。


「なんでもできるわね、アナタ」

「なんでもやれ、と命じられて生きてきましたので」


 出るドラマ間違えてるでしょ。モブだからって性能を盛るんじゃないわよ。


「それで、お嬢様」


 真剣な目で、メイドが私の顔を覗き込んでくる。


「うん?」

「これからいかがいたしますか?」

「そうねえ……とりあえず食べ物かしら」


 さっきの戦いで、ギッチギチに詰めていたバックパックが破れて、中身がほとんど全部こぼれてしまった。このままだと飢え死にだ。


「食料なら、先程お嬢様にいただいたものが残っておりますが」

「えっ、マジで。っていうか皆に渡さなかったの?」

「皆様、隠れるのに必死で誰も手を付けませんでした。今から渡しに行きますか?」

「いや、やめときなさいよ。危ないから」


 考えてみればあんな状況で食べ物のことなんて気にしてられないか。ん、いや、ちょっと待った。


「あなた、ついてくるつもり?」


 問いかけると、メイドは不思議そうに首を傾げた。


「そうですが、何か?」

「何で?」

「何で、とは?」

「何で私についてくるのよ。どこにでも好きな所に行けばいいじゃない」

「メイドがご主人様の側を離れてはいけないと思いますが」


 何言ってんだこいつ。


クソオヤジお父様はもう死んだでしょう?」

「はい。でも、お嬢様が残っています」

「いや、私はもう悪役の令嬢はやめるから。やってらんないわよ、こんなの」


 クソオヤジお父様がバラバラにされて、クソババアお母様が食われて、イカレ野郎上の兄が撃たれて、ゴミカス下の兄が殺された以上、悪役の令嬢をやる必要はない。こんな最悪の役割、続けようとも思わない。

 だからメイドをメイドとして扱う根拠もない、と思っていたのだけど。


「いけません。お嬢様がお嬢様でなくなったら、私はメイドでなくなってしまいます」


 メイドはそんな事を言い出した。


「は?」

「私はメイドなのです。ダグラス旦那様様にお父様を殺されたあの日から、メイドとして生きるしかなくなったのです。

 ゴーンド大旦那様様もダグラス旦那様様も亡くなられましたが、アトランタお嬢様様は残っています。私をこうしたマックスフィールド家は残っています。ですから私はまだメイドなのです。それなのに、お嬢様がお嬢様をやめるなんて、許されるわけがないでしょう?」


 メイドの青い瞳は、青空のように一片の曇りもない。デタラメやでまかせではなく、自分の言葉を信じ切っている瞳だ。それはゾンビの腐った眼球よりもよほど恐ろしくて。

 私は思わず後ずさってしまった。


「いけません」


 足に激痛。動きが止まる。痛めた私の足首が、メイドに強く掴まれている。


「まだ、手当の途中です。動いては、いけません」


 恐怖のあまり体が動かなくなる。それをいいことに、メイドは手当てを再開した。正確な治療だ。わざと間違えて私を痛めつけようとかいう考えは一切見当たらない。


「終わりました。骨は折れていませんが、ヒビが入っているかもしれません。固定して、安静にしていてください」


 私の足に添え木と包帯を巻き付けたメイドが一礼する。その顔は微笑んでいた。

 本気だ。このメイド、本気で私に仕えてる。メイド以外の生き方がわからないからって理由だけで、私を生かしてメイドを続けようとしてる。

 ヤバすぎる。ゾンビものに出していいキャラじゃないでしょ。セリフも出番も一切無いモブだからって、こんなジャンル違いサイコホラーの住人が出てくるなんて!


クソわよ神よ、なぜこんな目にーっ!」


 何度目かわからない叫びは、今日で一番大きかった。

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私がなりたかったのは悪役令嬢で、悪役"の"令嬢じゃない! 劉度 @ryudo

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