第69話・番外三「お葉さんの綺麗な髪」
なんだかんだあるけどさ、あたしいま、幸せだねぇ。
良庵せんせと並んで野巫医者してさ、時には二人で洗いっこしてさ、可愛い二人の子宝にも恵まれてさ、しーちゃんたちも一緒でさ。
と言ってもしーちゃんはなんでか急に黒狐の里の姉さん達に会いに行くとかで出掛けてるんだけどねぇ。
もう二、三日はしーちゃん居ないからね、年が明けたら二歳んなる――どこもかしこもぷにぷにしてて堪らなく可愛い――良子背負ってお洗濯。
急患がなきゃせんせ一人で大丈夫だろ。
ぱんぱんぱんってなもんでお洗濯に励んでると、くいっと裾が引かれて振り向きゃなっちゃんが咥えてた。
ついさっきまで庭でちょうちょ追い掛けてた筈だけど。
「どうしたんだいなっちゃん」
「きゅきゅー!」
なっちゃんが言う通りに縁側へ視線をやると――
「葉太っ!」
――ごっちゃんと居間で昼寝してた筈の葉太がいつの間にか起き出して、目の前飛んだ虫を追いかけたか何かして縁側から落っこちるとこでした。
「ぶきゅーっ!」
「ごっちゃん!」
頭っから落っこちた葉太と地面の間、
「だっ――! 大丈夫かい二人ともっ!?」
何が起こったかちっとも分かってないらしいぼんやりきょろきょろする葉太の下で、くるくる目ぇ回してるごっちゃん。
ぱっと見は二人ともなんともなくてホッとしたけど、とにかく癒してやんなきゃって髪の毛摘んで引き抜――
あっ、またやっちまった。
けどそんなこと言ってる場合じゃないよ!
「葉太! どっか痛いとこないかい!?」
慌てて抱え上げたら喜んじまってダァダァ言ってケラケラ笑い出しちまったよ。
全く――びっくりさせるんじゃないよもう。
背に良子、胸に葉太を抱えて跪き、ごっちゃんの頭と背中を撫でさすって言ったんだ。
「ごめんよごっちゃん大丈夫かい? ほんと助かった、ありがとう」
「きゅきゅー!」
「そうだねぇ。しーちゃんも居ないしほんと頼りにしてるよ」
「お葉さん! どうかしましたか!?」
両手に紙と筆持ったせんせが裸足で庭に現れて叫んだんだけど、どんな慌て方したのかほっぺに墨がついちまってますよぅ。
胸から懐紙を取り出そうとして手を上げちまったもんだから、指に摘んだままの治癒の図柄にせんせの視線が止まって――
「お葉さん! 髪で野巫を使うのは駄目ですってば!」
「ご――ごめんよせんせ。葉太が縁から落っこちたもんで慌てちまったんだ……」
「えっ! それで葉太は!?」
胸に抱えられた葉太を覗き込んで、さらにケラケラ笑った葉太見て、ようやくホッとせんせも安心したみたい。
「ごっちゃんが守ってくれたんですよ」
「そうでしたか。ごっちゃんさん、本当にありがとうございます」
せんせはごっちゃんに礼を言ってから、今度はまたあたしに向かい合って続けたんだ。
「でも髪の毛で野巫を使うのは禁止ですよ。せっかく綺麗な髪なんですから大事にして下さい」
あたしも分かっちゃいるんだよ。
もう妖狐だった頃じゃない、髪だって幾らでも生える訳じゃないんだからって。
その為にいつでも胸に治癒の呪符も用意してるんだけど、ついね、うっかりやっちまうんですよ。
居間の座布団の上でお昼寝中の二人を縁側から見守って、はぁ、って一つ溜め息溢したのを聞かれちまいました。
「なぁにお葉ちゃん? 幸せ過ぎて溜め息かい?」
「あらやだ
せんせの診察終わりらしい、熊五郎棟梁の女将さん。
「なに悩んでんだい? アタシで良けりゃ話聞くよ」
二人で縁側に腰掛けて、葉太が縁側から落っこちた話を聞いて貰ってさ、自分で言っててまた落ち込んじまったよ。
「あたしの母親、割りと放ったらかしの人だったもんだからさ。あたしはちゃんと母親できてるのか心配んなっちまって」
「え……? そんだけ?」
え……? あたし変なこと言ったかい? だって目の前で子どもが怪我するとこだったんだよ? 人の子どもなんてそりゃもうとびきりか弱い生き物じゃ……
「子どもなんてすぐ怪我するもんだよ! そりゃ大怪我したら大変だけどさ、縁側ってこれだろ? こんなとっから落っこちたって、たとえ怪我してもたかが知れてるよぉ!」
ばちんとあたしの肩叩いて女将さんがそんな事を。
「アタシなんてウチの子を階段から落っことした事だってあるけど、そん時だって骨の二本だか三本だか折っただけ。それでもアタシは母親失格だなんて思ったこたぁないよ!」
さすがにそれは
「もう女将さんたら! さすがにそれは……」
――これでもかって胸張っててさ、こりゃ一つも盛ってないのが分かっちまった。
「――ってほんとなんですか?」
「ほんともほんと、アタシは嘘なんてつかないね! そりゃもちろん
そっか――そうなんだ。
なんだか少し肩が楽になったかも。
「けどお葉ちゃん。まだなんか悩みあんだろ? 聞いてあげるから言ってみなよ」
――うっ、女将さん鋭い。
これは誤魔化せそうにないねぇ。
「実は……」
「実は――?」
「実はあたし……ちっとも
………………
「……――はぁ!?」
……え? なんだいその反応……
「老けなくって良いじゃござんせんか! 何言ってんのさ! もう!」
女将さん……怒らせちまった……
「りょ――良庵せんせはちゃんと歳取ってるんですよ……」
目元にうるうる涙溜めてそう言ったらさ、はぁ、と一つため息挟んで
「あぁ、なんだそう言う意味かい。先生と十近く離れてんだもんね。歳の差が気になるってぇ意味か」
ちょっと違うんですけど……まぁ概ねそうかねぇ……
「てっきり膝が痛え痛えって喚く老いたアタシに対する当て付けかと……ってお葉ちゃんがそんなのする訳ないか」
あ、そりゃ怒るのももっともだねぇ。うっかりしちまったよ。
「それこそ気にしなさんな。良庵せんせだって女房がいつも若けりゃ嬉しいってなもんだよ」
それから二つ三つの世間話して、「つまんない事で悩むんじゃないよ、いつでも聞いてあげるから」って言い残して女将さんは帰られました。
――粋だねぇ女将さん。あんな風に歳取りたいねぇ。
つってもさ、もちろんしょうがないんだけど女将さんはちょいと勘違いしてんですよね。
あたしはさ、三年前のあの日から歳を取る様になってる筈なんだよ。
なのにちっとも歳取ってる実感がないんだ。
もしかしてさ――戟と尾っぽを失っただけでさ、今でも妖狐だったとしたら――
ここんとこそればっかり考えちまってんですよ。
あ、いけない。
二人が起きちまう前にお夕飯作んなきゃ。
「ごっちゃん、なっちゃん。二人を見てておくれね。なんかあったら飛んで来るからさ」
「きゅ」「きゅきゅ」
二人を起こさないよう小さな声で返してくれました。頼もしいねぇ。
ご飯に青菜の味噌汁、大根の漬け物と、最近稼ぎが良い良庵せんせのお陰で鯵の開きもつけた夕飯時。
葉太はせんせの膝の上、お乳飲んでげっぷ済ませた良子は座布団の上。
「…………あ」
せんせが不意にそれだけ言って黙っちまったんだ。
何か続きがあるかと小首を傾げ、せんせをじっと見詰めてみたものの、特になんにも言わずに目を逸らしちまったんです。
なんだろ。落ち着かないね。
せんせが意を決したようにあたしを見て、恐る恐る口にしたのは――
「お――お葉さん。こんな事、言われたくないかも知れませんが……」
「嫌ですよ良庵せんせ。そんな話し方したら怖いじゃないですか」
な、なんだい一体。えらく真剣な顔だけど……
まさか今更……離縁されちまう――なんて事は……
「その……お葉さん……髪が……」
「――え? 髪? あたしの?」
びくっとしちまったけど……髪?
「たぶん一本だけ……
「しら――が? ――――なんだって!? せんせそれほんとかい!?」
あたしが大きな声出したもんだから、せんせがあうあう
「はっ――鏡! あたしの白髪! 鏡!」
はしたないったらありゃしない。ばたばた部屋出て鏡台覗いて見てみりゃさ――
「あっ! あった……あったよ白髪……」
白髪見つけて嬉しい嬉しいって泣く女がどこにいるってんだい。
けどさ、あたし……嬉しすぎて泣いちまうよぉ……
「お――お葉――さん? 泣くほど嫌でしたか……。すみません、余計なこと言って……」
居間の外から恐る恐る、葉太を抱えたままであたしを覗く良庵せんせ。
「あはは、違いますよ。悲しんでる様に見えますか?」
「あれ? 泣いてるけど……喜んでるんですか?」
「あたしね、つまんない事で悩んでたんですよ」
取り越し苦労のほんとつまんないこと。女将さんの言う通りだったねぇ。
「良庵せんせ、聞いてくれるかい?」
きちんと正座のあたしの向かい、せんせも葉太抱っこしたまま綺麗に正座。
「はい、聞きます」
ちょいと深く息吸って。
「変な言い方だけどあたし、歳……取れてたんだ」
せんせは何かに納得して、一度あたしの髪へ視線をやって頷きました。
「死ぬまで……うぅん、死んでもさ――良庵せんせの女房でいてもいいかい?」
――せんせがなんて答えたか。
それはあたしとせんせだけの秘密だよ。
ま、みーんな、分かっちまうだろうけどねぇ。
あたし、幸せ過ぎて参っちまうよ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これにて番外編三つも完結!
お葉さんも良庵せんせも、賢哲んとこもヨルんとこも、さらには尾っぽたちも、みんな末長く幸せに過ごすことだろうと信じております。
最後までのお付き合い、誠にありがとうございました。
また何か書きましたら覗いてやって下さいませ。
ハマハマ
(評価ポイントまだ入れてねえよ、って方がいらっしゃったら入れて頂けたら幸いにございます(●´ω`●))
やぶ医者の女房 〜あたしの正体が妖狐だと知られたら、離縁されてしまうでしょうか〜 ハマハマ @hamahamanji
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます