外伝
一巻発売記念外伝 「高校一年生、冬」
父を知らぬ身の上であった。
顔ぐらいは写真で知っているが、私が母の腹の中にいたころに死んだ。
生きていれば、多少の好意は抱けたかもしれない。
そんなことを、16歳の齢にして考えた。
今まで、男といえば私にとっては価値のないものであった。
誰と誰がお似合いだの。
誰と誰が付き合うべきだなどと。
小中学期における低レベル極まりない遣り取りそのものが嫌いであったが。
それ以上に御愛想程度でも、その遣り取りに付き合わなければ社会性がないとまで見られるのが女の子である。
だから、私にとって恋愛感情とは関わり合いにすらなりたくないもので。
小中学生に告白してきた男など、何もかもがゴミにも値する物に見えていた。
そんな私でも、恋をした。
16歳にしてようやくであるが、初めて男性という異性を意識する存在ができた。
私は父を知らぬ。
今までに惚れた男もおらぬ。
だから男性を好きになったのは、それどころか好意を持ったことすら生まれて初めてのことなのだ。
桐原銭子は、藤堂破蜂に初恋をした。
高校一年生の冬のことである。
この思いを誰かに相談せねば、この桐原めは、いてもたってもいられない心中に陥ったのだ。
「どうしましょう、ゲッツ卿」
だから猫に相談する。
母には相談――惚れた男の情報を欠片とて言いたくない。
からかわれたくないのだ。
できれば無機物が一番良いのかもしれないが、家にはぬいぐるみなんて高尚な物は存在せぬ。
なれば、手近で入るぬいぐるみに近い物が良かった。
猫だ。
それも、特大サイズの。
ぶおんぶおんと音を立てて尻尾を振る、体長は1メートル50センチに近い長毛種の猫だった。
おそらくはメインクーンかノルウェージャンフォレストキャットの混血種である。
君は今日から私の恋愛相談相手である。
私は彼のぶっとい足を掴んで、握手する。
ゲッツ卿は「なんやねんお前。しばくぞ」みたいな表情をしたまま、なすがままである。
抵抗しないのは人間に懐いているのではなく、腹の底から舐め腐っているからだ。
「ゲッツ卿、何はともあれ聞いてください。まあ色々と君にもメリットがある提案なのですよ」
鞄の中を、ごそごそと漁る。
このままではゲッツ卿にしばかれてしまうが、今日私には秘密のアイテムがあった。
クラスメイトのべーちゃんが支給品として入手した物をくれた、猫相手には特効のブツが。
「ぱんぱかぱーん。猫スティックー」
どうみてもタヌキにしか見えない耳のない猫型ロボットのように一人呟いて。
ゲッツ卿の前で開封し、その先端のゼリー状の猫用おやつを見せる。
すぐさま、大型肉食獣にしか見えぬその舌が動いた。
「食べましたね。食べたなら話を聞いてくださいね」
ぺしぺし、と片手でゲッツ卿の頭を叩く。
ゲッツ卿の頑丈な頭蓋骨に響いた様子はなく、ガン無視で猫スティックに夢中である。
なんで猫はこの色々な魚介類を原料としているだけのスティックに夢中なのだろうか。
コカインでも入っているのじゃなかろうか。
そんな思いを抱きつつ、ゲッツ卿の喉をなでる。
「この桐原めが、藤堂破蜂をモノにするという大規模プロジェクトに対しては、まあ色々と考えたんですが。どうしても初陣というか、今回が初恋である私にはわからないところがありまして」
ゲッツ卿が、喉を鳴らした。
「もっとないんかい」と言いたげである。
べーちゃんは4本だけ猫スティックをくれた。
一匹の猫には、一日これ以上のスティックをあげては駄目らしい。
猫にオヤツをあげる量は1日に必要なカロリーの10~20%程度が目安らしいが、ゲッツ卿ならもっといけそうである。
あるが、まあ自分でお金を出して買う気はないし。
聞きたいことなど少ないのだから、襲われる前に残り3本持つだろう。
「というのも、わからないところは三つでして。キスをするのはいつか? それ以上の行為をするのは? 夜明けに同じベッドでコーヒーを飲むのはいつ?」
私は三本の指を立てた。
人差し指と、中指と、薬指の三点である。
ゲッツ卿は人差し指に対し、じゃれたように前足で叩いた。
「今!?」
ゲッツ卿は私にとってキスを意味する人差し指をぱんと叩いた。
確かに、叩いたのだ。
「もうええから。はよエサよこせや」というような顔つきをしているが、それはゲッツ卿が無愛想でブサイクな猫だからこそ、そう見えているだけである。
本心は違うであろう。
「ええ・・・・・・。いや、今はちょっと早いんじゃないですかね。私、まだ藤堂君に告白もしてないですよ」
なにせ、あの唐変木、今告白しても可憐な私を断りやがるのですよ。
藤堂君からは容易く拒まれるのが想定できる。
俺みたいな惨めな男は君に相応しくないと、悲しそうな顔で真剣に拒否されるのだ。
だから今キスをするのはない。
だが、それぐらいは猫にすぎぬゲッツ卿とて理解できるだろう。
「・・・・・・チャンスがあれば狙って行けと?」
私はゲッツ卿に尋ねた。
この積極的な恋愛強者に違いない猫にエサを献上する。
私が差し出した二本目の猫スティックは、あっさりと奪われた。
ゲッツ卿は自分で床にスティックを押しつけて、足でぎゅっと踏んづけて中身を押し出している。
相変わらず無駄に知能指数が高い。
「ふむ・・・・・・」
私が惚れた男、藤堂破蜂について考える。
まず童貞であろう。
間違いなく童貞である。
神聖なる童貞である神聖童貞であるのだ。
女性との交際経験すらない変人にして、そもそも友人すら多分いないだろうと思われる。
彼の性格が致命的なまでにクズだからだ。
それは間違いないが、まああんなクズでも真面目なところはある。
「性関連は間違いなく純粋であろう」
キスをしたら責任をとって交際ぐらいはしてくれるかもしれない。
しかし、そのキスまで持って行くのは難しいだろう。
はて――キス、接吻、口づけ。
それを男性との行為にまで持って行く方法は何か。
「鳩が接吻してたから、私たちもキスしましょうというのはどうでしょうか? これは良い誘い文句ですよ?」
ゲッツ卿に尋ねた。
彼は視線を合わせてくれぬ。
地面のコンクリートに這いつくばって、猫スティックから出た中身を丹念に舌で掬うことに腐心していた。
私は藤堂君とキスするというのに、この猫さんは国道二号線沿いの地面とキスしていた。
お皿をちゃんと用意してあげるべきだっただろうか。
ふっ、と鼻で笑う。
そうだ、藤堂君の恋愛知能指数など、この猫さん以下ではないか。
「藤堂君は割と馬鹿だから、鳩もキスしてるから、俺たちもまあキスしてもいいかもと言う可能性があります」
可能性は低いが、藤堂君は少しばかし間抜けというか、はっきり言えば頭がかわいそうなところがある。
私はそこんところが好きだが。
この計略はうまくいくかもしれぬ。
三本の指、人差し指だけを折ったままに悩むが。
ゲッツ卿がむくりと起き上がり、また私の指を叩いた。
真ん中の指である。
――三本目のエサの催促か?
違う、これはきっと――
「いますぐにでも、かなりピュアなエッチなことをしてもよいと? 貞操さえ守りきるならと」
なんという獣か。
ゲッツ卿は最低の猫畜生である。
藤堂君はそのようなことをせぬ生き物である。
私はあの男の心を、はらわたまでも知り尽くしているつもりであった。
だが、まあなんというか。
「なるほど、ゲッツ卿は私が今すぐにでも藤堂君とエッチなことがしたいのを見切っているのですね」
ゲッツ卿は、べしんべしんと尻尾を地面にたたきつけ、何かを要求している。
まるで「はよエサよこせや」と催促しているようであったが、これは違うな。
この桐原銭子がしたいことは、全部藤堂君にやっていいということであろう。
「確かに、藤堂君がやりたくなくても、私はエッチなことがしたいです」
愛撫。
いわゆるペッティングである。
藤堂君はそんな破廉恥なことをしたくないと断るかもしれないが、そんなこと私には関係なかった。
私は彼のネクタイを引っ張りて、その首筋をそっと撫でたときなどに。
背筋がぞっとするほどの快楽を手のひらに感じることがある。
愛撫とは、何も性交渉以外のすべてを意味する言葉ではない。
もっと愛を込めて撫でたり、さすったり。
そういった、猿同士のノミ取りみたいな些細な行為こそが本筋であろう。
こうやって三本目の猫スティックを口元に運んでやりながら、代わりに背を撫でていると。
この相手がゲッツ卿ではなく、藤堂君であれば良かったと思う。
私は、彼の胸も尻も首筋も撫でさすりたかった。
もっと直接的に――愛を込めて、首のネクタイを締めたり、前から抱きついたり。
そうしたいこともある。
それは私の胸底に、なにか熱を帯びて欲求として常にあった。
彼が座る席の膝元に座り、私の尻肉の感触を思い切り彼に伝えてやりたいところはある。
そんな私の情欲をゲッツ卿は見抜いているのだ。
侮れぬ猫の超能力的感覚である。
何もないところをじっと眺めている的な。
「ようし、どんどんエッチな所業を藤堂君に働いていくとしましょう!」
私は決意した。
私と彼が付き合うことになるのは、なるほど、まだ先である。
しかし、愛撫はしてもよいのだ。
あなた、ネクタイが曲がっていますよと曲がってもいないネクタイを直してやろう。
首筋を私の頬近くまで寄せさせて、私はその首筋を撫でてやろう。
尻も揉んでやろう。
日常的な仕草の中に、愛撫を仕込んでいこうではないか。
「さて、キスたる人差し指と、愛撫たる中指は折れましたが」
まあ、あと指は一本残っている。
夜明けに同じベッドでコーヒーを飲む行為たる薬指である。
わたしはおっかなびっくり、薬指だけを一本立てている。
この薬指は薬を溶かしてつける時に使う指。
お医者様でも草津の湯でも、惚れた病は治りゃせぬ。
カトリック的な婚姻式にて永遠の証たる婚約指輪をはめる、その薬指である。
「この指はさすがに折れまい。どうですかゲッツ卿!」
私は誇り高く、卿に言葉を投げかけた。
卿はたやすくも、私の薬指を叩――かなかった。
「あなや!」
思わず古文風に叫んでしまった。
ゲッツ卿は私を無視して、私の学生鞄に顔を突っ込もうとしている。
やめなさい、その中に猫スティックはありません。
べしべしと、ゲッツ卿の尻を平手で叩く。
「エサなんか漁ってないで。そんなことよりも、私の薬指を叩くんです」
薬指――それは婚姻の証。
誠実と貞節の証としてもっともふさわしいとされたことから、結婚指輪は薬指にするものとされている。
この薬指をゲッツ卿が叩けば、私も考えがあった。
覚悟が出来た。
「深夜二時に藤堂君の家に押しかけて、炒飯を作ろうと思うんです」
藤堂君は驚くであろう。
深夜二時に私が炒飯作りに押しかけたら驚くであろう。
驚くが――人の良い馬鹿だから、私の押しかけを断れないであろう。
なんなら、藤堂君は帰りは送ってくれるどころか泊まらせてくれるかもしれぬ。
そうすればチャンスだ。
「あの身長185cmの藤堂君が、私を小脇に抱えてベッドまで送ってくれるチャンスですよ!」
もうそこまで行ったら恋愛指数的には勝ったも同然です。
ベッドまで彼を誘惑できれば、そこからはこちらのもんです。
送られ狼ですよ!
どうですか、ゲッツ卿!
そう言葉を投げかけ、ばしーんと私は自分の太股を叩いていた。
だが、ゲッツ卿はこちらを振り向きもしない。
まったく、つまらない獣である。
「仕方ないですねえ・・・・・・」
私は四本目の猫スティックをゲッツ卿に与える。
残弾が尽きた。
もう話すことはない。
私は今日今すぐやるとはいえないが、近い未来に今の計画を実行するだろう。
ゲッツ卿に背を向け、帰り道である国道二号線を歩き始めた。
私は藤堂君とキスをする。
そして、エッチなこともする。
送られ狼にもなる。
これは確定事項である。
ならば、いつかは行動に移すしかない。
藤堂君と恋仲になるためならば、私はあらゆる努力を諦めないのだ。
それが桐原銭子という女なのだから。
「ただ――」
それを、いつのタイミングにするかだけを。
女としての初陣であり、初恋であるこの私めには、どうにも掴めぬ物だった。
今日もゲッツ卿に話しかけて誤魔化していることが、その証左に他ならぬ。
足を止めて、空を眺めて呟いた。
「どうしたものですかね、あの唐変木」
これが普通の男なら、私が告白するだけで簡単に終わったのだろうが。
それで藤堂破蜂という男が落ちるわけもないのだから、しょうがない。
色々と考えるしかないのだろうな。
ひょっとしたら、来年度になるかもしれぬ。
未だ高校一年生の私が口にした予想の声に、そっと風が吹く。
むなしい独り言はただ風に巻かれて、冬の街へと消えていくのだ。
背後から忍び寄ってきたゲッツ卿に襲われて、猫パンチの連打を背中に食らうまで。
私はただ呆けたように、神戸の街に立ち尽くしていたのだった。
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ファンタジア文庫様より11/17に一巻が発売となりました
宜しくお願いいたします
彼女でもない女の子が深夜二時に炒飯作りにくる話 道造 @mitizou
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