取調室に、また二人

 残念ながら、横山の思う通りには進まなかった。河内たち四人は、起訴されることもなく厳重注意処分で解放されてしまったのだ。その裏には、彼の父親である議員の力が働いたものと思われる。

 彼らの弁護士が言った。

 未来ある子どもたちに、反省の機会を与えるべきだ。たった一度の過ちで、将来を奪うべきではない。

 そう、未来を奪われた子どもの家族に言ったのだ。

 そして河内たちは、今日も大手を振って外を歩いている。

「最悪。あの事件のせいで親から説教くらうし小遣い減らされるし外に出るの制限されるしで、面倒なことになった」

 全部鳴海のせいだ。河内のぼやきに、取り巻きが「まあまあ」と宥める様に言った。

「少しの間、我慢しようよ。どうせ、皆すぐ忘れるって」

「そうだよ。それにもう少しで卒業じゃん。中学に上がったらもっと自由に出来るよ」

「俺らが今自由なのは、河内君のお父さんのおかげだけどね」

「そうだぞお前ら。感謝しろよ。僕の父親のおかげで、シャバを歩けてるんだからな」

 わかってるよ、と皆が笑う。あの女刑事に全部ばれた時はひやひやしたが、何のことはない。自分は選ばれた人間だった。鳴海が死んだ程度では、自分の将来は何の心配もなく、揺るがずそこにあった。警察署から出る時の、あの刑事の悔しそうな顔、たまらなかった。泣いているふり、反省しているふりをしなければならないから我慢していたが、笑いをこらえるので必死だった。

 つまりだ、人を殺しても、選ばれた自分は罪にならないのだ。だって、この国には人を殺してはいけない、という法律がないから。それは、自分たちのような特権階級の為に作られた抜け穴なのだ。

「でも、やっぱ我慢ばっかりだとストレスたまるよな」

 河内は言った。その顔には嗜虐的な笑みが浮かんでいた。それを見た仲間たちも、同じような笑みを浮かべた。

「今度は、誰にする?」

「そうだな。他のクラスのやつにする?」

「おい、皆」

 一人が、何かに気づいた。彼が指を指す先に、道を塞ぐようにして黒い服装の男が立っていた。

「お前は」

 間違いない。河内たちがはめようとした不審者だ。

「やあ、少年たち。元気そうだね」

「何だよ、あんた。また通報されたいの?」

 一人が馬鹿にしたように言う。

「今度は、間違いなく不審者だもんな。おい、ブザー鳴らして良くね?」

「やってみるか」

「おいおい、よせよ。うるさいから」

 河内が仲間たちを止めて、男、楯川に近づく。

「この前はすみません。僕たちの勘違いで、ご迷惑かけてしまったようで。そちらも、無事釈放されたんですね。良かったです」

「おかげさまで。まったく、馬鹿のせいで貴重な休みがパアだ」

「馬鹿?」

 河内の顔が一瞬引きつる。

「この辺に出没するという不審者のせいで、巻き添えを食ったんだ。別に、君たちの事を言ったつもりはないが、そう聞こえたなら謝るよ」

「何か用? なければそこ、どいてくれる?」

「一つだけ、良いかい?」

 人差し指を立てて、楯川は言った。

「なぜ、人を殺してはならない、という法律がないんだと思う?」

「えっ」

 河内は少し驚いた。今さっきまで、自分が考え、そして真理に至った疑問を、別の人間の口から聞くとは思わなかったからだ。だが、次の瞬間には、彼は自分が辿り着いた、当たり前を目の前の冴えない、そして一生冴えない人生を送るであろう男に教えてやることにした。

「そんなもん、決まってる。僕たちのためさ」

「君たちの?」

「そうだよ。きっと僕たちのような選ばれた者のための、法律の抜け穴なんだ。だから今こうして、僕たちは人を殺しても外に居られる。僕たちが必要ない、不要だと判断した人間は殺して良いって事なんだよ」

「なるほど」

 あの女刑事のように怒るかと思いきや、楯川はつまらなそうに頷いた。

「抜け穴、という考え方には共感できるね。柔軟な発想力を持っていて素晴らしいと思うよ」

「じゃあ、あんたはどう考えてるんだよ」

 馬鹿にしたような物言いに、ついムキになって河内は問い返した。

「僕は、法律は多分、性善説を前提に作っていると考えている。性善説、わかるかい?」

「それくらいわかる。馬鹿にすんな」

「そりゃ失敬。続けよう。性善説、つまり、人間は良い者だから、わざわざ書かなくてもこんなことしないだろう、ってことで書いていない。ああ、もちろん人を殺すという行為にはいくつかあって、例えば裁判によって確定した死刑の執行や、事故、正当防衛が成立するなどの罪が成立しないケースもあるからって理由もあるかもしれない。けれど、僕にとっては法律は性善説、その時代の人間に対する信頼、信用を担保にしてもともとは作られていると思うんだ」

 河内たちは爆笑した。

「馬鹿じゃねえの。性善説で法律作るわけないじゃん。そんなもんで作ったら、犯罪者ばっかりになっちゃうよ」

「良い所を突くね。その通り。性善説を元にした法律では、その抜け穴によって犯罪者ばかりになってしまう。そこが、作成者たちの罠なんだよ」

「罠?」

「そう。法律を作った者たちにとっては、わざわざ書かなくても皆理解しているし、やろうと思わないのが『人間』で、書いてないからしてもいいなんて解釈をする者は『人間ではない』という考えなんだよ」

 ところで、と楯川は言った。

「なぜ俺が、こんな服を着ているかわかるかい?」

 問われて、河内は楯川の服装を見た。黒いスーツに、黒いネクタイ。これは。

「喪服? 葬式でもあった?」

「まあ、そうだね。そんなようなもんさ」

 そう言えば、鳴海の葬式があると聞いていたが、今日だったのか。

「なんだ、あんた結局、こう言いたいのか。僕らのせいで鳴海が死んだって」

 でもあいにくだったな、と河内は笑う。

「その抜け穴だらけの法律のおかげで、僕らはこうして大手を振って外にいることを許されている。そして、鳴海が死んだ事で、もう二度ととやかく言われることはない。だって、法律でそう決められているんだろ?」

「一事不再理なんて良く知ってるね。でも、それも『罠』なんだよ」

「は?」

「きっと、君たちは償う機会を奪われたことを、後悔する」

「あほらし。付き合ってられるか。皆、もう行」

 振り返った瞬間、河内の足から力が抜けた。一歩を踏み出して、そのまま崩れる。すぐ後、足から激痛を知らせる信号が頭に送られてくる。河内の目から涙が、鼻から鼻水が、口からよだれが、陰部からは小便と大便が漏れてズボンを濡らしている。仲間たちの悲鳴が聞こえる。

「君たちとの会話は、元SATのスナイパーに全部聞かれていたようだ」

 痛みで鈍る脳から、何とか記憶を掘り起こす。そうだ、鳴海は言っていた。父親みたいな、皆を守る、正義の警察官になると。

「た、助け」

 手を伸ばした先には、もう仲間たちはいなかった。

「彼らはきっと、この光景を忘れないだろうねえ」

 楯川はいっそ楽し気にそう言った。

「次は自分の番だ。そう震えて一生過ごすことになる。償う機会は、もうないから」

 ああ、そうだと彼は倒れている河内のそばにしゃがみこんで、顔を覗き込んだ。

「なぜ人を殺してはならないのか、俺の答えがまだだったね」

 冷めた目が、河内を見下ろす。

「こうなるからだよ。殺してはいけないという、法律に書かれてないけど皆が守っていた当たり前の事を守らない君は、もう誰も守ってくれない。何で殺したら駄目なんですか、なんて自分以外の命を軽く見下しながらふざけて聞く君は、人を殺してはいけないという周りの、明らかに君よりも強い力を持った、一人一人の理性と意識が守ってくれていたのに」

「お願い、します、助、けて。反省する、もう二度と、こんなこと」

「君を守ってくれる正義は、もういない」

 二発目の銃声を、河内が聞くことはなかった。

「これが喪服の理由だよ」

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取調室に、二人 叶 遼太郎 @20_kano_16

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