第27話「稀覯禁書」

 図書館のドアをそっと押し開け、顔だけ覗かせて中の様子を窺った。

 カウンターにサディアの姿がないことを確認し、音をたてないようにドアを閉め、忍び足で中へ入る。だが――


「また昼寝ですか?」


 と、背後から声をかけられて吃驚。振り返った背後に、本を数冊抱えたサディアが笑顔で立っている。俺は誤魔化すように笑いながら頭を掻いた。


「まぁ、そんなところですかね」

「まったく。ここは図書館ですよ? 寝るくらいなら、一冊でも多く本を借りて欲しいですね。あっ、そうそう。フェレル構築式の新刊が入ったんです。借りていってはどうです?」


 声を弾ませて差し出したその本は、厚さが五センチ以上もある分厚い参考書。さすがに背筋がゾッとした。


「あははっ、それはまた今度ってことで」


 昼寝をしに来たというのに勉強させられそうな気配を感じ、ヒラヒラと手を振って誤魔化しながら、いつもの特等席へ退散。誰もいないその場所にごろんと横になり、持参した新聞を静かに開いた。

 その見出しには『ガルードが休戦を宣言。エルメナートとの平和条約に調印』とあった。


 イリアス亡き後、ガルードの勢力は瞬く間に衰退していった。跡を引き継いだイリアスの妹リディが女帝の座についたことで、ガルードとエルメナート双方にとって良い結末へと向かっているようだ。

 もともとリディは戦争も、イリアスのやり方や考え方にも反対していたらしく、半年前の宣戦布告の際も色々と異見していたらしいが、それを快く思わなかったイリアスによって城の地下牢に幽閉されていたそうだ。

 戦いを望まないリディが女帝となったことで終戦へと繋がり、平和条約に関してもガルード側からの申し出だったとか。


「本当に戦争が終わったんだな。まぁ、それもこの人のおかげか」


 そう呟いて、隣のページに掲載されている大巫女の写真に目をやった。

 あれから大巫女は無事に一命を取り留め、ガルードによって傷を負ったことを証明してくれた。おかげで俺とティークにかけられた疑いは晴れ、今こうして学園生活に戻れているわけだ。

 その大巫女が新たな行動に出た。ひた隠しにしてきた稀覯禁書イストリアの存在を公表し、今後、稀覯禁書イストリアの持つ知識を全ての国に提供すると宣言。それは兵器としてではなく、国の発展のために役立つ技術として―――その交換条件として戦争を引き起こさぬよう国と国が平和条約を結ぶこと。

 そしてもう一つ。長く語られてきた歴史の中で、わざわいもたらすと言われ続けてきたリート族、そして謌人がアスル大戦の悲劇に巻き込まれ利用された一族であったとも語ってくれた。

 俺とティークの願いが少しずつ近づいてきている。それを俄かに感じていた。


「ここにいたのですね」


 声をかけられ、顔を上げる。

 そこへアーデンとイディがやってきた。新聞を読み終わったら寝るつもりでいたのに、なぜこのタイミングで来るのか。思わずため息をもらした。


「何だよ。昼寝の邪魔しに来たのか?」

「いいえ、まさか。ガルデル教官から伝言を預かってきたので、それを伝えに来たんですよ」

「げっ」


 課題提出が遅れている心当たりがあり、今すぐにでもこの場から逃げ出したくなった。だが寝転がっているためそうもいかず、反射的に新聞で顔を隠した。


「いや、今日は少し寝て体力残しておかないとさ。エル・ロード、飛ばさなきゃならないし?」

「エル・ロード? 遊んでる暇があるなら、課題くらい出せるでしょ?」


 と、イディは呆れて新聞を剥ぎ取る。俺もすぐさま起き上がり、何をするんだと、それを取り返した。


「違うって。今日、約束の日だからさ」

「約束? あっ、そうだったわね」

「もう3ヶ月が経ったのですか。早いものですね」


 トルエノを破壊したあの後、ティークはこの学園を離れ一度光の園リヒト・ガーデンに戻った。これからの稀覯禁書イストリアのあり方、守り方を考え直すために――

 ティークは今、戦争で破壊された町や村を回り、復興の手伝いをするという巫女達に同行している。稀覯禁書イストリアとしての力を破壊ではなく、癒すための力を使えるようにと、俺が提案した。その旅が終わるまでに、今後ティークがどう生きていくべきか、大巫女が納得のできる提案をすると約束していた。


「もう、答えは見つかったのですか?」

「あぁ。色々考えたけど、他に納得できる答えが見つからなかったからな」


 アーデンの問いに深く頷くと、俺は反動をつけて勢いよく立ち上がった。


「あら、どこ行くの?」

「少し早いけど、カルナドに行くよ。二人に昼寝の邪魔されたしな」

「午後の講義はどうするんです?」

「サボる」


 即答する俺に、二人は呆れ顔。


「講義よりティークの方が大事だろ」

「……まぁ、それもそうね」

「では、今回だけ僕達もご一緒しますよ」

「いや、これは俺一人でいいんだけど」


 その答えが気に食わなかったイディは、何を勝手なこと言ってるの、と、思いっきり睨みつけた。


「一人でティークに会うつもり? アタシ達だって会いたいのよ。ね、アーデン」

「もちろんです。ほら、そうと決まれば行動あるのみです。ぐずぐずしてないで行きますよ」

「あー、はいはい。わかったよ」


 仕方なく、二人を連れて学校を後にした。

 エル・ロードを飛ばして、一路カルナドへ――到着したのは、日が沈み始めた夕暮れの頃。先に到着していた大巫女とティークが、カルナドの入口で俺達を出迎えた。


「ティーク!」


 声をかけると、ティークは満面の笑みで駆け寄った。再会を喜ぶ言葉を交わす前に、ティークは思いっきり抱き着く。まるで猫がすり寄るような仕草に、思わず照れくさくなった。


「ロクス、会いたかった」

「そ、そっか」


 恥ずかしさに躊躇いながらも、その華奢な体を抱き寄せる。すると、背後でうんざりしたような咳払いをされた。


「他人のイチャイチャ場面って、なんかイライラするわね」

「えぇ、同感です。まるで恋人同士の再会を見せつけられたような気分ですね」


 二人の存在をすっかり忘れていた俺とティークは、おずおずと顔を見合わせる。とたんに恥ずかしくなり慌てて離れた。


「待っていましたよ、ロクス」


 大巫女が歩み寄り、優しく微笑みかける。俺は深く頭を下げた。


「約束、果たしにきました」

「答えが見つかったのですね?」


 頷く俺に、大巫女も小さく頷き返した。


「以前にもお話した通り、ワタクシの考えは変わりません。稀覯禁書イストリアの存在を公にしたとはいえ、イリアスのように彼女の力を欲する者はまだ存在するでしょう。そういう者達から守る上でも、彼女を光の園で匿うことが最善だと思っています」

「やはり、稀覯禁書の力を消す方法は見つからなかったんですね」


 えぇ、とくぐもった声で大巫女は返事をした。

 稀覯禁書イストリアの力を消すことが出来れば、ティークを解放してもいいと大巫女は言っていた。だが光の園リヒト・ガーデンにはその力を解くための方法が残されていなかったらしい。復興支援と条約提携のために各地を巡りつつ、その方法を探していたようだが、やはりそう簡単には見つけられなかったようだ。


「もともと、稀覯禁書イストリアはその罪を償わせるために生み出されたもの。その力を解く方法など、用意してはいなかったのでしょう」

「そうですか。だったら、俺の見つけた答えが最善かもしれませんね」


 そう告げると、大巫女は不思議そうに首を傾げた。


「大巫女様、俺を稀覯禁書にして下さい」


 周囲の空気が一瞬震えるほど、その場に居合わせた者達は驚倒した。


「ロクス、何を言ってるんですかっ」

「あんたが稀覯禁書になるって、どういうことよ!」


 理解できないと言った様子アーデンとイディ。傍にいるティークも動揺しているようだった。


「俺はティークの願いを叶えてやりたい。けど、力が消せないなら光の園の外では生活させてもらえない。だったら、俺が監視者になります」

「監視者?」

「いや、監視者ってのは固いですね。稀覯禁書イストリアの力を消す方法を一緒に探しながら、ティークを守る護衛です。俺が稀覯禁書イストリアになれば、次の時代に転生しても光の園リヒト・ガーデンじゃなくて外の世界で守ることが出来るから」

「ずっと、守っていくというのですか?」


 そんな答えが返ってくるとは思っていなかったのか、大巫女は言葉を失っている。ティークも〝なぜそこまでするのか〟と、戸惑っているようにも見える。


「はぁ……本当、ロクスは突拍子もないことを言うから困ります」

「考えてるようで、何も考えてないのよね」


 俺の出した答えが不満だったのか、疑問点が多かったのか、それとも単に呆れただけなのか。アーデンとイディはいつになく意見を合わせて、馬鹿だの無謀だのと文句を言っていた。


「何だよ、反対なのか?」

「えぇ、もちろん反対ですよ。そもそもたった一人でティークを守れると思っているのですか?」

「それじゃ、逆に不安じゃないの。守りがあんた一人だけなんだから」


 と、念を押すように俺の鼻先を指差した。


「じゃあ、どうしろって言うんだよ」

「そんなもの、決まってるでしょう。人数は多いに越したことはありません」

「はぁ?」


 何を言っているんだと声を裏返す俺に、二人は不敵な笑みを返した。


「僕達も追加して下さい」

「三人の護衛がついた方が、一人よりマシでしょ?」


 ようやく二人の言った言葉の意味が理解でき、とたんに驚きの感情が背中を駆け上がる。


「いや、二人を巻き込むわけにはっ」

「何を今更。巻き込むなら最後まで巻き込みなさい。ほら、これが本当の〝腐れ縁〟というのではありませんか? 実に面白そうです」

「ふふっ、腐れ縁ね。それも悪くないじゃない。こうなったら、とことん付き合うわよ」


 一人で決めたことだから二人を巻き込むわけにはいかない――そう思っていたけれど、それも無駄な足掻きだろう。何せアーデンとイディも俺同様に、一度言い出したら梃子でも動かない頑固者だから。

 二人の申し出を受け止め、俺は大巫女へ視線を向ける。


「俺達の答えは出しました。あとは大巫女様次第です」


 答えを受け、大巫女はティークと俺達を交互に見つめる。しばらくは真剣な表情を浮かべていたものの、その緊張が解れたように、フッと小さくほほ笑んだ。


「ワタクシはあまりお勧めできない方法ですが、不思議なものですね。あなた達の言葉を聞いていると、全て上手くいくような気がしてくるのですから」

「それじゃ……!」

「未来を、託してみたいと思います」


 そう言って飛行船の方へときびすを返す。飛行船のタラップに足をかけたところで立ち止まり、背を向けたまま告げた。


「後日、稀覯禁書イストリアの儀式を行います。その覚悟が本物ならば、ワタクシを訪ねて下さい」

「ありがとうございます、大巫女様」


 大巫女を乗せた飛行船は夕暮れの空へと舞い上がり、光の園へ向けて飛び立った。その姿が見えなくなるまで、空を見つめていると――


「ロクス、本当によかったの?」

 不意にティークが訊ねてきた。見上げる瞳には、まだ不安と戸惑いが滲んでいる。

「ティークも反対?」

「……稀覯禁書イストリアになるってことは、楽しいことばかりじゃないわ。辛いことも多い。そこまでして私は」


 それ以上言えないよう、ティークの口元に手を突き出して言葉を遮った。


「わかってるよ。きっと、俺が想像している以上に厳しいってことも。けど、一人じゃないからさ」


 一人じゃない――その言葉に導かれるように、ティークはアーデンとイディを見つめた。


「僕達のお節介に付き合ってもらいますよ」

「何せ、アタシ達も稀覯禁書なんだから……あら、ちょっと待って。ティークとロクスはいいとして、あんたともずーっと一緒なわけ?」

「ふふっ、今頃気付いたのですか。僕は嬉しいですよ。永遠ともいえる時間を共に過ごせるのですからね」

「勘弁してよ……」


 肩を落とすイディに、アーデンは〝喜びなさい〟と相変わらずのやり取り。いつもの二人を見てようやく不安が拭えたのか、ティークはおかしそうに含み笑っていた。


「アーデンとイディも、痴話喧嘩はそのくらいにしておけよ。日が暮れる前に、ここを発つぞ」


 エル・ロードに跨り、半身だけ振り返ってティークを見やる。何も言わずに後部席を叩くと、ティークはハッと気づいて満面の笑みを浮かべた。


「ティーク、帰ろう。ジイちゃんが夕飯作って待ってるからさ」

「うんっ」


 後部席にティークを乗せ、エンジンをかける。

 上空へと浮上した真紅のエル・ロードは、白い雲の尾を引きながらクライスドールへ向けて走り出した。

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流転のイストリア~不死の書人(リヴル)と赤毛の謌人(ソニド)~ 野口祐加 @ryo_matsuba

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