第26話「終焉の謌」

「裏切った? どういうことだ?」

「言葉の通りだ。キルナーは光の園リヒト・ガーデンを、そしてエルメナートを裏切り、トルエノとアルマの知識をガルードに提供してくれた」


 提供した? 白々しい嘘をつくものだと、俺は冷笑を返した。


「提供? お前が脅して聞き出したんだろ?」

「私は何もしていない。そもそも、私は彼に出会うまで稀覯禁書イストリアという存在すら知らなかった。お前も知っているだろう? 光の園リヒト・ガーデンは彼らの存在をひた隠しにしてきたのだからな」


 確かに――その存在すら知らない状況で、トルエノの記憶を持っているも当然知る術がない。本当に裏切ったのかと、水槽の中でぐったりとしているキルナーに問い質すように睨みつけた。


「国境を越えてきた密入国の書人リヴルと聞いた時は、何かに利用してやろうと思っていたのだが、面白いことにそいつは私が利用する前に、自分を利用しろと言ってきた。話を聞けば、エルメナートの人間でありながら、自分の国に復讐をしたいと言うではないか」

「復讐?」

「キルナーはずっと、エルメナートを恨んでたから」


 ティークがポツリと呟く。


「どうして自分達だけが罪を償わなければならないのかって、いつも言ってたわ」

「そういうお前も恨んでいた仲間の一人だったそうではないか」


 イリアスの言葉に、ティークの瞳が一瞬揺らいだ。


「キルナーが言っていたよ。他のイストリアの中で最も自分のことを理解してくれていたとな。どうだ、ティーク」


 イリアスは問いかけるように言葉をかけ、ティークに向って手を差し出す。その仕草を警戒するようにティークは身構え、無意識のうちに俺の手を握っていた。


「こちらに来る気はないか? 一緒にエルメナートを討とうではないか」

「ティーク、こんなヤツに耳を貸すなっ」


 嫌悪感と怒りに語気を強める俺とは裏腹に、見上げるティークの表情は穏やかで、いつもの愛らしい笑みを浮かべている。その表情に戸惑っていると、握り締めた手に少しだけ力が込められる。まるで〝大丈夫、心配しないで〟と言っているようにも思えた。


「私も恨んでた……」


 そう言葉を切り出したティークに、イリアスは不敵な笑みを浮かべる。


「過去の大戦を知らないくせに、お前達の力と記憶は危険だってののしって、歴代の皇帝が受け継いできた稀覯禁書の幽閉命令を言葉通りに実行して。元を辿れば戦争を引き起こしたのはあなたの先祖なのにって思ったら、許せなかったわ」


 自嘲気味に笑い、申し訳なさそうに俺を見上げた。


「ロクス、ごめんね」

「な、何が?」

「砂漠で会った時、本当はね、皇帝の所へ乗り込んで命を奪ってやるつもりだったの」


 その言葉に鼓動がドクンッと跳ね上がった。あの時――砂漠で助けた時、そんな思いを抱いていたなんて、少しも気づかなかった。


「そんなこと一度も……」

「言えなかった。ううん、違うの。そんなことどうでもよくなっちゃったの。私が一番に望んでいた願いを、ロクスが叶えてくれるって約束してくれたから」


 そう告げると、ティークはイリアスをしっかりと見据えた。その眼差しにイリアスが怪訝けげんな表情を浮かべる。


「キルナーはあなたの手を取ったけれど、私はロクスの手を取ったの」


 辺りの空気が震え、響音が共鳴する――瞬く間にティークの髪は赤く染まり、見据える瞳も緋色に染まる。イリアスはククッと小さく含み笑った。


「どうやら、私と手を組むつもりはないようだな」

「当然よ。仲間の起こした失態は、同じ仲間として私が片を付ける! Kuani Itak,Isamka ――」


 ティークの唱えた古語が辺りに溶け、稼動していた動力が停止。室内に満ちていた光が一瞬で消えた。

 それはかつて技術者だったティークが、万が一に備え、トルエノを破壊するために組み込んだ古語オルド・スペルだった。


「ティーク、止まったのか?」

「えぇ、止まったわ。このままだと墜落するから、急いで貨物室に」


 そう言いかけた矢先のこと。止まったはずの動力が再び稼動し、室内が一瞬にして黄金色の光に包まれる。

 何が起こっているのか状況が掴めず戸惑う中、急に体が重くなった。体の芯から力が抜けていくような感覚に襲われたかと思うと、立っていることすらままならなくなる。耐え切れず、俺とティークはその場に力なく跪いた。


「ティーク、どう、なって……」

「〝終章ノ謌フィーニス〟か。私が知らないとでも思っていたのか?」


 一歩ずつ追いつめるように、イリアスはゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。目の前で立ち止まったその姿を、ティークは悔しげに睨みつけた。


終章ノ謌フィーニスはお前ともう一人、そこに居るラウラというガキだけが知っていたようだな」

「……ラウラに、何をしたの?」

「そのガキが建造中にコソコソと妙な行動を取っていたのだが、数週間ほど前、この戦艦に組み込まれていた古語を発動させて、破壊しようと妙な真似をしてくれた」


 自分に置かれた状況も理解できないのだな、と、イリアスは呆れたように溜息をついて笑った。


「これ以上余計な真似はされたくなかったからな。戦艦に仕込んだ古語を取り除かなければ、仲間の命はないと忠告したまでだ」

「けど……代わりに別のもん、仕込んだだろっ」


 最初は何のことかと首を傾げていたが、動力室内に満ちている黄金色の光のことだと気付くや否や、思い出したように頷いた。


「この反応のことか。あのガキが私の忠告を素直に聞き入れると思えなかったからな。一応、対策として我が帝国の技術者に仕込ませた」

「対策?」

終章ノ謌フィーニスを発動させる古語オルド・スペルを口にすれば、そこに入らずとも謌人ソニドから力を吸い上げ、艦内にエネルギーを供給する唱術に転換されるようにしておいたのだが」


 そう説明する最中、室内の光が激しく点滅を始めた。壁を伝って流れ、供給される力が徐々に増していく。その反応と光景を眺めるイリアスの口元に、フッと冷笑が浮かぶ。


「仕込んでおいて正解だったな。おかげで五人以外の力も供給されたからな」


 この室内に働いた力は、謌人ソニドから響音ラドを奪う。つまり、俺の力にも反応したというわけだ。

 自らの手を見下ろすと、吸い上げられた響音ラドが光となって漏れ出し、ふわりと舞い上がって室内に消えていく。少しでも渡すまいと、些細な抵抗を示すようにその手を握りしめた。


「その力を提供してくれた礼に、いいものを見せてやろう」


 そう告げたイリアスは、室内に設置されていたモニターのもとへ向かう。何やら操作を始めたらしく、真っ黒だったモニターに広大な白い砂漠が映し出された。


「アスル平原……」


 映し出された景色を見たティークは、その名を恐る恐る口にした直後――機体が激しく揺れ動く。やがてその揺れが最大になった瞬間、鳩尾に深く響くような爆音が轟き、ビリビリと痺れるような強烈な振動と波動が皮膚の上を駆け抜けていく。

 瞳の奥を抉るような閃光が消えた後、数十キロ先まで真っ直ぐに伸びる巨大な火柱が、広大な砂漠を赤々と焼き尽くす光景がモニターに映し出された。


「何だよ、あれ……」


「かつてアスル大戦時に用いられたトルエノの主砲だ。三分の一威力に抑えてみたのだが、なかなかの力だ」


 十数キロ先まで焼き尽くすほどの力が三分の一なのだとすれば、全エネルギーを放出した主砲の威力は桁違いのはず。2000年前、一国が滅んだというティークの言葉を今、主砲を目の当たりにして実感した。


「ここまでして、エルメナートの新月樹が欲しいのかよっ」


 振り返ったイリアスは、愚問だと言わんばかりに笑う。


「今や、国の発展には新月樹の生み出す新月鉱が不可欠。力はあるに越したことはない。それに、こういった技術や力は人間と違って裏切らないからな」


 この男に力を与えては全てが終わる。

 響音ラドが吸い上げられる感覚に震えながら、力を振り絞って謌人ソニドの力を解放しようとした。だが、それに気づいたイリアスは素早く駆け寄り、俺の腹を力いっぱい蹴り上げる。

 無防備だったこともあって蹴りが鳩尾に深く入り込み、痛みと息苦しさで倒れたまま身動きが取れなくなった。


「くっ……」

「余計な真似はするな」

「ロクス!」

うるさい小僧も大人しくなったことだ。今度はお前だな」


 矛先はティークへ向けられる。イリアスはひざまずくティークの胸倉を掴み、強引に立ち上がらせた。


「は、離してっ」

「艦内の建造はまだ途中だが、主要となる機能は十分に完成している。大人しくあの中に収まるといい」


 抵抗するティークを引きずって水槽へ向かうイリアス。響音を奪われ指先にすら力が入らない状態でも、ティークを助けたい一心で必死にイリアスの足にしがみついた。


「ティーク、を、離せ、よ……」

「それで止めているつもりか?」


 無駄な抵抗だ、と、しがみつく手を踏みつけて離そうとする。それでも食い下がる執拗さに苛立ちを露わにし、俺の腹目がけて蹴り上げようとした、その時――艦内に突如として爆音が轟き、機体が大きく揺れた。


「何だ、今の音は……?」


 異変を感じたイリアスは、辺りに響く轟音ごうおんに耳を傾ける。するとそこへ、ベルヴァの隊員が血相を変えて駆け込んできた。


「陛下っ」

「どうした、何があったんだ」

「それがっ、ここから供給された響音が暴走して、制御不能に!」

「何だとっ!」


 原因は一体何なのか。思い当たる節はないか、焦りと苛立ちに歪むイリアスの表情がふと緩み、まるで吸い寄せられるように、その瞳は水槽へと向けられた。


「何だ、この歌は……」


 頭の中に歌が聞こえる。言葉のない歌が――機体へ止めどなく流れる響音が徐々に増し、それと共に歌が強くなる。


「まさか、こいつらが?」


 苦々しく睨みつけるイリアスの頭上で、再び爆音が轟く。機体が大きく傾き、明らかにトルエノが降下し始めた。それに怯んだ隙に、ティークはイリアスの手に噛みつき、その手から逃れた。


「ロクス、逃げて!」

「くそっ、逃がすかっ!」


 イリアスは懐に隠していた銃を抜き、ティークに狙いを定めた。このままではティークが――渾身の力を振り絞りって立ち上がった。


「ティーク!」


 駆け寄ったティークを抱き留め、背を向けて盾になった直後、背後で銃声が鳴り響く。だが、互いの体を貫く弾の感触も痛みもない。恐る恐る目を開け、振り返って驚倒した。

 イリアスの放った弾丸は俺とティークを包み込む光の壁に阻まれ止まっていた。やがてその弾は蒸発するような音をたて、光となって消えた。


「どうなってるんだ……」

「皆が、私とロクスを守ってくれたの……?」


 まるでその問いに答えるように、頭の中で鳴り響く歌が強さを増した。


「おのれっ、私に逆らうか!」


 逆らう者など必要ない。思い通りにならぬのなら始末する、と、その瞳に狂気を宿し、イリアスは再び銃を向けた。だが、その狂気を感じた稀覯禁書イストリア達は自らの力を全て解き放った。

 溢れ出した光は集束し、やがて無数の腕となってイリアスの四肢を捕え、その動きを封じていく。

 私達の代わりに止めを――歌の中で微かに聞こえた声。彼らがイリアスを食い止めている間に、全てを終わらせなければ。だが、トルエノが稼動している以上、謌人の力は使えない。

 どうすればいいのか方法を探していた時、懐に固い感触があることに気付く。手を差し入れてそれを取り出す。それはアーデンから渡された煙幕銃。


「それって、アーデンが渡してくれた銃?」

「けど、これじゃ何の役にも」


 立たないと思った。だが、脳裏を過った言葉に、思わず含み笑った。



 ―― 『切り替え一つで唱銃になります』



「本当、あいつには感謝しないとな」


 銃身に刻まれた紋様に触れ、「水」を意味する古語〝Rakuru〟と唱える。煙幕銃から唱銃に切り替え、ゆっくりとイリアスに銃を向けた。だが、響音が奪われ過ぎたせいで思うように照準が定まらない。


「これで、終わりにしなきゃ」


 震える俺の手に、ティークがそっと手を添えた。

 全てに終止符を打とうとする二つの眼差しと、己を捉える銃がイリアスの恐怖心を煽り、その瞳に一瞬だけ許しを請う恐れがにじんだ。


「ま、待て!」


 その声をかき消すように、一発の銃声が轟く。

 唱銃から放たれた弾丸はイリアスの胸を貫き、野心も欲望も、そして命も、その全てを断ち切った。

 全てが終わった。その安堵感から力が抜け、俺はそのまま力なく跪く。一緒に座り込んだティークも力なく笑みを浮かべたが、すぐにその表情は凛とした強さを宿す。


「まだ休むのは早いよ、ロクス。最後まで終わらせなきゃ」


 そう言って、ティークは背後にある水槽へと視線を向けた。

 もはや制御不能となったトルエノは、動力室の動きを止めることすらできなくなっていた。遅かれ早かれ、トルエノは墜落する――だが、目的を果たすには十分だった。

 墜落する前に他の稀覯禁書達を助けて一緒に逃げようと、水槽に閉じ込められていた彼らを助け出した。


「ラウラ、聞こえる? 目を開けて」


 横たわるその小さな少年に、ティークは何度も声をかけた。だが、力を使い果たした稀覯禁書イストリア達は皆、すでにその命が尽きていた。


「ティーク、行こう」

「……うん」


 まだ諦めきれないのか、ティークは返事をしてもその場から動こうとはしない。急かすように、そして諭すようにその肩に触れる。ティークは「わかってる」と小さく呟いて、ラウラの額にそっと口づけをした。


「次の時代で、また会えるから……それまで待ってて」


 約束だからね、と、冷たくなり始めた彼の手を一度だけ握って約束を交わし、ティークは振り切るように立ち上がった。


「急いで、ここから出ましょ」

「あぁ。貨物室のハッチが壊れてないことを祈るよ」


 動力室を飛び出し、来た道を戻る。崩壊し始めた艦内を何とか進んで、ようやく貨物室まで辿りついた。だが、そこに広がった光景に茫然とした。爆発の衝撃で貨物室は半分以上が崩壊、エル・ロードもその衝撃で無残に破壊されていた。


「こんな時に、どうしてこうなるんだよ」

「他にエル・ロードがあるかもしれないよ?」


 確かに、予備くらいあるはず。辺りを見回すが、やはりそれらしきものは見当たらない。その間にも機体は大きく傾き、落下速度も速まる。やがて崩壊した貨物室の壁から、地上が見え始めた。

 考えている余裕などない――


「ティーク、行くぞ」

「えっ、行くってどこに?」

「もちろん、外だよ」


 と、ティークの手を掴むと同時に、ハッチに向かって駆け出す。その勢いのまま、身を投げるように大空へ飛び出した。

 その直後、頭上で一際大きな爆音が轟く。振り仰ぐと、トルエノが炎と共に空へと散っていくのが見えた。


「あっぶねぇ。飛び降りなかったら、今頃どうなってたか」

「Rera,Kuani Tekku Ahupkara―――」


 ティークが古語を唱えたとたん、地上へ真っ逆さまに落ちていた体がふわりと浮かび、風が体を包み込む。手を引っ張られたかと思うと、すぐさまネクタイを掴まれ、グッと引き寄せられた。


「もうっ。飛び降りるなら飛び降りるって、ちゃんと言って!」

「あははっ、悪かったよ。でも、あの状況で説明してたら間に合わなかっただろ」

「それはそうだけど……」


 ティークは反論できなくなって膨れっ面。本当に悪かったと再度謝ると、仕方なさそうに笑って俺を抱き寄せた。


「アーデンとイディが待ってるよ。一緒に、帰ろう?」

「あぁ、待たせたら煩いからな」


 風を切り裂いて生み出される白い雲の尾を引きながら、俺とティークは地上へと降りて行った──

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