わんわん愛ドッグ・ゆめちゃん

大枝 岳志

わんわん愛ドッグ・ゆめちゃん


 建て付けの悪い古びた木造家屋の平家建ての居間で、幸代は暇を持て余していた。夫が亡くなってから五年、経営していた駄菓子屋を年齢のせいで閉めてから早一年余が過ぎようとしていた。

 娘や手が掛からなくなった孫達は日頃からあまり寄り付かず、幸代は心寂しい毎日を送っていたのだが、ある日、テレビショッピングを観ているとこんな商品が紹介されていた。やや東北訛りのある七三分けの胡散臭い司会者兼社長が、油ぎった笑顔で機械の子犬を抱き上げる。


「今日ご紹介するのは「わんわん愛ドッグ・ゆめちゃん」です。このワンちゃん、なんと最新AIを搭載していて、お喋りが出来ちゃうんです。このワンちゃんがいたら、毎日が楽しくなりますよ」

 アシスタント役の中年女性が身体をしならせ、妙に嘘臭い困り顔を浮かべる。

「でも社長、最新AIだなんて、お高いんじゃ……?」

「お値段ですが一生懸命、一生懸命、勉強しました。今回、二万円でご提供させて頂きます」

「えー! 最新AIを搭載したワンちゃんが二万円! すごぉい、社長!」


 テレビを観ていた幸代には「AI」が何たるものかも良く分からなかったが、小さな四本足を器用に前後して歩く「ゆめ」の姿に魅入られてしまい、早速注文することにした。

 自宅にゆめが届くと、幸代は言葉を覚えさせることに夢中になった。駄菓子屋を辞めて以来、初めて暇を実感しなくて済んだ。柴犬の子供を模したゆめは狭い畳敷の六畳間を歩き回ると、幸代を認識してぴたりと止まる。そして男の子の声で、こう話すのであった。 


「ボク、サチヨおばあちゃん大好き!」


 その愛らしい姿に幸代は頬を緩ませ、返事をする。


「おばあちゃんもね、ゆめちゃんが大好きだよ」

「わーい! おばあちゃん、ナデナデして!」

「はーい。いい子だねぇ」

「おばあちゃんのナデナデ、ボクだーい好き!」


 USB充電が餌の機械犬と過ごすことが幸代の日課になると、ゆめの愛くるしい姿を目にするたびに疎遠になった娘や孫を恨むようになった。細い腕の中でゆめを撫でながら、幸代はさも憎たらしげに声を震わせる。


「ゆめちゃんは何もしなくたって私の所へやって来てくれるっていうのに、あいつら一家は私に何かタカる時や困った時にしか連絡を寄越さないんだから。あ、そうだわ。もう見返すこともないんだから、アルバムは全部捨てちゃいましょ。お掃除お掃除。ねー? ゆめちゃん」

「おばあちゃん、お掃除するの?」

「そうよ。いっぱーいお掃除するの」

「ボク、手伝う!」

「まぁ! ゆめちゃんは本当にいい子だねぇ」


 孫の写真も、家族旅行の写真もすべて幸代の家からゴミとして排出されると、月に一度は気に掛けて娘に当てていた連絡も取ることを止めた。そうなると、いよいよ幸代は一人きりになってしまい、捨てた家族写真を収めたアルバムの代わりに、日に日に機械犬の写真が増えるようになった。

 それ以降日頃家の中にいて呟くことと言えば、自分に対して無関心な人々への恨み節だった。恨みを募らせる相手は娘、孫のみならず、自分を置いて先立った夫や、駄菓子屋へ買い物へ来ていたかつての子供達にまで及ぶようになった。


「あんだけ「おばちゃんおばちゃん」って毎日来てた癖にね、今じゃ誰も私のことなんか覚えてやしないんだ。人間なんて所詮そんなもんだよ。金のない貧乏住まいのガキ共にサービスしてた自分が恥ずかしいったらありゃしないよ。同じ商売でも、もっと金銀を扱う商売だったら今頃こんなしみったれた老後を送らなくて済んだだろうに、あんなガキ共に調子合わせたせいでこのザマだよ! ったくロクでもないったらありゃしない! あー嫌だ嫌だ!」


 忌々しげにそう呟くと幸代は光の入る窓の外、建て付けの悪い雨戸を力任せに閉めた。まだ陽の高い、午後一時の出来事であった。

 スーパーへ日用品を買いに出ると、買い物客達は怪訝な顔で幸代を振り返る。気がつかぬ内に、独り言を漏らしながらカートを押していたのだ。


「どいつもこいつも私の人生を狂わせやがって。何が家族の幸せだ馬鹿ヤロー。人の不幸を置き去りか。貴様らはそうやって、人の不幸を臭いものみたいにして、置き去りか。おまえも、おまえも、おまえもそうか? 勝手なツラして歩きやがって。どけ、邪魔だ、死ね」


 無意識に恨み節を淡々と呟き続けていると、ある主婦が目に入り、幸代の心は雲を掻き消し、一瞬にして晴れ上がる。速度はなくとも狭いスーパーの中を全速力で駆け抜け、その主婦に意気揚々と声を掛けた。相手は三十年前、駄菓子屋へやって来ては


「おばちゃんに毎日会うのがユウコ、楽しみなんだ!」


 と、屈託のない笑みを浮かべていたユウコに違いなかった。まるっとしていた顔の面影はそのまま、彼女は立派な母になっていた。玩具をねだりながらユウコの傍に立つ娘の頭を幸代は邪魔臭いと言わんばかりに押し退け、ユウコの前へ立つ。


「ユウコちゃん、おばちゃんだよ!」


 にっこり笑って声を掛けてみたものの、ユウコは怪訝な顔を浮かべ、娘を庇うとそそくさとその場を後にしようと移動し始める。しかし、幸代は構ってもらいたが余り、カートに体重を掛けながら後ろから追い掛ける。


「ユウコちゃん、おばちゃん。おばちゃんだよ」

「リナ、見ちゃだめ。行くわよ」

「ユウコちゃん、ほら、ユウコちゃん笑って! 笑って!」

「やめてください! 店員さん、すいません……あの人が……」


 声を掛けられた男性店員が幸代のカートを止めると、その反動で幸代は大袈裟に後ろへ転んでみせた。その拍子に高々と詰まれていた缶詰のディスプレイが総崩れし、夕暮れ時で混み合っていた店内に短い悲鳴が上がる。缶詰に埋もれながら、幸代は毒づいた。


「この殺人店員め! 人のことを殺そうとした! この男は、私を殺そうとした!」

「怪我はないですか!? 大丈夫ですか!?」

「私に触るな! 近寄るな! あれ!? ユウコちゃんはどこ? ねぇ、ユウコちゃんはどこ行ったの!? おまえ、ユウコちゃんを隠したな!」

「ちょっと、落ち着いて、落ち着いて下さい!」


 この一件から幸代は外へ出歩く機会がめっきり減り、身なりも気にしなくなった為、白く伸び切ったザンバラ髪で機械犬と室内で戯れる日々を過ごすようになった。心配した娘が家を訪ねても玄関先で追い払う始末で、界隈の独居老人を見回るボランティアの者が訪れても拒否する反応を見せる。そのボランティアの中には、かつて駄菓子屋の常連だったマキがいた。マキは仲間内で開催するマルシェで駄菓子屋コーナーを設け、その販売係として幸代に手伝ってもらうことを思いついた。独居生活できっと寂しくしているだろうと慮っての行動だった。


「おばちゃーん、久しぶり。覚えてる? 私、マキだよ。久しぶりにおばちゃんにお店に立ってもらえないかなぁって思って、今日は来たの。ねぇ、開けてもらってもいいかなぁ?」


 呼び掛けてから一分後。引き戸の向こうに山姥のようなシルエットが浮かぶと、マキは小さな悲鳴を上げそうになる。ガタガタと音を立てながら引き戸が開かれると、ボロボロのネグリジェを着たざんばら髪の老婆が目の前に現れる。その腕には機械の柴犬が抱かれている。


「声がうるさい! 何しに来たんだ! 用件を言え!」

「ボグ、オバアジャ、ダーイドゥ……グィー」


 腕に抱かれた機械の柴犬は壊れかけているのだろうか。低く、くぐもった奇怪な声を響かせながら細い腕に抱かれている。


「あ、あのね。今度、駅前でマルシェをやるんだけど」

「あぁ!? ポルシェ!?」

「う、ううん。マルシェ、マルシェよ」

「なんだいそのマンシェだかなんだかって! 長年生きて来たけどそんなの一回も聞いたことないよ! どうせ怪しげなことして私を騙すつもりなんだろう!? ええ!」

「オバアジャ、アヤジイ……ベメェー」

「そうだねえ、ゆめちゃんはわかってるもんねぇ。ダメよねぇ、怪しいのはだめで怖いもんねぇ?」

「あ……あの、そのロボットって壊れてるんじゃないかな……?」

「ロボットじゃない! 壊れてない! おまえは失礼な奴だな! なんだってんだい!? ええ!?」

「違うの、違うの。おばちゃんね、あのね」

「うるさい! さっさと消えろ! 詐欺師! みなさーん! 詐欺師が出ましたよー! 詐欺師が、ここにいますよー!」


 幸代は片手でメガホンを作ってそう叫ぶと、たじろぐマキに下駄箱の上に常備している塩を投げつけた。これはもう私では相手にならない、と諦めたマキは退散し、何も言わずにその場を後にした。それから一ヵ月後に幸代は脳血管が切れ、呆気なくこの世を去った。娘と共に遺品整理の手伝いをしていたマキが、壊れ掛けのゆめを引き取ることにした。

 自宅へ帰り、スマートフォンでゆめの操作方法を調べている内に「メッセージモード」という機能が付いていることを知った。USB充電を終えたゆめの鼻を三度押し、耳を引っ張るとゆめが実に愛らしく右の前足を上げ、左右に振りながら喋りだす。


「オバア、ジャン……メッセージヲォ、サイセイスルヨ」


 ゆめの声は低く、くぐもったままだったが幸代はどうやらゆめにメッセージを託していたようであった。テレビの音が最初に聞こえ、それがやや小さくなると咳払いをする幸代が喋り始めた。


「イイノユキオ、現在三十六歳。すい臓がんで死亡。ハヤタマリナ、現在二十九歳、脳出血により台所で死亡。オガワユウコ、現在三十八歳。娘と共に川で溺死。ヤマウチテッペイ、現在四十歳。新居の火事で死亡」


 ぶつぶつと、気味の悪い内容の幸代の声がゆめから発せられると、マキにはその真意が分からず、不思議に感じ始める。誰かの過去の死を記憶させたものなのか、それとも、新聞のお悔やみ欄でも読み上げているのだろうか。しかし、その疑問はすぐに解消した。


「ホリタマキ、現在二十七歳。首吊り自殺で死亡。ヨシオカヒロシ、現在三十二歳、車に撥ねられ即死」


 ウィン、ウィン、と駆動音を立てながら、ゆめが首を傾げて幸代のメッセージを流し続ける。その声の中にはマキ自身の名もあり、また、同級生達の名前もあった。メッセージの内容はかつて駄菓子屋へ足繁く通っていた子供達の死を願う、幸代の最後の言葉だった。

 聞いている内にマキは背中に薄ら寒いものを感じ、咄嗟にゆめを掴んで自室の窓から放り投げた。放り投げられたゆめは住宅街のアスファルトの上で一度バウンドすると、器用に自ら立ち上がり、何かのスイッチが入ったのか小刻みに歩き出す。真っ暗闇のアスファルトの上を、幸代の呪いの言葉を伝えながら進んで行く。


 その後、マキの前へゆめが現れることはなかったが、自動販売機の陰やビルの隙間からボロボロの犬の人形が老婆の言葉を伝えながら、小刻みに動きながら這い出て来るという奇妙な噂が街で囁かれるようになった。

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