最終話 6月30日 火曜日③

 「ごめん。僕の早とちりだったかもしれない」

 

 「そっ。ならいいよ」

 

 「……ところで日曜日。きみの家に行った日あれからきみはどこに行ってたの?」

 

 きみが無事ならなんだっていい。

 

 「えっ、弁護士さんのところだよ。それでたった今、その弁護士さんのいるO市から帰ってきて国道の裏道を通ってここにきたの」


 ああ、枝分かれしている国道の裏道を通ってガソリンスタンドのところを左に曲がってきたからこの電話ボックスのうしろから現れたのか。

 廃駅の裏にでも隠れていて「現役女子高生が電話ボックスの真後ろから男子高校生を驚かせてみる」って動画を撮ってたわけじゃないんだ。

 

 「私、あの日、拓海くんに救われたよ」

 

 えーと、ど、どういうことだろう?

 

 「だってあの場所で私をひとりにしてくれたってことは行けってことだったんでしょ? ドラマみたいでちょっと感動しちゃった」

 

 「えっ?」

 

 え、えっとじゃああれは感動の涙?ってやつ。 

 僕はあの日あのときすべての行動を間違えたと思ったけど別の正解があったみたいだ。

 秋山さんの答えとも違う。

 人生にはいくつも正解があるのかもしれない。

 

 「あそこからちょっとタクシーに乗ってさらにバスでO市にいる弁護士さんのところに行ってきたの」

 

 「そ、そうだったの?」

 

 「うん」

 

 ひとこと言ってくれても、って……。

 いや、あれは違うか。

 あれはあの場の空気での会話で何か言葉を交わしたわけじゃない。

 現に彼女は僕が背中を押したと思っている。

 僕が思っていたこととはぜんぜん違う方向に進んでしまったけど良いほうに進んでいたとは……。

 悪いほうにばっかり考える癖直さなきゃ。

 

 「それにすこしのあいだだけど。これ見て」

 

 彼女はスクールバッグから白いスマホをとり出した。

 

 「あっ、スマホ?」

 

 「そう復活」

 

 「復活?」

 

 「そうそう。弁護士さんにお願いしてSIMカード用意してもらったの。これで電話もかけられるしネットもできるよ」

 

 これも女子高生特権ってやつかな?

 

 「そうだったんだ」

 

 「うん。あっ、U町で交通事故があったってことなら私、Twitterで検索してみるよ」

 

 彼女はさっそくTwitterのアプリを起動させた。

 公衆電話のボタンを押すのとは違ってすごい速度でフリック入力している。

 さすがは現役女子高生すこしだけスマホを使うのを休んでいたけれど文字を打つのが早い。

 彼女の爪がスマホの画面にコンコンぶつかる音がしている。

 ときどき指先をスマホ画面の上や左右に動かしてはまた液晶を叩く。

 スマホから離れていたブランクなんてないみたいだ。

 

 「あった!! これだ」

 

 僕も彼女のスマホ画面をさらに深くのぞきこんだ。

 彼女が「#U町交通事故」のハッシュタグで検索すると物の見事に事故の詳細が載っていた。

 しかももうひとつハッシュタグがあって「#救急車なう」だ。

 これは事故に遭った本人のものみたいだ。

 

 「うん。たしかに事故にあった娘いたね。ドラッグストアでLudeのミニ香水ボトルを配っててそれ欲しさに斜め横断したみたい」

 

 ああ!!

 そういうことか。

 あのドラッグストは今ちょうどLudeとタイアップ中だ。

 それに今日は三日間連続イベント三日目の最終日。

 僕が公衆電話かけた電話はこの事故とぜんぜん関係なかったんだ。

 おそらくあの公衆電話のことは誰も気づいてさえいない。

 

 やっぱり無人の電話ボックスで鳴る電話なんて誰もとりたがらないか? さっきの人が特別だったんだ。

 声からしてすこし年配の人のようだった。

 なら菊池さんくらいの歳かな? それなら電話ボックスの存在は身近で公衆電話の電話にだって出るのかもしれない。


 「別人だったんだ。よかった」


 事故に遭った娘も気の毒だけど。

 まあ、救急車の中でTwitterをやっていて「#救急車なう」な、くらいだから怪我はたいしたことないだろうな、と素人ながら思う。

 僕はスマホからようやく目を離す。


 「あっ!? 死んじゃった」


 「えっ? うそ? そ、その事故に遭った娘が?」


 し、死んだ……。

 今の今まで元気にスマホに触りながらTwitterをやっていたのに。

 でも交通事故だと打ちどころが悪ければ急変するともきくし。

 やっぱりただの高校生の僕じゃ怪我が重いのか軽いのかの判断なんてできないな。 


 「そう、ほら」

 

 僕は決心してまた彼女のスマホをのぞく。


 【死んだ】


 ほ、ほんとに死んでいた。

 いや「死んだ」と投稿していた。

 ……ん? でも本当・・に死んでいたならTwitterの操作なんてできないよな。

 もしかしてホラー系の話。

 すると僕の見ている投稿画面が下にさっと下がっていった。

 つぎのつぶやきだ。


 【バッグの中で香水の瓶割れてる。最悪。でも漣の匂いがする】


 し、死んだのは香水の瓶か。

 まぎらわしい。

 ……な、なんていうかやっぱり僕のような素人高校生が思うにこの娘の怪我は大丈夫な気がする。


 でも、香水をもらって車にはねられたってことは帰り道で斜め横断したのか? あるいは行きも帰りも両方斜め横断した? ……ん? つぶやきのいちばん左側にある吹き出しのマークの下に「1」という数字が現れた。

 リプがついたんだ。

 彼女は迷うことなくタップした。


 【香奈りん。大丈夫なの?】

  

 香奈りん。

 か、かなりん? かなりんって呼びかたはあだ名だよな? なら本名は「かな」とか「かな子」とかって名前かな? しかもU町ならU公立高校に通ってる可能性が高い。


 「かなえ」って名前でもあだ名は「香奈りん」になる。

 交通事故に遭ったうえ貴重な香水の瓶も割れた……。

 この世界にそうそう因果応報なんてあるわけないか。

 彼女は黙って画面を見つめていた。


 「そういえば山村・・さんまだテレカって持ってる?」


 「そりゃあ。持ってるわさ・・


 わさ? これも何かのキャラかな。


 「おお、ちょうどいい。公衆電話って災害時には通信規制の対象外で優先回線になるし停電してても使えるから肌身離さずに持ってたほうがいいよ」


 「へー!! 目から鱗」


 目から鱗で当然だと思った。


 「山村さん。この公衆電話からときどき山村さんのスマホに電話してもいいかな?」


 こんなこと思ってないのに口のほうがさきに動いていた。

 ってことは思ってるってことだ。

 もう、きみと連絡がとれなくなるのは嫌なんだ。

 彼女は首を傾げて考えこんだ。

 

 「まあ。ときどきなら、ね」

 

 でも、いいみたいだ。

 

 「明日の電話はときどきになるかな?」

 

 「う~ん。今日、晩ご飯食べるから”ときどき”かな」

 

 夕飯を一回食べると”ときどき”にワンカウントしてくれるらしい。

 

 「そう。じゃあ明日。ときどき・・・・電話する」


 僕は日本にない言葉をしゃべっていた。

  

 「しょうがないな。私の電話番号教えておくね」


 彼女はTwitterのアプリを閉じてスマホの設定からそのスマホの電話番号を表示させた。

 

 「うん」

 

 きみの番号なら菊池さんの十一桁よりも早く覚えられる気がする。

 僕はスクールバッグから筆記用具をとり出して僕の生徒手帳のメモ欄を開いた。

 

 「ここに書いて」

 

 「私ね。頑張ってまた学校に行ってみようと思うんだ」


 彼女は生徒手帳に数字を書きながら流すようにそう言った。

 たぶん梅木さんはその事情を知ってるし、今ならいじめだってちゃんと刑事事件として捜査してくれるから大丈夫だと思う。

 

 「応援するよ」

 

 僕はわかってた。

 だってきみは休学中なのにいつだって制服とスクールバッグ姿だったから。

 きみが学校好きなこと知ってたよ。


 S町の「X-Y=+3」の流入数「X」にならなくたっていい。

 電話番号も教えてもらたったしきみがまたふつうの高校生に戻るならU町に帰ったっていい。

 

 「ありがとう。はい、これ」

 

 「うん」

 

 僕は彼女から生徒手帳とペンを受け取りスクールバッグのなかから一昨日もらったLudeの漣プロデュースのシャンプーとリンスをとり出した。


 「あと、これきみに」

 

 「なに?」

 

 「Ludeの漣って人がプロデュースした試供品」

 

 でも、あまり喜んではくれなかった。

 なんでだろう? マウントレーニアのバニラモカのほうがよかったかな? やっぱり僕には女子高生の心はわからない、な。

 

 「山村さん、好きなんだよね? Lude?」

 

 「大事なのは近くにいる人」

 

 彼女はそこで言葉をいったん切った。

 そしてまた――で。といってもう一度、言葉を区切った。


 僕は電話ボックスの中でいまだ宙吊りになっている受話器に気づいた。

 あっ、あとで菊池さんに謝らなきゃ。

 あれからほったらかしだし。

 とっくに電話は切れているだろう。

 菊池さんの声はもう聞こえてこなかった・・・・・・・・・

 

 僕が公衆電話からまた彼女に視線を戻すと彼女はLudeのシャンプーとリンスを指差しながら――こっちじゃないの。と言った。

 どういうことだろう? まあ、いっか。

 

 僕は諸事情で彼女にあえて訊かなったことがある。

 それはあの白い封筒のお金ことだ。

 いまだに家に保管してあるけれどいつかまとめて返そうと思っている。


 本当のところあの白い封筒は慰謝料とかそういうのじゃなくて山村さんが僕に山村さんを見つださせるためのヒントだったんじゃないかって思ってる。

 まさか何ヶ月もずっとお金を入れつづけて僕がそのまま何もしないでいるとは思わないだろう。

 

 ――気づいて。

 

 親のこともあるけどそんなふうに僕に助けを求めてくれていたんだとしたら嬉しい……まあ、勘違いか。

 僕は強くもないし頼りにもならない。

 「110」にも「119」にもなれない。

 でもこれからもきみが僕を選んでくれたらいいなと思う。


 明日から七月。

 僕ら高校生の制服も夏服に変わる。

 この電話ボックスに微かな夏の匂いが流れてきた。

 六月の半ばに感じた風だって黙々と季節を進めていたんだ。

 心機一転、僕らもまたふつうの高校生に戻るとき。


 グラハム・ベルが発明した電話によって僕も彼女も傷つけられたけど、その分救われもした。

 僕はグラハム・ベルの功罪を感じながら彼女の電話番号が書かれた生徒手帳を制服の内ポケットにしまった。

 

 「ねえ。マウント。レーニア。飲みに。行こ。う。よ」


 彼女はまた何かのキャラの真似をした。

 ん……? この独特な言葉の区切りって。

 そっか時報のときの女の人の口真似だ。

 彼女は僕が彼女と出逢った6月8日あのひとはまるで別人のように晴れやかな顔で笑っている。


END

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グラハム・ベルの功罪 ネームレス @xyz2

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