07.キクレー邸
日が暮れると、エミリアーヌたちは再度キクレー邸にやってきた。
ドアノッカーを鳴らすと、先ほどのサビーナが中に通してくれる。どうやら貴族だというのに使用人はいないらしい。
部屋に入ると、金髪の美しい男性が迎えてくれた。領主だというので、エミリアーヌよりも年上の男性を想像していたが、同い年かもう少しだけ若そうだ。
「ようこそいらっしゃいました。昼間は留守にしていて申し訳ありません。私がセヴェリ・キクレーです」
「初めまして、キクレー卿。私はエミリアーヌ・メルシエと申しますわ」
「私はメルシエ家の家令でディオンと申します。キクレー卿、この度は貴重なお時間を私どもに割いてくださり、大変有り難く存じます」
ディオンが恭しく頭をたれると、セヴェリは優しく目を細めた。
「まだ
握手を求められて、エミリアーヌとディオンはそれに応えた。貴族とは思えない気さくさに、エミリアーヌは内心驚く。
サビーナの方はまったく貴族という感じがしなくて、下町の奥さんといった感じだ。
ディオンは時間が惜しいとばかりに、さっそくセヴェリと話し合いを始めている。
またつまらない時間が始まったなと思っていると、男の子と女の子がお茶とお菓子を持って入ってきた。
「あ、紹介しますね。長女のマイラと、長男のアイルです」
十一才と八歳だという二人が、お茶の用意をしてくれた。サビーナは若そうなのに、こんなに大きな子どもがいるのかと目を丸める。
「失礼ですが、サビーナ様はおいくつでいらっしゃるの?」
「私ですか? 今年で三十になりました」
「まぁ、セヴェリ様はお若い奥様を迎えたのですね」
「言うほど変わりませんよ〜。セヴェリとは八歳しか変わりませんし」
サビーナは手を左右に振りながら、苦笑いしている。それに気づいたセヴェリが、ニコリと目を細めた。
「ええ、若く美しい妻を娶れて、私は幸せ者ですよ」
「美しくないし、もう若くもないですからー!!」
顔を赤くしながら反論するサビーナと、クスクスと意地悪そうに笑うセヴェリ。
そんな二人を見て、エミリアーヌは驚いてしまった。
貴族と結婚するということは、我慢することだと思っていたから。
こんな風に言い合ったり、笑いあったり怒ったり……そこには、揺らぐことのない愛情を感じる。
こんな婚姻なら、さぞ幸せだろうと羨ましくなった。
どうせエミリアーヌは、見も知らぬおじいさんの後妻に入るくらいしかできないのだ。そこにこんな幸せがあるとは、どうしても思えない。
ふと、ディオンの真剣な顔が目に入った。ディオンは、エミリアーヌの二つ年上だ。もし彼と結婚したなら……
そこまで考えて、エミリアーヌは首を横に振る。
男は、若い女性の方がいいものだと、今認識したばかりだ。四十になったエミリアーヌと一緒になっても、子を望めるかどうかもわからない。
だからもう、子どもが必要のない人のところへ後妻に入るしかないとわかっている。
「どうですか、エミリアーヌ様。このクッキー、美味しいでしょう?」
「ええ、とっても。サビーナ様がお作りになったんですの?」
「いえ、ゴリマッチョ……こほん、友人が作ったんですよ。今日の出店で売っていたんですが、あれだけ露店があったらわからないですよね」
「ええ、本当にたくさんのお店があって、とっても楽しかったですわ。果物狩りや、イベントも楽しませていただきました」
「それはよかったです!」
サビーナの顔がパッと明るくなって、えへへと嬉しそうに笑っている。
「特に、月見草の花は美しかったですわ。一面に群生していて、優しいピンクがカップルを祝福しているようでした」
「土地だけは無駄にありましたからね。過疎化で荒地になった畑に、昼咲き月見草を植えたんですよ」
「あら、クスタビ村の月見草の中でキスをすると、永遠に結ばれるという言い伝えがあるんじゃなかったかしら」
言い伝えというからには、昔からあるものだと思っていたが、サビーナたちが植えたというならそんなに歴史は古くなさそうだ。
エミリアーヌが首を傾げると、サビーナは苦く笑っている。
「えーっと、そこは、オトナのジジョウというわけでして……」
「なるほど、言い伝えを作ってしまったわけですね」
ディオンが向こう側から口を挟んだ。しかし決して蔑んでいる風ではなく、ふむふむと頷きながらメモを取っている。
「あながち嘘というわけではありませんよ。私とサビーナは、この地ではありませんが、月見草の中でキスをして結ばれたわけですし」
「セ、セヴェリッ!」
サビーナは顔を赤くして、椅子から腰を浮かしている。セヴェリは相変わらずクスクスと意地悪く笑っていて、楽しそうだ。
「まぁ……月見草の中でキスをして結ばれたなんて、夢がありますわ」
「この地でも、たくさんの人が幸せになっていますからね」
「ふむ、もう嘘が事実になっているというわけですね」
「嘘とは人聞きが悪いですよ、ディオン殿」
「おっと、これは失礼いたしました」
男二人は楽しそうにそんな会話をしている。こんな時のディオンは生き生きとしていて、エミリアーヌは思わず目を細めた。
「エミリアーヌ様、月見草の花言葉はご存知ですか?」
そんな風に問われて、エミリアーヌは目の前のサビーナ視線を戻す。
「いいえ、存じませんわ。どんな花言葉ですの?」
「月見草は〝無言の恋〟、そしてここに咲いている昼咲き月見草は〝無言の愛〟と言うんです」
無言の恋と無言の愛。
それは、言わなくても相手に伝わるという意味なのだろうか。
それとも、相手に伝えられない気持ちの事なのだろうか。
「それは、とても切ない花言葉ですわ……」
エミリアーヌは、うちに秘めた気持ちを伝えられないことだと解釈し、そんな感想を漏らした。
「そう思われるということは、エミリアーヌ様はきっと……」
そこまでいうと、サビーナは彼女らしからぬ悲しそうな笑みを浮かべていた。
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