06.月見草祭り

 二人は、無事ラウリル公国のクスタビ村というところに着いた。

 この日は〝月見草祭り〟というのをしていて、村は大賑わいだ。

 御者と護衛騎士には休みを言い渡して、二人で村を見て回る。

 教会があり、学校があり、たくさんの店や宿屋が建ち並んでいるそこは、どこをどうみても村という感じではなかった。


「本当に村なのかしら。普通に賑わっている町にしか見えないわ」

「ここは元々、過疎化が進んだ正真正銘の村だったそうですよ。それをここまでに発展させた領主にアポを取っております。行ってみましょう」


 ディオンについていくと、噂の領主のお屋敷に着いた。

 いや、お屋敷と言うには小さすぎる家だ。この村にあるどの家よりも大きかったが、小金持ちといった感が否めない。


「貴族の家という印象は受けないわねぇ」

「そうですね、男爵と伺ってはいますが……」

「あの、うちになにかご用ですか?」


 唐突に後ろから声を掛けられて、エミリアーヌたちは驚いて振り向いた。

 深緑色の髪の女性が、きょとんとこちらを見ている。ディオンが家令の顔になり、その女性に頭を下げた。


「お初にお目に掛かります。私はメルシエ家からの遣いで、家令のディオンと申します」

「私はメルシエ家の長女で、エミリアーヌ・メルシエと申します」


 エミリアーヌがとスカートを持ち上げるように丁寧に挨拶をすると、その女性は屈託なく笑った。


「初めまして! 私はサビーナ・キクレーです。夫から話は聞いています。でも今日は祭りで忙しくて家を空けているんです」

「あら、そうなんですの」

「良ければ、お祭りを楽しんでいってください! 夜には主人も帰ってきますから。宿はどこも空いていないと思いますので、ぜひうちにお泊まりくださいませ!」


 サビーナという女性が熱心にそう勧めてくれたので、二人はそうすることに決めた。

 お祭りを楽しんでという言葉通りに、露店を覗いてみる。ラウリル公国中から店を出しに来ているのかと思うほど、道という道いっぱいに露店がつらなっていた。

 どこからも美味しそうな匂いが漂ってくる。


「いろんなものがあるのね。みんな食べ歩いているわ」

「なにか欲しいものがあれば買って参りますが」

「いいの?」

「ここは他国ですし、誰に知られることもないでしょう。お嬢様がやってみたいなら、食べ歩きしたって構いませんよ」

「まぁ、嬉しいわ!」


 ディオンの承諾を得たので、クレープを買ってもらった。色んなものを食べたかったので、半分だけ食べてディオンに渡すと彼は綺麗に平らげてくれる。


「あら、甘いものは平気なの?」

「大好きというわけではありませんがね。この年になると、腹にたまりますし」

「じゃあ、今度はあの鹿肉の串焼きというものを食べてみたいわ!」

「また腹にたまりそうなものを……」


 豪快に串に食いついている人たちを見て、エミリアーヌはわくわくとする。今までにこんな食べ方をしたことは、一度たりともない。


「どうぞ。熱いそうなのでお気をつけて」


 串焼きを受け取ったエミリアーヌが、何度もフーフーと息を吹きかけて冷ましていると、プッと笑い声が聞こえてきた。


「なぁに、ディオン」

「いえ、そんなにしなくても……もう冷めたんじゃないでしょうか」

「だって、熱かったら困るじゃない。そんなに言うならディオンが先に味見して?」


 そうやって串焼きを差し出すと、ディオンは「どれ」とそのままかぶりつく。

 エミリアーヌの手の中の串の肉は一つ減り、ディオンの口の中へと消えた。


「どう?」

「もうそんなに熱くありませんよ。味も結構いけます」


 ディオンが美味しそうにたべるので、エミリアーヌもハムリと噛んでみる。鹿特有の弾力としっかり効いた塩胡椒が、噛みしめられた奥歯から全体に広がった。


「本当、美味しいわ!」


 そんな風にあれこれと二人で食べ歩いていると、果物狩りのポスターが目に入った。どうやらこの村でやっているらしい。


「これをやってみたいわ!」

「果物狩り? まぁ行ってみましょうか。さくらんぼ狩りとイチジク狩りがあるようですが、どちらがよろしいですか?」

「私、さくらんぼに目がないの、知っているでしょう?」

「ええ、そう言うと思っていました」


 そのポスターに書かれた地図の場所に行き、さくらんぼ狩りをやらせてもらう。結局、イチジクのところにも行って楽しんだ。

 とってすぐに食べられるという新鮮さが贅沢だ。もちろん収穫をしたのも初めてである。

 ディオンは楽しみつつも、ふむふむとメモを取っている始末だ。

 そうして祭りを楽しんでいると、月見草がたくさん植わった畑の前に人だかりができ始めた。

 なにかあるのだろうかと、エミリアーヌとディオンも足を運び、しばらく待ってみる。すると白髭の生えたおじいさんが、設置された簡易の舞台にあがって声を上げた。


「れでぃすあーんどじぇんとるめん!! こちらに注目してくだされ〜〜!!」


 お茶目なおじいさんが、手をふりふり叫んでいる。

 周りからはクスクスという笑い声が上がり、「クスタビの名物おじいさん出た!」と喜んでいる人もいる。


「これから本日のメインイベント、『永遠の幸せを得るキス』を始めるぞい! このクスタビ村の月見草の中でキスをしたカップルは、永遠に結ばれるという言い伝えがあるのじゃ!」


 わっと会場が盛り上がる。

 永遠に結ばれたいカップルは月見草の真ん中でキスをするんじゃと促され、周りのカップルが次々にと月見草の道を歩いていく。

 とても人気のイベントのようで、そこでキスをするたび、周りからヒューとはやし立てる声が聞こえた。若いカップルから熟年夫婦まで、幅広い層が月見草の花畑の中でキスしている。


「まぁ、すごいイベントだわ。人前でキスなんてできるもの?」

「これだけしている人がいれば、羞恥心も霞むと思います。恋愛スポットは人気ですし、客寄せのイベントとしては大成功でしょうね」


 ふむ、とディオンは顎を手で擦りながら色々考えているようだ。

 そのまましばらく見ていたが、移動しますかと言われ、エミリアーヌはこくんと頷いた。

 少し疲れたエミリアーヌは月見草畑を離れ、人気のないベンチに腰を下ろした。


「大丈夫ですか、お嬢様。今日着いたばかりですし、少々強行軍でしたね」

「ええ。それになんだか、あてられちゃって」


 先ほどの、月見草の中でキスをしていた人達を思い返す。どのカップルも、全員が笑顔だった。


「いいわね。みんな、幸せそうだったわ」

「まぁあそこでキスしようと思う人は、それなりにうまくいっているカップルでしょうから」

「ディオンはキスしたこと、あるの?」

「ええ、そりゃまぁ……でもここ何年かはご無沙汰ですよ」


 ディオンはキスをしたことがある。それはそうだろう、付き合った女性もいたくらいだ。

 わかっていたことなのに、なぜかツキンと胸が痛む。


「はぁ……うらやましいわ、私はないのよ。生まれてこの方、一度も」

「お嬢様……」


 憐憫の目で見つめてくるディオンを、エミリアーヌは真っ直ぐ見つめ返す。

 もしもだが、彼がしてくれるというなら……興味はある。


「お嬢様がよろしければ、私が……」

「……ディオン?」


 しかしディオンは言葉を詰まらせて目を逸らしてしまった。ドキドキしていた心が、一気に沈む。


「すみません、旦那様の顔が浮かんでヘタレてしまいました」

「あら、そう……残念だわ」


 エミリアーヌはガックリと肩を落とした。しかし父親に知られたら雷どころでは済まないだろうので、その気持ちはわからなくはない。


「ああ……四十二にもなって、どうして躊躇しているんだ私は……」


 当のディオンは額に手を持っていき、なにやらぶつぶつ言っている。

 エミリアーヌにはよくわからないが、キスは好きでもない人と簡単にできるものではない、ということくらいは理解できた。


「ごめんなさい、気にしないでディオン。私もただの好奇心だったのよ」

「申し訳ございません。お嬢様に恥をかかせてしまいました」

「大袈裟だわ。私のためにお父様から咎められては大変だもの。当然の選択よ」


 フォローをしたつもりだったのだが、ディオンは自分を情けないと思っているのか黙ってしまった。

 エミリアーヌは、どうしていつも自分はこうなのだろうと溜め息を吐きそうになる。

 なるべく人に不快な思いをさせたくないと思っているのに、いつもぼうっとしていて気が利かない。

 どうやら人の考えとは少しズレているようで、エミリアーヌは平気なことでも、人は些細なことを気にしているようだともわかっていた。

 わかっていても、細かなところまでは気が回らないから、嫌な思いをさせることなどしょっちゅうだ。

 けれど、パメラやディオンだけは違うと思っていた。二人は、そんなエミリアーヌを丸ごと受け止めてくれているのだと、なぜか勘違いしていたのである。

 だから、ディオンのこの態度は少しだけショックで。

 静かな湖面に雫を落としたように、エミリアーヌの心は揺らぎを見せた。

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