05.ディオンの胸の内

 今日も今日とて、パメラがエミリアーヌのお世話をしてくれる。

 メイド長は忙しそうだったが、朝のエミリアーヌの身支度だけは、絶対に誰にも譲るつもりはないらしい。

 パメラがメイドの中で一番偉くなっているため、誰に文句を言われるでもないようだし、問題ないのだろう。

 ディオンだけは、職権濫用するのはどうなのかと呆れていたが。

 エミリアーヌとしては気心の知れたパメラが付いてくれる方がいいので、ありがたい。


「それで、ディオン様に恋はなさいましたか? お嬢様」


 パメラがうっきうきと音を立てそうな表情で尋ねてくる。


「どうかしら。少しドキドキすることもあるけれど、ディオンじゃなくてもドキドキしそうな気がするわ」

「それは……まだでございますわねぇ……」

「私、恋ができるのかしら」

「できますわ、きっと! お嬢様ほど清いお心の持ち主は、おりませんもの! 恋をできないはずがございません!」

「ありがとう、パメラ」


 もしかして、自分はどこか欠陥があるのではないかと思っていた。

 生まれた時から少しぼんやりとしていて。

 勉強が特別できるわけでもなく、なんの取り柄もない。

 ただ、空気のように笑って生きているだけ。

 そんな自分を褒めてくれるパメラが、本当に愛おしい。


「あら、もしかして私、パメラに恋をしちゃっているのかしら」

「は、はい?! なにをおっしゃっていらっしゃられちゃってますですか?!」

「だって私、パメラには愛おしいと感じるもの」


 素直な気持ちを言葉に出すと、かちゃりと音を立ててディオンが入ってくる。


「あら、ディオン様立ち聞きですか?! 乙女の部屋に勝手に入ってはなりませんわよ!」

「パメラの準備が遅過ぎるんですよ。ドアの前でどれだけ待たせるんですか。というか、私のライバルはパメラなのか……」


 鏡を覗くと、頭を抱えてはぁっと息を吐くディオンが見えた。


「ディオン様が不甲斐ないからですわ!」

「お嬢様を惚れさせるくらい、わけないと思ったんですがね。難航していることを否定はしませんよ」

「ああ、私が男であったなら、お嬢様を奪って駆け落ちでもなんでもいたしますのに!」


 ハンカチを食いしばってまで悔しがってくれるパメラを見ると、心がじわっと熱くなる。パメラが、心から自分を想ってくれているのがわかって、それがとても嬉しい。

 彼女が男なら、本当に恋することができていたかもしれないと思うほどに。


「ありがとう、パメラ。私、あなたのことが大好きよ」

「あああ、お嬢様! もったいないお言葉です! 私もお嬢様のことが、この世の誰よりも大好きですわ!」

「ちょっとそこで両想いになられると、私の立場がないんですがね」


 エミリアーヌがパメラと告白し合っていると、つまらなそうにディオンが声を上げた。


「あら、ごめんなさい、ディオン」

「まぁいいですよ。今日から一週間、時間はたっぷりありますから」


 そう、今日は例の〝遠出〟する日だ。

 行き先は隣の国、ラウリル公国。表向きはクスタビという村の視察らしい。

 仕事とはいえ、ディオンとの二人旅をよく両親が許してくれたなと感心する。それだけ、ディオンへの信頼が厚いということなのだろうが。


 用意が済むと、早速馬車に乗り込み、旅立った。

 実際には二人旅ではなく、御者が二名、護衛騎士が一名いたが。


 ディオンは馬車に乗っている際も、常にエミリアーヌのことを気遣ってくれていた。

 優しいのは嬉しいが、惚れさせようと必死なのかと思うと、どこか冷めた気持ちになってしまうのは否めない。

 そうしてほしいと頼んだのは己だというのに、ディオンの態度がどこかに引っかかってしまう。

 事実、一日中あれこれと構ってくれるディオンは、二日目にはもう疲れている様子だった。

 自分のために申し訳ないと、エミリアーヌは心を痛ませる。


「私、無理を頼んじゃったのかしら?」

「いえ、無理ではない……と信じたいんですが」


 そう言いながらも、ディオンはちょっとつらそうだ。


「参考までに聞きたいのですが、なぜパメラのことは好きだと思えるのですか?」

「うーん、なぜ……なぜかしら」


 問われたエミリアーヌは、答えの糸を手繰るように、ゆっくりと考えながら話し始める。


「そうね……パメラは私のことが好きだと、心から思ってくれているのが伝わってくるのよ。とても大事にしてくれるし、私のことで一喜一憂してくれるの。それが嬉しくて、私もパメラを大好きになったんだと思うわ」

「……私もお嬢様のことを誰より大切に思っているんですが」

「ディオンからは、伝わってこないのよねぇ」

「なんでだ!」


 ガバッと頭を抱えるディオンを見て、エミリアーヌはクスクスと笑った。

 苦悩しているディオンを見るのは初めてで、なんだか可愛い。


「どう言えば伝わるんでしょうか。お嬢様はいくつになっても変わらぬ純粋さに溢れていて、かつ美しい。私はお嬢様を十六の時から知っている。おっとりされたその性格も、とても魅力的で……」

「なんだか、嘘くさいわねぇ」

「本当なんですがね……」


 なにを言われても嘘くさいと思ってしまうのは、恋をさせてとお願いしてしまったせいだろうか。

 いくら本当と言われても、どこか信じきれない。


「まぁ時間はあるので、焦らず行きますよ」


 ガタガタと鳴る馬車の中で、そっと肩を寄せられた。

 接触があると、エミリアーヌも少しだけドキリとしてしまう。けれどそれは、どの男性であっても同じだろう。ディオンだけが特別というわけではないはずだ。

 しばらくそのままガタガタと揺られていると、吐息が感じられるほど近い場所で、ディオンが口を開いた。


「お嬢様が嫁がれた日のこと、覚えておられますか?」

「え? ええ、覚えているわ。あなたが、見送ってくれたのよね」


 コクリ、とディオンの頷く気配がする。

 エミリアーヌの頭は彼の肩に乗せられていて、顔は確認できない。


「あの時のこと、私は今も後悔しています」

「あら、なぜ?」

「あの時、無理やりにでもパメラを連れていかせるべきであったと」

「パメラを?」


 普通、婚姻の時にはお付きの侍女を一人連れていくものだ。

 しかし、それをなぜか嫁ぎ先は受け入れてくれなかった。優秀な侍女は、こちらで用意するからと。

 子爵程度の使用人では心許ないと考えたのだろうと思い、その時はエミリアーヌも納得していた。パメラだけは、絶対に付いていきたかったのにと悔しがっていたが。


「お嬢様を抱いていないことを、誰にも知られるわけにいかなかったから、侍女を拒否されていたのですよ。もしパメラが付いていったならば、すぐにもメルシエ家に情報が伝わってきていたはずです」

「そうね」


 ふるふると手が震えているのが見えた。

 どうしてディオンはこんなにも、悔しがっているのだろうか。もう過ぎたことだというのに。


「ねぇ、ディオン。もうそのことは忘れた方がいいんじゃないかしら。体に良くなさそうよ」

「悔やんでも、悔やみきれないんですよ……あの時、私はあちらの言い分に違和感を持っていたにも関わらず、お嬢様を送り出してしまったこと……それも、なにをのうのうと『お幸せに』などと言ってしまったのか、過去の自分を殴り倒したくなります」

「まぁ、そんなことを思っていたの?」


 エミリアーヌはディオンの肩からぴょこんと頭を立ち上げる。

 悔悟の念に溢れたその顔は、見ていてとても痛ましいものだった。


「そのせいで、お嬢様の十六年間もの時間を無駄にしてしまったのだから、当然です」

「あら、ディオンって賢いのかと思っていたけど、なかなかのおマヌケさんだったのね」


 ふふっとエミリアーヌが笑って見せると、ディオンは不可解な顔をしている。

 その表情が面白くて、エミリアーヌはさらに笑った。


「私はメルシエ家の娘で、誰かの元へと嫁がなければならなかったのよ? そして私は人に恋ができない性格なの。だから誰が相手でも、大差なかったと思うわ」


 そう、例えフランドルが相手じゃなかったとしても。

 エミリアーヌは、結婚相手に恋できていたかどうか、わからないのだ。

 そう思うと、逆にフランドルが相手で良かったとも思えた。妻に愛されない夫は、悲しいに違いないのだから。


「私はやはり、どこかおかしいのだわ。女の子たちが普通にできている恋を、私はできないのだから」


 諦念とも取れる言葉を吐いた瞬間、エミリアーヌはグイッと体が引き寄せられた。

 事態を理解する前に、ディオンの声が耳に入ってくる。


「お嬢様は、恋をすることができる! それを私が、証明してみせます!」

「ディオン……」


 ぎゅうっと抱きしめてくれる腕から、体温が伝わってきて。

 こんなに必死になってくれる執事がいることに感謝して。

 エミリアーヌもまた、ぎゅっとディオンを抱きしめ返した。

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