四十九幕 新たなる旅立ち

 降魔城こうまじょうで繰り広げられた命懸けの激闘から、早二ヶ月が経とうとしていた。

 

 ここは万民の笑顔が咲き乱れる、フェルスタジナ城下町。

 城と城下町を隔てる役目の広場には、人、人、人で溢れかえっており、目抜き通りまで、びっしりと埋め尽くされている。


 その中心を彩るは、シエル・アルガート。

 広場に急造された壇上から惜しみない声援に向かって、小さな手を振っていた。


 笑顔を絶やさず、ただ一心に。懸命に。


 そうでもしないと、彼のことを思い出して、顔を崩して泣いてしまいそうだから。

 そんなシエルを側から見れば、そこはかとなく大人びて映ってしまう。そう、例えるなら開花直前の蕾の如きである。その可憐な姿を一目愛でようと、実に多くの民衆が集まっているのだ。


 そして、シエルの立つ壇上の元にはべる腹心たちの、実に頼もしいこと。


 左袖が風にたなびく隻腕のアーディンは、先の降魔城こうまじょう攻略の第一功。

 フェルスタジナ城だけでは留まらず、近隣の街からもその姿を一目見ようと集まるほどの人気を博している呂蒙や、成長著しいクルス他、死地を共に潜り抜けてきた戦歴の猛者たちだ。


 と、そこにフェルスタジナ城方向から、けたたましい喇叭らっぱの音を引き連れて、とある一団が広場へと近づいてくる。

 

 昨晩王都より到着したシエルの父、現帝王のアルガート陛下である。

 

 今日はシエルの戴冠式が執り行われる日であった。



「……で、リョモウ。本当にお前、のアルガート城へ行くのかい?」


 警備の緊はほどかずに。顔は前へと向けたまま。

 アーディンが隣の呂蒙に声をかけた。

 

「はい、昨日シエル様にも正式に了承を得て、お暇を頂戴いたしました」

「……でも、どうしてです? 今日からここフェルスタジナ城が王都となるのですよ? この城はこれから、もっともっと発展します。正直リョモウさんがいてくれないと、かなり困るんですけど……」


 クルスが未練がましく呂蒙を見上げた。

 

 事実王都となるこの城には、この先多くの人々が流れてくるだろう。なれば、治安を維持する意味でも増兵は避けて通れない。

 正直言って、呂蒙がいなくなるのを誰よりも惜しんだのは、兵をまとめる戦術指南長のクルスであった。


「すまないクルス殿。だが私は、新しき道に身を置きたいのです」

「んじゃぁ、聞かせてもらおうかねぇ。先の戦いの功績を棒に振ってまで、俺たち仲間を捨ててまで、お前が選んだ道ってのを」


 アーディンもこの件には興味があった。

 もとより呂蒙が権力に固執するタイプだとは、アーディンも見立てていない。いなのだが、今日の今日まで口を割らない呂蒙に対して、一つくらいは憎まれ口なぞ挟みたくなるもの。


 呂蒙もそれは分かっているからか、思わず笑いが込み上げてくる。

 しかし笑いを堪えて、真顔になった。

 

「……アルガート城には、国随一と呼ばれる書物庫と、歴史を編纂する部署があると聞きました。私はシエル様の口利きで、そこで働かせてもらえることになったのです」


 何故? などとアーディンもクルスも聞き返さなかった。

 

 歓声が一際大きく膨れ上がる。

 壇上ではいよいよ戴冠式が始まったようだ。 


 呂蒙は構わず続けて独白する。


「関羽殿の功績を、しっかりと歴史に刻むのです。……どうです? 胸が躍る役目でしょう?」


 得意の蕩けた顔で、そう言ってのけた。


 呂蒙は史実を正確に伝承するために、関羽の功績を後世に漏れなく残すために、史書を紡ぐ文官の道を歩むのだ。


 それを止めるほど、アーディンもクルスも野暮じゃない。

 ただただ、笑って応えるのみであった。



 ††††††††


 そしてフェルスタジナ城より遥かに遠い、遠い、とある村。


「あ……まだ寝てなきゃダメだよ!」


 少年は思わず手桶を放り出し、駆け寄った。

 馬の納屋に、藁で作った簡素なベッド。そこに上半身を起こした男がいる。


 意識を取り戻したのは、つい先程。

 それまで何十日も意識を失っていた男は、村の長の庇護の元、手厚い介護を受けていた。


 半身を起こした男は、村の騒がしさに気づいた。

 そのまま立ちあがろうとする。


「だからダメだって! 二ヶ月ずっと寝ていたんだよっ!」


 それでも男は言うことを聞かず、ふらつく足取りでなんとか立ち上がった。

 少年が慌てて手を貸そうとするも、男は大層な体の持ち主で、腰にすら手が届かない。


「この……騒ぎは、一体」


 男はしわがれた声で、絞り出すようにそう尋ねる。


「今日は国中上げてのお祭りだからね。国の王様が変わる日なんだ。僕より少し年上なだけなのに、国を魔物から救った凄い人なんだって! ……確か名前は、シ、シエ……なんとか様っていう人だよ!」


 少年は興奮を隠すことなく捲し立てた。

 男はそれを聞いて驚き、次に目を細めた。


「……そうか。では俺も行くとしよう」

「いやいやいや! 無理だって! まだ寝てなきゃダメだって!」


 少年と男の押し問答はしばらく続き、両者の意見は以前として平行線のまま。

 結局少年が折れる形となり、この場の論争は決着がついた。


 村の出口に案内すると、少年は数日分の水と食料が入った袋を男に手渡した。


「何から何まで、世話になったな、わらしよ」

「ワラシじゃないやぃ! ロカっていう立派な名前があるんだぃ! ……と、そういえば、まだ名前を聞いていなかったね」


「俺の名は———」


 村の中心から響き渡った歓声が、その声を掻き消した。

 それでも少年には聞こえたようで。


「……珍しい名前だね、どこかのお貴族様か何かかい?」


 その言葉に、男は優しい笑みを溢した。

 同時に一人の少女を思い浮かべる。


「では、俺は行く。本当に世話になった。ロカの両親にもとくと礼を伝えて欲しい。必ずや、この恩を返しにくると、な」


 男は踵を返し、村を後にする。

 ロカという少年が、その後ろ姿に声を張った。


「それじゃ気をつけてね! ———カンウさん!」



 その後の関羽の伝説は人伝ひとづてに広まり、百年経った後でも語り継がれることになる。

 ただしそれは、後の講談師たちによる誇張に起因するところが大きい。


 やれ一夜にして、魔物を千体倒しただの。

 やれ三日三晩眠ることなく、隣国からの侵略を防いだだの。

 ひどいものでは、一度雄叫びを上げれば、山肌に亀裂が入っただのと。


 どれもこれも、正鵠を得てはいない。

 全くの虚妄。捏造もいいところだ。


 村を出た関羽が、どのようにしてフェルスタジナ城に辿り着き、主君を安んじ友を重んじ、そして後に積み重ねた数々の偉勲の正確な記録は、今もなお、旧都アルガート城の地下に眠っている。


 呂蒙という名の天才的文官によって綴られた、正史と共に。


 〜完〜

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シン•異世界演義 〜関羽伝〜 蒼之海 @debu-mickey

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